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もくじ
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会
創立70周年記念誌『日盲社協70年のあゆみ 1953 – 2023』
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会 創立70周年記念誌
日盲社協70年のあゆみ
1953 – 2023
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会
*各みだしの前の行に「++」の記号がありますので、検索機能などでみだしを探す時にご活用ください。
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栄光の50周年記念式典と苦難のオンライン大会
昭和28年(1953年)から令和5年(2023年)の「日盲社協70年のあゆみ」は平坦ではなかった。昭和30年(1955年)から昭和47年(1972年)までの高度経済成長により日本経済が急成長をすると、一般国民も障害者福祉に関心を向ける余裕が出てきた。また、昭和56年(1981年)の国際障害者年によって障害者に対する国民の理解は劇的に進んだ。このため昭和61年(1986年)11月から平成3年(1991年)5月までのバブル景気により、障害者施設の整備等に多大な恩恵を受けることができた。
そして日盲社協が大きく発展する中で平成15年(2003年)に天皇皇后両陛下をお迎えして、本間昭雄理事長の下で、日盲社協50周年記念式典が開催されたが、これは日盲社協にとっては50年間の事業を総括する一大事業であった。
一方、「日盲社協70年のあゆみ」の苦難を象徴するものは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって世界中の多くの都市が封鎖(ロックダウン)され、わが国も長期間の自粛を余儀なくされた。このため令和2年(2020年)6月に開催予定だった第68回全国盲人福祉施設大会(滋賀大会)は、準備万端整っていたが急遽中止のやむなきにいたった。
そこで「日盲社協70年のあゆみ」の象徴的な事業である「50周年記念式典」とコロナ禍で苦肉の策としてオンラインで開催された第69・70回全国盲人福祉施設大会をグラビアでここに記録する。
(写真)50周年記念式典で挨拶する本間昭雄理事長
日盲社協創立50周年記念式典が、平成15年(2003年)9月29日(月)、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)をお迎えして、ホテルグランドヒル市ヶ谷にて厳かに、しかも華やかに開催された。
(写真)挨拶に立った本間理事長は、創立大会から欠かさず参加されてきた
(写真)本間理事長のかたわらには常に糟糠の妻麻子夫人の姿があった
コロナ禍の下、第69回全国盲人福祉施設大会が令和3年(2021年)11月11日(木)午後1時から、東京都新宿区の東京視覚障害者生活支援センターを配信会場にZoomのオンラインで開催された。
開催にあたっては、「東京都新型コロナウイルス感染症対策条例」の趣旨に則った感染防止策を徹底し、来賓も東京都知事(代理)一人に絞った。全員マスクをしての参加だったが、写真撮影のときだけは特別に、短時間マスクをはずしていただいた。
恒例の研修会では、視覚障害者を支援するAIヘルパーの開発を研究している慶應義塾大学理工学部教授で、同大共生知能創発社会研究センターの栗原聡センター長により「進化するAIの目指すもの」をテーマに開催された。
(写真)式典では、点訳・音訳奉仕者94名(代表1名)に感謝状が贈呈され、永年勤続職員29名(代表1名)と援護功労者1名の表彰が行われた。ただ、コロナ禍であり、感染対策を徹底するため実際の参加者は代表2名と援護功労者1名の都合3名だけであった
第70回全国盲人福祉施設大会が令和4年(2022年)10月28日(金)午前10時から、東京都新宿区の東京視覚障害者生活支援センターをオンライン配信会場に、コロナ禍ではあったが一部対面参加も認めてハイブリッドで開催された。
(写真)式典では長岡理事長の挨拶のあと、点訳・音訳等奉仕者91名に感謝状が贈呈され、永年勤続職員24名と援護功労者2名の表彰が行われた
(写真)対面で参加いただいた5名の代表には、式典終了後は、マスクをはずして理事長とともに記念撮影をしていただいた
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第71回全国盲人福祉施設大会を開催
一気に秋らしさが増した令和5年(2023年)11月9日、東京・グランドヒル市ヶ谷にて、日盲社協創立70周年記念第71回全国盲人福祉施設大会を開催させていただきました。
何度も繰り返し述べられているように、対面形式での開催は北海道・帯広で開催した2019年以来で実に久しぶり。しかも、本部主管となると、60周年記念大会まで遡り、開催に向けての不安は小さくありませんでした。
大会への参加申し込みも当初は低調で、一層不安がつのりましたが、直前に、参加される方が100名を超えることが分かり、ほっと胸をなでおろした次第です。
当日、講演会の開催時刻には会場に空席がほとんどなく、従来と形は違えど、対面での大会を開催して良かったと、心から思いました。
講演いただいた弁護士で名古屋市視覚障害者協会の田中伸明会長、法政大学大学院の米倉誠一郎教授からは大きな刺激いただきました。
(写真)講演Ⅰ 田中伸明弁護士
(写真)講演Ⅱ 米倉誠一郎教授
共通して語られたのは、私の勝手な解釈で言えば、「変化」と言うことです。
障害の考え方としての医療モデルから社会モデルへ。そして新たに人権モデルへという変化は、当然のこととして、私たち支援する側の対応も時として異なってくることを意味しています。
また、視点の「変化」は発展への第一歩という考え方は、社会の側からの社会福祉への視線を理解していく上でのヒントになりうると思いました。
ご来賓の方々のご挨拶にも、「変化」を含むものがあり、日盲社協が現在置かれている状況を改めて見直す必要性を痛感させられました。また、今回初めてご後援をお願いし、ご来賓としてご挨拶をいただいた東京都眼科医会の福田敏雅会長からは、医療と福祉の結びつきを、今後さらに深めていくことへのエールをいただきました。
祝賀会は、差し詰め同窓会といった雰囲気でした。普段お会いする機会の少ない先輩諸氏との直接の会話は日盲社協の歴史を体感することのできる貴重な時間となりました。
最後に司会の大役をお引き受けいただいたフリーアナウンサーの遠田恵子さんにはいくら感謝してもしきれません。素晴らしい進行をしてくださり、大会の温かみを作り出してくださいました。心より御礼申し上げます。
理事長 長岡雄一
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(コラム)
バカモノの時代―講演Ⅱより
米倉教授は、破壊的イノベーションが現れると「高くて、性能が悪くて、機能に乏しいもの」が、「安くて、高品質な製品を破壊」する。大企業の経営者は賢く優秀ゆえにそのイノベーションを見逃す。
一方、世界的イノベーターであるアマゾンのジェフ・ベゾスやテスラのイーロン・マスクらは自由な発想と異なる視点を持っているのでバカ面であると写真を示して笑いをとる。だがこれからは多様性の時代なので、楽観的な「ワカモノ・ヨソモノ・バカモノ」がイノベーションを牽引すると予言する。
アフリカに「速く行きたいなら一人で行け、遠くまで行きたいならみんなで行け」という諺がある。そして少数者を含む多様性の時代には障害者の視点はユニバーサルであるとまとめた。
日盲社協70年のあゆみ
1953 – 2023
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会
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● 刊行にあたって ●
70周年を迎えて―その意義と展望―
70年という年の長さを言い表すことは容易ではありません。この間、いったいどれだけの方々が、日盲社協の運営に関わっていただいたのか。それとて想像することができません。
70年前、昨年(令和4年〔2022年〕)100周年を迎えた日本ライトハウスの創始者、岩橋武夫氏の呼びかけに応じて結成された日盲社協。その後、会員は増え、現在、198の施設が加盟する法人となっています。では、各会員施設は何を日盲社協に求めているのでしょうか。
この問いかけは古く、しかし常に蒸し返される議論として、今も話題の中心となっています。
社会には多くの同業団体があります。それらは何を求めているのでしょう。答えは明確で、自らの存在のアピールであり、結果として、加入者の方々の共通の目的の達成ということになるでしょう。それが経済的な場合もあるでしょうし、誰かの利益のためであるかもしれません。
いずれにしろ、利己的であり、かつ利他的でもあるわけです。
そこで、日盲社協にとっての利己的、利他的なものを考える必要がでてきます。そしてそれこそが、ここでの最も重要かつ一義的なものということができます。
利己的なもの。それは加盟施設の運営が円滑にいくための支援をいかに行うかということになります。
加盟施設は、現在5部会に分かれていて、それぞれの部会の求めることも、もちろん少しずつ異なっています。今年(令和5年〔2023年〕)になって、ここ3回ほど、部会長の方々と学習会を行っていますが、そこでは、共通した問題意識あり、意外な問題意識ありと驚かされることが少なからずあります。
しかし、たとえ課題は異なっていても、それぞれの施設が円滑に運営されていくことを支援することは大切なことですし、それこそ、日盲社協の使命だと思います。それには、まず、原点に戻って、日盲社協の会員施設全体の課題、問題を共有することから始めなくてはなりません。私自身、自立支援部会に身を置いてはいるものの、他の部会の課題も多少はわかっていたつもりでいましたが、今回の学習会を通して、それは、幻であるということにも気づかされました。
まず、問題意識を共有すること。それには、もっと、会員施設の現在地を知ることが必要です。そして、それを行おうとするには、事務局体制の強化が何より求められると思います。
この問題も長い期間にわたって指摘されてきたにもかかわらず、解決どころか進展さえ見られないのが現状です。
昨年(令和4年〔2022年〕)、ある全国組織の事務所を訪問した折、まず、そこに働く職員の多さに驚かされました。全国組織である以上、その程度の規模の事務局は必須であろうと思います。しかし、現在、その規模を望むことはできません。一刻も早い改善が求められています。
そして、もう一つの局面。利他的なもの。それは、各施設が何のために、誰のために活動を行っているかということです。これについては、各自が改めて施設等の定款や寄付行為を読み直してみるということも必要でしょう。
今回の拙稿のテーマのひとつである日盲社協の「意義」を考えていくうえでは、何のためか、誰のためかは、決して忘れてはいけないものです。そして、答えは非常に簡単なものともいえます。
今まで、組織の脆弱性を嘆いてはきましたが、一方で、そうした厳しい状況下でも、日盲社協は今まで、視覚障害のある方の福祉へ大きく貢献してきたことは事実です。また、各施設も当然の如く、視覚障害のある方の福祉の増進に大きく寄与してきたことも周知の事実です。
今、その一つひとつを挙げていくことはしませんが、逆に、日盲社協がなかったらと考えると、背筋が寒くなるような感覚にもとらわれます。今までの活動への評価は正当に行うべきであり、全てを否定的にとらえる必要は、どこにもありません。
ただ、日盲社協の今後の展望を語る段になると、筆鋒が鈍るのは何とも悲しいことです。
日盲社協は法人として、自分たちの立ち位置を改めて見直す必要があります。今や一つの法人がその法人だけで物事を解決する時代は終わりました。いかに組織の透明性を確保し、自らをさらけ出したうえで、内部にも外部にも相対していくか、という姿勢が必要であるように思います。
現在、視覚障害のある福祉の一線で頑張っておられる方々は多く、そうした経験をされ、それぞれの分野において顕著な結果を残されてきたのだと考えています。今一度、そうした方々の動きに目を向けて、日盲社協を前に進めるようにしなくてはなりません。
それには、会員施設で働いておられる方々のご協力が必要です。皆様の厳しいご指摘もご協力のひとつです。
本年5月発行の『日盲社協通信』で、「温故知新」という言葉を使わせていただきましたが、改めてここでも「温故知新」を訴えさせていただければと思います。
70周年は出発の年になったといつか語られる年にしましょう。
令和5年(2023年)11月
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会
理事長 長岡 雄一(ナガオカユウイチ)
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会組織図(令和5年(2023年)9月現在):省略
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● もくじ ●
カラーグラビア
刊行にあたって 70周年を迎えて―その意義と展望 理事長 長岡雄一
祝辞
日盲社協の創立70周年を祝す 厚生労働大臣 武見敬三
日盲社協の創立70周年を祝す 東京都知事 小池百合子
70年の継続を力に 日視連会長 竹下義樹
日盲社協創立70周年に寄せて 日盲委常務理事 指田忠司
日盲社協の創立70周年を祝す 全視情協理事長 川崎弘
歴代委員長・会長・理事長とその時代
歴代委員長・会長・理事長との思い出 第10代理事長本間昭雄
70年を日盲社協とともに歩めた幸せ―記憶に残る思い出の数々について―第10代理事長本間昭雄
日盲社協会館建設の思い出 第11代理事長茂木幹央
大きな課題に立ち向かって―髙橋秀治第12代理事長の時代 理事長長岡雄一
陳情・要望活動を通じて 第13代理事長舛尾政美
70年の歩み 日本社会事業大学学長室多心型福祉連携センター研究員/聖明福祉協会会長秘書本間律子
「選挙情報」事始め―点字出版部会が「点字選挙公報」製作を開始するまで 参与/視覚障害者支援総合センター設立者髙橋實
五部会と二運営施設の活動
点字出版部会の活動 理事・点字出版部会長 肥後正幸
情報サービス部会の活動 前情報サービス部会長 岡本博美
自立支援施設部会の現状と課題 理事・自立支援施設部会長 山下文明
生活施設部会の現状と課題 理事・生活施設部会長 茂木幹央
盲人用具とデジタル環境への対応 前盲人用具部会長 岡村原正
盲人ホーム杉光園―開園秘話とそのあゆみ―園長・常務理事 荒川明宏
東京視覚障害者生活支援センター―あゆみとこれから― 理事長長岡雄一
資料編
日盲社協ディレクトリー2023 会員施設名鑑
日本盲人社会福祉施設協議会年表:日盲社協の沿革/視覚障害等関連史
編集を終えて
日盲社協創立70周年記念大会実行委員会 名簿
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祝辞
● 祝辞 ●
日盲社協の創立70周年を祝す
厚生労働大臣 武見敬三
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会が創立70周年を迎えられたことを心よりお慶び申し上げます。
貴会におかれましては、戦後の復興が進む昭和28年に発足され、以来、視覚に障害のある方々の福祉の増進のため、点字の普及、点字図書・録音図書の提供、同行援護をはじめとする障害福祉サービスの実施、盲導犬の育成など、視覚に障害のある方々の社会生活全般にわたる様々な分野で活動を広げてこられました。今日(コンニチ)に至るまでの関係者の皆様方の永年に渡る御尽力に、心から敬意を表します。また、新型コロナウイルス感染症流行下においても、感染症対策に努めながら、視覚に障害のある方々への支援を継続されたことに、改めて感謝申し上げます。
視覚に障害のある方々が円滑に情報を取得し、他者とのコミュニケーションが図れるように支援体制を強化していくことは、自立と社会参加を推進していくためにも大変重要です。このため、令和元年6月には、「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律」により、視覚障害者等が書籍を借りる権利・買う自由が保障される社会の実現に向け、出版社から視覚障害者等に電子データ提供を促進することと規定されました。また、令和4年5月には、「障害者による情報の取得及び利用並びに意思疎通に係る施策の推進に関する法律」により、障害のある方があらゆる分野の活動に参加できるよう情報・意思疎通支援を総合的に推進することと規定されました。視覚に障害のある方々の読書環境の整備やICT機器の利用支援、意思疎通支援の重要性はますます高まってきております。
厚生労働省におきましては、点字図書や録音図書のデータ提供を行う視覚障害者等用情報総合ネットワーク「サピエ」の運営支援や障害者ICTサポート総合推進事業の充実に取り組んできております。また、令和5年度中に各自治体が策定する第7期障害福祉計画に向け、障害特性に配慮した意思疎通支援等の促進について、意思疎通支援者の養成や、ICT機器の利活用などを実施する必要があると考えられる旨、新たに基本指針に盛り込むなど、意思疎通支援体制の強化に一層努めております。
今後とも、関係者の皆様の御意見を丁寧にお伺いしながら、施策の一層の充実に努めてまいりたいと考えておりますので、引き続き、御支援、御協力を賜りますようお願い申し上げます。
結びになりますが、社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会の益々の御発展と、関係者の皆様方の御健勝と御活躍を祈念いたしまして、私のお祝いの言葉といたします。
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● 祝辞 ●
日盲社協の創立70周年に寄せて
東京都知事 小池百合子
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会が創立70周年を迎えられましたことを、心よりお慶び申し上げます。
皆様は、昭和28年の創立以来、視覚障害のある方々の自立と社会参加の促進に向けて、多大な貢献をしてこられました。現在は約200の会員施設がお互いに連携しながら質の高い福祉サービスを提供し、各種研修会や養成講習会の開催、視覚障害者施設の運営などの多岐にわたる活動を展開されています。これらは、視覚障害者の方々の力強い支えであると同時に、全国各地の地域福祉の向上にも大いに寄与しています。
東京都においても、昭和58年に東京都失明者更生館(現在:東京視覚障害者生活支援センター)の運営を皆様に委託し、その後、利用者サービスの向上を目的として、平成29年に移譲しました。これを機に、皆様は新しい事業を開始され、視覚障害者のニーズに的確に対応されています。
70年の歩みの中、時代が移り変わっても、弛みなく視覚障害者支援の向上に尽くし、多くの実績を上げられているのは、長岡理事長を始め、関係者の皆様方の情熱と御努力の賜物でございます。深く敬意を表します。
現在、東京都は、令和3年度から令和5年度までの「東京都障害者・障害児施策推進計画」に掲げた施策を、全力で進めています。障害のある方が地域で安心して暮らし、いきいきと働くことができる社会。障害の有無に関わらず、共に暮らし、支えあう共生社会の実現に向け、地域生活基盤の整備や、バリアフリーの推進などに取り組んでいます。
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を機に進展したインクルーシブなまちづくりを、さらに加速させていきたいと思います。より良い未来を、みんなで実現してまいりましょう。引き続き、皆様の御支援、御協力をよろしくお願い申し上げます。
結びに、社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会のますますの御発展と、関係者の皆様の御活躍、御多幸を心より祈念し、創立70周年のお祝いに寄せる言葉といたします。
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● 祝辞 ●
70年の継続を力に
社会福祉法人日本視覚障害者団体連合会長 竹下義樹
日本盲人社会福祉施設協議会創立70周年を祝するとともに、これまでわが国の視覚障害者の自立と社会参加を支えてきた関係者に心から感謝し、敬意を表します。
世界のどこでも、そしてわが国の1000年余りの歴史を見ても、貧困や社会的弱者に対する支援が様々な人たちによって行われてきました。そして、それが民間団体による社会事業として発展してきたことは、周知のとおりです。
しかし、そのなかで特定の障害に特化した支援が組織的にかつ継続的に行われるようになったのは、いつ頃からであるかは私の不勉強によって知るところではありません。
ただ、私なりに理解していることとしては、それが当事者組織によって立ち上げられ発展してきた流れと宗教団体や一定のイデオロギー性を掲げる団体によって開始され発展してきた流れがあるように思っています。そうした2類型は、それぞれに特徴を持ち、独自の発展を遂げてきているように思います。
わが国の明治以後の社会事業において、視覚障害者の自立と社会参加を支援する取り組みのなかで、当初は当事者団体によって立ち上げられたものの、徐々に当事者性が薄らぎ、支援を行う事業者と支援を受ける当事者が二分されてきました。その流れは、世界的にも共通しているように思います。それゆえ、わが国でも、そして国際的な組織においても、事業者団体と当事者団体の二律背反現象が起こり、「for the blind」と「of the blind」というカテゴリーで組織されてきました。
それが、昭和59年(1984年)に世界盲人連合(WBU)が結成されることによって、一つの組織となりました。それに対し、わが国においては、貴団体と日本視覚障害者団体連合(以下、「日視連」という)が両立する形で70年の歩みを続けてきました。そうした歴史や背景を踏まえたうえで、貴団体の果たした役割を評価し、今後の発展すべき方向性をも議論していくことが必要であると考えています。
貴団体は、視覚障害者の日常生活、および社会生活のあらゆる場面における支援を行う団体によって構成されていることが重要な特徴だと思います。視覚障害者を対象とする事業は、ときにはサービス内容が重なり合ったり、連続していたり、有機的な関係にあるからこそ、貴団体の存在価値があるともいえます。出生から死亡に至るまで、あるいは幼少期から高齢期に至るまで、それぞれのステージごとに多面的あるいは複合的に組み合わされた支援が連続して提供されることが重要だからです。ところが、私のごく狭い経験から認識していることとして、特定の施設において事業運営や事業提供のあり方のなかで、当事者が一体感のなかでとらえられることなく、いわばサービスの「対象者」でしかなかったり、ニーズが的確に反映されていない実態が見受けられます。逆に、われわれ当事者ないし当事者団体が、事業運営の本質や継続性を理解しないまま事業の担い手を批判する場面も見受けられます。そうした現象を小さな問題として軽視するのではなく、利用者を含む関係者の一体感を作り出すことが必要なのではないでしょうか。
ところで、平成18年(2006年)12月に国連総会で採択された障害者権利条約は、もはや世界の障害者福祉のあり方を示す最も重要な指標となってきました。
令和4年(2022年)9月に、国連障害者権利委員会からわが国政府に示された総括所見を重く受け止めなければならないことはいうまでもありません。
しかし、総括所見によって示された方向性が将来的な展望として位置付けられるとしても、直ちにわが国の指標(羅針盤)となるかについては大いに議論が必要です。わが国の歴史や現在の制度に照らして、ただちには受け入れがたい内容も含まれているからです。
貴団体との関係でいえば、就労支援事業のあり方については大いに議論が必要ですし、すべての分野におけるアクセシビリティの実現は、誰の責任においてなされるべきかなど、検討すべき課題も含まれています。
貴団体が70周年を祝し、記念事業を行うことには高い価値があるものの、一過性の取り組みで終わらせてはならないと思います。
事業の発展は当事者に大きな福をもたらすことはいうまでもありません。それだけに、当事者との一体感と障害者権利条約ないしわが国に対する総括所見をふまえつつ、事業を発展させていくための方策を考えるスタートとしていただくことを強く願うものです。
日視連の結成の立役者である故岩橋武夫氏が貴団体の創設の中心であったことを強く意識するとともに、わが国の戦後の復興期である1950年代から70年にわたり、視覚障害者の自立と社会参加を支え続けてきた貴団体の先人、そして現在の役職員の皆さんに、改めて感謝申し上げ、お祝いの言葉とします。
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● 祝辞 ●
日盲社協創立70周年に寄せて
社会福祉法人日本盲人福祉委員会常務理事 指田忠司
このたび、社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)が創立70周年を迎えられましたことを、心よりお喜び申し上げます。
私ども日本盲人福祉委員会(日盲委)は、昭和31年(1956年)に日本盲人会連合(現日本視覚障害者団体連合)、日盲社協および全国盲学校長会の3つの全国組織によって設立されました。昭和30年(1955年)に東京で開催された第1回アジア盲人福祉会議を契機として、国内の盲人福祉の向上とともに国際交流の窓口として活動を始めたものです。
第二次大戦後、わが国の視覚障害者は多方面の課題に直面していましたが、昭和23年(1948年)のヘレン・ケラー女史来日の際の全国キャンペーンによって障害当事者団体の設立、身体障害者福祉法の制定、教育の義務化などが急速に進みました。これを主導したのは故岩橋武夫でした。戦後の国際的な視覚障害者組織の流れとしては、世界盲人福祉協議会(WCWB)が昭和26年(1951年)に創立されていますが、この団体には視覚障害当事者の団体(of the blind)と視覚障害者のための団体(for the blind)が加盟していました。
岩橋はこの枠組みにあわせて昭和23年(1948年)に日本盲人会連合を設立し、ついで昭和28年(1953年)に日盲社協を設立しました。
残念ながら岩橋は昭和29年(1954年)10月に持病の悪化により急逝したため、翌年のアジア盲人福祉会議には出席できませんでしたが、岩橋の理想にしたがって日本の視覚障害者福祉の基礎ができあがったものといえます。
このように日盲社協が設立された時代は、岩橋武夫をはじめ戦後の復興と平和な福祉国家の建設を志向する全国の視覚障害者が手をつないで立ち上がったことがうかがえます。
さて、こうした先人の努力によりわが国の視覚障害者の福祉・教育は、大いに進歩し充実してきております。とくに身体障害者福祉法に始まる福祉制度については、数度の見直しを通じて対象となる視覚障害者の範囲の拡大、福祉サービスの広がりが顕著です。また1960年代から始まった国民皆保険制度の下での障害者年金の充実、2000年代に始まった介護保険制度など時代にあわせて新たな福祉制度が導入されてきています。視覚障害の分野では、特に点字図書館の充実、盲老人ホームの設置などが顕著です。このような変化の下、日盲社協の加盟施設も増加し現在約200となっています。他方、教育分野では第二次大戦後の盲学校就学義務化の成果として伝統的な職業としての理療業従事者の増加とともに一般大学への進学者の増加と新たな職域への進出が目立っています。
日盲社協と私ども日盲委の間で最も大きな役割を果たしているのは、平成16年(2004年)から始まった国政選挙における視覚障害者に対する選挙情報の提供事業だと思います。この事業には日盲社協の点字出版部会と情報サービス部会の加盟施設の多くが参加・協力していただいています。選挙ごとに、点字版・録音版・拡大文字版あわせて約10万部におよぶ冊子を作成し、各都道府県の選挙管理委員会を通じて全国の視覚障害者に届けていますが、まだすべての視覚障害のある有権者に届いているわけではありません。今後は、新たな技術の開発や応用によって、すべての視覚障害者が必要な選挙情報を入手できるような仕組みにすべく、皆様と協議して改善してまいりたいと考えております。
もう一つ、私ども日盲委が平成23年(2011年)の東日本大震災以降取り組んでいる課題に、災害時における視覚障害者の安全確保と復興支援があります。
平成23年(2011年)以降中越地震、熊本地震、台風や豪雨による風水害など毎年多くの犠牲者が出ています。日盲委では、日盲社協の加盟施設などと協力して、視覚障害者の被災状況を把握するとともに、必要な救援物資の提供と生活再建のための支援を行っております。
私ども自身の財政基盤が貧弱な中、この事業の進展は決して十分ではありませんが、皆様と連携しながら支援に必要な情報提供と支援にあたる人材育成に努めております。今後は視覚障害当事者の参加を含めて、災害に備えた事前の情報提供、被災時の初期対応についても研修を進めるなど、新たな取り組みを展開していきたいと考えています。
わが国の視覚障害者を取り巻く状況は、新型コロナウイルス感染症の影響、ロシアによるウクライナ侵攻など、国内外の情勢変化に伴ってますます悪化してきております。また高齢者人口の増加、若年世代の雇用の多様化など障害者福祉を支える社会状況が大きく変わっています。今後は施設形態や運営の見直しなどが大きく進められるかもしれませんが、福祉サービスを支える人材の育成と確保、そしてサービスの質の維持に向けてそれぞれの組織だけでなく視覚障害関係者全体で課題に取り組んでいく必要があると思います。今後とも皆様とともに協力してまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
最後になりますが、日盲社協および加盟施設の皆様のますますのご健勝をお祈りいたします。
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● 祝辞 ●
日盲社協の創立70周年を祝す
特定非営利活動法人全国視覚障害者情報提供施設協会理事長 川崎弘
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)が創立70周年を迎えられたことに衷心よりお祝い申し上げます。これもひとえに役職員および加盟団体の方々のたゆまぬ努力の賜物と拝察いたします。
私ども特定非営利活動法人全国視覚障害者情報提供施設協会(全視情協)は、昭和56年(1981年)結成の全国点字図書館協議会(全点協)が前身となる団体です。全国的な集まりとしましては全点協結成4年前の昭和52年(1977年)に第1回全国点字図書館長会議が東京で開催されています。現在の加盟施設・団体は99です。なお、運営を担う視覚障害者情報総合ネットワークサピエの加盟施設・団体は令和5年(2023年)4月末で462を数えます。
起点を昭和52年(1977年)におきますとその後の46年の長きにわたり、日盲社協と全視情協は共通の課題に向かい連携してまいりました。点字図書館職員の増配置要望やいまだに地域生活支援事業のなかで任意事業である点訳ボランティア・音訳ボランティア養成事業の必須事業化についてはまさに現在進行形の課題です。
特に日盲社協情報サービス部会とは点字図書館を中心に加盟施設・団体の多くが共通していることもあり、視覚障害者等への情報提供において両者は車の両輪を担っております。具体的な例を挙げますと、日盲社協が点字指導員、音訳指導員の講習と認定を担い、全視情協が点字図書、録音図書等の製作基準の策定やサピエ図書館へのアップロード図書の審査を担うなどです。
これまで多くの諸先輩方の身を粉にしての働きのうえに現在のような全国組織が形成され、あたりまえのように全国共通理解、共有のもと事業が進められております。ただ、これは奇跡に近いものがあります。点字図書館を例にとりますと、全国組織ができる以前は共通の基準もなくそれぞれの施設が孤軍奮闘で事業展開をしてきました。そのようななか、1970年代から全国の有志が手弁当で集まり多くの議論を重ね全国組織のもとを形づくってきました。現在に至っても日盲社協、全視情協とも役員、各専門委員会委員皆が無報酬です。それぞれが各施設での仕事のうえに熱意やボランティア精神で賄ってくださっているのが現状です。特に各々の専門委員会委員の確保の難しさが叫ばれて久しいものがあります。委員の若返り、事業の継承等が喫緊の課題となっています。
このようななかで令和3年度(2021年度)から日盲社協情報サービス部会の音訳指導員研修委員会と全視情協の録音委員会が協力して合同プロジェクトを結成し、コロナ禍で停滞していた音訳指導員講習会を全国6ブロックにおいて開催するという壮大な計画を令和4年度(2022年度)から見事成し遂げました。
これには日盲社協情報サービス部会の岡本博美前部会長と又木勝人現部会長が牽引役を務めてくださりました。さらに日盲社協情報サービス部会前副部会長と全視情協前常任理事(現監事)を兼務しておられた姉崎久志氏がどちらの委員会にもオブザーバーとして出席されていたことも功を奏した要因です。
日盲社協(特に情報サービス部会)と全視情協の今後の連携を考えるうえで外してはならない視点として、各々の存在意義を認めて無理無駄をどのように省いていけるかを、腹を割って議論していけるかが挙げられます。限られた人材をいかにして活かすかは繰り返しになりますが喫緊の課題です。
日盲社協は法律を含む制度面の改革でこれまで力を発揮してこられました。私ども全視情協は事業運営面で力を発揮してまいりました。そこには常に情報の共有と連携がありました。このことはサービスを享受する利用者にとって大きな安心感と信頼をもたらしてきましたがまだまだ道半ばの感は否めません。少子・高齢化に伴う人口減少、デジタル化のさらなる進展のなかで、ひとりも取り残さない施策の実現のためにも両団体の連携は欠かせません。
両団体とも多くの課題を抱えながらも、これまで続いてきた友好関係を最大限に活かし、明るい未来へ向けて邁進することが、視覚障害当事者の明るい未来へ繋がることと信じてやみません。
日盲社協の今後益々のご発展を祈念し、同時代を生きる同志としての祝辞といたします。
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歴代委員長・会長・理事長とその時代
●歴代委員長・会長・理事長との思い出 第10代理事長 本間昭雄
●70年を日盲社協とともに歩めた幸せ―記憶に残る思い出の数々について―第10代理事長 本間昭雄
●日盲社協会館建設の思い出 第11代理事長 茂木幹央
●大きな課題に立ち向かって―髙橋秀治第12代理事長の時代―理事長 長岡雄一
●陳情・要望活動を通じて 第13代理事長 舛尾政美
●70年のあゆみ 日本社会事業大学学長室多心型福祉連携センター研究員/聖明福祉協会会長秘書 本間律子
●「選挙情報」事始め―点字出版部会が「点字選挙公報」製作を開始するまで― 参与/視覚障害者支援総合センター創設者 髙橋實
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歴代委員長・会長・理事長との思い出
第10代理事長 本間昭雄
「歴史を軽んずる者は歴史に罰せられる」という意味のことを経済界で活躍された前野徹(マエノトオル)(元東急エージェンシー社長)は書いています。「ローマは一夜にして成らず」ともいいます。日盲社協は昭和28年(1953年)9月に日本赤十字本社(以下、「日赤本社」と略記)の講堂において誕生しました。
初代委員長は岩橋武夫です。それ以来、会員の盲人福祉への熱い思いが、先輩各位に支えられながら今日まで受け継がれ、今年(令和5年〔2023年〕)創立70周年を迎えました。誕生から今日までの歴史を知る者として、深い思いと感謝の心を忘れたことはありません。その歴史を振り返りながら、歴代の委員長・会長・理事長を偲び、折々の記憶に残る思い出を書き残しておきたいと思います。
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初代委員長:岩橋武夫(イワハシタケオ)
昭和28年(1953年)9月~昭和29年(1954年)10月
日本盲人会連合会長、ライトハウス理事長
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日盲社協発足当時の会員施設はまことに経済基盤が弱く、そのため初代から第7代までは事務局を国立東京光明寮(コウメイリヨウ)に置き、職員が事務局長として支えてくれました。これは極めて珍しいことで、官が民を育てた、あるいは支えた一例だと思います。
私は、聖ルカ失明者更生協会の永井実太郎(ナガイジツタロウ)代表のお供をして、昭和28年(1953年)9月に日赤本社の講堂で開催された日本盲人社会福祉施設協議会(以下、「日盲社協」と略記)の設立総会に出席しました。
この時期、聖ルカ失明者更生協会は三軒茶屋の小笠原邸を買収しました。ところが、買収した土地などには抵当権が設定されており、盲人である永井はそれに気づかず、事務局担当者も精査しなかったために資金に行き詰まり、同会は解散を余儀なくされました。今思うと大変残念なことでした。なお日盲社協の設立総会に出席した施設のなかで一番早く解散したのが、聖ルカ失明者更生協会でした。
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第2代委員長:高田秀道(タカタヒデミチ)
昭和29年(1954年)11月~昭和40年(1965年)7月
国立東京光明寮寮長
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第2代高田秀道は、熊本の旧制第5高等学校を経て国立東京光明寮の初代寮長として日盲社協の黎明期を側面から支えてくれました。その功績は記憶に新しく、5期10年にわたりその任に当たられました。若輩の私を大変大事にしてくれ、親しくご厚誼も続きました。
臨終の床にあった高田秀道を訪ねお見舞いを申し上げたとき、私の手をしっかりと握り、励ましの言葉をいただいたことを思い出します。私は、歴代の委員長・会長・理事長経験者との別離のときにはすべて病床をお見舞いしましたが、握手の力が強く弱く、それが病状の重さなどを伝えてくれ、なぜかそれが最期の悲しみを誘うのでした。
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第3代委員長:寺尾増太(テラオソウタ)
昭和40年(1965年)7月~昭和41年(1966年)7月
会長:昭和41年(1966年)8月~昭和41年(1966年)12月
国立東京視力障害センター所長
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第4代会長:吉田正宣(ヨシダマサタカ)
昭和42年(1967年)1月~昭和42年(1967年)7月
国立東京視力障害センター所長
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第3代寺尾増太は、期間も短かったせいもあり、多くの思い出を持つことがなく、官僚らしい吉田正宣へ引き継がれました。『厚生白書』を見ると、昭和32年(1957年)は「貧困と疾病の追放」、昭和33年(1958年)は「厚生省創立20周年」の記念号が刊行されています。昭和35年(1960年)は「福祉国家への道」、そして昭和38年(1963年)は「健康と福祉」とあり、この年に老人福祉法が施行されています。
昭和30年代はめざましい経済復興の時代であり、東京タワー(333m)の開業、新幹線の開通、オリンピック・パラリンピックの開催などがありました。また昭和33年(1958年)4月5日にはプロ野球の長島茂雄がデビューし、初戦で4打席4三振を記録しました。ピッチャーは剛速球の名投手、金田正一でした。この時期には、高度経済成長を背景に、施設整備が順次行われた時代でもありました。
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第5代会長:大山正(オオヤマタダシ)
昭和42年(1967年)8月~昭和46年(1971年)4月
元厚生事務次官
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第5代大山正は、事務次官や内閣官房副長官などを歴任された大物中の大物官僚で、弱小任意団体の会長になど就く方ではありませんでした。素晴らしい人格の穏やかな方で、晩年には浴風会の会長もお務めになられました。その折、大山の部下だった厚生官僚ご夫妻を聖明園でお預かりしていたことをご存じで、そのことを回顧しながら「お世話になりました」と感謝の言葉を述べていただいたことは今もなお忘れられません。
そして93歳で他界され、平成18年(2006年)4月27日、お別れ会が灘尾ホールで開催されました。私も出席して、長いご厚誼に感謝しつつお別れをいたしました。私は生涯、人に恵まれたといつも物に書き続けてまいりました。
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第6代会長:實本博次(ジツモトヒロツグ)
昭和46年(1971年)5月~昭和52年(1977年)7月
元厚生省援護局長
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第6代實本博次は、社会局厚生課長をお務めの頃から親しくいろいろな場でご指導、ご助言をいただきました。
その一つが日盲社協の法人化で、理事長をお引き受けになった時代はこの問題が浮上してきた時期と重なりました。まことに穏やかな大山とは別な意味で、温もりを感じる方でした。
このときのエピソードで、法人化するための素案を東京光の家の田中亮治理事長が担当され、同氏が作られた素案を役員会で議論した際、これに異論のあった千葉県盲人福祉協会(現愛光)の加藤一郎が、点字で書かれたその文書をビリビリと引き裂きました。
これをご覧になったあの穏やかな實本会長が、精いっぱいのお声で「出て行け!」と叫ばれたことは忘れられません。
人の努力や誠実さをとても大切にされた實本会長ですが、法人化に大きな役割を果たされたのです。やがて病魔に襲われました。入院加療中、幾たびかお見舞いし、「日盲社協の行く末をしっかりたのみますよ」とおっしゃっていただいたことを覚えています。危篤の知らせを受けて駆けつけ、耳元で「本間です」と申し上げたところ、意識朦朧にもかかわらず、「ありがとう」と手を握られました。そして安らかな眠りにつかれたのです。
私が結婚式を挙げた日本聖公会東京教区東京聖テモテ教会で洗礼をお受けになり、キリストの元に帰られました。
實本会長は名誉も地位も求めない方で、社会援護局長が厚生省の最後のポストでした。
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第7代会長:角田耕一(カクタコウイチ)
昭和52年(1977年)7月~昭和56年(1981年)3月
理事長:昭和56年(1981年)4月~昭和61年(1986年)6月
元厚生省更生課長
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第7代角田耕一は、持病をお持ちだったにもかかわらず、とても積極的な官僚だったといえましょう。
思い出の一つに、京都ライトハウスの創業者で京都名誉市民でもありました鳥居篤次郎に招かれて、角田理事長をご案内したときのことがあります。
鳥居篤次郎は日本盲人福祉委員会の会長も務めた方ですが、訪問の際、角田理事長は日盲社協との意見交換、ライトハウスの見学、盲養護老人ホーム船岡寮(現ライトハウス朱雀)を視察され、とても関心を持って、寮長(京都ライトハウス館長)であった田村敬男(タムラユキオ)氏に質問を投げかけておられました。
田村はどちらかというと左の思想家であり、鳥居の脇役を務めた人でした。同志社大学今出川キャンパス(薩摩藩邸の跡地)の敷地などを寄贈した、山本覚馬の崇拝者の熱血漢でした。近代日本の社会事業家として著名な留岡幸助は同志社大学の卒業生です。
日盲社協を足腰の強い法人にするために、田村は角田理事長にいろいろ助言をし、日盲社協に協力を約束していたことも忘れられません。
角田理事長は役所からの帰宅時に持病の喘息が悪化し、不慮の死を遂げたことは残念でした。個人的ながら、角田理事長から、函館視力障害者センターの所長も務められたご令息に、娘を「嫁にくれ」と言われたことを思い出します。
さらに角田理事長の大きな功績は、自立支援を目的に事業を行っていた盲人ホームである社会福祉法人杉光園を吸収合併し、日盲社協が社会福祉法人格の取得に向けて大きく動き出したことです。
同じころ、東京都が設置した東京都失明者更生館の経営を、日本盲人会連合(以下、「日盲連」と略記。現日本視覚障害者団体連合)か日盲社協のどちらかに委託する計画が浮上しました。角田理事長は、当時の村谷昌弘(日盲連会長)と議論し、最終的には東京都が日盲社協にこの事業を委託することに決定しました。それが現在の東京視覚障害者支援生活センターであります。それ以来、日盲連との関係が大変厳しいものになったことはいうまでもありません。これを修復するには10年ほどの歳月を要し、第9代の板山賢治理事長の時代になってようやく修復されました。
ともあれ、昭和56年(1981年)3月31日、日盲社協は、社会福祉法人杉光会の法人格を継承する形で社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会となり、盲人ホーム杉光園の経営を担うこととなりました。
また昭和58年(1983年)5月に東京都から東京都失明者更生館(現東京視覚障害者生活支援センター)の経営を受託しました。なお同事業は、平成29年(2017年)4月に日盲社協に譲渡され、名称も「東京視覚障害者生活支援センター」となりました。
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第8代理事長:松井新二郎(マツイシンジロウ)
昭和61年(1986年)7月~平成7年(1995年)3月
日本盲人職能開発センター理事長
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昭和61年(1986年)7月3日、急逝した角田の葬儀がしめやかに執り行われました。
同年7月8日には東京へレン・ケラー協会の井口淳点字出版局長、東京光の家の田中亮治理事長、埼玉点字図書館の金子十三松(カネコトミマツ)館長と次期日盲社協理事長について協議しました。
そして7月9日に開催された理事会において、松井新二郎が第8代理事長として満場一致で承認されました。
たしか新装成った日本盲人職能開発センター(現日本視覚障害者職能開発センター)の会議室だったと記憶します。
松井は東京光明寮の教官当時から新職業に着目。昭和38年(1963年)、日本盲人カナタイプ協会を組織します。カナタイプあるいはオプタコンなどを導入し、職業開拓と就職問題に取り組みました。
第6代實本博次は、松井の事業にも力を発揮し、昭和51年(1976年)9月に認可になった社会福祉法人日本盲人職能開発センターの初代理事長として、松井が進める事業の後ろ盾として重要な役目を担うことになります。
そして今日の同センターの発展に大きな力を注がれたことは多くの人の知るところです。平成5年(1993年)3月、實本は会長に退き、松井が同センター第2代理事長に就任しました。
この頃の『厚生白書』を見ると、昭和59年(1984年)には「人生80年時代の生活と健康を考える」、昭和60年(1985年)は「長寿社会に向かって選択する」、昭和61年(1986年)には「未知への挑戦 明るい長寿社会をめざして」などなど、長寿社会の到来に目が向けられています。
松井理事長の代には、会員施設の経済的基盤も整い、事業が充実してきた時代といえます。またこの時代、事務局が日本点字図書館から日本盲人職能開発センターに移されています。
平成7年(1995年)3月31日、松井は多くの業績を残して旅立ちました。私は3月17日、危篤の知らせを受け、出張先の高知県から空路羽田に到着。直ちに阿佐ヶ谷の河北総合病院に直行しました。
病室に見舞うと、松井は力なく私の手を握り、か弱い声で「ありがとう。お世話になりました」と言われました。あの松井節ならぬお声が耳たぶに残ります。この年は阪神・淡路大震災、オウム真理教事件など大きな事件があったことも記憶に残ります。
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第9代理事長:板山賢治(イタヤマケンジ)
平成7年(1995年)4月~平成11年(1999年)3月
元厚生省更生課長
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第9代の板山賢治理事長誕生の際、私に電話があり、「常務理事を引き受けてくれれば理事長を引き受ける」と言ってこられました。
果たして板山理事長を支えることができるかどうかと不安ではありましたが、大事な時期だけに少しでもお役に立てればと、微力をも顧みずお引き受けいたしました。
板山は、厚生官僚時代、先鋭的な活動をしていた青い芝の会などとの対話を進め、相互理解と信頼を構築し、障害者福祉を大きく進展させました。特に昭和56年(1981年)の国際障害者年の主管課長として、その手腕を発揮して、同キャンペーンを大成功に導きました。
板山のおかげで、障害者10年の改革が実現し、差別の解消、障害者への理解が格段に深まってきたといえるでしょう。その後は情報過多とまでいわれるほどに、視覚障害者の周辺や聴覚障害者の手話通訳などが次々と法制化されました。盲導犬も全国各地に訓練施設が整備されました。
日盲社協も、板山理事長のリーダーシップによって組織が強化され、会員相互の親睦も深まった時代といえます。特に失明者更生館の事業を東京都から受託した関係で冷え込んでいた日盲連との関係を、村谷昌弘会長との対話を重ねて修復しました。創業者の岩橋武夫が唱えた「車の両輪」の理念が、板山理事長の代に再び動き出したといえるでしょう。板山と村谷の対話は、板山イズムの躍如たる思いでした。最後は、厚生省OBがお手伝いしなくてもよいほどに会員諸団体が育ち、充実した姿を見て、理事長を退かれたものと思います。
個人的にも、板山は私の母校である日本社会事業大学の常務理事、そして名誉教授となり、大学キャンパスを渋谷から清瀬市に移した立役者でした。また全社協の常務理事として、ロフォス湘南(中央福祉学院)の創設にも中心的な役割を果たしました。板山の一生を振り返り、「男子の本懐」と私が賛美したとき、「いや、たまたまその役割にいただけのことですよ」とおごることなく言い、「幸せな男」とおっしゃったのを忘れられません。多くの障害者から、いやすべての幅広い分野から信頼と敬愛の念を集めた人間板山を評価する者は多いことでしょう。平成25年(2013年)9月22日、逝去の知らせを出先で受け取りました。葬儀は弔辞を元厚生大臣、全国社会福祉協議会会長の斎藤十郎、日本社会事業大学理事長の潮谷義子、そして友人代表として私がお別れの言葉を述べました。私は板山とともに苦労してきた昔が思い出され、胸が詰まる思いがいたしました。お別れに参列した人は1,000人を超す長蛇の列となりました。正に面目躍如たるものがあり、語り草になっております。私は敬愛する板山の命日に毎年お参りし、日盲社協の発展の経過をつぶさに報告しております。
初代岩橋武夫を除き、板山までの委員長・会長・理事長はすべて元厚生官僚が担ってくれたことは、いかに当会の役割が大きかったかを物語っているでしょう。戦後に産声を上げた身体障害者福祉を、事業者サイドから牽引する当会のような組織が、自力をもって安定的に運営されることは、障害者福祉の成熟ぶりを示す指標でもあり、その歴史にとっても重要なことだったと思います。これまでの委員長・会長・理事長は、いずれも無報酬ですが、70周年を迎える今、財政基盤を充実させ、理事長にも報酬を出せるような成長した組織となるよう期待したいと思います。
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第10代理事長:本間昭雄(ホンマアキオ)
平成11年(1999年)4月~平成21年(2009年)3月
全国盲老人福祉施設連絡協議会会長、聖明福祉協会理事長
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板山賢治の強い要請により、私が後任を引き受けざるを得ませんでした。会員各位のご理解とご協力を得て、5期10年、理事長を務められたことはまことに有り難く、会員各位に感謝するとともに、大変名誉なことであったと生涯の支えとしております。さらに退任後は、平成21年(2009年)4月より名誉会長として、今日もなおその席を汚しております。なお別稿で、在任10年間のうち歴史に残すべき事項について記述をいたします。
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第11代理事長:茂木幹央(モギミキオ)
平成21年(2009年)4月~平成23年(2011年)6月
日本失明者協会理事長
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茂木理事長は話題の豊富な人で、想像力・発想の素晴らしい人。そして実行力にかけては余人の追随を許さない、強い意志を持った人です。長い長い友人としての交流も続いております。
彼は昭和34年(1959年)3月に日本大学文学部社会学科を苦学して卒業。職を求めて難行苦行を積み重ねました。NHKのモニター、しかし正職にはなれず、千葉県盲人福祉協会(現愛光)が経営する施設で指導員として勤務。加藤一郎(本会会員)と意見が合わず、男らしく席を立ち、国立東京視力障害センターに教官として就職。後輩の職業的自立に貢献しました。
そこでようやく生活の安定を得て、盲人の職域開拓や大学の門戸開放など縦横に活躍しました。その頃、彼は『点字毎日』で関東地区では盲老人ホームが無いのは自分の出身県である埼玉県だけだということを知り、そのことがきっかけとなり埼玉県に盲老人ホームを建設する活動を始めました。そうして彼は100円募金運動その他により昭和54年(1979年)3月に埼玉県深谷市に盲老人ホームひとみ園を完成させたのです。
その後本会会員となり、力量を発揮して生活施設部会長を務めるとともに、平成21年(2009年)に理事長に就任されました。私の時代から、老朽化した杉光園を建て替える議論がはじまり、私は周辺の土地を買収してから建設することを提案していましたが、彼はそのままの土地を活用し、杉並に所有していた本会の財産を処分して立派に建て直しました。しかも資金不足の折、大変な資金を自ら寄付され、本会の拠点を立ち上げました。その功績は本会の歴史として語り継がれることでしょう。
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第12代理事長:髙橋秀治(タカハシヒデハル)
平成23年(2011年)7月~令和元年(2019年)5月
ぶどうの木ロゴス点字図書館館長
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髙橋理事長は、点字に最も詳しい一人で、日本ライトハウス、日本点字図書館、東京ヘレン・ケラー協会で製版・編集など経験を積み、ロゴス点字図書館館長として活躍をされました。
彼の人柄を物語る思い出として、生母がご高齢になり、一人暮らしが困難になったころ、聖明園寿荘の特別養護老人ホームにお預かりしました。
次第に老化が進み、認知症が進行しても、毎週見舞いにこられ、一時間余り無言のまま付き添っていたことは、職員が大変敬服し話題となりました。ベッドサイドの小さな椅子に長時間座り、生母に無言の愛情を注ぐことは、思ってもなかなかできないことです。面会を終わって私の部屋に寄られた際には、笑顔で「会ってきました」と言ってくれました。
信仰を持つ人として当然のことかもしれません。生母を失った後、多くの人から期待された有望な子息は癌に罹り聖路加国際病院に入院。若くして多くの友人に見守られて天国に行きました。どんなに辛かったか、察するに余りあります。
茂木理事長の後任として理事長に就任しましたが、ロゴス点字図書館を退職したため、給与の問題で心の痛む退任ということになりました。それまで報酬を提供しなければならない事例がなかったことと、本部長という制度を用意できなかったことが悔やまれます。
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第13代理事長:舛尾政美(マスオマサミ)
令和元年(2019年)6月~令和3年(2021年)5月
山口県盲人福祉協会理事長
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舛尾理事長は、日清講和条約の拠点となった下関市を中心に山口県内の視覚障害者福祉全般を束ねる実力者で、本会をはじめ全国組織の大会・総会などを開催地として依頼されれば、総力を挙げて協力される有力者です。
任期中は、世界を巻き込んだ新型コロナウイルスの流行時とあって、十分な実力を発揮することができなかったことは残念でした。しかし点字図書館、盲老人ホーム、そして就労支援など、地域における視覚障害者の福祉全般を引き続き担っておられます。
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第14代理事長:長岡雄一(ナガオカユウイチ)
令和3年(2021)6月から現在
東京視覚障害者生活支援センター所長、日盲社協本部長
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長岡理事長は、慶応義塾大学に学び、さらに昭和55年(1980年)3月に上智大学大学院修士課程を終了。高学歴の彼はまことに地味な、労多くして報われない社会福祉に身を投じ、本会が東京都から委託を受けた失明者更生館(現東京視覚障害者生活支援センター)に就職。
アメリカのチャールズ・フーバー博士が確立した歩行訓練の進んだ技術が、厚生省肝いりで日本ライトハウスに導入された際、長岡はこの訓練指導員養成にも力を入れました。
彼は早速その資格を取得して、多くの視覚障害者の自立支援を実践するとともに、歩行訓練指導員の有資格職員を数多く育て、今日のセンターとしての役割を十二分に発揮せしめた人です。
人望も厚く、舛尾政美理事長の後を引き継ぎ、今や70周年を迎えようとしている日盲社協において大事な役割を担っておられます。
令和5年(2023年)3月には東京視覚障害者生活支援センター所長を辞任し、同年4月より、法人組織を一部変更して法人本部長のポストを創設して同本部長に就任。わずかながら報酬を提供する形が整いました。変化の激しいこれからの時代に最もふさわしい理事長として、活躍が期待されます。
※以上、敬称略。法人名の「社会福祉法人」については省略しました。また当時の団体名称で記載しました。
盲人・視覚障害などの用語については、当時、使われていたであろう用語で原稿を作成しました。(聖明福祉協会会長)
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70年を日盲社協とともに歩めた幸せ
―記憶に残る思い出の数々について―
第10代理事長 本間昭雄
平成11年(1999年)4月、私は有能な9代目理事長板山賢治の後を継いで、重荷を背負い、理事長として歩みだすこととなりました。そのとき私はまず、役員と会員の皆様に対し、大方針を一言お話しいたしました。
聖徳太子の作られた十七条憲法の第一条にある「和を以て貴(トウト)しとなす(後略)」。信頼・進歩・発展は「和」がなければあり得ません。在任中一貫して争いごとを無くすよう、みんなに共有してもらいました。
時として歯がゆく思われた会員もあったでしょう。しかし5期10年の間、この教えを共有して下さったおかげで無事責任を全うすることができました。まことに有り難いことと思っております。
在任中の10年の間に特に思い出に残っていること、そして日本盲人社会福祉施設協議会(以下、「日盲社協」と略記)の歴史として記憶に留めておくべきことを記述しておきたいと思います。
1 航空機2階席への搭乗可能
「爽やかな楽しい空の旅をお楽しみ下さい」が日本航空の宣伝文句であった頃のこと、平成11年(1999年)12月21日、日本盲人会連合(以下、「日盲連」と略記)の笹川吉彦会長、光友会理事長の五十嵐光雄、日本点字図書館館長の田中徹二とともに、同社に抗議に行きました。理由は次のような見過ごすことのできない出来事があったためです。
ある日のこと、私は日本航空の大型機の2階席を予約し、妻麻子とともに搭乗しました。座席についてベルトをしっかりしめ、出発を待ちました。
しばらくすると、女性客室乗務員が少し不安な声で「お目が不自由ですか」と白杖を持つ私に問いかけてきました。
「そうです」と答えたところ、「大変申し訳ありませんが、目の不自由な方は2階席への搭乗はできないのです」と言うので、「それはおかしい。ちゃんと障害者割引で2階席のチケットを持っているにもかかわらず、搭乗できないとはどういうわけか。この発言は許せない」と思いました。
拒否すると女性客室乗務員は機長の所へ行き、再び引き返し「1階の席に行っていただけないと、この飛行機は出発できません」と言うのです。
飛行機はドアを一旦クローズすると、すべて機長の判断で運行されるとのことで「離陸できません」と重ねて言います。
私はここであまり時間を取ると、同乗者にご迷惑がかかると思い、1階に降りることといたしました。その時私は、「80歳、90歳のお年寄りも乗ってるじゃないか。目は見えなくても、われわれの方が行動はちゃんとできるぞ」などと憎まれ口もたたきました。
案内された1階の席は何と一番後ろ。そこだけカーテンが引けるようになっており、犯罪者や問題があったときに使用する席だと思い、屈辱感に怒り心頭。まさに差別・偏見といわざるを得ません。日本航空に何としても抗議をせねばと思いました。
早速、日盲連の笹川会長らとはかり、抗議に行ったわけです。
日本航空本社の責任者は、「世界の航空約款にこのことが記載されているため、機長はそのような判断となったと思います。早速このことを取り上げ検討し、ご返事申し上げますので、しばらくお時間をいただきたい」とまことに丁寧なお言葉とともに、善処することを約束してくれました。
平成13年(2001年)9月28日、日本航空の旅客サービス責任者らが、東京都青梅市の聖明園に菓子折りを持ってお詫びと報告にこられました。
その時の回答は、「来月(10月1日)から、視覚障害者の皆様も航空機2階席にご搭乗いただけるようになりました」というものでした。
まだまだ差別や無理解がちまたには残っていることを表す事件でした。
2 点字技能検定制度の誕生
明治23年(1890年)11月1日、石川倉次によって考案された点字が日本の点字として公認されました。
以来、視覚障害者のなかでは、点字が唯一の文字として使われてきました。ところが、文字そのものは倉次のものに定まった一方で、分かち書きなどの細かな点字表記については各点字出版所・点字図書館が独自にルールを設けていたため、できあがる点字図書や点字教科書に表記の違いが見られ、表記法の統一が求められていました。
日盲社協においては、発足当初からこの問題に着目し、盲学校の全国組織である全日本盲教育研究会とともに昭和41年(1966年)に日本点字委員会を発足させ、点字表記の統一化などに着手しました。また昭和56年(1981年)からは、点字指導員資格認定講習会を毎年開催し、一定の水準に達した受講者には認定書を交付するなど、点訳の品質向上に努めてきました。
こうしたなか、視覚障害者支援総合センター理事長の髙橋實は、点字の統一化をはかるとともに「点字技能士」という資格制度を作るべきと提唱されました。
高橋は点字に詳しく、またパソコン点訳が普及しつつあったことから全国的に点訳ボランティアが増え、その技術向上の必要性が喫緊のものとなったことから、厚生労働省の窓口にたびたび出向き、熱心に資格制度について要望しました。
その一方で、日盲社協点字技能認定制度運営委員会という組織を発足させ、そこが中心となり、平成12年(2000年)8月には、「第1回点字技能検定試験募集要項」を作成し、平成13年(2001年)1月28日に第1回点字技能検定試験を東京・大阪で実施いたしました。そしてその結果を受け、合格者には日盲社協が独自で認定証を出し、そのような方法で第4回までは日盲社協が中心となって制度を運用し、実績を重ねました。
平成16年(2004年)9月14日には、厚生労働大臣から待望の「社内検定認定制度」の認可が下りました、この年は、前4回の合格者も再度受験をうながし、社内検定認定証を送りました。
こうして第5回より、試験は日盲社協が実施し、合格者には厚生労働大臣認定の証書が与えられ、公的資格として認められる形となりました。
しかしその後の壁は厚く、平成16年(2004年)に認められたのはいわば会社などが行う「社内資格」を公的に認めた「点字技能師」の制度であり、髙橋らの目指した国家資格としての「士」はいまだ認められていないことは、大変残念なことです。
なお、この検定試験の実施に当たっては、多額の費用がかかることと継続性が必要なため、私が日本テレビ系列の小鳩文化事業団に要請し、毎年東京・大阪・東北・九州など各地で開催するための助成金100万円が今日も続いておりますことは、まことに有り難いことです。
点字表記については、今もなお研究が続いており、昨今は複雑な記号が増える一方で、化石人間の私にはかえって読みにくいように思います。同じように感じている人もいるのではないでしょうか。しかし、これは必要だから続いているのだとも思います。
3 天皇皇后両陛下にご進講
平成15年(2003年)9月22日、私は御所に参内し、日盲社協の創立50年の歴史をご進講申し上げました。一週間後の9月29日には、両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)をお迎えして、創立50周年記念式典を開催することになっていました。
私は今日まで60年余り、日記を書き続けてまいりました。これは私の誇りであり、何よりもの財産であります。その日記から書き写します。
「陛下にご進講申し上げる。渡辺侍従長、井上女官長、樫山(カシヤマ)侍従、塩田厚生労働省部長も同席。40分の予定が、1時間を超してしまいました。小山侍従も挨拶にきてくれる。岡総務課長の後任の高橋課長に挨拶する。(以下略)」
このときは大変緊張したのを思い出します。約30分近く、岩橋武夫が創設した日盲社協の歴史、そして日盲社協の果たしてきた役割、今日までの発展の経過をつぶさに言上申し上げました。その後は両陛下からもご下問がありました。岩橋武夫のことについては陛下もご承知で、しかも「『世界盲人百科事典』が刊行されましたね」とおっしゃいましたので、「その中に、私も盲老人ホームのことについて執筆しております」と申し上げてしまいました。そして盲人用具がいろいろと開発されていることに興味を持たれ、「近く海外に行きますが、そのときに盲人用の時計を用意していくのはいかがですか」とのご下問もありました。陛下の知識の幅広さには驚きました。
後で同席していた麻子に聞きましたが、皇后様は私の話をメモ帳に記録しておられたそうです。その時皇后様がくしゃみを小さくされました。つい私は、「皇后様、お風邪ですか」と申し上げますと「どうしてわかりますか」とおっしゃいましたので、「いつもとは違い、皇后様のお声が鼻声に聞こえております」と申し上げました。このような会話が入ったせいでしょう、40分のご進講の予定が1時間におよんでしまったのです。そしてにこやかな雰囲気のままに会話は進み、あっという間のご進講に思えました。
両陛下に御礼のご挨拶をして、後退りに数歩下がって控室へ戻ろうとしたとき、皇后様が「来週の50周年にはまいりますからね」とおっしゃって下さいました。
控室へ戻ると井上女官長がおいでになり、「お疲れ様でした」とねぎらいのお言葉をおかけ下さいました。お茶をいただき、席を立つ頃、八木侍従も挨拶にこられ、「来週、よろしくお願いします」とのことでした。
このような貴重な体験ができましたのも、日盲社協の創立50周年を迎える折、理事長の重責にいたからでありまして、大変うれしい記憶として残っております。
そして50周年記念式典並びに第51回全国盲人福祉施設大会の開催です。再び私の日記から、
「9月29日月曜 晴れ」
「天皇皇后両陛下ご臨席の下で創立50周年記念式典を挙行。会場は満員。警備は厳しい。お言葉が何とも胸に迫る。温かさを覚える。夜記念講演が、そして祝賀会で賑わう。素晴らしい。みんなが頑張って、成功といえる」
「翌30日 晴れ」
「第51回大会。分科会・部会あり。夜は身内だけの交流会。盲目のピアニスト大島彰(オオシマアキラ)さんをアトラクションに迎える」
「北海点字図書館長の後藤一郎、アイメイト協会理事長の塩屋隆雄他、みんな部屋に集まり、二次会で賑わう」
このようにかつての日盲社協の大会は、ほぼ2泊3日で開催されました。お互いに肌を触れ合い、仲間同士、苦労話に花が咲き、一層友情を深めました。
就任の時に示したとおり、私の生き方はまさに「和を以て貴しとなす」の具現化でありました。今は各施設とも経営が厳しくなり、ゆっくり2泊3日のプログラムを実施することが難しくなってまいりました。特にコロナウイルスの感染が全国的に広まったこともあり、一堂に会し肌触れ合って語り合う懇親の場も設定できない状況になったことはまことに残念であります。本年(令和5年〔2023年〕)創立70周年を迎えるに当たっては、長岡雄一理事長の肝いりで吉川明常務理事が大会実行委員長として開催することが決まり、加えて荒川明宏常務理事の支えにより実行できることを大変嬉しく思います。
しかも創立50周年の大会と同じホテルグランドヒル市ヶ谷において開催できるというのもまた喜びを倍増してくれるものであります。私も齢94歳、残された命は短いと思いますが、健康である限り、日盲社協への思いは消えません。今後の会の充実、会員相互の友好を深められることを願いつつ、本稿を閉じたいと思います。
※以上、敬称略。法人名の「社会福祉法人」については省略しました。また当時の団体名称で記載しました。
盲人・視覚障害などの用語については、当時、使われていたであろう用語で原稿を作成しました。(聖明福祉協会会長)
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日盲社協会館建設の思い出
第11代理事長 茂木幹央
私が日盲社協の理事長に就任して間もない、平成21年(2009年)4月17日のことである。東京都台東区内所在の、日盲社協が経営している盲人ホーム杉光園の職員から、「昨夜、泥棒に入られて、木戸や窓ガラスが壊されてしまったので、すぐきてほしい」という主旨の電話があった。現場に駆けつけてみると、来園してくれていた建築業者から、「壊された木戸や窓ガラスは修繕しますが、この建物は土台が腐っているなど老朽化が著しいので、建物としての寿命はすでに尽きていますねぇ」という話があった。それもそのはず、杉光園は、昭和9年(1934年)に建設された木造二階建ての建築物である。その建物は誰が見ても、防火や耐震や防犯の面から見て非常に危険な状態にあった。しかし、その建物のなかで、10名程の盲人のはり師やマッサージ師が働いていた。
また、その頃は日盲社協は東京都新宿区内のワンルームマンションを借り、そこに本部事務所を置いていた。
即ち、杉光園は建物の老朽化問題を、本部事務所は事務所スペースが極めて狭隘であるという問題を抱えていた。
そのような状況を私としては放置しておくわけにはいかないので、この二つの問題は自分の日盲社協理事長としての2年の任期内で解決することを決意したのである。具体策は、老朽化した杉光園を取り壊した跡地に、盲人ホームの機能と本部事務所の機能とを併せ持つ新しい会館を建設するということである。
そこで私は、平成21年(2009年)5月に開催された日盲社協の理事会と評議員会に、盲人ホーム杉光園の改築委員会の設置を提案した。
それがきっかけとなり、日盲社協幹部の間で、激烈な議論が始まったのである。
「盲人ホームは廃止の方向であるから、この際、杉光園は廃止してはどうか」
「盲人ホームは盲人の働く場として是非とも継続させなければならない。働いてこそ自立である。盲人の働く場は、われわれが確保してやらなければならない」
「しからば、建築資金はどうするか?」
「お金は作るもの、道は拓くもの。いろいろな方法で資金作りをしていく」
「そんな不確実なことでは危なっかしくてしょうがない。最近は、助成金団体も余程の政治力や大きなコネがないとお金は出してくれない」
「東京都杉並区所在の日盲社協所有の遊休地を売却することも、一つの資金作りの方法である」
「こんなに土地が安いときに、所有地を売却するのは適切とは思えない。数年後には所有地の隣の公務員住宅も閉鎖すると聞いているので、その公務員住宅の跡地と抱き合わせで高く売ってはどうか」
「その保証はあるのか?」
「その保証はない」
まあ、いろいろな議論が展開されたが、次第に理解が深まり、平成22年(2010年)1月15日に開催された理事会と評議員会において、東京都台東区台東3-1-6に、鉄骨造り五階建て、延床面積182.45㎡の盲人ホームの機能と本部事務所機能を併せ持つ盲人ホーム杉光園の新園舎を建設することが決議された。
次は資金作りであった。
資金作りは、東京都杉並区の宅地、149.24㎡を売却するところから始めた。この土地は、羊羹のように細長い形で、評価の低い土地であった。そのためか、土地の売却案内は80社に送付したが、入札は参加してくれた2社により実施した。入札結果は、1,860万3,750円を提示したA社が落札した。われわれの予想を遥かに超える高額の落札金額であった。その日は、平成22年(2010年)3月10日である。
ところが、落札業者であるA社から、「当社から貴法人に落札金額を支払う条件は、国から土地の売却処分について許可が下りること、それから、売却地の土地の測量図を完全なものにすること」という二つの条件が突きつけられたのである。この二つの条件をクリアするには痩せる思いをしたが、二つの条件はクリアし、同年7月30日に、A社から当方の口座に落札金額が振り込まれたのである。
それに、東京都共同募金会からは496万円の配分金を、中央競馬馬主社会福祉財団からは100万円の助成金をいただくことができた。
同年の8月に入ると、杉光園の施設利用者と職員には、杉光園から200m程のところにあった、ヴェラハイツ御徒町202号室というところに移動していただいた。そして、そこを平成23年(2011年)3月末日までマッサージ等の仮営業所とした。
杉光園の改築工事の方は、平成22年(2010年)9月17日に着工し、平成23年(2011年)3月25日に竣工。同日役員を対象とする内覧会を実施(内扉の写真参照)。
平成23年(2011年)5月27日には、東京都台東区東上野所在のラ・ベルオーラムにおいて、安倍晋三元内閣総理大臣他著名な御来賓をお迎えして、日盲社協会館落成式を挙行させていただいた。
会館建設に関する主な支出は、建築工事費が7200万円、設計監理費が280万円であった。
日盲社協会館建設事業に対して、日盲社協の役員並びに会員施設の皆様から、尊い寄付金が寄せられたことはまことに有難いことであった。
終わりに、会館建設に対して、ご理解とご支援をいただいた全ての皆様に、衷心よりの感謝と御礼を申し上げる次第である。(日本失明者協会理事長)
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大きな課題に立ち向かって―髙橋秀治第12代理事長の時代―
理事長 長岡雄一
髙橋秀治氏が理事長を務めた時代。それは、日盲社協に限らず、すべての社会福祉法人が法人としての在り方を問われた時代であったと思います。拙稿においては、この期間に起きてきた三つのポイントをお示ししたいと思います。
平成25年(2013年)の60周年記念大会で、法人として何をすべきかが問われ、その中から、同行援護事業の実施という考え方が出てきました。同行援護そのものは、平成23年(2011年)に開始されていた障害福祉サービス事業でしたので、その点では、後発の事業となり、事業開始の決断は難しいことだったと思います。また、同行援護の実施状況は地域によって濃淡がありましたので、薄い地域で実施できれば、利用者の獲得は比較的容易だったかもしれません。
しかし、実際には、本部のある台東区での実施は、すでに幅広く事業を実施している事業所もあることから、全国組織としての日盲社協の利点を生かし、東京に来られる方に主として焦点を絞った形での実施となりました。
髙橋秀夫氏をはじめ、スタッフの方たちのご苦労は並大抵ではなかったと推察されますが、既存の事業所の壁は厚く、また、同行援護の報酬単価の改正の影響もあり、運営そのものに行き詰まりが生じてしまい、開始からほどなくして事業を廃止せざるを得なくなりました。
日盲社協の形を変えるかとも思われた事業開始でしたが、日盲社協があえてこうした事業を実施する必要はないとのご意見もいただいており、事業の継続ができなかったことは、髙橋秀治氏にとっても非常に残念なことではなかったかと思います。この同行援護事業に関することが一つ目のポイントです。
二つ目は日盲社協が運営してきた東京都視覚障害者生活支援センターの民間移譲の問題です(実際に民間移譲がされるまでは、この名称でした)。
支援センターは昭和58年(1983年)に東京都からの委託事業という形で事業を開始し、平成18年(2006年)には指定管理へと変わり、その後も東京都の方針で、民間移譲に進むことになっていました。しかし、民間移譲されると、障害福祉サービスによる報酬と、東京都独自のサービス事業者への補助金のみで運営が可能かどうかの検討が必要で、それに時間を要しました。東京都としても視覚障害のある方の訓練事業がなくなることには危惧を抱いていたと思いますので、運営の可否の判断には時間を要したのだと思います。
この間、当時、所長であった私は、髙橋秀治氏の勤務先であるロゴス点字図書館を何度も訪問させていただき、民間移譲後のセンターの運営について説明をさせていただきました。髙橋氏は表面上は「まかせておけ」といった風情でしたが、実際には、かなり悩まれたのではないかと思います。
今、その頃の髙橋氏の心のなかを知ることはできませんが、施設を放棄することはあり得ず、といって、健全な運営の見通せないなか、簡単に引き受けるわけにはいかないとの複雑な感情が渦巻いていたのではないでしょうか。また、同時期に同行援護事業所の問題もあり、余計、悩みは深かったのではと思われます。
私はといえば、髙橋氏の「まかせておけ」にすがるような気持ちで民間移譲を受け入れる方向に進んだわけで、結果として、支援センターは順調な運営を続けてはいますが、今思えば綱渡りではなかったかとも考えてしまいます。
そして三つ目が、社会福祉法人改革の問題です。
令和元年(2019年)に社会福祉法人法が大きく改正され、理事会や評議員会の在り方等が大きく変わりました。それに伴い、法人の定款も大きな見直しを迫られました。放置できる問題ではなく、正面から取り組まなくてはならなかった問題です。日盲社協は全国法人ですから管轄は厚生労働省です。説明会に足を運び、その説明内容を咀嚼し、定款に落とし込んでいく作業は事務方でできるとはいえ、定款における日盲社協の事業や全体的な流れ等を判断されていくのは髙橋氏の役割であり、これも日盲社協の存続に関わることでもあり、多くのご苦労をおかけしたと思います。
私も含め、髙橋氏も、決してこうした定款つくりについては専門家ではなく、悩み多しといっても過言ではありません。それでも何とか新たな定款を作成し平成31年(2019年)4月の登記には間に合いました。その後、定款は多少、変更することはありましたが、骨格の変更ではありませんので、比較的容易に取り組むことができました。
定款変更の申請後、髙橋氏はロゴス点字図書館の館長職を辞され、本部にほぼ毎日顔を出されていました。理事長としての職責と、自らが手掛けられたいくつかの事業のその後の状況が気になられたのではないでしょうか。実際に、新たな定款の下での理事長職に就かれることはなかったのですが、社会福祉法人が大きく変わるこの時期での理事長職は非常にご苦労が多かったのではないでしょうか。
今回の三つのポイント以外でも、私が知らないところで日盲社協関連で多くの難題に挑まれていたとも推察されます。今、私たちは改めてそのご苦労に報いているのか、自分自身に問いかけたいと思います。
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陳情・要望活動を通じて
第13代理事長 舛尾政美
平成31年(2019年)3月16日に、私は日本盲人社会福祉施設協議会(以下、「日盲社協」という)の理事長に就任しました。
以来、私は養護盲老人ホームの措置控えやガイドヘルパー事業の改善などの陳情等を、関係各方面に積極的に働きかけました。しかし政府は、「こうした問題は地方自治体と相談するように」といって敬遠するばかりでした。
養護老人ホームには定員の20%に限り契約入所という制度があります。ただ、それを活用することはできるものの地域貢献が見え隠れするようなもので、法人の経費負担が大きく、かつ事務量が膨大になるため、問題の根本的な解決にはほとんど役にたちそうにないものです。
ホームヘルパー事業の改善についても事務的な負担が大きくなるばかりで事業が続けられなくなるケースも出てきました。このように結果的に事業所を廃止せざるを得なくなると困るのは、利用者である視覚障害当事者です。
ただ、こうした厳しい現実のなかでも喜ばしいことが二つありました。
一つ目は、消費税率引き上げ分を活用して、公的年金等の収入金額やその他の所得が一定基準額以下の障害者に、生活の支援をはかることを目的として年金生活者支援給付金として、身体障害者1級の場合、月額6,250円を年金に上乗せして支給されるようになったことです。支給の時期は、障害基礎年金と同じ偶数月で、2か月分あわせて12,500円が支給されるようになりました。
二つ目は、平成医療学園グループが、福島県、神奈川県、大阪府および兵庫県に設置しているはり師きゅう師を養成する専門学校ないし大学にあん摩マッサージ指圧師の養成課程を新設するための施設認定請求があん摩師等法19条1項によって厚生労働大臣および文部科学大臣によって棄却されたことから、これを不服として平成28年(2016年)7月に認定処分取消訴訟を仙台地方裁判所、東京地方裁判所および大阪地方裁判所に提起しました。
そこで、私たち視覚障害者団体や鍼灸マッサージの職業団体等の関係16団体が結集して「あん摩師等法19条連絡会」を結成し、平成医療学園グループが提起した訴訟は視覚障害者の職業的自立を破壊するものであり、自らの利益のみをはかろうとするものであるとして、その主張の不当性を訴えてきました。
その結果、令和元年(2019年)12月16日に東京地方裁判所は平成医療学園グループの主張を排斥し、わが国においては視覚障害者の職業的選択が未だ十分には保障されておらず、極めて狭い範囲でしか就労できていないという視覚障害者の就労実態をふまえ、今なおあん摩マッサージ指圧師の分野においては視覚障害者の就業を保護する必要性があるとして、そのためには晴眼者のためのあん摩マッサージ指圧師の養成課程の新設を制限することを定めたあん摩師等法19条は憲法22条に反しないと判示しました。
そして、令和2年(2020年)2月25日には大阪地裁が、同年6月8日には仙台地裁が東京地裁と同様の判決を言い渡しました。
まことに喜ばしい限りで、この運動に参加した仲間とともに喜びを分かち合いました。
時を同じくして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックがもたらされ、令和2年(2020年)、東京オリンピック・パラリンピックを延期に追い込みました。そしてCOVID-19は、なお収束が見えない状況が続きました。
しかも、台風や豪雨、それに大きな地震など全国各地で災害が続きました。
今後も残る問題もいくつかあります。なかでも養護盲老人ホームの措置控えは全国に広がっており、倒産・破産が続いています。今後も広がるのではと心配されます。われわれはこの措置控えが早急に改善されるように、国や市町村に強力な運動・要望を進める必要があります。
同行援護事業についても、通勤の利用が認められるような明るい兆しは見られるものの、この事業の廃止や倒産がまだ広がっています。1日も早く改善されるよう運動を続けなければなりません。
コロナウイルスの収束もまだまだ時間を要するものと思われます。ただ、各種会議についてはZoomによるオンラインの形で行うことができるようになり、今後も大会や研修会、講習会などをオンラインで行えば、合理化を進めることができます。
実践を重ねながら強い覚悟でコロナ後の新しい時代を迎えられる準備をさらに進めることができるよう、日盲社協をはじめ各部会の益々の発展を祈念申しあげます。(山口県盲人福祉協会理事長)
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70年のあゆみ
日本社会事業大学学長室多心型福祉連携センター研究員/聖明福祉協会会長秘書 本間 律子(ホンマリツコ)
日本盲人社会福祉施設協議会(以下「日盲社協」と略記)が結成されたのは、昭和28年(1953年)9月29日のことである。
それは昭和26年(1951年)に社会福祉事業法(後の「社会福祉法」)が施行されて間もない頃であり、盲人向け社会福祉事業の黎明期でもあった。
以来、日盲社協は、視覚障害者のための社会福祉事業者を束ねる団体として、日本盲人会連合(現日本視覚障害者団体連合)などと手を携え発展してきた。
それゆえ、日盲社協の歴史は、戦後の視覚障害者福祉の歴史そのものであるといっても過言ではない。
その日盲社協70年のあゆみを、本稿では次の4つの時期に分けて記述する。
すなわち、日盲社協が結成される昭和28年(1953年)までを「前史期」。
それ以降日盲社協が本部事務所を日本点字図書館に移す昭和42年(1967年)までを「創成期」。
福祉八法が改正される平成2年(1990年)までを「発展期」。
それ以降今日までを「変革期」とし、それらの時期区分ごとに記述していく。
第1章 前史期
この章では、日盲社協の創設者である岩橋武夫に焦点を当て、日盲社協が設立されるに至る過程をやや詳しくみていく。
1.盲人の職業的自立の危機とライトハウス設立
明治より前、盲人は鍼・灸・按摩、芸能、高利貸しなどを営み、一定の経済的自立を得ていた。また当道座などの自助組織を作り、さらには盲官という官位とともに特権も与えられ、盲人たちは何とかその生活を守ってきた。
ところが明治に入ると、明治4年(1871年)、盲官などの特権が廃止されたことから、盲人の伝統的職業は晴眼者の進出により蚕食されはじめ、盲人たちは職業的自立の危機を迎えた。
これに対し盲人たちは按摩を盲人の専業にしようとする運動(以下「按摩専業運動」と称す)を起こし、後には「盲人保護法」の制定を求める運動などを始めたが、十分な成果は得られなかった。
ただ、時代が代わるときというのは、新たなものが生まれるときでもある。明治11年(1878年)、京都盲唖院(京都府立盲学校の前身)が、明治13年(1880年)、楽善会訓盲唖院(筑波大学附属視覚特別支援学校の前身)がそれぞれ開校するなど、わが国最初の近代的盲教育がこの時期始まった。
また明治34年(1901年)には仲村点字器製作所が、明治3年(1903年)には東京鍼按協会(東京都盲人福祉協会の前身)が、少し後になるが大正8年(1919年)には東京光の家が、大正11年(1922年)には『点字大阪毎日』(現毎日新聞社『点字毎日』)が創刊されるなど、今日の盲人福祉につながる事業者のいくつかは、明治から大正期に創業している。
そのようななか、明治31年(1898年)、日本ライトハウスの創業者であり、日盲社協の創設者でもある岩橋武夫は生まれた。
大正5年(1916年)、岩橋は早稲田大学に進むが、翌年の早春、網膜剥離により盲目となる。その後、彼は盲学校で点字を学び、また点字の書物を通じて世界の盲偉人を知ることで、再び学問の道を目指し始めた。そして関西学院(カンセイガクイン)に進み、さらには英国エジンバラ大学に留学した。岩橋はこの留学でマスター・オブ・アーツの学位を取得するとともに、ロンドンで欧米の盲人施策の調査を行った。
そして帰国後の昭和3年(1928年)、自宅に「ライトハウス」の小さな看板を掛けたのであった。なお、彼はこの年、母校関西学院の講師の職に就いている。
昭和7年(1932年)、岩橋は先の英国調査の結果を『愛盲(盲人科学ABC)』と題して出版しており、その結論部分で、盲人問題の解決のためには次の諸施策の実施が必要であるとした。すなわち、
イ.教育問題の解決のため、「盲人義務教育の確立、中等普通部の実行とともに、各種高等教育の盲人に対する門戸開放、成人教育の組織化」
ロ.社会問題の解決のため、「盲人社会立法の制定運動、点字図書出版事業の統一と完成、日本盲人図書館の設立、盲人に対する授職および、その他一般の組織的後援事業、盲人問題研究所の設置、失明防止運動の統一とその事業、盲人に対する一般社会の理解と同情を革新するためのプロパガンダ」
そして、これらの目的遂行のための手段として、
ハ.「各地方盲人協会及び団体の統一、中央機関として日本国民盲人協会を設立、盲人法の制定により立法的保護の完成」
というものであり、これは岩橋のその後の諸活動のグランド・デザインといえるものであった。
その後、彼は講演活動、著作活動を精力的に進め、昭和9年(1934年)には米国でも講演旅行を行った。岩橋はこれらの活動で得た資金と、昭和8年(1933年)には大阪盲人協会の会長に就任することで盲人たちの間で地位を得て、昭和10年(1935年)10月、大阪にライトハウスの建物を建築した。これが現在の日本ライトハウスの直接の前身である。
岩橋はライトハウスの事業を「愛盲事業」と呼び、以後ライトハウスを拠点に、生涯をかけて盲人問題の解決、すなわち先のグランド・デザインの実現に取り組んでいくのである。
2.ライトハウスの事業
岩橋武夫は、生まれたばかりのライトハウスの経営に弾みをつけるとともに、盲人問題への世間の関心を高め、盲人の教育問題および社会問題解決の端緒を得ようと、昭和12年(1937年)、ヘレン・ケラーをわが国に招聘した。
これは、先に岩橋が米国を訪れた際に、ケラーと交わした約束が実現したものであった。ところが、同年7月に勃発した日中戦争のために女史は帰国を余儀なくされ、残念ながらその成果は十分なものとはならなかった。
一方、岩橋は「戦争は悲劇の父であるとともに、革新の母である」として、起きてしまった戦争を盲人問題解決の好機としてとらえようとした。
国のほうでは昭和13年(1938年)に厚生省が発足、さらに傷兵保護院、失明軍人寮および失明軍人教育所が設置されるなど戦時体制を整えていった。
彼はそのような国の動きに呼応し、陸軍病院への慰問や職業補導、点字教授のための講師派遣などの事業を始めた。
なお、国が行った先の傷兵保護院、失明軍人寮、失明軍人教育所などの事業は、限定的ながら障害者福祉の走りといえるものであった。
やがてわが国は太平洋戦争へと突入していく。ライトハウスでは建物を改装し、また建物と設備を恩賜財団に寄付して名称も失明軍人会館に改め、シャープ株式会社創業者早川徳次の協力を得て、昭和18年(1943年)10月、失明軍人講習会を開いた。
そして翌昭和19年(1944年)1月、同講習会を修了した6名の失明軍人からなる「早川分工場」を設立し、早川電機工業株式会社(現シャープ株式会社)の指導の下、航空無線機の部品の製造を始めた。
この取り組みは、失明軍人という限定付きながら、職業リハビリテーションの黎明ともいえるものであった。
その後同工場は拡張され、彼は関西学院の講師の職を辞して失明軍人会館の経営に専念することになった。
昭和20年(1945年)になると本土空襲が激しくなり、会館も疎開を余儀なくされた。そして終戦となり、早川分工場は短い生涯を終えた。
岩橋と早川がともに取り組んだ職業リハビリテーションの小さな灯はこうして一旦消えてしまったが、そこで培われたものはやがてライトハウス金属工場やシャープ特選工業株式会社へと引き継がれ、障害者の職場として後々まで生き続けるのであった。
続いて、岩橋武夫が中心となって実現した、盲人の全国組織である日本盲人会連合の設立過程についてみていく。
先のヘレン・ケラー来日後、岩橋は、紀元2600年を契機に全日本盲人大会(以下「橿原大会」と称す)を企図し、昭和14年(1939年)、関西盲人事業連盟を発足させた。同連盟はやがて全日本盲人事業連盟となり、全国盲人協会連盟、全国盲学校同窓会連盟とともに橿原大会を成功させた。
岩橋は同大会後、全日本愛盲連盟準備会を組織し、橿原大会の決議を実行に移そうとした。そして、「愛盲報国号」という戦闘機の献納運動を成功させ、2年後に再び全国大会を開いた。この会議が準備会となり、昭和17年(1942年)11月、今関秀雄を会長とする、盲人初の本格的な全国組織である大日本盲人会が結成された。しかし、終戦前後の混乱のため、同会は十分な機能を果たすことができなかった。
戦後になると、鍼灸存廃問題が起きた。これは、盲人の多くが従事する鍼灸按摩マッサージ業を、彼らから完全に奪い去りかねないものだった。幸い、岩橋を始めとする業界、盲学校、盲人たちによる全国的な運動により、この問題は解決した。このとき盲人たちは、新たな全国組織の必要性を痛感した。
また、戦時中に途絶えていた岩橋とヘレン・ケラーの通信が戦後まもなく再開し、ケラーの再来日が決まった。彼はケラー来日を契機に、その受け入れ母体として日本盲人会連合(以下「日盲連」と略記)の設立をはかった。
GHQの強力な後ろ盾と、ライトハウス金属工場による経済的基盤を得、周到な準備がなされた。そして、昭和23年(1948年)8月、現在まで続く日盲連が設立され、岩橋武夫が初代会長に就任した。
続いて、身体障害者福祉法成立に岩橋武夫と盲人が果たした役割についてみていく。
身体障害者を支援するための法律や制度は、戦前には前述の傷痍軍人を対象としたものがあったが、広く障害者全体をカバーするものはなかった。しかも終戦後には、GHQの指示により、この傷痍軍人を支援する制度まで奪われてしまった。そのため生活に困窮した傷痍軍人の中には、電車の中や街頭で物乞いをする者まで現れた。
政府もこの状態を放置できず手を尽くすが、非軍事化・民主化を占領政策の基礎に置くGHQを前に、政府が最初にとった傷痍者保護対策は、GHQが方針としていた無差別平等という枠内で、生活保護法を弾力運用するという限定的なものにならざるを得なかった。
その一方で、占領状態が続くにつれ、GHQの側でも、占領政策を成功させるためには傷痍軍人の問題を放置できないとの機運が出てきた。しかしそうはいっても、非軍事化・民主化という基本方針を取り下げることもできない。そのような行き詰まり状態のなかで傷痍者対策を身体障害者福祉法へと発展させるためには、戦争を連想させにくい対象者が必要であった。そこに登場したのが盲人である。
ここまでみてきたように、近代を通じて職業的自立の危機に苛まれてきた盲人たちは、戦前から盲人のための法律制定を求める運動、盲人社会事業や職業リハビリテーションの実践、全国組織の結成などに取り組んできた。
戦後になると、ヘレン・ケラーを招聘し、その受け入れ母体として日盲連を結成した。このように盲人たちの間では、歴史・実践・組織の面で、自分たちのための法律を受け入れて、運用・発展させていく土壌が整っていた。
日盲連を結成した岩橋武夫率いる盲人たちは、昭和23年(1948年)のヘレン・ケラー来日キャンペーンを通じて、盲人福祉法の実現を世間に訴えていった。
政府およびGHQも、これら盲人たちの動きに乗じ、盲人を傷痍者対策の中心に据え、ヘレン・ケラー・キャンペーンを演出し、身体障害者福祉法の実現へと歩みを進めていった。その過程で、同年7月、国立光明寮設置法が成立し、国立東京光明寮および国立塩原光明寮が設置された。
同年12月には、身体障害者福祉法案の検討委員会が結成された。メンバーには、障害当事者として唯一、岩橋をはじめとする盲人の代表が含まれていた。そしてケラー来日の翌年である昭和24年(1949年)12月、身体障害者福祉法は成立・公布された。
同法は盲人たちが目指していた盲人単独法ではなかったが、盲人たちが盲人福祉法として求めていた政策の多くが同法に盛り込まれた。岩橋と盲人たちは、「名よりも実を取る」形で自分たちの主張を取り下げ、障害者全体のための法律を受け入れたのである。
なお、この当時の身体障害者福祉法は、「十八歳以上のいわゆる労働年齢にある者で、盲聾唖、肢体不自由の障害のため労働能力の損傷されているもの」が対象となっており、今のように法の目的に「自立と社会参加」が加わり、対象者が広がるのは後のことになる。
3.日盲社協の設立
終戦後GHQによる占領下、旧生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法と戦後の社会福祉を基礎づける法律、すなわち「福祉三法」を矢継ぎ早に制定していったわが国では、昭和25年(1950年)に入ると、これら法律やその周辺を調整していく段階に入った。そして、昭和25年(1950年)、新生活保護法が、昭和26年(1951年)、社会福祉事業法が制定された。
こうしたなか、設立から数年を経た日盲連も、福祉サービスの受益者と提供者という視点で調整すべき段階に入った。この項では、日盲社協を日盲連から分離して設立していく過程をみていく。
身体障害者福祉法成立のめどが立った昭和24年(1949年)11月、岩橋武夫は米国調査に旅立った。これはヘレン・ケラーが相談役を務める米国盲人援護協会(AFB)から招聘されたものだった。
岩橋はその米国調査で、盲人の更生施策のなかに米国流の合理性を背景とする現実解を見た。彼はこれを「愛盲リアリズム」と呼び、調査結果を身体障害者福祉法の適正な運用や日盲連の発展に活かそうとした。
一方、昭和26年(1951年)には社会福祉事業法が制定された。これにより措置制度が始まるとともに、民間の社会事業者が各種の福祉事業を自治体から受託する道が大きく広がった。これは従来寄付金を主な収入源としていた彼らにとって、このうえない朗報であった。ライトハウスでも同法に基づく社会福祉法人格を取得すべく行動を始めた。
昭和10年(1930年)の会館建設当時から、盲人の団体である大阪盲人協会と社会事業者であるライトハウスは渾然一体となって運営されており、これは大阪盲人協会の会員にも岩橋にもともにメリットがあったためである。すなわち、会員はライトハウス事業から無料ないし低廉な料金でサービスを受けられる。このためライトハウスの発展は会員の利益につながる。当時まだ無名だった岩橋武夫にとっては団体の会長職という立場を活用でき、それによってライトハウスの事業拡大やその先の計画を有利に運ぶことができる。
しかし、社会福祉法人の認可申請をする場合、これでは不都合だった。会計の混同を避けるために、福祉サービスの提供者と受益者の間には明確に線を引く必要が出てきたのである。そのため岩橋は、昭和27年(1952年)、大阪盲人協会とライトハウスを分離し、大阪盲人協会の会長の座を退いたのであった。
同年の5月10日から12日まで、滋賀県彦根市で第5回の日盲連総会および全国大会が開かれた。その席上、盲人社会福祉事業者の相互間における連絡統一をはかる必要性が議論された。
これを受け、岩橋はこれら事業者が一堂に会し、「忌憚なく意見の交換を願うとともに将来の発展のために研究と激励を送り合う機会を持つべく準備した」。
その会合は、同年10月23、24日、東京の日本赤十字本社で19の出席団体を得て「盲人社会福祉施設連絡協議会」として開催された。
またこの会議の席上、「かかる有意義な会合が1回だけをもってそのまま立ち消えてはならないという強い全員の要求に基づきこれを恒久化するのみならず最後には日盲連と相平行した姉妹団体として独自の立場を許され成長発展すべきものである」という意見が圧倒的であった。
しかし、さしずめそれまでの暫定的処置として「日盲連と不可分の関係におきながら福祉団体としての性格を自由に発揮せしめうるよう運営の妙を期すべく当分の間、事務局を赤十字本社内におき運営委員8名をあげて事業目的遂行に万全を期すること」になった。
そして会の名称を「日本盲人社会福祉施設連絡協議会」とするとともに、委員長に岩橋武夫が就任した。
ところで、岩橋は戦前から盲人社会事業者のほか盲人会、盲学校同窓会などを包含する全国組織の結成を目指していた。その試みは、戦時中ながら大日本盲人会として、戦後には日盲連として成就した。しかし、ここにきてなぜ再び日盲連から盲人社会福祉事業者を分離しようとするのであろうか。岩橋はこれについて次のように説明している。
「英米のごとき先進国にあっては、すでに盲界の歴史は幾つかのペイジを繰り広げて、1世紀ないし半世紀の期間をおきながらわれわれの前を先行しつつあるのである。『盲人による盲人のための盲人の文化』と私が口癖にしていたところの三段構えは歴史の進展とともに分化(ディファレンシエイト)して、3つの平行線となりつつあることはまさに歴史必然である。いっさいは盲人によって始められ盲人によって終わる問題ではあるが、この問題の解決が一歩一歩緒につき円熟してくると盲人それ自身は受け身となって、一般社会や国家が能動的な与える立場となってくるのである。私の第1回渡米と先頃の第2回渡米との間にはわずか14年の歳月しか流れていないのであるが、その間第2次世界戦争を含むことによって盲人問題の解決は傷痍軍人の徹底した対策処置にうながされて飛躍的な発展を遂げ、米国盲界の全体としてのあり方が(1)米国盲人連盟 (2)米国盲人事業家協会 (3)米国盲人授産協会 の三つに分化してきたのである。これはまさに進歩の象徴と言わねばならない。第一は盲人の組織団体であり受益団体であるところの統一で、わが国における日盲連の立場ということができる。第二は今回東京において初の誕生を見た社会福祉施設連絡協議会の線であって、愛盲事業ならびに福祉施設の総合統一である。第三は各種の盲人授産事業に対する材料の供給と多種多様にわたる盲人製作品の販売操作を扱う総合統一機関である」。
ごく簡単にいえば、身体障害者福祉法が実現するまでは盲人達が一丸となってその実現に向け一致した行動を取らなければならない。
しかし同法が実現してしまえば、福祉サービスの受益者である盲人そのものの団体と、サービスの提供者である盲人社会福祉事業者の団体が分かれるのは合理的かつ必然であるということであろう。受益者は安価かつ質・量ともに充実したサービスを求め、提供者は経営の安定を求めるものであり、そこには対立する側面もあるからである。
ただし、盲人そのものの団体と盲人社会福祉事業者の団体は目標を共通にする部分も多いわけである。すなわち、社会福祉事業の充実は盲人にも事業者にも利益となるが、そのためには盲人自身が大きな声を上げなければならない。その場合には盲人自身の団体が一歩高い立場で盲人全体の意思を代表しなければならない。そのような観点から、それまでの日盲連と新たに産声を上げた日盲社協との関係を調整する必要があった。そのため先の会議は日盲社協の準備会の性格のものとして位置づけられ、翌昭和28年(1953年)9月29日、日盲社協は正式な発会式を迎えた。
会場は前年と同じ日赤本社である。参加団体は32であった。
ちなみに、発会式に参加した32団体とは、北海道点字図書館、国立東京光明寮、日本赤十字社図書館、日本点字図書館、東京点字出版所、東京光の家、桜雲会、東京ヘレン・ケラー協会、友愛寮、聖ルカ失明者更生協会、国立塩原光明寮、千葉県盲人協会、富士根園、静岡県盲人連合会、聖愛園、名古屋ライトハウス、岐阜訓盲協会、市立上田図書館、新潟県盲人協会、石川県愛盲協会、ライトハウス、西日本ヘレン・ケラー財団、点字毎日新聞出版部、府立京都寮、和歌山県盲人協会、国立神戸光明寮、関西盲婦人ホーム、広島県盲人協会、青い鳥盲女子ホーム、県立松山光明寮、福岡県盲人協会、真生会(九州ライトハウス)である。
岩橋は発会式を前に同協議会の性格を次のように表現してみせた。
「日盲連はどこまでも組織団体として盲人運動の中心機関であり後者(筆者注、日盲社協のこと)は各種社会福祉施設としての連絡協議会である。この2者は車の両輪のごとく相互に助け合いつつ発展し盲界全体の幸福のために役立たねばならないという使命を持っている」。
そして次のように同協議会の活躍にエールを送っている。
「この会の成立によって点字図書館事業や点字出版事業は全国的に強力化されるとともに相互の勢力争いや時として起こる同じ図書の二重出版あるいは図書の盲学校売り込みに伴うあらずもがなの摩擦や勢力争いもなくなって平和にして協調的な盲界事業体の横顔を見ることができるようになるであろう」。
これは小さなパイを奪い合って争うよりも、各事業者が協力・協調していくほうが業界全体の発展にとって有利であるとともに、あくまでも障害当事者主体の事業経営に徹すべきとの、岩橋の業界に対する戒めでもあろう。
あらためて発足当時の同協議会の規約をみてみると、「第四条 本会は日本盲人会連合会(原文のまま)と緊密なる関係を保ちつゝ各施設間の連絡、融和を図り、盲人文化の向上と盲人福祉の達成に貢献するを以て目的とする」となっており、上記「車の両輪」の理念が規約として明示されている。なお、日本ライトハウスに残されている同協議会の規約では、名称を「日本盲人社会福祉施設協議会」としており、初期の名称から「連絡」が取れている。
この名称変更がいつであったのかを示す資料は見つかっていないが、同規約には委員長として岩橋の名前が残っており、彼が亡くなるのが昭和29年(1954年)のことであることから、早い段階で現在の名称である「日本盲人社会福祉施設協議会」となったようである。
第2章 創成期
1.高度経済成長期の社会福祉
昭和31年(1956年)度経済白書に記された「もはや戦後ではない」との言葉に象徴されるように、昭和30年代に入るとわが国は高度経済成長期を迎えた。これを背景に、1960年代、それまでの福祉三法では救済されなかった人たちに対する新たな法律が生まれた。すなわち昭和35年(1960年)の精神薄弱者福祉法(後の「知的障害者福祉法」)、昭和38年(1963年)の老人福祉法、昭和39年(1964年)の母子福祉法(後の「母子及び父子並びに寡婦福祉法」)が従来の福祉三法に加わり、福祉六法体制となったのである。
昭和35年(1960年)には身体障害者雇用促進法(後の「障害者の雇用促進等に関する法律」)が制定され、努力義務ながら最低雇用率が定められ、身体障害者の一般就労の促進が図られた。昭和36年(1961年)には「国民皆保険・皆年金制度」が誕生し、これにともなって障害福祉年金の制度が創設された。
少し後になるが、昭和42年(1967年)、厚生省は社会局長通知として「身体障害者福祉法による身体障害者家庭奉仕員派遣事業について」を通達し、今日でいう身体障害者ホームヘルプサービスを国庫補助化した。
以上のように、この時期には不十分ながらも社会福祉が拡大する兆しを見せ始め、それに呼応して日盲社協会員施設も少しずつ増えていき、新たな事業の芽も出始めた。
2.日盲委の設立
創成期の日盲社協を語る前に、岩橋武夫率いる日本の盲人たちが、世界へ飛躍していく過程についてみていく。
身体障害者福祉法を手にして以降、国内の体制整備と並行して岩橋が取り組んだのが、わが国の盲人を世界につなげることであった。英国で目の当たりにした欧米の進んだ社会事業に触発され、ライトハウスを設立した彼にとって、それは最後の仕上げともいえる仕事だった。
昭和29年(1954年)8月、第1回世界盲人福祉会議(以下「パリ会議」と称す)がパリで開かれることになった。岩橋はこの会議に日本代表を派遣すべく、同年3月、世界盲人福祉協議会日本委員会を設立し委員長に就任した。そして世界盲人福祉協議会(World Council for Welfare of the Blind、以下「WCWB」と略記)に加盟するとともに、パリ会議には喘息が悪化した彼に代わり、長男の岩橋英行と鳥居篤治郎が派遣された。
パリ会議への日本代表の派遣は、翌年に計画していたアジア盲人福祉会議の準備の意味合いもあった。
第1回目のヘレン・ケラー来日では日中戦争の勃発により、第2回目では秘書ポリーの体調不良により、ケラー女史のアジア歴訪は中断せざるを得なかった。
岩橋武夫は、未完に終わったケラー女史の意思を引き継ぐとともに、太平洋戦争で失ったアジア諸国との友好を回復するため、昭和26年(1951年)頃よりアジア盲人福祉会議の構想を温めていた。
その後わが国は独立を回復し、WCWBからの資金援助と厚生省の人的・財政的支援が得られることが決まり、アジア盲人福祉会議の開催は本決まりとなった。
同年10月26日、厚生省から松本征二更生課長が岩橋宅を訪れ、「アジア盲人福祉会議は厚生省が責任を持って開催する」旨の報告をした。
かねてからの喘息の悪化で寝込んでいた岩橋武夫は、その報告に安心してか、10月28日、56年の生涯を閉じた。
翌昭和30年(1955年)10月、岩橋の意思は引き継がれ、アジア盲人福祉会議が東京で開催された。同会議でアジア各国は、WCWBに加盟して協力し合い、アジア各国の盲人団体や盲人福祉施設が緊密に連携することが決議された。
これを受けて、日本では、昭和31年(1956年)4月、先の世界盲人福祉協議会日本委員会が発展する形で、日盲連、日盲社協および全国盲学校長会の3団体が協力・連携して組織する日本盲人福祉委員会(以下「日盲委」と略記)を設立し、日本を代表する盲人団体としてWCWBに改めて加盟した。
こうして日盲委はわが国盲界を代表して世界への窓口となるとともに、国内においては各盲人団体をとりまとめる役割を担うことになった。
3.創成期の日盲社協
前置きがずいぶんと長くなってしまったが、ここからが日盲社協の設立後の歴史である。
これ以降の記述に当たっては、日盲社協の機関紙である『日盲社協会報』・『日盲社協情報』・『日盲社協通信』によった。
なお、日盲社協の機関紙は、第1号が昭和36年(1961年)に刊行され、その後昭和45年(1970年)までは『日盲社協会報』、その後昭和61年(1986年)までは『日盲社協情報』、それより後今日までは『日盲社協通信』という題字となっている。
さて、日盲社協が誕生してわずか1年の後、創設者であった岩橋武夫が天に召された。そのため、生まれたばかりの日盲社協をどのようにして存続させるかということもさることながら、アジア盲人福祉会議が翌年に控えており、早急に会の体制を整え直さなければならない。
岩橋死去後の当座を引き継いだのは、鳥居篤治郎であった。鳥居はすぐさま、国立東京光明寮の寮長であった高田秀道に2代目委員長を依頼した。前述の創設当時のメンバーをみてもわかるとおり、参加団体の多くは民間の経営であり、財務基盤は弱かった。そのため、国立である東京光明寮の高田が、岩橋亡き後の会の運営を受け継ぐことは必然であったのだろう。
岩橋が自らの将来を予感していたわけではなかろうが、後に高田は「(日盲社協の)創立総会の日、故岩橋武夫先生が、祝辞を述べる私の手を握って、君の施設は厚生省がやっているのだから、この協議会には大いに協力してくれよと言われた」と語っている。
このようにして、高田秀道は2代目委員長となった。そして事務所を国立東京光明寮に置いた。以後高田は、昭和40年(1965年)までの10年余り、よちよち歩きであった日盲社協を一人前にすべく育てていったのである。
創成期の日盲社協にとって、第一の関心事は質よりも量の拡大であった。昭和36年(1961年)5月に発刊された『日盲社協会報』第1号の冒頭には、盲人福祉事業者の拡大に必要な政府予算獲得のための陳情運動の様子が載っている。
同記事では、「盲人福祉、盲教育関係の政府予算は、過去において未だ見ることのなかった程、飛躍的な増加を示し、陳情にあたった関係者の多大の努力が報いられた。陳情運動の成果は、盲教育予算が大巾に増額されたこと、点字郵便物、録音テープの、郵送並びにラジオ聴取料が無料になったこと、点字器が補装具として認められたこと等、目覚ましいものがあるうち、日盲社協関係の予算としては、なお不充分であるが、次の通り認められた」とあり、テープライブラリーのテープ製作費、県立点字図書館事務費、盲人ホーム設置費、厚生省委託図書製作費などの予算額が示されている。
また『日盲社協会報』第1号には、日盲委が行っている愛盲シール募金運動の昭和35年度(1960年度)分の成果として、カナタイプライター10台が日盲社協会員施設に贈られたとあり、この時期の新しい動きとして、テープライブラリーやカナタイプライターが注目されていることがわかる。
なお、昭和33年(1958年)には日本点字図書館が「声のライブラリー」を開設、昭和34年(1959年)には日本ライトハウスが「声の図書館」を開設、昭和36年(1961年)にはこれら2つが厚生省委託事業となった。
日盲委の愛盲シール運動は昭和32年(1957年)に始まり、昭和34年(1959年)にはカナタイプライターの寄贈が始まった。それとともに、日盲社協ではカナタイプライターの研修会を始めた。
そしてこれ以降、昭和38年(1963年)には点字図書館職員研修会が始まるなど、各部会主催の研修会が開かれるようになったのである。
なお、昭和38年(1963年)には、松井新二郎により日本盲人カナタイプ協会が発足している。
公費による点字図書の製作および貸し出しの委託は、昭和30年(1955年)から日本点字図書館に対して行われていた。これにより、各地の点字図書館は、地元の盲人に対して、日本点字図書館の点字図書を貸し出す窓口も担うことになった。
昭和32年(1957年)に厚生省は、「点字図書館設置基準暫定案」を作成し、点字図書館の育成にのりだした。これにより、各地に点字図書館が増え始めた。
昭和36年(1961年)には8県立点字図書館に事務費の政府支出が初めて行われた。昭和35年(1960年)には全国点字図書総目録第1号の墨字版が発刊。昭和36年(1961年)には点字出版ニュース第1号が発行されている。さらに昭和38年(1963年)から、厚生省は日本ライトハウスに対し、児童向け点字図書の製作と全国の点字図書館への貸し出し事業の委託を開始。昭和41年(1966年)には、点字図書館の事務費(各館当たり5名分の人件費)の補助を開始している。
また昭和39年(1964年)にはNHKラジオ第2放送で「盲人の時間」が始まるなど、昭和30年代後半には、日盲社協の運動の成果として、今日につながる数々の新しい動きが見られたのであった。
昭和36年(1961年)の政府予算の増額に勇気づけられてか、日盲社協の加盟施設は昭和34年(1959年)が39施設であったのに対し、昭和36年(1961年)には56施設に拡大。日盲社協が満10年を迎えた昭和38年(1963年)には会員65団体、部会加盟74施設に達した。この時期の部会は、今とは異なり「事業部」という名称で呼ばれ、点字出版事業部、点字図書館事業部、厚生援護事業部そして盲人厚生要具研究部(「要具」は誤植ではない)からなっていた。
このうち盲人厚生要具研究部は昭和36年(1961年)から盲人厚生要具事業部と名称が変わり、これをもって4事業部となった。
さらに昭和37年(1962年)には、盲人ホーム事業部が更生援護事業部から分離して設置されたことで、5事業部となった。これは、この時期盲人ホームの設置数が増えてきたことに加え、昭和37年(1962年)2月27日付局長通知により、盲人ホームの事業費が国庫補助の対象になったことを受けたものである。
昭和39年(1964年)に日本で開催された東京パラリンピックは、障害者への社会のまなざしをおおきく変えていった。
元厚生官僚で後に日盲社協の理事長になる板山賢治は、「昭和39年(1964年)のパラリンピックこそが、戦後日本の障害者観を変える、障害者に対する行政を変える、大きなインパクトを与えた出来事だと私は思っています」と述べている。
そのようななかにあって、昭和40年(1965年)になると、高田秀道が国立東京視力障害センター(昭和39年〔1964年〕に国立東京光明寮から改称)所長を退官するのに伴い、後任の寺尾増太が日盲社協の委員長に就いた。
寺尾はその翌年の『日盲社協会報』で、日盲社協が委員会組織のままであることの問題点を挙げ、「委員会組織を再編成して、執行機関と議決機関を明確に分離して、所謂、理事・評議員制とし会員の意見を充分に反映できるようにすると同時にできれば事務局を国立の施設で担当しているという変態的の現状も、充分に検討しなければなりません。かくして本会を可急的すみやかに、自主的な運営ができるように財源等についても考慮しなくてはならないと思います(後略)」と述べ、日盲社協の体制変革を示唆した。
そして昭和41年(1966年)に開かれた第14回総会で規約が変更され、会長制となり、寺尾は会長となった。さらに昭和41年(1966年)末には寺尾が国立東京視力障害センターを退官することになり、後任の吉田正宣が寺尾の残任期間のみという条件付きで会長に就任した。
吉田はすぐさま体質改善委員会を立ち上げ、寺尾がやり残した日盲社協の改革に取り組んだ。
昭和42年(1967年)、身体障害者福祉法の大きな改正が行われた。これは従来の同法が狭く職業復帰のみを目的としていたのを改め、広く身体障害者の生活の安定に寄与するようにした画期的なもので、同改正法が昭和42年(1967年)8月1日に施行された。
日盲社協においても、同年7月27日、第15回総会が開かれ、体質改善委員会が提案した規約が承認されて新しい体制のもとで新たな歩みを始めた。
このとき会長に就任したのは、事務次官や内閣官房副長官などを歴任した大山正であった。また松本征二、實本博次、鳥居篤治郎を顧問に迎えた。事務局もそれまでの国立東京視力障害センターから日本点字図書館に移し、新たに企画調整委員会を置き若手を委員に抜擢した。そして本間一夫、岩橋英行が副会長に、加藤善徳が企画調整委員長兼事務局長となった。なお、この15回大会では、新たに永年勤続者表彰も始まっている。
こうして、岩橋武夫死去後、慣例として国立東京光明寮職員すなわち公務員が引き受けてきた委員長・会長および事務局は、民間を主体とするものに変わった。
板山は、この改革を「国立光明寮長が委員長になるのではなくて、新たにトップにおられた大山さんが会長になられました。そういう役割、意味をもつ日盲社協に変ったと私は思っています。日盲社協が社会的に認められた証といってもよいと思います。国立の視力障害センターの指導から、やっと自立できたということですね」と評している。だが、これにより、日盲社協はその運営に自主性と経営的な視点が厳しく求められるようになったのであった。
なお、昭和41年(1966年)より各部の名称が点字出版部、点字図書館部、厚生援護部、盲人ホーム部、厚生用具部に変更されている。
またこの時期の歴史的な動きとしては、昭和36年(1961年)にわが国初の盲人専用老人ホームである慈母園(生活保護法下の施設)が開設。昭和39年(1964年)には盲人専用の軽費老人ホームとしてわが国初の聖明園(老人福祉法下の施設)が開設。
昭和40年(1965年)に三宅精一が点字ブロックを考案し、昭和42年(1967年)には岡山盲学校近くの横断歩道に世界で初めて敷設した。
昭和40年(1965年)に日本ライトハウスが職業・生活訓練センターを開所し、本格的な視覚障害リハビリテーションを開始。昭和41年(1966年)、日本点字委員会が発足。昭和43年(1968年)には全国盲老人福祉施設連絡協議会が発足している。
第3章 発展期
1.高度経済成長期末と安定成長期の社会福祉
1970年代の初頭、わが国はなおも高度経済成長を続けていた。その一方で昭和45年(1970年)には高齢化率が7%に到達し、「高齢化社会」が到来した。そうしたなか、同年には心身障害者対策基本法(後の障害者基本法)が施行され、心身障害者対策に関する国の責務をはじめとする、心身障害者の福祉に関する施策の基本事項が定められた。
また同年、厚生省は社会福祉施設緊急整備5か年計画を打ち出し、これにより特別養護老人ホームが昭和45年(1970年)の152施設(定員1万1,280人)から5年後の昭和50年(1975年)には539施設(定員4万1,606人)へと拡大するなど、社会福祉施設の大幅な伸びを見た。
昭和48年(1973年)には「福祉元年」と銘打って、高度経済成長の潤沢な税収にまかせて、70歳以上の老人医療費無料化、高額療養費制度の創設、年金の物価スライド制の導入などが行われた。
ところが昭和48年(1973年)と昭和54年(1979年)にはオイルショックが発生し、経済成長が急減速した。また高齢化の進展により医療費が財政を圧迫し始めたため、社会保障制度は修正を迫られる時代に入った。そのため昭和57年(1982年)、老人保健法(後の「後期高齢者医療の確保に関する法律」)が制定され、高齢者に対して少額の自己負担を求めるようになった。そしてその後制定された社会福祉・医療事業団法とともに、福祉八法体制となった。
またオイルショックによる景気の悪化から、身体障害者の雇用に悪影響が見られ始めたため、昭和51年(1976年)、身体障害者雇用促進法が改正され、法定雇用率が努力義務から義務化され、さらに雇用給付金制度も導入された。
一方、昭和51年(1976年)には国連が、5年後の昭和56年(1981年)を「国際障害者年」と宣言した。スローガンは「完全参加と平等」だった。さらに国連は、昭和58年(1983年)から平成4年(1992年)までを「国連・障害者の10年」とするとともに、「障害者に関する世界行動計画」を策定した。こうした動きを受けて、政府は、国際障害者年推進本部を組織するとともに、昭和56年(1981年)、国として初の本格的な長期計画を策定し、障害者施策への取り組みを進めていった。
こうした一連の動きによって、障害のある人もない人も、互いに支え合い、地域で活き活きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す「ノーマライゼーション」の理念が広まっていったのである。
なお、国際障害者年の日本での推進役を担ったのが、当時厚生省社会局更生課長であり、後に日盲社協理事長となる板山賢治であった。板山は後に、国際障害者年のことを、「明治維新を動機づけした『黒船』みたいなもの」と表現し、「遅れていた日本の障害者施策を大きく前進させる動機づけに役立ったといわれております」と述べている。
こうした流れのなか、昭和61年(1986年)、障害基礎年金の制度が始まった。これにより、それまでの障害福祉年金から、年金額が大幅増額となった。
その一方で、同じ年から、身体障害者更生援護施設の費用徴収制度が始まった(老人ホームについては、昭和55年〔1980年〕から費用徴収制度が始まっている)。
昭和62年(1987年)、「社会福祉士及び介護福祉士法」が成立し、福祉系で初めての国家資格が誕生した。
また昭和62年(1987年)、身体障害者雇用促進法は現在に続く「障害者雇用促進法」へと改名され、対象となる障害者の範囲が精神薄弱者(後には知的障害者)、精神障害者を含む障害者全般に拡張された。
以上のように、障害者福祉は他の福祉分野に比べて出遅れがちであったが、国際障害者年をエポックメイクとして、1980年代には経済が安定成長期にあったにもかかわらず、施策の充実を見た。そしてそのことを背景に、日盲社協も順調な発展を続けていった。
2.発展期前期の日盲社協
『日盲社協会報』は、昭和42年(1967年)9月発行の第21号の後、昭和45年(1970年)までの間、発行が滞っている。これは事務局が日本点字図書館に移った際のごたごたによるものであろうが、いずれにしても2年間の日盲社協の様子は不明である。
この間、昭和43年(1968年)の大阪大会、昭和44年(1969年)の京都大会を経た後、昭和45年(1970年)には岐阜県で第18回大会が開かれた。なお、この岐阜大会の時点で、日盲社協の会員は98施設、部会加入数は116となっている。
事務局が日本点字図書館に移った後、資料として残っているなかでは初めての大会である岐阜大会には、詳しい報告書が残されている。少しその内容をのぞいてみると、まず「情報化時代の盲人福祉」という大会テーマが目を引く。やや先走った感のあるこの大会テーマであるが、この年に開かれた大阪万博がわが国の経済成長を象徴する一方で、公害問題などの暗い側面も大きく注目され、大会当事者に工業化社会の限界を予感させたのであろうか。その予感は、その数年後に発生した第1次オイルショックにより、わが国経済も急減速を余儀なくされたことで的中する。これよりかなり後のことにはなるが、パソコンやインターネットの普及により、点字図書館を中心として、日盲社協の会員施設の多くが、視覚障害者に多様なメディアで情報を提供するための施設に変化していく。しかも大会にテーマを設定したのは、この大会が初めてだという。その初めてのテーマに情報化時代の到来を選んだのは、見事というほかあるまい。
またそれまでの大会では、本部事務局が準備を担当し、開催担当施設が協力していたのに対し、この大会では日盲社協、岐阜訓盲協会、岐阜市盲人ホームの三者が主催するという形にし、全国大会事務局を岐阜訓盲協会(通称「愛盲館」)内に置いて、大会の準備運営の一切を担当することにし、さらには岐阜県と岐阜市の身体障害者協会、その他関係団体等の代表者を含めた運営委員会を組織して準備がなされたという。
さらにこの大会では、従来の事業部会に加え、参加者を4つのグループに分け、職員の待遇改善や人材確保、ボランティアの問題、晴盲の関係など、それまでとは異なる切り口で議論が交わされていることも新しい。
このように、岐阜大会の報告は、主催者の熱気が感じられるものとなっており、寺尾から始まった日盲社協の改革は一定の成果があったといえよう。
ただし、これ以降の大会の詳細については、しばらくの間、資料として残されていないので、岐阜大会における新しい芽生えが、その後も続いたのかどうかは定かでない。
さてその後1970年代の日盲社協の動きであるが、昭和46年(1971年)、会長が實本博次に交代した。同じ年、収容施設部会が厚生援護部会から分離し、6部会体制となった。
昭和48年(1973年)、会員は112団体、部会加入施設の合計は139施設となった。
昭和50年(1975年)には事務局が日本点字図書館から日本盲人カナタイプ協会に移っている。
この事務局移動がなぜ行われたかについては明らかではないが、日本盲人カナタイプ協会の創設者松井新二郎は昭和48年(1973年)から日盲社協の副会長に就任していること、同じ年には「録音カナタイプ作業所」を設置し運営を開始していること、昭和51年(1976年)には日本盲人カナタイプ協会を「日本盲人職能開発センター」として社会福祉法人化し、昭和55年(1980年)には東京都新宿区四谷本塩町に新社屋を建設し、通所授産施設「東京ワークショップ」を開設するなど、松井の事業には勢いがあったことなどによるものと推測する。
また昭和50年(1975年)に開かれた第23回の千葉大会で、日盲社協の法人化が決議されており、これを実現するために松井の手腕に期待が集まったのかもしれない。
その日盲社協の法人化であるが、先の千葉大会の翌昭和51年(1976年)には「体質改善に関する特別委員会」を組織し、実現に向けた検討に入った。その結果、事業体を持たない日盲社協独自での認可は不可能であるとし、社会福祉法人杉光会と合併することを前提として法人化をはかるとの結論が出た。
そしてその旨の提案が昭和54年(1979年)に静岡県で開かれた第27回大会で出され、「事務局の強化をはかることと共通の利益を受けるよう執行部は努力すること」を条件に決議された。
かつて盲人の伝統的職業であった鍼・灸・按摩が明治に入り晴眼者に蚕食され始めたことは本稿の冒頭で述べたが、戦後になるとその傾向はますます強くなった。
この問題を放置できなくなった厚生省は昭和33年(1958年)、盲人たちに働く場所を与え更生を促進するため、翌年から毎年数か所ずつ盲人ホームの設置をはかることとした。
これを受けて、甲賀春一らが発起人となり、昭和34年(1959年)に社会福祉法人杉光会の設立認可を受け、東京都台東区に盲人ホーム杉光園を開設した。
この社会福祉法人杉光会が、形の上では日盲社協を吸収合併し、実質的には日盲社協が杉光園を直接経営することによって、そのシナジー効果から事務費などを出そうというのである。
こうして昭和56年(1981年)3月31日、日盲社協は社会福祉法人となった。「国際障害者年」という記念すべき年のことだった。
法人化により日盲社協の所在地は台東区の杉光園内に変わったが、そこは手狭であったためそれまでの日本盲人職能開発センター内の事務所は、日盲社協第2事務所として存続した。
なおこの年、日盲社協は長年の盲人福祉事業の実績が認められ、国際障害者年記念厚生大臣表彰を受けている。
また法人化に向けた検討のさなか、昭和52年(1977年)には会長が角田耕一に交代しており、角田は法人化後には理事長に就任している。
そのほかの発展期前期の大きな動きとしては、昭和46年(1971年)、改正著作権法が施行され、著作物を点字図書にする際、あるいは政令で定められた施設で録音物にする際には、著作権者の許可を得る必要がなくなった。ここで政令で定められた施設とは「盲児施設、失明者更生施設、点字図書館、点字出版施設、盲学校図書館、盲老人ホームであって、国または公共団体の設置したもの、或いは公益法人の設置したものに限る」となっており、社会福祉法人ではない民間の施設や点字図書館ではない一般の公共図書館は、この範囲に含まれていなかった。
またこの時期の動きとしては、そのほかにも昭和45年(1970年)、日本ライトハウスにおいて歩行訓練士の養成を開始。昭和49年(1974年)、日常生活用具給付事業が開始され、テープレコーダー、盲人用時計などが給付の対象となった。昭和52年(1977年)、第1回点字図書館館長会議開催。昭和53年(1978年)、道路交通法改正により盲導犬が法定化。昭和55年(1980年)、日本ライトハウスにおいて、点字編集・自動製版システムが実用化。昭和56年(1981年)には国産初の点字プリンタが発売されるなど、この時期には発展期らしい明るい話題が続いている。
なお、昭和55年(1980年)には「全国盲重複障害者福祉施設研究協議会」が発足している。これは盲重複者を対象とする施設を総合的に規定する法律がなく、それゆえ盲重複者は身体障害者福祉法の施設や精神薄弱者福祉法(現在の知的障害者福祉法)の施設、生活保護法の施設などにばらばらに入所しており、これら施設における盲重複者の共通問題を研究するために結成されたものである。
また昭和56年(1981年)には全国点字図書館協議会(現全国視覚障害者情報提供施設協会〔以下「全視情協」と略記〕)が任意団体として発足している。
この団体は、日盲社協が社会福祉法人化することの副作用として、会員である公立の点字図書館が、日盲社協へ会費を納入することが難しくなったことに対処するための「便法」として設立されたものであった。そのため理事会で承認される際には、同協議会が「日盲社協から分離又は独立するものでなく、日盲社協の点字図書館部会に所属するものであること」を念押ししている。
また同年には国立国会図書館が「点字図書・録音図書全国総合目録」の編纂を開始、全国点字図書館長会議で「点字・録音・拡大資料の相互貸借に関する申し合せ」が決まるなど大きな動きもあった。
さらにこの年には第1回点字指導員資格認定講習会が開催され、法人化後の新事業としての先鞭をつけている。
3.発展期後期の日盲社協
前項で述べたように、国際障害者年と時を同じくして社会福祉法人となった日盲社協は、目論見通り助成金や寄付金が受けられやすくなった。実際、法人化2年目には、日本自転車振興会、丸紅基金、三菱財団、民謡協会、共同募金などから、施設長会議・専門職員研修会、目録・ハンドブックの製作費、杉光園修繕費などの名目で寄付や助成が得られている。
昭和57年度(1982年度)の日盲社協の事業計画をみてみると、こうした財務基盤を背景に、次のような充実した内容となっている。
1.盲人ホーム杉光園の管理運営
(1)入所者の資質及び技能の向上を図り、その自立更生を援助する。
(2)将来杉光園の改築のため、土地については、大蔵省関東財務局に対し、払下げ交渉を、建物については、日本赤十字社東京都支部に対して譲渡交渉を行いその実現をはかる。
(3)当面、建物の老朽化に対しては、修繕を行い、その整備に努める。
2.事業部会および大会の開催
昭和57年度(1982年度)事業部会および第30回全国盲人福祉施設大会を開催する。
3.表彰および顕彰者の推せん
(1)永年勤続施設職員および盲人福祉施設奉仕者(ボランティア)の表彰を行う。
(2)盲人福祉施設関係者または民間協力者の国・地方公共団体等の表彰、褒賞、叙勲の推薦を行う。
4.盲人福祉に関する連絡および助成
(1)盲人福祉ハンドブックを作成
(2)盲人用具総目録を作成
(3)点字図書館ハンドブック(点字版)を作成
(4)盲人更生援護施設職員ハンドブック(点字版)を作成
(5)盲人福祉施設要覧を作成
(6)点字出版図書総合目録を作成
(7)点字出版図書速報を作成
(8)点字地図記号の調査研究
(9)機関紙として『日盲社協情報』を発行
(10)盲人ホームに関する実態調査を実施
(11)日本愛盲シール委員会、日本盲人福祉委員会、国際障害者年日本推進協議会および日本点字委員会に引き続き加盟
5.施設長会議および研修会の開催
(1)施設長会議を各事業部会ごとに開催し、施設の円滑な運営管理をはかる。
(2)盲人福祉施設専門職員研修会を各事業部会ごとに開催し、職員の資質の向上を図り盲人福祉の増進をはかる。
6.講習会の開催
(1)点字指導員資格認定講習会を開催し、点字図書館業務全般の理解と点字指導員の点訳技術の資質の向上をはかる。
(2)録音指導員資格認定講習会を開催し、点字図書館業務全般の理解と録音指導員の録音技術の資質の向上をはかる。
7.調査研究に関する委員会の設置
次の特別委員会を設置し、必要な調査研究を行う。
(1)点字指導法確立委員会
(2)録音に関する委員会
(3)図書館サービス研究委員会
(4)更生援護・収容施設に関する委員会
(5)盲人ホーム運営調査委員会
(6)盲人用具総目録委員会
(7)盲導犬事業に関する委員会
(8)点字地図記号の研究委員会
(9)叙勲等推せん委員会
(10)研修情報センター設立検討委員会
8.陳情、要望および連絡調整
盲人福祉の増進をはかるため、厚生省を始め関係各省庁および国会関係委員会、同議員等に対し、陳情、要望を行うとともにあわせて関係諸団体との連絡調整を行う。
昭和28年(1953年)に設立してしばらくの間の日盲社協は、各部会の要望などを取りまとめ、それを厚生省などにつないでいく役割が大きかった。しかし発展期後半ともなると、上記事業計画に見られるように、各部会が自主的に研修などを行うとともに、それに必要なハンドブックなどを作り、さらには点訳や録音ボランティアを育成するなどのために、指導員の資格認定制度まで用意し始めている。これは自然な流れとはいえ、大きな変化であるといってよいであろう。
なお、ハンドブック類編纂の皮切りとなったのは、昭和53年度(1978年度)に発刊された『盲人福祉ハンドブック』である。
その後、日盲社協は、昭和58年(1983年)5月、東京都から東京都失明者更生館(現東京視覚障害者生活支援センター)の経営を受託した。これについては、すでに日盲連が名乗りをあげていたが、角田耕一理事長が日盲連の村谷昌弘理事長と議論し、最終的に日盲社協が担うことになった。しかしこのことがあって、その後しばらくの間、日盲社協と日盲連はぎくしゃくした関係が続いた。
こうして日盲社協の法人化や東京都失明者更生館の経営受託などに手腕を発揮した角田理事長だったが、昭和61年(1986年)6月、惜しくも急逝した。後を引き継いだのは、松井新二郎であった。なお、日盲社協の機関紙は昭和62年(1987年)から『日盲社協通信』に名称が変わっている。この年の各部会参加施設数は合計で182、内訳は点字出版部会22、点字図書館部会80、更生援護部会38、収容施設部会18、盲人ホーム部会15、盲人用具部会9である。この年、更生援護部会は更生訓練部会に、収容施設部会は生活施設部会に変わった。この部会名の変更は、昭和59年(1984年)に身体障害者福祉法が改正され、「収容させる」という言葉が「入所」に変わったことなどによるものと推測する。
1980年代のその後の動きであるが、特徴的なのは「コンピュータ製版」「点字ワープロ」「パソコン点訳」「目録データベース」などの文字が、機関紙上に少しずつ見られ始めたことである。まさに「情報化時代」の到来である。
特に注目すべきは、昭和63年(1988年)に日本IBMが始めた点訳オンラインサービス「IBMてんやく広場」である。このシステムは、後に運営を日盲社協点字図書館部会特別委員会が引き継ぎ、今日の「視覚障害者情報総合ネットワーク(サピエ)」へと発展している。この意味で、「IBMてんやく広場」が果たした歴史的意義は大きい。
第4章 変革期
1.変革迫られる社会福祉
1990年代、高齢化のスピードは早まり、平成6年(1994年)には全人口の14%が高齢者となる「高齢社会」に突入した。また1980年代のバブル経済は終焉を迎え、その後30年にもおよぶデフレ経済へと移行した。平成2年(1990年)には「老人福祉法等を一部改正する法律」によって福祉八法全体の改正が行われた。
これにより、老人福祉法と身体障害者福祉法で入所措置権限が市町村へ移譲、老人保健福祉計画の策定が義務化、在宅福祉サービスが法定化され第二種社会福祉事業になるなどの大きな変更があり、老人福祉と障害者福祉分野においては在宅福祉サービスと施設サービスが市町村によって一元的・計画的に提供されるようになった。
平成5年(1993年)、心身障害者対策基本法が障害者基本法となり、この改正により精神障害者がはじめて法律で位置づけられた。また同改正により、都道府県と市町村の「障害者計画」策定が努力義務化された(現在は義務)。
平成6年(1994年)、「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(ハートビル法)が制定され、不特定多数の人が利用する建築物等について、高齢者や身体障害者等が円滑に利用できるようバリアフリー化を義務付けた(同法は、平成12年〔2000年〕に成立したいわゆる交通バリアフリー法と合体し、平成18年〔2006年〕、「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」〔バリアフリー新法〕となる)。
なおこの時期、高齢者のゴールドプラン、児童のエンゼルプラン、障害者の障害者プランなど、数値目標を伴うさまざまな計画が策定されている。このうち、障害者分野では平成7年(1995年)、障害者プラン(ノーマライゼーション7か年計画)が策定され、住まいや働く場の確保、社会参加の促進、入所施設の拡充などの重点課題の具体的な数値目標が掲げられた。
2000年代に入ると高齢化はさらに進み、平成19年(2007年)には高齢化率が21%を超える「超高齢社会」となった。こうしたなか、平成12年(2000年)には介護保険法が施行された。それまで高齢者福祉を担ってきた老人福祉法に加え、社会保険制度としての介護保険法を制定することで、国民全てが保険料を負担して超高齢社会に備えたのである。また同年、社会福祉事業法が社会福祉法となり、契約制度などが導入された。
さらに平成20年(2008年)、老人保健法が「後期高齢者医療の確保に関する法律」になり、後期高齢者医療制度が創設された。これら改正により、わが国の福祉は現福祉八法体制、すなわち生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、老人福祉法、母子及び父子並びに寡婦福祉法、社会福祉法、後期高齢者医療の確保に関する法律による体制となった。
障害分野では、平成15年(2003年)、「新障害者プラン(重点施策実施5か年計画)」が制定された。同プランでは、「入所施設は真に必要なものに限定する」と脱施設の方向性が鮮明になり、地域移行が進められるようになった。また同年には支援費制度が始まり、障害分野でも措置制度から利用者が受けたいサービスを選ぶ契約制度に変わった。
これにより、社会福祉法人が競争市場に投げ出されることとなり、従来とは異なる経営視点が求められるようになった。
平成16年(2004年)、障害者基本法が改正され、「障害者差別の禁止」がうたわれるとともに、都道府県障害者計画が義務化、市町村障害者計画は平成19年(2007年)から義務化された。
平成18年(2006年)、障害者自立支援法(後の「障害者総合支援法」)が施行され、身体、知的、精神が一元化されるとともに、障害程度区分によって統一的にサービスが受けられるようになった。また安定的な財源確保のため、国が費用の半分を負担する仕組みや利用者がサービス量に応じて一定額を負担する仕組みも作られた。
同年には国連で障害者権利条約が採択され、日本は翌年に署名した。そのため、この後の障害者政策においては、同条約の批准に向けて法整備を進めていくことになる。
平成22年(2010年)、障害者自立支援法が改正され、1割負担の応益負担を残しながらも、上限額を引き下げることで実質的な応能負担へ変更になった。また同改正により、翌平成23年(2011年)より同行援護が始まった。
平成23年(2011年)、障害者虐待防止法が成立し、障害者虐待を発見した者に通報義務を課すなどが定められた。また同年、障害者基本法が改正された。同改正では、「障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの」を「社会的障壁」とし、この「社会的障壁」の除去について、「合理的配慮」が義務付けられた。
平成24年(2012年)、障害者総合支援法が成立し、3障害に加えて難病も支援対象となるとともに、障害程度区分は障害支援区分へと変わった。平成25年(2013年)、障害者差別解消法が成立し、「不当な差別的取扱いの禁止」と「合理的配慮の提供」を定めた。そしてこれら一連の法改正により、平成26年(2014年)、日本は障害者権利条約を批准した。
以上のように、1990年代以降、高齢化の進展と障害者権利条約の批准という内外の動きによって、福祉政策はめまぐるしく変化した。それに伴い、日盲社協の会員施設も、否応のない変革を迫られていくことになる。
2.変革期前期の日盲社協
変革期にさしかかった平成2年(1990年)の前後、日盲社協の経営を担ったのは松井新二郎だった。
松井理事長の時代に特徴的なのは「国際交流」という言葉が機関紙の随所に見られるようになったことである。全国盲人福祉施設大会の大会決議のなかにも、「盲人福祉に関する国際交流を深め、さらに発展途上国の援護の促進を図られたい」との文言が見られ始めている。これはおそらく、昭和56年(1981年)の国際障害者年およびその後に続いた「国連・障害者の10年」によって、わが国の障害者施策が大きく進んだ現実を目の当たりにして、国際交流の重要性を再確認したためであろう。
板山賢治がいうように、国際障害者年はわが国の障害者施策にとってまさに「黒船」だったのである。
なお、平成4年(1992年)、「更生訓練部会」が「リハビリテーション部会」に名称変更している。また同年、盲導犬訓練施設専門職員の養成研修が始まった。平成7年(1995年)には、音訳指導員資格認定講習会も始まっている。
9年にわたり日盲社協の理事長を務めた松井新次郎だったが、平成7年(1995年)3月、急逝した。後を引き継いだのは板山賢治であった。この年、参加施設数は207で、内訳は点字出版部会29、点字図書館部会90、リハビリテーション部会44、生活施設部会17、盲人ホーム部会15、盲人用具部会12であった。
板山は、理事長に就任するとすぐさま「行動する日盲社協」というスローガンを宣言し、1990年代を通じて変貌しつつあった障害者施策への対応を急いだ。また板山は、日盲社協の運営はなるべく当事者主体で行ってほしいとの考えから、本間昭雄(現名誉会長)を常務理事に据えた。板山の時代には、東京都失明者更生館をめぐってぎくしゃくしていた日盲連との関係を修復した。
また、芸術文化祭「愛・EYEフェスティバル」を開催し、視覚障害者の文化・芸術分野に世間の目を向けさせた。なお、平成8年(1996年)には、日盲社協の第2事務所が東京都失明者更生館内に移っている。これは松井新二郎の逝去を受けてのものであろう。
平成9年(1997年)、リハビリテーション部会の授産施設と三療師養成施設が盲人ホーム部会に合流し、作業・三療部会になった。これは、「盲人ホームを身体障害者通所授産施設として位置付ける」という第44回大会決議を具現化させるためのものであった。
平成10年(1998年)4月2日、厚生省通知「授産科目として三療(あん摩、鍼、灸)を対象とすることについて」が出され、盲人ホームを授産施設に位置づけることが可能となった。これは、長年にわたる盲人ホーム部会の懸案が、一応の決着を見たものである。
また平成10年(1998年)4月、東京都失明者更生館は東京都視覚障害者生活支援センターに名称が変更された。
平成11年(1999年)4月、板山理事長は会長に退き、本間昭雄が理事長となった。
本間は、「和」を重んじることを日盲社協の方針とした。それぞれの部会は同業者の集まりであり、本来ならば他の事業者の先進的な取り組みや良いところを参考にし、自分の事業に反映させるべきものであり、それこそが日盲社協に参加しているメリットである。ところが、ややもすると会員同士が足の引っぱりあいをし、それが日盲社協の組織力を弱めていた。本間は、そのような日盲社協の実情を何とかしたいと思い、在任10年の間、会員相互の融和を説き続けたのであった。
平成13年度(2001年度)からは専門部を設けた。これは、従来の事業部会が縦割りで運営されてきたことの弊害に鑑み、組織横断的な部門を設けて日盲社協全体の課題を解決しようとするもので、組織部、財政部、広報部の3部が設置された。なお平成17年(2005年)には、本部事務所が新宿区住吉町に移転している。
本間理事長の時代には、平成13年(2001年)1月28日に第1回点字技能検定試験が実施されたことが大きい。
同試験は、点字に関する卓越した知識・技術を有する方に対して資格を付与することにより、点字関係職種の専門性と社会的認知度を高め、あわせて点字の普及と点字の質の向上をはかることを目的としており、今日まで続いている。
同試験は平成16年度(2004年度)からは厚労省認定の社内検定試験となった。また平成17年(2005年)、作業・三療部会は「就労支援部会」に名称が変わっている。
変革期前期には、各部門の動きも激しい。平成2年(1990年)に行われた福祉八法改正では、前述のごとく老人福祉および身体障害者福祉の措置権限が市町村に移行したことが大きいが、そのほかにも従来の「点字図書館」が拡張され「視聴覚障害者情報提供施設」という枠組みに変わったことも目を引く。
これにより、点字出版施設が身体障害者福祉法に明確に規定された。さらに同年には厚生省社会局長通達「視聴覚障害者情報提供施設等の設備及び運営について」が出され、点字出版施設についても設備および運営の基準が定められた。
またこのことを背景に、平成4年(1992年)、点字図書が日常生活用具給付事業の対象となった。これらは長年点字出版部会が要望してきたことであり、大きな変化だったであろう。しかしながら、先の法改正は点字出版部会には大きなメリットをもたらさなかったのか、機関紙上には法改正を好感する記事は見つからなかった。また点字図書給付事業についても、手続きが煩雑であることなどの批判があった。
その一方で、日盲社協点字図書館部会、全国点字図書館協議会は世の中の情報化・IT化ともあいまって、先の法改正の好機をうまくとらえた。
平成8年(1996年)、「全国点字図書館協議会」は「全国視覚障害者情報提供施設協議会」となり、翌年、日盲社協の「点字図書館部会」は「情報サービス部会」に名称が変更された。
これより前の平成5年(1993年)4月には、点字図書館部会はIBMてんやく広場を「特別委員会」として吸収するとともに、早い段階から全国の点字図書館のネットワーク化を模索していた。
1990年代後半になると、デイジー図書の出現(平成10年〔1998年〕4月、シナノケンシより「プレクストーク」の発売開始。同年度の補正予算で、各点字図書館などにプレクストークが配備される)や各家庭へのインターネット接続の普及などの追い風もあり、日盲社協情報サービス部会、そして全国視覚障害者情報提供施設協議会は、てんやく広場を中核に、各種ネットワークの統合化を進め、厚生省がもくろんだ「視聴覚障害者情報提供施設」のイメージを少しずつ具現化していったのである。
なお、全国視覚障害者情報提供施設協議会は、平成11年(1999年)に「全国視覚障害者情報提供施設協会」に名称を変え、平成13年(2001年)には特定非営利活動法人となっている。
2000年代に入ると、点字出版部会は新たな方向性を模索し始めた。その一つが点字サインの問題である。
平成6年(1994年)のハートビル法の制定などにより、点字を知らない新規参入業者が増え、点字サインなどに間違った点字表記法や不統一な設置法のものが目立ち始めた。このため、平成12年(2000年)より点字出版部会が点字サイン標準化のための委員会を設置し、検討を重ね、政府に働きかけを行った。その結果、平成18年(2006年)3月、「高齢者・障害者配慮設計指針 ― 点字の表示原則及び点字表示方法 ― 公共施設・設備」(JIS T 0921:2006)が制定された。
また平成19年(2007年)3月には「高齢者・障害者配慮設計指針 ― 触知案内図の情報内容及び形状並びにその表示方法」(JIS T 0922:2007)が制定されるなど大きな成果を上げた。
点字出版部会のもう一つの方向性は、選挙公報の点字化である。これについては従来から一部地方選挙などで行われていたが、これを国政選挙に拡大しようとしたのである。
その結果、平成16年(2004年)7月に行われた参議院選挙の際、「選挙情報支援プロジェクト」を組織して全国19の選挙管理委員会より注文を受け、1万部の選挙公報完全点訳版「選挙のお知らせ」を発行した。以後、この取り組みは「選挙のお知らせ全文音声版」、さらにその後は拡大文字版へと広がった。
一方、比較的静穏であった生活施設部会の盲老人ホームにも2000年代に入ると介護保険法の施行を皮切りに激動の時代が訪れた。平成17年(2005年)には老人福祉法が改正され、養護老人ホームの入所要件が「環境上の理由及び経済的理由により居宅において養護を受けることが困難なもの」とされ、「身体上若しくは精神上」の規定が外された。
加えて平成18年(2006年)に行われた三位一体の改革とあいまって、財政基盤の弱い自治体では措置控えの傾向が現れ始め、多くの盲養護老人ホームでは定員割れを見せ始めた。
その後平成18年(2006年)の介護保険法改正により、養護老人ホーム入所者が介護保険のサービスを利用できるようになるとともに、養護老人ホームが外部サービス利用型特定施設入居者生活介護の指定を受けることができるようになった。
また、平成18年(2006年)に施行された障害者自立支援法では、身体障害のほかに知的障害や精神障害を含めた一元的な福祉サービスを規定するとともに、利用者負担を応益負担とし、さらには施設の体系が見直されるなどかつてない大きな変化であった。そのため、関係するリハビリテーション部会、就労支援部会、生活施設部会などの各施設では、これらの変化への対応に苦しんだ。
そのほかの変革期前期の動きとしては、平成5年(1993年)、日常用具給付事業に拡大読書器が加わった。
平成12年(2000年)に成立したいわゆる社会福祉基礎構造改革により、盲導犬訓練施設が身体障害者福祉法上の法定施設となった。
平成14年(2002年)、身体障害者補助犬法が成立した。
平成13年(2001年)、点字ブロックのJIS規格である「視覚障害者誘導用ブロック等の突起の形状・寸法及びその配列」(JIS T9251)が制定された。
平成18年(2006年)、盲人用具部会はサイトワールドを企画し、第1回を開催した。
3.変革期後期の日盲社協
平成21年(2009年)、本間昭雄は名誉会長となり、茂木幹央が理事長となった。茂木理事長の下、常務理事が1名増員され3名となり、「杉光園改築委員会」という新しい委員会が誕生した。
東京都台東区にある杉光園は、昭和9年(1934年)に建築された木造モルタル造りの2階建てで、老朽化が激しく耐震上も問題であった。茂木理事長はこの杉光園の建物を建て替え、盲人ホームと日盲社協本部の事務所機能を備えたものにすることを考えた。
そして日盲社協が東京都杉並区に所有する土地を処分し、茂木理事長自らも私費1800万円余りを投入するなどして資金の目途を得、平成23年(2011年)3月、東京都台東区の杉光園の敷地に鉄骨造り5階建て、建坪182.45㎡の建物が完成した。
名称は「日盲社協会館」とした。また茂木理事長の時代には、平成21年(2009年)が点字の発明者ルイ・ブライユの生誕200年および日本点字の考案者石川倉次の生誕150年にあたることから、11月1日の点字制定記念日にイベントが行われ、日盲社協も「点字の資料展」を開催した。
また平成22年(2010年)には、東京都視覚障害者生活支援センターのサービス内容も先の障害者自立支援法に対応すべく見直され、入所を廃止して通所のみとし、従来の機能訓練に新たに就労移行支援を加えた多機能型事業所となった。
同年、リハビリテーション部会と就労支援部会が統合し、自立支援施設部会となった。これにより、部会数は5つとなった。さらにこの年には、従来の「ないーぶネット」と「びぶりおネット」を統合しさらに機能を強化した視覚障害者情報総合ネットワーク(サピエ)も運用を開始している。なお、これら情報提供システムの実現には、それまで何度か繰り返されてきた著作権法の改正の寄与も大きい。
平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災が発生し、東北および関東地方に未曽有の被害をもたらした。多くの視覚障害者が被災するとともに、日盲社協会員施設も被害を受けた。一部の施設は避難所となり、業務も一時停止した。
視覚障害者関係としては、日盲委が中心となり災害対策本部を立ち上げ、災害時にはとかく見過ごされがちになる視覚障害者に救援の手を差し伸べた。また日盲社協単独の義援金の募集も行った。
この震災の年、理事長が髙橋秀治に代わった。同じ年には障害者自立支援法が一部改正され、同行援護が全国一律の福祉サービスとなった。
平成25年(2013年)には障害者総合支援法が施行された。さらには福祉事業への株式会社の参入にともなう「イコールフッティング」の議論が始まり、平成19年(2017年)には社会福祉法人に組織ガバナンスの強化や地域における公益的な取り組みなどを求めた改正社会福祉法が全面施行された。
これらにより、会員施設は度重なる圧力にさらされて対応に追われた。平成27年(2015年)5月、日盲社協の本部事業の一つとして、同行援護事業「レッツゴー事業所」が始まった。しかしこの事業は、残念ながら平成30年(2018年)11月をもって撤退することになる。
平成29年(2017年)4月から、東京都視覚障害者生活支援センターは東京都の指定管理を離れ、日盲社協に民間移譲され、名称も「東京視覚障害者生活支援センター」となった。これにより、同センターの収入は利用者の数に左右され、難しい舵取りが求められるようになった。
平成31年(2019年)、理事長が舛尾政美に代わった。この年の7月2日、厚労省通知「養護老人ホームにおける契約入所及び地域における公益的な取組の促進について」が出された。
これは、自治体の措置控えにより年々経営が難しくなってきた養護老人ホームについて、実は定員の20%までは自由契約による入所が可能であるとする古い通達が存在し、これについて各自治体に再確認をうながすものであり、措置控え問題について何年もの間生活施設部会が要望してきたことに対する厚労省からの一つの回答であった。
翌令和2年(2020年)には新型コロナウイルスの感染拡大が始まった。そのため、この年に予定されていた第68回大会(滋賀大会)は中止を余儀なくされた。また各部会の研修会などものきなみ中止となるとともに、特に通所系では事業継続に大きな困難を生じた。
令和3年(2021年)、理事長が長岡雄一に代わった。この年の大会は、11月、東京視覚障害者生活支援センターを配信会場にオンラインで行われた。それから2年、新型コロナウイルスは大きな波を繰り返しながら鎮静化し、感染症法上の5類扱いとなった。そのため日盲社協会員施設も少しずつその後遺症から抜け出しつつある。
また令和5年(2023年)4月から、盲老人ホーム入所者の同行援護サービスおよび補装具・日常生活用具の支給について、居住地特例が適用されるようになったことも明るい知らせである。
終章
以上、日盲社協の70年のあゆみを駆け足でみてきた。そこには、ときに福祉拡大の波に乗り、またときに福祉見直しの荒波に翻弄されながら、視覚障害当事者により良いサービスを提供しようとする、会員施設とその総合体としての日盲社協の地道で粘り強い活動があった。
筆者は、福祉の必要のない社会こそが理想だと思っているが、当分そのような社会はやってきそうにない。ユニバーサルデザインが浸透し、iPhoneのボイスオーバーに代表されるような、製品そのものに最初から支援機能が備わることは、視覚障害者にとってこの上ない恩恵であろう。
ただ、どんなに製品や制度が進歩したとしても、そこには必ずそれが届かない、あるいは活用できていない人がいるものである。筆者の肌感覚では、障害者福祉の制度を活用できている人はせいぜい2割ほどであると思える。残りの8割の障害者には、必要なものがまだ届いていないのである。
そういうところにも、長岡理事長が提唱する「連携」の行先があると思える。日盲社協に課せられた使命は、今後とも大きいといえよう。
資料・文献リスト
資料
中央盲人福祉協会『盲導犬の訓練と歴史』中央盲人福祉協会(1940)
岩橋武夫「巻頭言 秋の論題3つ」『黎明』(165)、1-5(1952a)
岩橋武夫「巻頭言 日本盲人社会福祉施設連絡協議会の誕生」『黎明』(166)、1-6(1952b)
「日本盲人社会福祉施設協議会規約」(年月日不明)
編集責任者中島俊一『社団法人大阪盲人福祉協会 三十年史』大阪盲人福祉協会(1962)
「日本盲人社会福祉施設 規約並びに会則」(1967)
京都ライトハウス20年史編集委員会『京都ライトハウス20年史』京都ライトハウス20年史編集委員会(1984)
10周年記念誌編集委員会『新しき第一歩:創立七十周年記念誌』社会福祉法人東京光の家(1990)
日本盲人社会福祉施設協議会・創立50周年記念誌編集委員会『社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会 創立50周年記念誌』日本盲人社会福祉施設協議会(2003)
編集人福山博『視覚障害者とともに 創基80周年/設立70周年 東京ヘレン・ケラー協会のあゆみ』東京ヘレン・ケラー協会(2020)
文献
厚生省50年史編集委員会編『厚生省50年史』厚生問題研究会(1988)
松井新二郎『指さきの目 オプタコン』日本盲人職能開発センター(1990)
日本点字図書館50年史編集委員会『日本点字図書館50年史』日本点字図書館(1994)
眞野哲夫編集『点字毎日創刊80周年記念出版 激動の80年』毎日新聞社(2002)
本間律子「第4章 ルイ・ブライユ-点字の父-」『人物でよむ西洋社会福祉のあゆみ』ミネルヴァ書房、46-52(2013)
本間律子「日本最初の盲人専用軽費老人ホーム「聖明園」の設立過程 創立者本間昭雄の視点から」『社会福祉学』56(3)、14-28(2015)
本間律子「常盤勝憲と日本最初の盲人専用老人ホーム」『福祉にとっての歴史歴史にとっての福祉 人物で見る福祉の思想』ミネルヴァ書房、219-43(2017)
本間律子『盲人の職業的自立への歩み』関西学院大学出版会(2017)
本間律子「点字ブロックの誕生-三宅精一と岩橋英行の友情物語-」『慈愛と福祉 岡山の先駆者たち2』吉備出版、206-47(2020)
本間律子『岩橋武夫が日本の障害者福祉の発展に果たした役割と今日に残した遺産』『温故叢誌』(76)、51-5(2022)
厚生労働省「厚生白書」、「厚生労働白書」
(https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/old.html)(2023/4/1)
日本法令索引「国会会議録検索システム」(https://kokkai.ndl.go.jp/#/)(2023/5/1)
日本点字図書館「日本点字図書館の歴史」
(https://www.nittento.or.jp/about/history/honma.html)(2023/5/10)
日本視覚障害者職能開発センター「沿革」(https://www.jvdcb.jp/about/history/)(2023/5/15)
注
1)本稿では、視覚に障害のある人に関する歴史的な事象を表現したり、それをもとに論証したりする際、視覚に障害のある人を指す用語として「盲人」を用いる。これは、引用文中や組織の名称に「盲人」が多用されているためである。
2)「障害」という表記については、「害」の字を嫌う向きもあるが、本稿では歴史的事象を扱っているため、法律用語としての「障害」に統一した。
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「選挙情報」事始め―点字出版部会が「点字選挙公報」製作を開始するまで―
参与/視覚障害者支援総合センター創設者 髙橋實(タカハシミノル)
日本盲人福祉委員会(日盲委)の視覚障害者選挙情報支援プロジェクト(以下、選挙プロジェクト)は、日盲社協と連携して、全国の視覚障害有権者の選挙権行使を支援するために、点字、録音および拡大文字等による選挙公報(選挙のお知らせ)を発行する事業である。
この選挙プロジェクト点字版は日盲社協点字出版部会が、録音版は同情報サービス部会が担当しており、現在、国政選挙において全国展開している。しかし、ここに至るまでには紆余曲折と先人達のなみなみならぬ尽力があった。
本来この一文を草するのは、私の後任の点字出版部会長として選挙プロジェクトに至る実務を果たし、その後、日盲社協常務理事や理事長を歴任した髙橋秀治氏が適任である。だが、同氏は残念ながら病のため担当できそうにない。そこで、老体に鞭打って筆者が、同氏が過去に残した草稿に手を加えて、最後の務めを果たそうと思う。
不十分な選挙情報保障
日本国憲法第21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定しているが、この中には知る権利も含まれている。
そこで国民が選挙権を行使して、1票を投ずるに当たって、候補者の政策等を知るために、公職選挙法第167条1項では、「衆議院(小選挙区選出)議員、参議院(選挙区選出)議員又は都道府県知事の選挙においては、都道府県の選挙管理委員会(選管)は、公職の候補者の氏名、経歴、政見等を掲載した選挙公報を、選挙ごとに、一回発行しなければならない」と規定している。
だが、視覚障害有権者は、過去には最低限の選挙情報さえ点字や音声等で提供されてこなかったため、投票に当たっての十分な情報が与えられないまま1票を投ずるしかなかった。このため笑うに笑えない過誤も発生した。
昭和37年(1962年)7月1日に行われた第6回参議院議員通常選挙に際して日本盲人会連合(日盲連、現日本視覚障害者団体連合)は、全国区(当時)に自由民主党から立候補した江藤智(エトウアキラ)参議院議員を推薦した。
ところが、茨城県の投票所において「イトウ」と点字で書いた票が大量に投じられたので、当時、点字投票の開票を担当した盲学校の教員らは、この事態をとても深刻にとらえた。というのは、茨城県では「エ」と「イ」がしばしば逆転するので、「エトウ」氏に投票するつもりで、多くの視覚障害有権者が「イトウ」と点字投票したのではないかと考えたのだ。
実際に同選挙の全国区には結局落選したが、伊藤義賢(イトウギケン)(仏教民和党総裁)という泡沫候補が立候補しており、点字で「イトウ」と書いたなら同氏の票になったはずである。
なお、同選挙で伊藤氏は落選し、江藤智氏は当選した。
点字投票実現運動
点字による投票が有効であることは、大正14年(1925年)に制定された成年男子による普通選挙を規定する法律である衆議院議員選挙法第28条に、「投票ニ關スル記載ニ付テハ勅令ヲ以テ定ムル點字ハ之ヲ文字ト看做ス」と規定されたことによる。そして、昭和3年(1928年)2月20日に執行された第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙)から点字投票が実施されたが、それまでには先人達のたゆまぬ努力があった。
例えば、大正12年(1923年)12月、愛知県において愛知県盲人点字投票有効期成連盟が結成され、その後名古屋市で、尾崎行雄など多数の代議士を迎え、2万人規模で東海普選民衆大会を開き、「盲人の点字投票を認めよ」との大会決議が採択された。また『点字大阪毎日』(現『点字毎日』)の編集長であった中村京太郎は、紙面でこの運動を大きく取り上げるとともに、盲人団体の大集会を開催するなど点字投票公認に向けて活躍した。
公的保障のない点字選挙公報
選挙権行使のためには、立候補者の政見を知る必要があるが、それがなければ、投票権は有名無実となる。この選挙公報の発行について、現在の公職選挙法第167条①には次の記述がある。
「衆議院(小選挙区選出)議員、参議院(選挙区選出)議員又は都道府県知事の選挙においては、都道府県の選挙管理委員会は、公職の候補者の氏名、経歴、政見等を掲載した選挙公報を、選挙ごとに、一回発行しなければならない」。
だが、「点字による選挙公報発行」の記述はどこにもない。ただ、すべての選管が点字選挙公報を避けていたわけではない。先に述べた「イトウ」との過誤投票疑惑があった翌年、昭和38年(1963年)11月の衆院選から『点字毎日号外 選挙のお知らせ』を発行した。
これは立候補者の氏名等最低限の情報を点字で提供するなら、第6回参議院議員通常選挙におけるような勘違い投票はあり得ないという考えからであった。
このため内容は選挙公報全文掲載ではなく、「選挙名鑑」という立候補者1人の情報量は点字で5、6行の簡略版だった。これを選管が買い上げて視覚障害有権者に配布したが、その法的な根拠は、公職選挙法第6条の「選挙に関する啓発、周知等」という条文である。
この『点字毎日号外 選挙のお知らせ』は、点字毎日の東京移転が中止になったため、その点字印刷設備を受け継いだ東京ヘレン・ケラー協会点字出版局(現点字出版所)が昭和43年(1968年)の第8回参議院選挙から引き継いで発行することになった。そして昭和45年(1970年)に『点字ジャーナル』が創刊されると、『点字ジャーナル号外 選挙のお知らせ』として発行された。
進まぬ全文点訳版選挙公報
点字による「選挙のお知らせ」が普及するなかで、選挙公報の全文点訳版も少しずつ増えてきた。平成2年(1990年)の衆院選で選挙公報の全文点訳版を発行したのは、京都、神奈川、滋賀、奈良、高知、佐賀、宮崎の7府県だった。
その後、選挙情報としての簡略版の広がりはあったが、選挙公報の全文点訳版発行は、なかなか全国に広がらなかった。
日盲連は毎年の全国大会決議のなかに「国は責任を持って点字選挙公報を発行せよ」との項目を入れていた。しかし、交渉のなかで明らかになった国や選管の見解は次の通りであった。
(1)点字選挙公報を発行してよいという法律がない。
(2)公報は、候補者の墨字原稿をそのまま印刷するものだが、点字にすると字数がオーバーする。
(3)漢字仮名交じり文を点訳すると、同音異義語や難しい言葉が続くと候補者の意志が正しく伝えられなくなり、結果次第では不公平になったり、選挙違反の恐れが出てくる。
(4)点字公報の配布対象が把握しにくく、配布漏れがあれば、点字使用者に不平等を招く。
このほか、公報の全文点訳版の発行が困難な理由として、(a)予算がない、(b)公示から投票日までの時間が少ない、(c)選挙公報を点訳する出版施設が少ない、(d)各選管の姿勢の問題、などが指摘された。
全国規模のアンケート調査
平成12年(2000年)4月当時、筆者は点字出版部会の部会長をしていたので、全国748選挙管理委員会にアンケート調査を実施することを提案し、69%の選管から回答を得た。
その結果は、(a)技術的に無理、
(b)公平性に難がある、(c)利用者の希望がない、(d)広報のテープ版に載せた、(e)配布方法が困難、という極めて消極的なものであった。
これを受けて点字出版部会は、平成14年(2002年)6月に、点字選挙公報の発行実現に向けて本格的に取り組むための「選挙情報ワーキンググループ」を設け、職員研修会などで「選挙公報問題」を取り上げ、翌年5月に88点字図書館と29点字出版所に選挙情報についてのアンケート調査を実施した。
回収率は点字図書館73%、点字出版所69%で、国政選挙を手がけている点字図書館は16施設、点字出版所は8施設に過ぎなかった。
だが、選挙公報点字版・録音版製作への今後の取り組みについては、「点字版製作に積極的にかかわりたい」20点字図書館・19点字出版所、「録音版製作に積極的にかかわりたい」14点字図書館・2点字出版所、「やれそうなものから取り組みたい」17点字図書館・6点字出版所、「単独では無理だが共同製作なら参加したい」5点字図書館・5点字出版所と、多くの施設が意欲を示した。
選挙プロジェクトの発足
点字出版部会ワーキンググループは、平成16年(2004年)7月11日執行の第20回参議院議員通常選挙から選挙公報の全文点訳版を発行するために、次のような体制を作ることにした。
(1)短期間で大量の点字選挙公報を発行するのは、大きな施設でも単独では不可能なので、目的を同じくする施設同士が共同製作体制を作る。
(2)平成16年(2004)3月、点字出版部会18施設と日盲連点字出版所により、選挙プロジェクトを発足させ、日盲連、日盲社協、全国盲学校長会で構成する日盲委の傘下で活動する。
(3)選挙公報の点訳版発行が、公職選挙法第148条(注)に基づき報道・評論の一環として認められているので、毎日新聞社の理解を得て、題字を『点字毎日号外 選挙のお知らせ』とする。
こうして『参議院比例代表選出議員選挙 選挙公報』の全文点訳版発行に取り組んだが、選管の買い上げは全体の2割弱(9,265部)であった。
続く平成17年(2005年)9月11日執行の第44回衆議院議員総選挙でも、選挙公報全文点訳版発行の普及に努め、あわせて第20回最高裁判所裁判官国民審査の『審査公報』全文点訳版発行も行い、『衆議院比例代表選出議員選挙(北海道・東北・北関東・南関東・東京・北陸信越・東海・近畿・中国・四国・九州選挙区)選挙公報』の全文点訳版を買い上げた選管は全体の半数に迫り(2万2千部)、『最高裁判所裁判官国民審査公報』は1万5千部に達し、国政選挙での選挙公報全文点訳版発行の流れを確かなものとした。そして同年の6月、「選挙のお知らせ」では全文点訳版・簡略点訳版とも長い経験を持つ東京ヘレン・ケラー協会点字出版所が選挙プロジェクトへの参加を表明し、ここに点字出版界は一つにまとまった。
平成19年(2007年)の参院選において、選挙プロジェクトは21施設で「点字版選挙公報」製作にあたり、「比例代表」と「選挙区」の全文点訳版を発行した。
(注)公職選挙法第148条(新聞紙、雑誌の報道及び評論等の自由)には次の様な記述がある。
「この法律に定めるところの選挙運動の制限に関する規定(第百三十八条の三の規定を除く)は、新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載するの自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない。
2 新聞紙又は雑誌の販売を業とする者は、前項に規定する新聞紙又は雑誌を、通常の方法(選挙運動の期間中及び選挙の当日において、定期購読者以外の者に対して頒布する新聞紙又は雑誌については、有償でする場合に限る)で頒布し又は都道府県の選挙管理委員会の指定する場所に掲示することができる。
3 前二項の規定の適用について新聞紙又は雑誌とは、選挙運動の期間中及び選挙の当日に限り、次に掲げるものをいう。ただし、点字新聞紙については、第一号ロの規定(同号ハ及び第二号中第一号ロに係る部分を含む)は、適用しない。(以下略)」
選挙公報点字表記委員会
平成21年(2009年)の衆院選を含め選挙プロジェクトは4回の国政選挙を手がけた。当初は、誤りなく投票日に間に合うように製作することに集中したが、その後、しばしば点字表記が持つ独特の性格と、基本的には「墨字原文のまま」を求める公報の性格をどう調整するかという難問を、最終校正を担当する点字毎日が提起した。
そこで選挙プロジェクト事務局は、これらについて検討する委員を加盟施設から選んで、選挙公報点字表記委員会(渡辺昭一委員長)を発足させ、次回国政選挙までに答申するよう委託した。
第1回委員会の検討事項は、(a)点字表記上の諸問題の解決、(b)各点訳担当施設等と点字毎日との連絡・調整の方法について手順の確立、(c)委員会での合意事項を選挙プロジェクト全施設に確実に伝達し次回作業に臨むために「研修会」を開催する、(d)委員会の成果の事後検証の必要性について、であった。
選挙公報点字表記委員会は平成21年(2009年)12月11日から平成22年(2010年)4月7日まで計5回の委員会を開き、熱心な討議の末に4月15日、当時の日盲委笹川吉彦理事長に答申し、一旦解散した。
そして、平成22年(2010年)7月11日執行の参議院議員通常選挙を目前に控えた研修会では、同委員会の元委員が、答申内容を選挙プロジェクト参加施設等に伝えた。
ところが同参院選において、選挙プロジェクト参加施設以外の施設等が作製した選挙公報について、点検の必要性が生じ、元委員に呼びかけて点検作業を行った上で、10月2日にまとめの会議を開いた。この会議の席上、選挙プロジェクト事務局から委員会の常設化が提起され委員就任が委嘱された。
こうしてその後、点字表記に関する問題が生じたときは、前述したような検討が選挙公報点字表記委員会において繰り返され、点字表記の難問は、一つずつ解消されつつある。
選挙プロジェクトの実績
点字選挙公報の発行部数は、選挙プロジェクトに加盟していない地域の点字図書館や視覚障害者協会が選管の依頼を受けて独自に発行した部数と選挙プロジェクト製作数を合計すると、全国で5万部を超えた。また、かねてより利用者から選挙公報の音声版発行を望む声があったが、音声版と拡大文字版(音声コード付き)は平成19年(2007年)の参院選から実現した。
平成21年(2009年)の衆院選における選挙公報音声版の製作数は比例区1万5,428巻、国民審査1万3,679巻、拡大文字版は比例区2,285部、国民審査1,825部であった。同点字版は比例区3万8,597部、小選挙区3万5,023部、国民審査3万8,380部であった。
31万5千人といわれる視覚障害人口に比して、これらの配布数は少な過ぎるが、その背景には点字使用有権者名簿が整えられていないという事情がある。
選挙公報の点字による表現はいろいろな問題点を明らかにするが、私たちは一応の到達点に立って、今後も全国各地域で独自に製作してきた組織とさらに連携を強めて、視覚障害有権者の選挙権行使を支援するべきだと考えている。(視覚障害者支援総合センター元理事長)
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五部会と二運営施設の活動
点字出版部会:25施設
情報サービス部会:85施設
自立支援施設部会:51施設(日盲社協が運営する下記2施設を含む)
生活施設部会:19施設
盲人用具部会:18施設
盲人ホーム 杉光園
東京視覚障害者生活支援センター
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点字出版部会の活動
理事・点字出版部会長 肥後正幸(ヒゴマサユキ)
日本点字は明治23年(1890年)に制定されたが、当時は読むべき点字図書がほとんどなかった。そこで各地で盲学校卒業生が中心となり、手探りで点字出版を開始した。このため点字出版は視覚障害関係事業のなかでは100年以上という、最も長い歴史を誇っている。
昭和28年(1953年)に設立された日盲社協においても点字出版部会は、設立当初から積極的に点字文化の普及と視覚障害者への情報提供、社会参加に寄与してきた。
現在、わが点字出版部会には社会福祉法人を中心に全国25施設が加盟しており、さまざまな点字出版物を発行して視覚障害者へ提供している。
そのため点字出版部会では、「点字出版図書データベース」を構築して『点字図書出版速報』『点字出版図書総合目録』を発行している。
また、視覚障害者への行政情報提供が、地域によって大きな格差があるので、自治体広報紙誌の点字版を発行していない自治体に対して、普及に向けての啓発活動を行っている。
毎年、点字出版等の質を高めるためと、人事交流を目的として職員研修会を開催している。
また、点字出版部会の事業を決定するために、事業部会も開催している。
そのほかに点字出版部会は、以下の事業を実施している。
点字図書給付事業
視覚障害者にとって点字図書は必要不可欠なものであるにもかかわらず、一般の墨字図書と比べると非常に高価になる。そこで、行政によるその価格差の補償が要望されてきた。
そして平成4年(1992年)から点字図書給付事業(価格差補償制度)が制定され、厚生省(現厚生労働省)と地方自治体からの補助により、点字図書が墨字原本と同一価格で購入できることになり平成18年(2006年)まで実施された。
その後、点字図書の購入に対する公費助成は、「日常生活用具給付等事業」に位置づけられ障害者総合支援法に基づく地域生活支援事業として、実施主体の市町村の判断により決定されるようになった。
制度上は視覚障害者の利便を充分に考慮して実施することとされているが、財政状況の違い等により、自治体間で明らかな格差がみられる。視覚障害者の読書環境の保護、促進のためにもより使いやすい制度にすべく、さらなる改善を目指している。
点字サイン
視覚障害者を安全・円滑に誘導するために考案されたものの一つに点字サインがある。
この点字サインについて、表記の誤りをなくし、記号等の統一をはかるため、点字出版部会を編著者に『視覚障害者の安全で円滑な行動を支援するための点字表示等に関するガイドライン』が日盲社協から平成14年(2002年)に発行された。
このガイドラインに基づき、点字サインはJIS規格が制定されており、点字出版部会は視覚障害者の安全で円滑な移動のために点字サインJIS規格の普及に努めている。
選挙公報の点訳
視覚障害者に晴眼者と同様の選挙情報を伝えるために日本盲人福祉委員会の「視覚障害者選挙情報支援プロジェクト」に参加して、「選挙のお知らせ(点字版)」を、『点字毎日号外 選挙のお知らせ』として点字出版部会が担当して製作している。
また、点字版もいずれは公式な「選挙公報」として認められるよう関係各所へ働きかけを行っている。
点字製作物審査委員会
平成28年(2016年)に施行された「障害者差別解消法」では、障害者に対する「不当な差別的取り扱い」を禁じ、「合理的配慮の提供」を求めている。これにより、障害のある人もない人もともに暮らせる社会を目指すとうたっている。
この法律に基づき、多くの公共施設等でパンフレット等を点訳する動きが広がっている。これらの点訳物が正しい点字で点訳され、視覚障害者により多くの正しい情報を伝えるよううながすことも点字出版部会の役目である。
自治体広報等の点訳にあたり、点字出版とは関係のない一般の印刷会社が請け負うことがあり、専門知識不足のため誤りの多い点訳による極めて読みにくい、誤解を与える劣悪な点字印刷物の発行が見受けられる。このため点字使用者が困惑する事態となった。
そこで当部会はその対策のための審査委員会を設置した。そして点訳の誤り、間違った使い方などを指摘して、正しい点字を用いて点字広報誌等を発行してもらうよう、自治体等へ注意をうながす活動を行っている。
電子教科書の発行
従来より点字出版部会の理療教科用図書出版会は、日本理療科教員連盟と協議して視覚特別支援学校理療科用電子教科書の供給を令和5年度(2023年度)よりUDブラウザ版と点字データ版により開始した。
最大の課題となった不正コピー防止について、弱視者用は慶應義塾大学の協力により、教科書・教材閲覧アプリ「UDブラウザ」の仕様により暗号化して提供することにした。
また、点字版は(有)エクストラとケージーエス(株)両社の協力による「理療科用電子教科書点字データ版暗号化システム」を用いて提供することにした。
点字出版部会の課題
現在、最大の課題としては、点字自動製版機、点字印刷機の新規購入や保守・整備の問題である。
点字出版施設には公的助成金が出ないことから、各出版所ともメンテナンスに苦慮している。老朽化した機械・設備をどう保守・整備して使い続けていくかには、点字出版の未来がかかっている喫緊の課題である。
各点字出版所のもう一つの課題は、人手不足と職員の高齢化である。
点訳・作図といった専門的な分野は、多年にわたる経験が不可欠だが若い職員がなかなか定着しない実情がある。
また、どの点字出版所も限られた人員で日常業務に従事しているため、「選挙のお知らせ」など、緊急を要する多忙な業務に人手をさけず、請け負えない施設が出てきている。
点字文化を継承し次世代へと伝えていくため人員を定着させ、点訳等の専門家を育成することは、われわれに課された最も重要な課題である。
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情報サービス部会の活動
前情報サービス部会長 岡本博美(オカモトヒロミ)
昭和63年(1988年)に日本アイ・ビー・エムの大きな支援でスタートした「てんやく広場」は、「ないーぶネット」「ビブリオネット」を経て現在の「サピエ」へと発展し、今や視覚障害の枠を超えた利用者の拡大も期待される目覚ましい変遷を遂げてきた。
平成2年(1990年)の「身体障害者福祉法」の改正で、「点字図書館」が「視聴覚障害者情報提供施設」の中に包含後、「視覚障害者情報センター」等に改称された施設も少なくないが、加盟施設の約半数近くが「点字図書館」としてその名を残しながら、日本点字図書館をはじめ多くの情報提供施設が、図書館業務とともに日常生活を含む視覚障害者支援事業等を幅広く展開している。
さらには、平成8年(1996年)11月に「点字図書館部会」から「情報サービス部会」に、「全国点字図書館連絡協議会」から「全国視覚障害者情報提供施設協会」へと改称した。当時の川越部会長は、改称のねらいについて「ノーマライゼーションや社会参加を考えるとき、情報に格差があるのは社会的ハンディキャップそのものであり、視覚障害者にとって、高度情報社会はまさにバリア・フルであり、ともに生きられるよう情報提供施設は努力し、模索しなければならない。時代に沿い、その時代の情報環境が求める設備や機能、技能で対応し、豊かな目の代わりを果たすことが私たちの役割である。時代の大きな変革を認識したいため」と大きな目標を掲げられた。豊かな目の代わりを果たす役割、時を経てもなお、そうした目標が継承され私たちはさらなる新しい事業運営を展開する時期にきているのかもしれない。
全視情協と当部会が担う役割
日盲社協情報サービス部会(以下「当部会」という)は、昭和56年(1981年)結成の全国点字図書館協議会から、平成12年(2000年)にNPO法人化した全国視覚障害者情報提供施設協会(以下「全視情協」という)とは、一時期からそれぞれの道を歩んできた形もあるが、全視情協ではサピエ運営管理を中心としてさまざまな委員会を立上げている。各書籍の製作・販売や著作権関係、その他さまざまな専門委員による、より質の高い情報の提供を求めて日々活動しており、唯一「点字図書館実態調査」事業については平成24年度(2012年度)より当部会が引き継ぐこととなった。
一方、当部会では点字指導員および音訳指導員の各認定試験やスキルアップ研修会の実施をはじめ、情報化対応支援者研修委員会による、情報機器支援と相談支援に分けた研修会の実施、さらには国政選挙等の音声版選挙公報の製作を行うなど、全視情協との役割を明確に分け、視覚障害者への情報提供サービスという同じ目的に向かって、その資質向上に努めてきた。
厚生労働省自立支援振興室に対しても、長年にわたって全視情協とともにお互いが担う役割の相違と意義について毎年定期的に説明を続けており、今後も「同じような組織が二つもある!」と誤解されないように説明責任を果たしていかなければならない。
全視情協も当部会もそれぞれが担うべく委員会を設置し、多くの加盟施設にご協力いただいているものの、昨今は各施設の事情もあって委員不足に悩まされているのも事実である。委員就任は、確かに図書館の通常業務外のため負担も大きいが、専門職員としての資質の向上やスキルアップのためにはとても有効であることをあえて申しあげ、今後もその選出にあたっては多くの施設長や担当職員にご理解とご協力をいただきたい。
厚生労働省令一部改正の要望等
点字図書館設備・運営基準の職員定数については、昭和40年(1965年)に日盲社協は厚生省(当時)に改定案を提案したのをはじめ、長年にわたって厚生労働省にたいして陳情を続けてきた。
昭和60年(1985年)1月に「点字図書館等の設備及び運営について」が、当時の厚生省から改訂通知された。その後も、ある程度の改定は見られたものの職員定数についての見直しは、未だに折衝に至らず厳しい状況のまま現在に至っている。
平成10年(1998年)5月に埼玉県のホテルヘリテイジで開催された「第46回全国盲人福祉施設大会」で講演された、厚生省大臣官房障害保健福祉部障害福祉課長の遠藤浩氏は「点字図書館の設備と運営の基準がこのままでいいのか、真剣に考える時期だと認識しているので、職員の配置も含め私どもにお示しいただきたい」とお話されました。こうしたご理解いただける行政担当の方も多くみてきたが、当部会としては長年にわたり一貫して点字図書館設置基準に「情報化対応支援員(仮称)の配置」を要望しているほか、「情報化対応管理加算が指定管理施設を含む全ての情報提供施設を対象として周知すること」、また全視情協とともに「アクセシブルな電子書籍等、あらゆる形態での郵送の無料化」や「任意事業となっている点訳・音訳養成事業の必須化」、さらには「音訳指導員の単独位置付けと明確化」など、必要不可欠な項目を継続して要望しており、今後も粘り強く働きかけていくことこそ重要である。
昨今の「読書バリアフリー法」や「障害者情報アクセシビリティーコミュニケーション施策推進法」などの新法律施行はわれわれが要望するうえで、ひとつの大きなチャンスととらえており、特に読書バリアフリー法の推進協議会に参加している全視情協の働きかけもあって、点字図書館補助金に加算される「情報化対応特別管理費」が倍額されるなど、少しずつではあるが明るい兆しが見えてきた感はある。
今後の課題
私たちは今後の課題として、当然新しい時代の情報化に対応すべく専門職員の配置要望は継続すべき事項である。
そのために令和4年度(2022年度)からは日盲社協の5部会が連携・組織強化する目的で学習会を開催し、情報交換を含めトータルして日盲社協としての現状と課題を共有し、問題解決に向けてさらに審議するための活動を行っている。
プレクストークリンクポケットの製造中止、あるいは関連して日常生活用具支給の自治体間格差など、法整備は進むもののそうした問題も山積する。
当部会からは、点字技能師や点字指導員認定資格所持者を増やしていくためにも、例えば技能師1級~3級など、いろいろな国家資格に倣って段階を考えた資格級を増やすなど、受験しやすい環境を整備することを提案しており、日盲社協を通じて厚生労働省もこのことについては理解を示され、前向きに検討されるように聞いている。そうした業界では経験や知識が豊富な専門の方々も多くいらっしゃるので、資格取得者のための環境整備に是非ともご理解ご協力をいただきたい。
そして、10年以上前から当部会関係者で進めてきた「パブリッジセンター」(仮称)の設置など、デジタル出版機構をはじめ、各印刷出版業者等の理解を求めてきたが、昨今ABSC準備会の発足など少しずつ明るい話題も見えてきている。読書困難者に対するアクセシブルなデータが素早く提供できる仕組みをあらためて進めていただくべく、読書バリアフリーをさらに進めるためにも全視情協とともに解決に向けて努めなければならない。
終わりに、利用者やその家族、ボランティアや地域住民の方々、ロービジョン支援団体として活動されている眼科医の先生方、そして情報提供施設で働く職員が一体となって障害者福祉を支えることがこれからの課題ではないだろうか。
そうした協同組合的発想で新しい事業運営を展開する。まさしくこれからの点字図書館にとって、先達の意志を継承していくことに加え、再考して枠組みを変えて時代に適応させていくことが求められるのではないだろうか。
(筆者は平成24年〔2012年〕4月から令和5年〔2023年〕3月まで情報サービス部会の部会長であった)
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自立支援施設部会の現状と課題
理事・自立支援施設部会長 山下文明(ヤマシタフミアキ)
1 部会の変遷
自立支援施設部会は、平成23年(2011年)4月、当時の「リハビリテーション部会」と「就労支援部会」が統合されて発足した。
本部会の変遷を紐解くと、その前身は日盲社協傘下の視覚障害者更生施設、重度更生施設、救護施設などの施設群が、昭和30年(1955年)に「更生援護部会」として組織されたのがそもそもの始めである。
「更生援護部会」は昭和62年(1987年)に「更生訓練部会」となり、さらに平成4年(1992年)に「リハビリテーション部会」へと発展した。
次に盲人ホーム、授産施設、あはき師養成施設などの施設群が、「更生援護部会」となり、「作業・三療施設部会」となり、「就労支援部会」へとそれぞれ変遷してきた。
また、盲導犬養成施設は、当初、「盲人用具部会」であったが、「更生訓練部会」に合流し、「リハビリテーション部会」となった。
自立支援施設部会が発足した平成23年(2011年)は、障害者基本法が改正された年であり、翌年の平成24年(2012年)に「障害者総合支援法(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律)」が公布され、平成25年(2013年)の「障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」の公布、平成26年(2014年)の「障害者権利条約(障害者の権利に関する条約)」の批准に続いていく、まさに社会福祉基礎構造改革のうねりのなかでわが国の障害者福祉の大転換期の真っただなかにあった。
自立支援施設部会は、こうした国の方針の大改革のなか、一人ひとりの視覚障害者に個別に寄り添い直接的にサービスを提供する施設・事業の部会として、利用者や地域のニーズを確実にキャッチし発信していくことや、会員施設の連携と課題解決策の模索、事業の活性化を目指し統合されたのであった。
2 部会の構成する施設種別
今現在の、「自立支援施設部会」の施設種別構成は、障害者総合支援法に基づくサービスである『就労継続支援事業(A・B)』、『就労移行支援事業』、『就労定着支援事業』、『自立訓練(機能訓練・生活訓練)事業』、『同行援護事業』、障害者総合支援法の地域生活支援事業に位置付けられる『盲人ホーム事業』、身体障害者補助犬法に基づく『盲導犬養成施設』など全国の実に多彩な施設・事業が46施設加盟している。
現在の加盟施設を分類すると次のようになる。
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施設種別
盲導犬養成訓練施設:10か所
盲人ホーム:11か所
就労支援(就労継続・就労移行・就労定着:):8か所
自立支援(生活訓練・機能訓練):18か所
同行援護:4か所
計:51か所(複数事業を提供している施設がある)
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法人格別
社会福祉法人:32か所
一般財団法人:1か所
公益財団法人:7か所
日本赤十字社:1か所
国立施設:4か所
計:46か所
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3 部会の課題
自立支援施設部会の今日的な課題として、『地域』、『連携』、『提供サービス』の視点から整理する。
(1)地域
本部会の加盟施設は、地域の視覚障害者へ直接的にサービスを提供しており、視覚障害者のニーズや地域社会の福祉的要請に敏感に反応し応えていかねばならない。特に地域における重層的支援体制の構築が叫ばれるなか、確実に必要な福祉資源としてその存在価値を高めていかねばならない。私たち施設の大きなアドバンテージは目の前にいる利用者の真のニーズを確実に把握し、即応したサービスを創り出し提供し社会に向けて発信できるところにある。
(2)連携
医療機関・他団体とのネットワークの構築、他部会との連携を積極的に進めることが重要である。特にスマートサイトへの参画や情報収集に努め、地域における医療から福祉へのシームレスなサービス提供体制を構築すること。日盲社協内部においても、用具部会との情報共有や生活部会との課題共有など他部会との連携の中で利用者の多面的な生活場面でのQOL向上に繋がる支援を目指す。
ともすれば、支援者側の都合による単発的なサービス提供になってしまいがちであるが、そうではなく一人ひとりの視覚障害者の生活(人生)視点から、一つひとつのサービスのあり方と繋がりを考えていかねばならない。
(3)提供サービス
①盲人ホームの今後について
ここ数年における全国盲人福祉施設大会決議による厚生労働省への陳情項目の一つには、必ず「盲人ホームへの助成金増額」を掲げている。
盲人ホームは、障害者総合支援法の地域生活支援事業(任意事業)に位置付けられ、定義も昭和37年(1962年)2月27日付の厚生省社会局長から出された社発第109号通知のままという不安定な状態にある。何としても安定的な事業運営の財源確保の方法(補助金の増額または障害者総合支援法下の個別給付事業への移行要件緩和など)を模索しなければならない。
②盲導犬(補助犬)育成事業について
この課題についても、全国盲人福祉施設大会決議による厚生労働省への陳情項目の一つに毎年掲げているところであるが、60%を下回る盲導犬育成経費の公的支援率を上げることや、年間2000回を超えるフォローアップ訓練への訓練費助成について広く社会に発信し呼びかけ、国に要請していく。
③新しいサービスの創造
ここ数年の新型コロナ感染禍は、部会会員施設の利用稼働率の低下による事業運営の危機をもたらしたが、一方で新しいサービスのかたちを創り出している。通信機器の発展とその積極的な活用と工夫によるリモートサービスの試行は、就労移行支援事業や自立訓練事業、就労継続支援利用者の在宅就労などに積極的に活用され、支援効果を生み出し実績事例も増えている。こうした取り組みは福祉資源の乏しい過疎地域や利用者のニーズに基づくサービス提供の新しいかたちとして、これからも工夫し展開していかねばならない。
④事業運営の安定化
本部会の加盟施設はそれぞれの地域で地域の視覚障害者に直接的にサービスを提供する事業として、継続安定的にそのサービスを提供することがいかに大事で価値のあることかを、ここ数年の新型コロナ感染禍のなかで痛感したところである。
BCP(事業継続計画)も法律の求めにより義務化されたところであるが、事業収支の安定化方策とともに部会全体の共通課題として考えていかねばならない。
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生活施設部会の現状と課題
理事・生活施設部会長 茂木幹央(モギミキオ)
1.生活施設部会の経緯
生活施設とは、入所者が日夜の生活を通して、生活を行う場としての施設のことである。昭和26年(1951年)に施行された社会福祉事業法では、生活施設のことを第一種社会福祉事業と言っている。施行当時の社会福祉事業法では、第一種社会福祉事業として次のような施設を挙げている。即ち、生活保護法の救護施設と更生施設、児童福祉法の盲ろうあ児施設、身体障害者福祉法の失明者更生施設などである。
現在では、老人福祉法の養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、障害者総合支援法の障害者支援施設、介護保険法の特定施設入居者生活介護事業所などが第一種社会福祉事業として、前述のものにプラスされている。
日盲社協が誕生した昭和28年(1953年)には、第一種社会福祉事業の施設は当初は更生援護部会に属していたが、施設数の増加とともに昭和46年(1971年)に更生援護部会から収容施設部会として分離した。その後、収容という言葉が使用されなくなってきたのに伴い、平成3年(1991年)から現在の生活施設部会に名称変更した。最近の生活施設部会の会員施設数は19施設で、その内訳は盲養護老人ホーム10、特別養護老人ホーム2、グループホーム2、救護施設1、障害者支援施設1、鍼灸研修寮1、特定施設入居者生活介護事業所1、その他1である。
2.各施設種別の変遷
主な施設種別の変遷は次の通りである。
(1)救護施設
大正9年(1920年)に、盲人基督信仰会から分離して、秋元梅吉氏を中心に東京光の家が誕生した。その時、点字出版事業とともに盲人の救護施設を始めている。現在の東京光の家神愛園である。
(2)盲女子ホーム
明確な理念をもって設立されたのは、斎藤百合氏が昭和11年(1936年)に開設した陽光会盲女子ホームである。斎藤百合氏は全盲者ではあるが、東京女子大学を卒業し、盲人福祉の増進に多大の貢献をしている。
その後、昭和16年(1941年)には、盲人牧師安田菊政が東京に興盲協会盲女子寮を、昭和22年(1947年)には、瀬尾真澄が大分市に九州ライトハウスを、翌年には、戸井健二が神戸市にグリーハウスを、越岡ふみが西宮市に関西盲婦人ホームを設立している。昭和25年(1950年)には、堺市に聖光盲女子学園が、東京に聖ルカ盲女子学園が相次いで設立された。
しかし、現存するのは関西盲婦人ホーム(昭和39年〔1964年〕に社会福祉法人関西盲人ホームと改称)だけである。
(3)盲児施設
昭和24年(1949年)に児童福祉法が施行されると、児童福祉法に規定されていた盲児施設が盲学校の寄宿舎と同じような役割を果たす施設として、次第にその数を増していった。盲児施設の通常のスタッフは、施設長、事務員、児童指導員、保育士、調理員であったが、職業指導員を採用し職業指導を行うこともできた。そのようなこともあって、盲児施設は昭和50年(1975年)には33施設となった。
盲児施設は、主として貧困家庭の盲児を受け入れていたが、盲学校の寄宿舎でも貧困家庭の盲児を受け入れるようになるなど、また、その他の社会情勢の変化もあって、その後は盲児施設は急激に減少していった。
(4)盲老人施設
現在、糖尿病性網膜症などによって、中途失明者が増加し、視覚障害者の半数が70歳以上という高齢化のなかで最もニーズが高いのは盲老人施設である。その最初は昭和36年(1961年)で、奈良県壺阪寺の常盤勝憲氏が厚生省に交渉して、全国に初めての盲老人ホームとして慈母園を実現させた。
また、本間昭雄氏は、昭和39年(1964年)にはわが国において初めての軽費盲老人ホーム聖明福祉協会聖明園を建設する他、昭和43年(1968年)には全国盲老人福祉施設連絡協議会の設立に尽力された。
(5)その他の施設
その他の施設としては、盲重複障害者のための施設等がある。この施設のことについては、社会福祉法人光道園や社会福祉法人東京光の家などが大きな実績を積み重ねておられる。この施設の全国団体としては、全国盲重複障害者福祉施設研究協議会がある。
3.今後の課題
日盲社協生活施設部会に入会されている会員施設のことで、解決をはかるべき問題は、盲養護老人ホームなど養護老人ホームの場合であれば、入所希望者はあってもその入所措置を渋る市区町村が多くなっていること、グループホームの場合は、65歳を過ぎてから失明した人はグループホームに入れないという状況にあること、居室の全室個室化をはかるための改築の場合は、福祉医療機構や銀行は、無利子若しくはそれに近い利子で融資すること、措置費施設の場合は、職員の処遇の向上と、入所者の生活の向上を実現させるために、措置費が定期的に引き上げられるような制度にすることなどである。これらを解決するためには、日盲社協が全国団体として、力強い活動を行う必要がある。会員施設の皆様の一層のご理解とご支援をお願い申し上げる次第である。(日盲社協第11代理事長)
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盲人用具とデジタル環境への対応
前盲人用具部会長 岡村原正(オカムラモトマサ)
1.盲人用具部会の始まり
盲人用具は盲人用道具の工夫から始まった。明治、大正の時代から、職人と呼ばれる人達が点字板や浮出活字、ハカリや物差しなど目盛りに点を付けるなどして視覚障害者の日々の不便や不自由を少しでも解消できないかと個々で頑張ってきた。しかしそれでは効率が悪すぎるうえ、正しい視覚障害者のニーズを得られにくい。そのためには組織が必要不可欠になる。そのときに視覚障害を持つ人々にかかわる施設の集合体として組織された日盲社協で、そこに用具にかかわる事業所が加盟してきた。
そのうちにそれらが集まり「盲人更生要具(・・)研究部会」が発足した。
昭和35年(1960年)の「日盲社協会員名簿」には点字図書館・点字出版・更生援護の3事業部会とともに、盲人更生要具研究部会が掲載されており、盲人用具は日盲社協のなかでも、古くから位置づけられていた。そして翌年には事業部になっている。ここで、「要具」となっているのは、補装具との関係もあったのではないかと思われる。
しかし、当時の社会観・福祉観のなかでは、開発された用具を利用する人達からは喜ばれるものの、一方では「盲人から金を取るとは!」等の見方も少なくなく、日盲社協の内部からさえも「業者の集まり」との認識が多かったのも事実である。
盲人用具部会の変化として、今までメーカーとしての参加が多かったのだが、昭和62年(1987年)から日常生活用具の対象項目として盲人用ワープロが取り入れられた。そのことによって部会に大きな変化が起きた。パソコン等の周辺機器の開発販売に携わる事業所が用具部会の一員として加わってきたのである。
2.デジタルデバイスの発展
それまでの盲人用具は、補装具の性格と点字ブロックや案内板など移動を支えるインフラ等の事業者が多かった。
盲人用ワープロなどに対個人の商品が生まれてくるにあたり、使い方のフォローアップが必須な商品が台頭してきた。それにあわせるように盲人用具部会にもコンピュータ関連商品を販売および訓練をする業者の加入が増えた。
しかし課題となったのは商品開発のスピードが早く、今どんなものがあり、どんな使用方法で、便利さはどうかという情報の発信が、必要不可欠になったことである。
こういったアイテムの情報伝達の基本は、ユーザーの方に触っていただき説明を聞いてもらわなければ良さが伝わらない。そしてそれを販売業者各々がやっていくのには、伝わる早さに限界がある。
何とか全国のユーザーに商品の良さを届けたいと願い、盲人用具部会では日盲社協や全視情協の全国大会時に部会の展示会を各地で開催して、少しずつ盲人用具部会の活動と新商品の情報を広げていくという活動を続けてきた。
そして盲人用具部会では、『知っていますか? 目が見えない、見えにくい人の便利な道具』等のガイドブックを何冊も発行してきた。しかしもっと一堂に集めた展示を見てみたいという強い要望が出てきた。
その声に応えるべく、平成18年(2006年)盲人用具部会の有志と視覚障害者の主要施設が中心となり、展示会実行委員を発足させた。
そしてついに平成18年(2006年)11月、第1回視覚障害者向け総合イベント「サイトワールド2006」が開催される運
びとなった。
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第1回サイトワールド2006
場所:東京都墨田区錦糸町駅前
会場:すみだ産業会館
日時:平成18年(2006年)11月2日(木)~4日(土)午前10時~午後5時
出展企業数は47法人、他に講演会、シンポジウム、フォーラム等も同時開催した。
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結果、第1回目の展示会にもかかわらず入場者数は7,000人を超えるに至った。しかも出展47社のうち10社は海外からのメーカーで、本当に世界最先端の盲人用機器に、ユーザーが直接触れることができたといえる。
このサイトワールドは、令和4年(2022年)の現在まで続くイベントとして好評を博している。
ただし新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行で令和2年(2020年)~令和4年(2022年)までの3年間は開催ができなかった。しかし、サイトワールドも開始から10年がたち日本の視覚障害者向けイベントとしてようやく定着してきた。
次に日盲社協盲人用具部会として、またなにか新しいことに挑戦すべきと考えた。
サイトワールドには一般および行政の人にもご来場いただいたが、もっと大勢の一般の人達にも視覚障害者向け用具にどんなものがあるのか、またそれらを便利に使用している現状を見てもらう必要性を考えたのである。
福祉用具全体の展示会「HCR国際福祉機器展」に平成28年(2016年)・平成29年(2017年)との2回にわたって日盲社協盲人用具部会として3小間分出展した。
それぞれの部会員が工夫を凝らし、点字ブロックを床に仮設して、白杖とアイマスクを使い歩行の体験や音声と点字ピンディスプレイを使ってのパソコン講習。スマートフォンのタブルタップを使用した簡単操作等、来場した方々がその進みに感動の声を上げていた。
その方々を見ていて、用具部会として視覚障害者のデジタルバイド(デジタル機器を使用できる人と全く使えない人)との情報格差を考えざるを得なかった。
音声図書についても、デジタル通信を使えば点字図書館が運営する「サピエ」から音声図書や点字図書等をデータとして手に入れ、点字ピンディスプレイやデイジー発生音声装置にて本を読むことができる。
どのようにしたらすべての視覚障害者がデジタル機器を購入でき、使用方法をレクチャーしてもらい、デジタルの恩恵を受けられるようになるのか。
部会としても行政への働きかけを変化させながら強力に押していかなければいけないという想いを強くした。
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● 法人運営事業 ●
盲人ホーム 杉光園(サンコウエン)―開園秘話とそのあゆみ―
園長・常務理事 荒川明宏(アラカワアキヒロ)
杉光園と知られざる恩人
昭和23年(1948年)7月「国立光明寮設置法」が公布され、「視覚障害者の更生に必要な知識及び技能の付与並びに訓練を行うことをつかさどる」施設として国立東京光明寮が、東京都杉並区に設置されました。同寮は昭和39年(1964年)6月国立東京視力障害センターに改称されます。
そして昭和54年(1979年)7月、国立東京視力障害センターは、国立身体障害センター、国立聴力言語障害センターを統合して、国立身体障害者リハビリテーションセンターに発展して現在に至ります。
しかし、その過程で光明寮には早急に解決すべき大きな課題がありました。
東洋療法を学び、めでたくあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師(三療師)免許を取得してもすぐに開業したり、雇用される者ばかりではないので、昭和30年代に入ると行き場のない盲人失業者が社会問題となったのです。
関西にはすでに女性専用ではありましたが関西盲人ホームがあり実績をあげていました。また、日本ライトハウスが大阪盲人ホームを設立しようと計画しており、実際に昭和24年(1949年)に開設されます。ところが東京には盲人ホーム開設の機運が民間にまったくなかったのです。
そこで、当時の厚生省社会局長であった安田巌(ヤスダイワオ)氏(1910~1996年)がリーダーシップを発揮して、三療師免許を有する視覚障害者であって、自営、または雇用が困難な者に対し必要な技術の指導を行い、自立更生をはかることを目的とする施設である盲人ホームの建設を計画しました。
こうして杉光園は東京光明寮卒業生の卒後研修機関として設立することになり、昭和34年(1959年)7月に社会福祉法人盲人ホーム杉光園として現在地に開園しました。名称は国立東京光明寮が杉並区にあったことから「杉並の光の園」を略して「杉光園」と命名しました。
安田巌氏は、昭和35年(1960年)10月14日から昭和53年(1978年)5月28日まで日本点字図書館(日点)の理事長も兼任されていました。
今からはちょっと考えられませんが、この間、同氏は厚生事務次官、医療金融公庫総裁、安田女子大学副学長、同大学長を歴任されています。
「安田氏と日点創設者の本間一夫氏はとても親しい間柄でした。このため本間先生の仲介で、安田氏にとても世話になった視覚障害者は少なくありません」と当時『点字毎日』の記者として、取材対象の両氏をよく知る髙橋實日盲社協参与は証言します。
杉光園のあゆみ
昭和34年(1959年)2月1日に日本赤十字社東京都支部が救急所として使用していた建物(現在地の東京都台東区台東3-1-6)を利用して盲人ホームを設立することになり、日本赤十字社との間で貸借契約を結び、これを機に建物の全面改装を行いました。
同年3月23日、厚生大臣より社会福祉法人杉光会として認可を受けました。同年7月1日、社会福祉法人盲人ホーム杉光園として現在地に開園し、初代理事長に柴田啓次郎氏が就任しました。
昭和36年(1961年)5月、国会内に本園の出張所として一室を借り受け、2名を派遣して議員ならびに秘書らを対象に約3年間三療施術を行いました。
昭和55年(1980年)4月、昭和50年代に入ってから利用者の交代が少ないことが問題となりました。そこで利用者と話し合って利用期間を原則として最大5年とし、延長を認めないことにしました。
昭和56年(1981年)3月31日、社会福祉法人盲人ホーム杉光園は、当時任意団体だった日本盲人社会福祉施設協議会と合併し、名称を現在の名称に変更しました。
平成23年(2011年)4月1日、日本盲人社会福祉施設協議会会館(5階建)が完成しました。
これに伴い、1階から3階までを杉光園が使用して運営を開始して、現在に至ります。
サービス方針
本園は、あん摩、はり、きゅうの国家資格を有する視覚障害者が、開業および就職を目指し、患者への施術を通してさらなる実践的な技能を身につけるため、経験豊富な指導者による個別指導を受ける研修施設です。
特徴
(1)患者の訴える症状をできるだけ的確に把握する技術を指導します。
(2)上記に基づく症状緩和のための技術訓練を指導します。
(3)限られた時間内で施術するための時間配分方法を指導します。
(4)問診の進め方と施術後の反応と予後の確認方法を指導します。
利用者へのPR
(1)本園は、つくばエクスプレス「新御徒町駅」徒歩6分、大江戸線「新御徒町駅」徒歩10分、日比谷線「仲御徒町駅」徒歩10分、JR「御徒町駅」徒歩12分の交通至便なところにあります。
(2)経験豊富な園長と指導員が、利用者の施術上の疑問点等を懇切丁寧に指導いたします。
(3)年1・2回の懇親会があります。
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● 法人運営事業 ●
東京視覚障害者生活支援センター―あゆみとこれから―
理事長 長岡雄一(ナガオカユウイチ)
昭和58年(1983年)に設立された現東京視覚障害者生活支援センターの、当時の名称は「東京都失明者更生館」でした。
今に生きる方々にこの名称を伝えると、一様に驚きの声をあげます。しかし、昭和60年代に私が話を聞いた日盲社協の元理事の方は、「はっきりしていて、いい名称だ」と話されていました。
40年の時の流れが、名称に対する印象を違ったものに変えてしまう。これは、社会の大きな流れが原因だろうと思います。そして、施設を運営していく側として、この変化をどう読み取るのかは、非常に大切なものになっていきます。
時流に簡単に流されてはいけませんが、一方で、すべてに抗うわけにもいきません。舵取りは非常に難しいものです。
今回は、東京視覚障害者生活支援センターの歴史を遡りながら、施設のあり様を考えてみたいと思います。
1 現在(平成29年〔2017年〕4月~現在)
現在、センターは障害者総合支援法における障害福祉サービスの多機能事業所として、自立訓練(機能訓練)と就労移行支援を実施するとともに、指定特定相談支援事業所として、サービス等利用計画の作成やモニタリングを行っています。
自立訓練(機能訓練)は、センターが設立以来行ってきた各種訓練の延長線上にあるものであり、その意味では、センターとしても非常に得意な分野ということになります。
もちろん、設立当初に比べると、提供している訓練内容に変化は生じていますが、多くの訓練は、一貫して提供してきたものです。
現在、利用者の方がもっとも希望される訓練は、パソコンの訓練です。自立訓練(機能訓練)の利用者のほぼ全員がこの訓練を希望されています。特に、新型コロナウイルス感染拡大時の外出の制限等の解決策として、世の中一般ではネットショッピングの拡大が謳われてきましたが、視覚障害のある方にとっても同様のことで、パソコンを利用してのネットショッピングは欠くことのできない生活上の位置づけとなりつつあります。
さらにさまざまなコミュニケーション機器。たとえばスマートフォンなどの機器の普及は、視覚障害のある方にとっても、大きな可能性を感じることのできるものですので、当然のごとく、訓練への希望は高まります。かつては、オプタコンであり、カナタイプであったものが、姿を変えてきたと解釈できます。ましてや、パソコンやスマートフォンの有効的な活用内容は、オプタコンやカナタイプを凌駕するものであります。
しかし一方、職員配置を見ると、支援法で最低基準は決められてはいますが、訓練提供にあたっては、その配置では、かなり厳しい状況になります。支援センターにおいても、その例に漏れず、訓練提供にはかなり苦労を強いられます。上質な訓練を提供するには、職員と利用者の方が1対1あるいは1対2程度でいきたいところですが、それでは毎日の利用率が低くなります。利用率を上げようとすると、訓練の質が低下する恐れも強い。それは本末転倒で、運営のために本来最も大切にしなくてはならない部分を切り捨てるということになってしまいます。
この悩みは、障害福祉サービスを提供しているどの施設でも共通であり、今の制度に手が加えられない限り、今後もずっと続くものです。
歩行訓練や日常生活訓練は元々、1対1で行ってきたものですし、今の訓練の状況からすれば、この方法を続けていくことに問題はありませんが、パソコンではそうはいきません。平成29年(2017年)4月の民間移譲に向けて職員間でさまざまな試行が重ねられ、現在の方法が作り出され、その後、多少、手を加えながらも継続的に実施されています。その詳細については、紙面の都合上、詳細を語ることはできませんが、一言述べさせていただければ、指定管理の時期があって、その期間で試行を重ねることができたことは大きかったということです。
さて一方、就労移行支援については、常に就職者の数や就職後の定着の状況が問われるものです。これは、実際のところ、かなり厳しいものです。就職については、一福祉事業所だけの問題ではないはずで、就職ができない責任をすべて事業所がかぶるというのは、いかがなものかと今も思っています。実際、新型コロナウイルス感染拡大初期では、就職者数は大幅に減りました。確かに、救済措置もありましたが、そのような臨時的な措置でお茶を濁すのではなく、しっかりとした枠組みを再構築していただきたいものだと考えています。
就労移行支援における訓練は、パソコンの技能の習得が中心となります。また、センターの就労移行支援の特徴として、あんまやマッサージの国家資格を有している視覚障害のある方の就労支援を行っていることが挙げられます。今人気のあるヘルスキーパーへの就職では、パソコン技術の習得も求められるでしょうし、もちろん施術の質も求められます。パソコンと施術の質の向上。この二つにアプローチできているのが、センターの現在です。
もちろん、センターが就労先を確保しているわけではありませんので、就労の支援にあたっては、さまざまな社会資源との連携を強化しています。その成果もあってか、毎年二桁の就職者数を確保することができています。
2 新体系への移行から民間移譲前まで
(平成22年〔2010年〕4月~平成29年〔2017年〕3月)
平成22年(2010年)に視覚障害者更生施設として入所・通所を実施していた体制から新体系に移行し、日中活動のみを実施する事業所へと移行しました。このときから、すでに民間移譲後の運営についてのシミュレーションは始まっていたということができます。
入所を実施しないことについては、議論がありましたが、定員30名に対し、一桁の利用しかない状況や、通所されている方の数が増え続けている状況。さらにセンターへの通所の交通の便が著しく改善されたことにより、日中活動のみでも運営は可能との判断から、新体系では、多機能事業所として自立訓練(機能訓練)と就労移行支援を実施する方向に舵をきることになりました。前述したように、このときはすでに民間移譲が俎上に乗っており、指定管理での新体系以降から平成29年(2017年)の実際の民間移譲までの5年間は、非常に貴重な時間でした。その間に、多くのシミュレーションができ、民間移譲後の足場を作ることができたわけです。
新たに開始した就労移行支援は、慣れないことも多く、また、企業や各地の就労関係施設との連携も取れておらず、利用率は褒められたものではありませんでした。どこかに取っ掛かりはないものかと苦労はしましたが、その姿勢が良かったのでしょうか。また、就労支援課の職員の創意工夫や、外部との連携をまめに行うことで、状況は改善されました。
新体系移行時に一番心配された定員(15名)の充足が可能になっており、民間移譲後の展望を描くことができるようになっていました。
そして、平成29年(2017年)4月に民間移譲を迎えることになった訳です。
3 指定管理移行から新体系移行まで
(平成18年〔2006年〕4月~平成22年〔2010年〕3月)
東京都の委託から指定管理に変わったものの、運営上は大きな変化はありませんでした。ただ、この期間の課題は、求められている新体系をどのような形にするのかということでした。新体系以降後もしばらくは指定管理が継続されることは、わかっていましたので、新体系移行が即、運営の危機に直面することはないという前提でした。
ただ一方、新体系でどんな事業を実施するのか、定員をどうするのかは、かなり重い課題でした。もちろん、新体系に移行することで職員配置も変わります。雇用の問題も出てきます。元々が視覚障害者更生施設ですから、更生施設としての部分が中心(今でいうところの自立訓練〔機能訓練〕)となることの合意は職員のなかにありました。しかし、それだけではなく、同じ施設で継続的に就労に向けた訓練ができることが望ましいし、効率的ではないかとの議論もあり、結果として、就労移行支援を実施することになりました。
ただ、この期間の利用者数は決して多いということができず、利用者の確保に奔走していた時期でもあります。
定期的な体験訓練の実施や、行政機関、医療機関向けの見学会の実施等はこの時期に多く企画されています。なかでも、行政機関向けの見学会は、人気も高く、毎回、定員いっぱいの応募がありました。地道に一つひとつ進めていくことの重要性を再認識させられた時期でもありました。
4 開設から指定管理移行まで
(昭和58年〔1983年〕5月~平成18年〔2006年〕3月)
視覚障害者更生施設としては、国内でも、ほぼ最後となる開設でした。
東京では、東京都心身障害者福祉センターが訓練を実施していましたが、規模としては、他県の施設に追随することは難しかったように思います。ただ、当時のスタッフとして、その後の視覚障害者福祉において大きな役割を果たされた方が在籍しており、そこでの訓練の実施は大きな意味を持つものであったと記憶しています。
開設後は、時として、日盲社協大会等で、利用者の少なさを指摘されることも少なくなかったように思います。プログラムは、今と違ってレクリエーション的なものも多かったのですが、新年会のみが今に残るプログラムとなっています。
この間には、前述したように、施設名称の変更もありました。社会福祉基礎構造改革の流れのなかで、民間活力の有効活用が叫ばれ始めていた時期(平成12年〔2000年〕前後)での名称変更は、実は、現在の民間移譲への足掛かりとなっていたのでしょう。今こうして振り返ると、名称変更の持つ意味が、決して軽くなかったであろうことを認識させられます。
また、この期間に都営地下鉄大江戸線の開通があり、施設の敷地内に駅ができたということが、その後の新体系移行における体系選択に影響を及ぼしたであろうことは疑いありません。施設の理念だけでなく、こうした物理的な環境が利用者にとっても利用の可否を決定することの一要因となることを知らされた出来事ではありました。
こうしてセンターの沿革をたどってみると、改めて重要なポイントを浮き上がらせることができます。施設が社会のなかで存在する限り、社会からの影響を常に受け続けます。それは制度の変化であり、物理的な環境の変化であり、また、社会的意識の変化であろうと思います。
今後、センターは建て替えという一大イベントに挑むことになります。この建て替えは、これまでのどの変化よりも大きな影響をセンターに与えることが想像されます。新しい施設に向けた職員の議論でも、時として今まで考えなかったような提案も飛び出してきます。そうした新たな発想をいかに生かして、今後のセンターを運営していくのか。そこには新しい施設像も絡んできますので、これから数年が新たな変革期に入ることになります。
理想の施設というものはなかなか難しいものだとは理解しています。それでも叡智を集めて、この変革に挑んでいきたいと思っております。
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資料編
●日盲社協ディレクトリー2023 会員施設名鑑
●日本盲人社会福祉施設協議会年表
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日盲社協ディレクトリー2023会員施設名鑑
掲載順序:部会別、都道府県コード順・あいうえお順
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点字出版部会:25施設
点字出版は、明治23年(1890年)の日本点字の制定から各地で取り組みがはじまり、視覚障害関係事業の中で最も古い歴史があり、昭和28年(1953年)の日盲社協発足当時から重要な役割を担ってきました。
点字出版所では、主に点字図書や雑誌の出版、自治体広報誌や点字印刷物の受託、点字教科書の出版等をしています。事業内容もさまざまで、全国で25の点字出版所が当部会に参加しています。(部会長 肥後正幸)
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社会福祉法人 桜雲会 桜雲会情報提供施設
〒169-0075東京都新宿区高田馬場4-11-14-102 TEL 03-5337-7866
E-mail ounkai@nifty.com URL http://ounkai.jp
当施設は、東京盲唖学校の盲生徒同窓会として発足してから、令和4年(2022年)1月に、創立130年を迎えた。視覚障害者の情報提供施設として、障害者に希望と喜びを与えるために活動している。
◆事業内容
①出版図書類:点字・点字電子データ・墨字(拡大文字)・UDブラウザ・音声などの媒体を中心に製作・発行をしている。主な図書は視覚障害者の主要職業である“あん摩”“はり”“きゅう”など三療関係者向けの点字および拡大文字雑誌『鍼灸の世界 豊桜(ホウオウ)』(昭和43年〔1968年〕創刊、点字は月刊、墨字は季刊)を発行しており、点字版は631号、拡大文字版は157号を超えている。また、『疾病の成り立ちと予防1』、『触察解剖図』などの教科書の製作・発行を行っている。さらに、盲偉人の絵本(英訳付き)を製作し、国内だけでなく世界に向けて情報提供している。
②委託出版事業:自治体の点字版広報や音声版広報などの製作にかかわっている。
③社会活動:視覚障害者を中心としたバスツアーや講演会を企画して、視覚障害者の活動を毎年積極的に公表している。
社会福祉法人 国際視覚障害者援護協会
〒174-0052東京都板橋区蓮沼町20-18 TEL 03-5392-4002
E-mail info@iavi.jp URL https://www.iavi.jp/
国際視覚障害者援護協会(IAVI)の事務所兼研修施設「舟橋記念会館」は、都営地下鉄三田線本蓮沼駅から歩いて3分、1階部分は貸駐車場、2階が事務所と食堂兼応接室、3階がアジアの視覚障害留学生の居室と多目的ホールで、点字印刷は2階と3階の一部で行なっています。
IAVIの事業の柱は、視覚に障害のある発展途上諸国からの有為の若者の日本留学を支援することにあります。具体的には、盲学校の高等部専攻科で三療を学習するための予備研修として、会館に6ヶ月泊まり込み、日本語・日本点字の学習、歩行訓練・生活訓練を受けてもらうというものです。以前は、文科省の補助金を受けて実施していましたが、補助金が廃止となり、この事業をそのまま継続できなくなってしまいました。が、各国からの要望もあり、厳しい状況の中で、支援して下さる皆様のお力で、なんとか事業を継続しております。そして、インターネットを活用して、卒業後帰国して各国で頑張る元留学生達への日本語サポートや、マッサージのスキルアップのための支援の活動なども行っています。また、国際交流と視覚障害者の理解のために、地域の皆さんが気楽に集まれる居場所づくりの活動として、一昨年の夏から「こもどサロン」という活動も始めました。
点字印刷・出版 雑草の会
〒116-0011東京都荒川区西尾久1-3-8 TEL 03-3810-1241
E-mail zassou1241@abelia.ocn.ne.jp
雑草の会は、点字出版を通じて、視覚障害者と健常者がともに働き、運営する施設です。点字図書は、視覚障害者のニーズにおこたえし、図を駆使した図書や、希少な図書の点訳など、社会科学から料理レシピにいたるまでさまざまなジャンルの出版を手掛けています。
その他の業務内容としては、地方自治体の広報誌や団体機関紙などの点訳・印刷、点字ラベルや点字名刺製作などを行っています。
社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター
〒167-0034東京都杉並区桃井4-4-3 スカイコート西荻窪2 TEL 03-5310-5051
E-mail mail@siencenter.or.jp URL http://www.siencenter.or.jp/
①月刊『視覚障害 ― その研究と情報』の編集・発行(墨字・点字・DAISY・CD-Rの4媒体)
②チャレンジ賞・サフラン賞の実施(視覚障害者の文化の向上と福祉の増進に寄与する若い視覚障害男女を表彰)
③点字通信教育の実施と講師派遣
④盲大学生の支援(奨学金の公募・推薦)
⑤点字図書の発行(『基本地図帳』、『鉄道手帳』、『鉄道バリアフリーガイド』等の点字図書出版)
⑥活字図書の編集・発行(点字の啓発書や視覚障害に関する書籍他)
⑦点字教科書の編集・製作・発行(文部科学省著作教科書他)
⑧各種自治体の広報誌等の受託
⑨就労継続支援B型「チャレンジ」の運営(点図カレンダーの製作など。障害種別を問わずに受け入れ、個々人に応じた指導・活動を通じ、利用者のスムーズな社会参加を目指す)
⑩イメージ商品として絵はがきの販売
⑪「視覚障害者支援総合センターを支える会」の会員の拡大
社会福祉法人 信愛福祉協会 点字出版部
〒157-0067東京都世田谷区喜多見9-6-2 TEL 03-3416-1804
E-mail braille@safk.net URL http://www.shin-ai-fukushi.or.jp/
信愛福祉協会点字出版部は、信愛福祉協会が社会福祉法人として認可される以前の手書きの『鍼の研究』誌の回覧から読者層が広がった小さな集まりが出発点となりました。『鍼の研究』誌は通巻750号を超えました。
同様に出発した季刊誌『信仰の友』も、キリスト教の同人誌として250号を数えました。
上記2タイトルの点字版・デイジー版の他、信愛ホームで引き継がれ教えられている鍼科学に基づく専門書を発行し、その普及に努めています。一部はDAISY版も製作しており、今後電子書籍化も計画しています。
法人の基本理念でもあるキリスト教(プロテスタント)関連書籍は、ジョン・バンヤン、A. B. シンプソン、平方龍男らの著書をはじめとし、玉川直重による『ギリシャ語聖書』点字版なども製作してきました。
併設する福岡分室においては、パソコン点訳とデイジー編集によって書籍・雑誌を発行しています。
福岡分室 〒810-0066福岡市中央区福浜1-1-14-1210 TEL 090-1973-6459
社会福祉法人 東京点字出版所 略称:東点(トウテン)
〒181-0013東京都三鷹市下連雀3-32-10 TEL 0422-48-2221
E-mail info@toten.or.jp URL https://www.toten.or.jp
当所は大正15年(1926年)4月創業の点字出版の老舗です。視覚特別支援学校小学部、中学部、高等部の普通科・理療科の点字教科書を中心に製作しております。特に文部科学省著作点字教科書は60年以上にわたり発行しております。また、鍼灸・医学関係の記事を取り扱う月刊雑誌『点字の友』を発行し続けております。
そのほかには国語辞典・古語辞典・英和辞典・和英辞典ほか、外国語の辞書類を多数発行しております。
当所は触図(図版)を得意としており、数学、理科の図のみならず、近年は図版入りの児童向け図鑑、日本地図・世界地図を独自編集で発行しました。
創業当時は理療関係の書籍がほとんどでしたが、現在は多様なニーズに応じて、生活に役立つ内容の図書も手がけております。そのほか、点字名刺印刷・点字冊子・点字パンフレット等の製作も請け負っております。
現在は20人ほどの職員で点訳から製本・発送までを一貫して行っております。
社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 点字出版所
〒169-0072東京都新宿区大久保3-14-4 毎日新聞社早稲田別館内
E-mail jdz07530@nifty.com URL https://thka.jp TEL 03-3200-1310
英国から固型点字印刷輪転機を輸入し、昭和43年(1968年)10月に開設しました。以来、衆・参両院議員選挙や地方選挙の点字版『選挙公報』をはじめ、全国の盲学校で使われる小学部・中学部の点字教科書、地方自治体発行の点字版広報などさまざまな点字印刷物を受託・印刷しています。
ほかに、当協会が独自に編集する月刊誌『点字ジャーナル』、生活情報誌『ライト&ライフ』(年23回)を発行するとともに、点字図書も出版しています。
点字印刷では、平成22年(2010年)に(財)JKAの助成を受けて、ドイツ・ブレイルテックで設計してチェコで組み立てられた平板点字印刷機GPB-3などを使った新点字システムを導入し、固型点字印刷から現在のエンボス式点字印刷に転換しました。
また、昭和54年(1979年)には録音事業もスタートさせ、衆参選挙や地方選挙の音声版『選挙公報』はじめ、自治体広報の音声版『声の広報』なども受託・製作しています。
衆参選挙(点字版・音声版)では、「日本盲人福祉委員会視覚障害者選挙情報支援プロジェクト」の中核施設の一つとして『選挙公報』製作に取り組んでおり、視覚障害者への選挙情報提供に貢献していると自負しています。
社会福祉法人 日本点字図書館 図書製作部 略称:日点(ニツテン)
〒169-8586東京都新宿区高田馬場1-23-4 TEL 03-3209-0671
E-mail tenji@nittento.or.jp URL https://www.nittento.or.jp/
日本点字図書館では、昭和30年(1955年)に厚生省(当時)の委託による点字図書製作を開始し、現在の当館における点字出版事業の始まりとなりました。以来、公的な機関だけでなく、一般企業などからご依頼をいただき、各種広報誌やメニューなどの点字印刷物を数多く製作しております。
また昭和50年(1975年)から、日本テレビ系列愛の小鳩事業団(現公益財団法人日本テレビ小鳩文化事業団)の委託を受けて製作しているカラー写真の美しい点字カレンダーは、毎年、全国の視覚障害者関連団体・個人の方に郵送し活用していただいています。
その他、点字サインを代表とする公共的な点字や触知案内図などの製作・監修事業や、『いろんなかたちをさわってみよう』『ふれる世界の名画集』など自館での企画出版図書の発行など幅広く事業を行っています。
社会福祉法人 日本視覚障害者団体連合 点字出版所
〒169-8664東京都新宿区西早稲田2-18-2 TEL 03-3200-6157
E-mail shuppan@jfb.jp URL http://nichimou.org/
日本視覚障害者団体連合点字出版所では、全国の自治体からの委託による点字広報および議会報を中心に製作を行っています。
その他の事業では、厚生労働省委託の『点字厚生』『ワールド・ナウ』、日本盲人福祉委員会視覚障害者選挙情報支援プロジェクトにおける国政選挙公報の製作も行っています。
また、視覚障害者団体連合が実施している視覚障害者に関する調査研究事業の報告書の製作、政党広報誌、企業等の広報誌やパンフレット、カタログ、会議資料の製作や、JR東日本管内の運賃表および点字触知板の点字表記監修を行っています。
身近な生活情報から、国政や行政の情報、視覚障害者を取り巻く現状と将来への展望に関する資料など、当事者団体の特色を生かした幅広い分野の点字資料の製作を通して、日々、視覚障害者に役立つ情報の提供に努めています。
社会福祉法人 東京光の家 指定障害者支援施設 光の家 栄光園
〒191-0065東京都日野市旭が丘1-17-17 TEL 042-581-2340
E-mail eikoh@hikarinoie.org URL https://www.hikarinoie.org/
光の家栄光園を経営する社会福祉法人東京光の家は、キリスト教精神に基づいて創立された視覚障害者のための法人です。聖書の教えを法人経営、ならびに利用者サービスの基本としています。また、「障害者総合支援法」等の関係法令により視覚障害と他の障害を併せ持った盲重複障害者を主たる対象として、利用者の自立と社会経済活動への参加を促進するために必要なサービスを提供しています。
光の家栄光園は、昭和49年(1974年)7月に重度身体障害者授産施設「旭が丘更生園」として開設されました。開設当初から点字出版を主な作業種目とし、創立者秋元梅吉が点字出版から始めたその伝統を受け継いでいます。
点字出版の他にも弱視者向けのビジュアルイーズノートや各種ノート、スケッチブック、メモ帳、ファイル、封筒等を製造販売しています。また、より多くの利用者が作業に携わることができるようにするために軽作業も行っています。昭和58年(1983年)からは作業棟の一角で「ショップアガペ」という小売店舗の経営も行っています。
点字出版は現在も光の家栄光園の中心的な作業種目であり、地方自治体の広報誌や各種団体の定期刊行物等の製作、『点字聖句特選集』や『てのひらサイズ英語点字略字ブック』等の自主出版の点字図書も発行しています。
社会福祉法人 ぶどうの木 ロゴス点字図書館 点字出版部
〒135-8585東京都江東区潮見2-10-10 日本カトリック会館内 TEL 03-5632-4428
E-mail logos@logos-lib.or.jp URL https://www.logos-lib.or.jp
母体であるカトリック点字図書館は、昭和28年(1953年)、大田区・カトリック洗足教会内に創設された。初代館長は塚本昇次神父。創設当時は、『公教会祈祷文』や点字雑誌『あけのほし』を他の点字出版所に依頼して発行していた。昭和49年(1974年)に点字製版機を導入し、出版事業を開始。平成5年(1993年)、日盲社協点字出版部会に加盟。平成13年(2001年)、東京都から社会福祉法人の認可を受け「ロゴス点字図書館」に改称。
聖書や教理書、聖歌集やミサ用パンフレット『聖書と典礼』などのキリスト教系図書を製作・発行する一方、日盲社協で行っている社内検定試験(点字技能師検定試験)の過去問題集『点字技能検定試験の対策』の点字版などの発行も行っている。
日々発展するインターネット環境における生活の変化の中でも、「点字」は社会生活をしていく上で不可欠であり、大切な手段となることを忘れることなく、今後も努めたい。
社会福祉法人 光友会 神奈川ワークショップ
〒252-0825神奈川県藤沢市獺郷1008-1 TEL 0466-48-1503
E-mail tenji@lfa.jp URL https://www.lfa.jp/
当法人は昭和52年(1977年)開設の地域作業所をルーツに、昭和55年(1980年)12月に法人認可を受けました。
その後、身体障害者支援を中心に事業展開をしてきましたが、現在では、身体障害に限らず、入所支援、生活介護、デイサービス、相談支援、グループホームなどさまざまなサービスに取り組んでいます。
就労支援分野では、昭和56年(1981年)に身体障害者授産施設神奈川ワークショップを開設し、点字製版・印刷、テーププリント部門を設け、現在に至っています。
点字部門では、官公庁から受注した点字広報をはじめ、自主出版の『月刊福祉』ほかの点訳出版をしています。また、県内のタクシー協会、建物信号機などの点字サイン製作も引き続き行っています。
選挙関係の公報投票用紙の点字版の製作も行っています。
生活面についてもグループホーム等と連携し、生活の幅を広げることにも取り組んでいます。
社会福祉法人 石川県視覚障害者協会
石川県視覚障害者情報文化センター
〒920-0862石川県金沢市芳斉1-15-26 TEL 076-222-8781
E-mail jimukyoku@ishishikyo.jp URL http://www.ishishikyo.jp
情報文化センター開設以来、点字に関して『日本点字表記法』および『点訳のてびき』に従い正確に点字表記された点訳図書の製作を目指してきた。
点訳グループをはじめボランティアで点字・触図研究会を作り、点字の学習・研究活動を行い、『点字表記辞典』の発行にもつながった。
音訳図書に関して、熱心なボランティアの支えにより、質の良い図書の製作に努めてきた。
昨今の音訳図書のニーズの高まりを受け、『NHKきょうの健康』をはじめ全文音訳の制作に積極的に取り組んでおり、全国各地の多くの録音雑誌の読者を微力ながら支えている。
昨年5月に障害者情報アクセシビリティコミュニケーション施策推進法が施行され、当センターにも情報化への対応が求められており、情報支援員を配置し、利用者・点訳ボランティアなどのパソコン指導のほか、ITサポートボランティアの協力を得ながら支援体制の強化を図っている。
エスケービー
〒480-0202愛知県西春日井郡豊山町豊場字新田町154-2 TEL 0568-28-3166
E-mail otn@sf.starcat.ne.jp
当出版所は、「点字をもっと生活の中に……」を合言葉に平成4年(1992年)に設立し、大人の雑誌『大人倶楽部』、プロ野球を楽しむ『月刊ベースボール』、旅行情報誌『ジパング倶楽部』、の月刊誌をはじめ、官能小説、告白手記、ハウツウ本をはじめとして、江戸時代を読み解く『江戸シリーズ』、気になるあなたの運勢を知る『干支シリーズ』など、趣味と娯楽を中心に点字図書を提供し好評を博しています。
また、目の不自由な方たちをはじめ、地域のボランティアグループ、点訳者などとの交流を積極的にはかり情報の収集とニーズに応えられるように努めています。
いつまでも、読者に愛されるよう研鑽を続け、より充実した点字図書の提供を通して社会に貢献できればと願っています。
社会福祉法人 名古屋ライトハウス情報文化センター 点字出版事業部
〒455-0013愛知県名古屋市港区港陽1-1-65 TEL 052-654-4523
E-mail syuppan@nagoya-lighthouse.jp URL https://nagoya-lighthouse.jp/joubun/
昭和41年(1966年)5月に誕生した点字出版事業部は現在、視覚障害者2人、晴眼者6人で運営しています。
主な業務内容は、
①新規出版物、自治体定期刊行物、選挙公報の点字・音声版の製作
②名刺、メニュー、選挙名簿・投票用紙、公共料金帳票の製作
③点字サインの製作と監修
④UV加工
⑤点字企画商品の製作販売(一筆箋、干支シール、お袋さんシリーズ、クリアファイルなど)
新規出版物では『最強の食事術―お得技ベストセレクション2021最新版』を製作(点字版・全3巻)。今日からすぐに実践できる、体に良い食事術を紹介しています。
UV加工では紫外線照射で透明に固まる樹脂を使い、携帯のキーに丸やバツ模様など、パソコンのキーボードも凸模様や点字表示など施し「市販品を共用品に」変身させています。その他にも、白杖や家電製品、将棋の駒などへの加工も行っています。
点字企画商品では点字や触図をあしらい、「触っても見ても楽しい」商品製作を心がけています。最近は「動物の点図クリアファイル」を販売し大好評です。
社会福祉法人 京都ライトハウス情報製作センター
〒603-8302京都市北区紫野花ノ坊町11 TEL 075-462-4446
E-mail seisaku@kyoto-lighthouse.or.jp
URL https://www.kyoto-lighthouse.or.jp/service/center/
利用者のニーズに沿うことをモットーに、点字やマルチメディアデイジー図書、点字雑誌の出版や、社会生活を送る上で欠かせない、地域生活に関する情報(広報その他)を点字や音声デイジーで製作。点字案内板等の監修も行っています。また、地域の学校に通う児童および生徒の点字教科書の製作や、日本盲人福祉委員会視覚障害者選挙情報支援プロジェクトに参加し、国政選挙等の公報製作にも取り組んでいます。
点字雑誌は、昭和63年(1988年)創刊のロングセラー情報誌『旅』を偶数月に、女性のための情報誌『きょうきらら』を奇数月に発行。長年にわたり、多くの皆さまにご愛読いただいています。
オリジナル商品として、携帯性の良い『はんぶんこシリーズ』や『おてがるBOOK』、ワンコインでお求めいただける『ライト★シリーズ』といった点字図書、また、ハンカチや衣類、かばんに点字や凸模様を施した、触っても楽しい『ドット・テイラー』、視覚障害児・者競技用百人一首かるた、お坊さんめくりなどの『百人一首シリーズ』も販売しています。
時代の流れをとらえつつ、顔の見える身近な出版施設として、利用者の声に耳を傾け、創設者鳥居篤治郎先生の思いを引き継いでいくべく、日々事業に取り組んでいます。
社会福祉法人 京都視覚障害者支援センター 点字出版施設 紫野点字社(ムラサキノテンジシヤ)
〒610-1111京都市西京区大枝東長町1-67 TEL 075-333-0171
E-mail tenji@kyo-ssc.com URL https://www.kyo-ssc.com/
京都市や視覚障害者関係団体から点字広報誌を受注しています。会議資料やイベント案内、決算や事業報告等の点字需要に対して迅速に安価に提供できるようにしています。
就労継続支援B型事業「らくさい作業所」の点字出版部門と連携し、視覚障害者の就労支援として仕事量を確保し、社会参加と工賃につながるような事業展開を行なっています。
毎日新聞社『点字毎日』編集部 略称:点毎(テンマイ)
〒530-8251大阪市北区梅田3-4-5 毎日新聞大阪本社 TEL 06-6346-8386
E-mail tenmai@mainichi.co.jp URL https://www.mainichi.co.jp/
週刊の点字新聞『点字毎日』の発行を中心に点字出版事業を行っています。
『点字毎日』は令和4年(2022年)5月、創刊100年の大きな節目を通過することができました。大正11年(1922年)5月11日に『点字大阪毎日』として創刊以来、毎日新聞大阪本社内に独自の編集部を置き、視覚障害者文化の歩みを伝え、記録してきました。点字編集がデジタル化して以降は、平成6年(1994年)から点字データ版、平成10年(1998年)から活字版、平成17年(2005年)から音声版も発行しています。
社会福祉法人日本盲人福祉委員会が取り組む「視覚障害者選挙情報支援プロジェクト」では、点字版部会の加盟施設と連携し、国政選挙の選挙公報点字版を『点字毎日号外』として発行しています。
主催事業として、全国盲学校弁論大会(昭和3年〔1928年〕創設)、点字毎日文化賞(昭和39年〔1964年〕創設)を続けています。
特定非営利活動法人 点字民報社 略称:点民社
〒558-0011大阪市住吉区苅田5-1-22 ポポロあびこ201 大阪障害者センター内
E-mail tenjiminposha@ybb.ne.jp TEL 06-6697-9053
仲間が育てたみんなの点字出版所点字民報社です。
「読みたいものを自分たちの手で」という発足の原点を踏まえながら「視覚障害者が必要とする各種の情報を提供すること等により、その社会的、文化的地位の向上をはかるとともに、視覚障害者の仕事の確保、生活向上に寄与すること」を目的と定めて今日まで活動を続けてまいりました。
現在は自治体や企業・各種団体からの依頼による点字印刷が事業の中心となっておりますが、社会環境の変化に対応しつつ事業を継続・発展させてまいりたいと考えております。
社会福祉法人 日本ライトハウス 点字情報技術センター
〒577-0061大阪府東大阪市森河内西2-14-34 TEL 06-6784-4414
E-mail tecti@lighthouse.or.jp URL https://www.lighthouse.or.jp/
当センターの事業は、法人の創業者岩橋武夫が大正11年(1922年)、点字製版機と手回し点字印刷機を購入し、自宅で『点字日エス辞典』などを点字出版したことに始まります。
当センターでは、視覚特別支援学校小学部、中学部、高等部普通科・理療科用の教科書、児童向けの図書、自治体の広報誌類、テーマパークや博物館のガイドブックなど、さまざまな点字出版物の製作を行っています。
また、理療科用教科書等の音声デイジー版・墨字版、令和5年度(2023年度)より電子教科書(UDブラウザ版・点字データ版)の発行、公共施設に設置する触知案内板等の監修・校正、地形や水面波の模型など触ってわかる3次元模型の研究も行っています。
昭和55年(1980年)、コンピュータを用いた点字編集・製版システム(BRED68)を日本で初めて開発、導入しました。現在は、Windowsパソコンで動作するシステム(WinBred10)と新しい点字自動製版機へ発展させ、高精度と安定動作に努めてきました。教科書などに欠かせない触図の編集・製作も長年手がけており、亜鉛板による作図のほか、発泡印刷による『社会科地図帳』等も発行しています。常に正確でわかりやすく魅力的な点字資料を提供したいと、努力を続けています。
社会福祉法人 兵庫県視覚障害者福祉協会
〒651-0062兵庫県神戸市中央区坂口通2-1-1 兵庫県福祉センター内
E-mail kensikyo@snow.ne.jp TEL 078-222-5556
当協会は平成24年度(2012年度)に社会福祉法人になりました。現在の課名は点字制作班です。職員は6人で、製版機は小林鉄工所のブレイルシャトル2台と印刷機4台を使用し業務を行っています。
当施設では、主に兵庫県および県内市町の委託を受けて広報誌の点字版(音声版)の製作やリーフレット等の点訳・印刷をしております。
また、各種選挙が執行される際には、国政選挙の場合は日本盲人福祉委員会視覚障害者選挙情報支援プロジェクトに参加し、兵庫県分の選挙公報を点訳・印刷・発送しています。知事・市長選挙等の場合は選挙公報の製作に加え立候補者一覧(氏名掲示)の製作や投票用紙への点字印刷などもあわせて行っています。
加えて、一般業者などからの依頼を受け、点訳・点字印刷や点字サインの監修などを行うほか、協会事業である「点字競技会・交流会」、「触読指導講習」、「点訳講座」など各種事業もサポートしています。
今後とも、視覚障害者の方々に喜んでいただけるような事業・業務に取り組み、努めてまいります。
特定非営利活動法人 自立支援ステーション ぽかぽか
ワークセンター こすもす 略称:こすもす
〒639-1123奈良県大和郡山市筒井町418番地1 TEL 0743-84-4321
E-mail pokapoka@marble.ocn.ne.jp URL http://www.pokapoka-cosmos.com/
こすもすは、指定障害福祉サービス就労継続支援B型事業所です。
令和3年(2021年)4月に新施設へ移転し、利用定数は40人となりました。事業所の前身は「柿本点字出版所」(開設昭和45年〔1970年〕)でしたが、平成24年(2012年)に現在の事業所に点字部門を統合しました。
【事業内容】点字・軽作業・製菓・農業・カフェ・ものづくり
点字部門では、地方自治体の広報の製作や、点字名刺、点字シール製作、各種団体からの受注印刷、そして、日本盲人福祉委員会視覚障害者選挙情報支援プロジェクトに加盟し、選挙公報の製作に当たっています。
新施設への移転とともにブレイルシャトル製版機を導入し、複数のローラー印刷機やのりづけ機も設置しています。
同時に録音室を設け、広報などの音訳版の製作にも取り組んでいます。
ものづくりでは、点字用紙を再利用して、ステンシルを加えたペーパーバッグや封筒作りも行っています。
社会福祉法人 岡山ライトハウス 点字出版所
〒700-0975岡山市北区今1-7-25 TEL 086-241-4226
E-mail tenji@olh-estate.com URL https://www.olh-estate.com/
当点字出版所は、創設以来、月刊で点字版の医学雑誌を発行しています。
その他、各地方公共団体が発行している広報誌や福祉関係資料、各種団体の資料等について受託し、点訳・製本まで行っています。
日本盲人福祉委員会選挙情報支援プロジェクトに集結する全国の点字出版所の一施設として、衆議院議員選挙、参議院議員選挙、県知事選挙等の点字選挙公報発行の一翼を担っています。
また、あはき師に必要な医学書の点訳出版および視覚特別支援学校理療科の教科用図書(点字版・拡大活字版・デイジー版・UDブラウザ版・点字データ版)を発行しています。特にこの分野では専門性をもった先生方に執筆をお願いして、オリジナル図書を製作しています。
一般社団法人 広島ブレイルセンター
〒732-0009広島市東区戸坂千足1-1-25 川口ビル101 TEL 082-516-8411
E-mail mail@hbrlc.or.jp URL https://hbrlc.net
当施設は、社会福祉関係図書や雑学・ハウトゥー図書をはじめとし、平和のことなど「世界にひろげよう広島のねがい」をテーマに、広島の文化や観光に関する情報を中心とした図書を発行しています。
また、各地方公共団体が発行している点字の広報誌の製作、民間企業等からの点字名刺・パンフレット・シール等の受託・製作、手すり点字や触図などの点字サインの監修も行っています。
日本盲人福祉委員会視覚障害者選挙情報支援プロジェクトに参加し、全国の点字出版施設とともに、衆議院議員選挙や参議院議員選挙等の点字公報の製作にも携わっています。
法人格を取得し11年目を迎えています。その間、障害者が地域社会の中で、安心して生き生きと活躍できる場としての就労継続支援事業所、居宅介護・同行援護事業所、視覚障害児童・生徒を中心とした放課後等デイサービス事業所などを開設し、地域に根ざした施設として活動しています。
社会福祉法人 佐賀ライトハウス 六星館
〒840-0815佐賀市天神1-4-16 TEL 0952-29-6621
E-mail sixstar@po.bunbun.ne.jp
六星館は、昭和56年(1981年)4月に身体障害者通所授産施設として開所して以来、令和5年(2023年)まで42年間運営しています。当館は、点字の印刷物の製作を仕事としていることもあり、視覚に障害のある利用者を多く受け入れてきました。現在も、利用者21名中10名に視覚障害があり、さらにその半数に重複した障害があります。
平成23年(2011年)に就労継続支援B型事業所に移行しました。
B型事業所というのは、一般就労が困難な利用者が通所する施設です。視覚と知的障害がある利用者にとって当館は、佐賀県内で唯一無二な施設だと自負しています。作業工程をできるだけ細分化し、利用者全員が何らかの作業で点字出版物製作にかかわる工夫をしています。もちろん、視覚障害者だけでの作業は困難なので、さまざまな障害、幅広い年齢の利用者が協力しあいながら、作業を進めています。
また、10年前のアピール文には無かった事柄ですが、近年、内職的な作業を請け負うことが増えました。
売り上げ的には、年間20万円にもならないのですが、点字使用者の激減により、30年前と比較して印刷数が半分以下となっています。作業量が十分にないと自由時間ばかりで利用者も退屈します。しかし、点字関連以外のこの作業を利用者は、喜んでいます。全盲の利用者に知的障害がある場合が多く、皆さんが達者に点字の読み書き・校正などができる訳ではありません。
その点、内職的な作業は、何個終了したか数えることができ、とても分かりやすいのです。
この3年間、コロナ禍の影響で不自由な生活を強いられてきました。しかし、このまま停滞している訳にはいきません。令和5年(2023年)は、コロナ禍以前の生活に戻りたい。心から願っています。
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情報サービス部会:85施設
全国の視覚障害者情報提供施設・団体が加盟しており、見えない方・見えにくい方を取り巻く情報環境の向上や読書バリアフリー社会の実現に向けてのさまざまな事業を施設間で連携しながら実施しています。
また部会の主な活動としては、点字指導員、音訳指導員、情報化対応支援者の養成およびスキルアップにかかわる研修会の実施、視覚障害者の選挙情報を保障するため音声版選挙公報(選挙のお知らせ)の製作に取り組んでいます。(部会長 又木勝人)
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社会福祉法人 旭川光風会 旭川点字図書館
〒070-0037北海道旭川市7条通14-66-15 TEL 0166-23-5555
E-mail fav05071@atlas.plala.or.jp
当館は、旭川市中心部に位置し、JR旭川駅よりバスで10分程度です。
施設は点字ブロックと同じ黄色で、目立つ建物となっています。施設周辺の歩道は点字ブロックの敷設が施され、一角の私有地に盲導鈴を設置したことで、より便利になりました。
点訳、音訳図書の製作のほか、行政関連のイベントPRなどの事業も行っています。
施設には大小の会議室があり、視覚障害者団体の打ち合わせや、クラフト教室・料理教室、サウンドテーブルテニス等に使用されるほか、近くに来たので「一寸(チヨツト)一服」の場所にも利用されています。
運営主体は社会福祉法人です。隣のデイサービスや三丁(約300m)離れた場所の盲養護老人ホームは当法人が運営していて、令和5年(2023年)末に建替完了し、新築となり個室の施設になります。
点字図書館を利用する方も、加齢に伴い住環境や生活を考える時期があると思います。そんな時に、確かな情報を身近に提供できる施設でありたいと考えています。
社会福祉法人 小樽市社会福祉協議会 小樽市点字図書館
〒047-0033北海道小樽市富岡1-5-10 小樽市総合福祉センター TEL 0134-25-7401
E-mail taruten@pluto.plala.or.jp URL http://www.otaru-shakyo.jp/
小樽市では、昭和40年代に福祉・医療の充実をはかる施設が計画され、市の中心部に近く、かつ公共交通機関の利便性が良いことから、昭和46年(1971年)に総合福祉センターが、翌昭和47年(1972年)に保健所と医師会館が現住所に、建設されました。当館は、昭和46年(1971年)に点字図書室としてセンター内に設置。昭和50年(1975年)に小樽市総合福祉センター点字図書館として認可。平成18年(2006年)より、小樽市から小樽市社会福祉協議会が指定管理を受け、小樽市点字図書館となりました。
地域に根ざした点字図書館として、開設当初からボランティア団体の協力のもと、ラジオ番組形式で生活情報や利用者からの手紙の紹介、取材した小樽市内の情報、『北海道新聞』の内容を毎日紹介したCDや小樽の視覚障害者団体の会報の製作協力など、地元情報の発信を行っています。また、プライベートサービスや、市から依頼される広報等、および、視覚障害者団体等から依頼された点訳・音訳も行っています。その他ボランティア養成講座の開催や、視覚障害者団体と協力して、館内や市内の環境改善や館内に展示スペースを設け、情報発信に向けて取り組んでいます。
一般社団法人 釧路身体障害者福祉協会 釧路市点字図書館
〒085-0003北海道釧路市川北町4-17 釧路市身体障害者福祉センター
E-mail sinsyo-946-centerz@bz04.plala.or.jp TEL 0154-24-7471
釧路市点字図書館では音訳・点訳のボランティア団体に協力をお願いし、ボランティア団体の支援を行い、年200冊近くの音訳図書・点訳図書の製作に力を入れ、点訳図書は約3,100タイトル・音訳図書は約4,800タイトルを所蔵しております。
また、ボランティア養成講習会を開催し次代を担う音訳・点訳ボランティアの育成を行っております。ボランティア養成講習会は音訳・点訳いずれも釧路市内に住みボランティアに参加できる方を対象としており、6月~11月頃まで開催しております。音訳はパソコン録音に完全移行するよう努めております。
釧路市で発行されている『広報くしろ』や市議会だより、カレンダーなどの地域定期刊行物の点訳・音訳物の無料配布、プライベートサービス、レファレンスサービス、コピーサービス等を承っております。
札幌市視聴覚障がい者情報センター
〒060-0042北海道札幌市中央区大通西19丁目 TEL 011-631-6747
E-mail shichokaku@city.sapporo.jp
URL https://www.city.sapporo.jp/shinsho-center/shichokaku/index.html
札幌市視聴覚障がい者情報センターは、視覚・聴覚に障害のある方の情報・コミュニケーションを支援する施設として、平成17年(2005年)5月に開設されました。
点字図書館業務は、札幌市においては、昭和40年(1965年)より実施されている事業です。
また、札幌市の広報誌の点字・音声版として、『声のさっぽろ』『点字さっぽろ』を製作し、毎月の市政情報を利用者の方々に送付しています。
中途失明者社会適応訓練としては、視覚に障害のある方のための点字、パソコンの訓練を実施しており、それぞれ基本のカリキュラムを設定し、利用者の方の状況に応じて習得できるようにしています。
平成24年度(2012年度)からは、「福祉機器・情報支援機器体験コーナー」を設置し、日常生活用具に指定されている福祉機器などを直接体験できるとともに、機器に関して必要な情報提供を行っています。
社会福祉法人 千歳市社会福祉協議会 千歳市点字図書室
〒066-0042北海道千歳市東雲町2-34 TEL 0123-27-3921
千歳市総合福祉センター内
E-mail chitose-shikaku@city.chitose.hokkaido.jp
URL https://www.chitose-shakyo.or.jp/disability/library.html
千歳市点字図書室は、視覚障害者の日常生活に必要な地域情報を提供することを目的に設置された施設です。
主に一般図書、定期刊行物、各種雑誌等の製作・貸し出しを行っていますが、個人的に必要な情報、行政が市民に向けた情報、地元選挙にかかわる情報(公報の製作・配布)等の提供も行っています。視覚に障害のある子どもと大人が一緒に楽しめる点訳絵本の貸し出しも行っています。
また、ひとりでも多くの方に視覚障害者の福祉に理解をいただき、点訳、音訳の活動に参加していただけるよう、ボランティアの養成を目的とする講座を開催し、人材確保に取り組んでいます。
規模は小さいながらも熱心な利用者と、多くのボランティアの方々に支えられて地域に密接した事業を展開しており、今後も利用者のニーズに沿った情報の迅速な提供に努めていきたいと考えています。
日本赤十字社 北海道支部点字図書センター
〒060-0002北海道札幌市中央区北二条西七丁目 道民活動センタービル5F
E-mail tenkanri@tenjihokkaido.jrc.or.jp TEL 011-271-1323
点字図書センターは、昭和54年(1979年)9月、日本赤十字社北海道支部が北海道の要請を受けて設置・運営主体となり設立されました。
当センターは、身体障害者福祉法に基づく情報提供施設で、点字・録音図書の製作・貸し出し、および、図書製作にご協力いただくボランティアの養成を事業の2本柱として運営しています。加えて、視覚障害者の個々のニーズにできるだけ対応するために、FAX代読や代筆等のプライベートサービスも実施しています。
施設内には、点訳ボランティア活動室および六つの録音室を備え、日々、点字・録音図書の製作にあたっています。
また、令和4年(2022年)4月に新たに設立したテキスト製作奉仕団の協力により、テキストデイジー製作にも積極的に取り組んでいます。
特定非営利活動法人 函館視覚障害者図書館 略称:函館視障図
〒040-0063北海道函館市若松町33-6 函館市総合福祉センター内
E-mail htt@hakoten.org URL http://hakoten.org/ TEL 0138-23-2580
視覚障害者に対して、点訳・音訳図書、雑誌、新聞等の製作や貸し出しを行っています。他に、視覚障害者へのパソコン指導や、代読・代筆支援員による日常生活における種々の情報提供サービスも行って、視覚障害者の読書権の保障と確立を目ざしながら、視覚障害者の社会参加のお手伝いをしています。
また、点訳ボランティア、音訳ボランティア、パソコン点訳ボランティア、代読・代筆ボランティア等の育成のために、毎年、講習会や研修会を開催しています。
当館は、特定非営利活動法人(NPO法人)として認定され、行政や自治体では行き届かない情報提供サービスをきめ細かく展開すべく、さまざまな事業に積極的に取り組んでいます。しかし、賛助会費や寄付等によって運営している当館にとっては、常に活動資金の不足が悩みの種です。平成27年(2015年)に寄付者が税控除を受けられるNPO法人として、北海道から認定を受けましたが、事業継続のために、できる限りの努力と工夫を重ねております。
社会福祉法人 ほくてん 北海点字図書館 愛称:ほくてん
〒080-0802北海道帯広市東二条南11-3 TEL 0155-23-5886
E-mail info@hokuten.com URL https://www.hokuten.com
「ほくてん」の名で親しまれている当館は、昭和23年(1948年)ヘレン・ケラー女史の来道を記念し、翌昭和24年(1949年)に全国で3番目の点字図書館(初代館長後藤寅市)として北海道帯広市で発足しました。
昭和40年(1965年)から、オリジナルテープ雑誌『北海ジャーナル』を刊行し、声の文芸「俳句・短歌」や、盲界名士による「盲界放談」、利用者が直接参加する「イロハ発言」などを製作、現在はCD雑誌『アシリ』に引継ぎ、有益な情報の提供に努めています。出版事業では、北海道と帯広市の広報や各種選挙時の点字・録音出版等の受託製作を行っています。
平成15年(2003年)から中途失明者への点字・パソコン指導・生活基礎訓練を実施し、地域の自治体と連携し、外出が困難な方々には自宅へ直接伺い、指導しています。
平成27年(2015年)より、北海道内の道北圏(空白地域)への支援活動を強化するため、名寄事務所(現神奈川事務所)を設置し、関係機関との連携を軸に活動を進めています。
近年では、SNSツール(Facebook、Twitter、YouTube)での情報発信を行い、支援に関する普及啓発活動にも注力しています。さらに、令和元年(2019年)より「BLINDSIDE
(https://blindside.or.jp)」を立ち上げ、「視覚障害者の新しい活躍の場(就労・イベント等)の支援」等を目的として、動画配信や支援活動を行っています。
今後も、利用者一人ひとりのニーズに応え、日常生活の質の向上を目指し、事業展開を進めていきます。
一般社団法人 青森県視覚障害者福祉会
青森県視覚障害者情報センター 略称:青視(アオシ)セ
〒038-8585青森市大字石江字江渡5-1 青森福祉庁舎3F TEL 017-782-7799
E-mail aosise@aosise.com URL http://www.aosise.com/
当センターは、平成12年度(2000年度)に点字図書館から視覚障害者情報センターに名称変更されました。平成18年度(2006年度)からは指定管理者制度が導入され、従来の図書製作・貸し出しの他に、視覚障害者に対する情報提供に関し必要な業務を行うことも明示されています。このため関係機関と連携をはかり、利用者の方々が求める情報提供を行うとともに、可能な限り相談等にも対応し、ケースによっては他の機関に繋げる役割をも果たすよう努めております。
社会福祉法人 岩手県社会福祉事業団
岩手県立視聴覚障がい者情報センター
〒020-0045岩手県盛岡市盛岡駅西通1-7-1 いわて県民情報交流センター(アイーナ)
E-mail iwatesan@aiina.jp URL https://www.aiina.jp/site/sityoukaku/ TEL 019-606-1743
昭和39年(1964年)4月、岩手県点字図書館開館。昭和53年(1978年)、岩手県から岩手県社会福祉事業団が運営を受託。
平成18年(2006年)、盛岡駅西口に新設された「いわて県民情報交流センター」への移転を機に、新たに聴覚障害者情報提供施設機能を加え、岩手県立視聴覚障がい者情報センターとしてスタートしました。
視聴覚障害者一人ひとりの「知りたい」「学びたい」「楽しみたい」という多様なニーズに対応し、点訳図書、録音図書、字幕(手話)入りビデオ等の貸し出し、閲覧および製作、収集を行っています。
また、点訳・音訳・デジタル録音編集ボランティアに加え、ITサポーター、手話通訳者・要約筆記者等の養成講習会を開催し、人材の育成と地域における活動を支援しています。
さらに、点字図書館部門では、情報機器展、交流会(サロン)等を開催し、利用者の方々との交流をはかるとともに、地域の公共図書館と連携をはかりながら、県民に対する啓発活動に取り組み、利用の拡大に努めています。
公益財団法人 宮城県視覚障害者福祉協会
宮城県視覚障害者情報センター
〒980-0011宮城県仙台市青葉区上杉6-5-1 TEL 022-234-4047
E-mail miyagi-sikaku@nifty.com URL http://www.miyagi-sikaku.org/
宮城県内唯一の視覚障害者のための情報提供施設として、自立と社会参加の支援に関する事業を実施しています。
特徴は、宮城県立視覚支援学校敷地内に併設されているため、支援学校の児童・生徒の利用が多いことです。図書の製作・貸出業務のほか、ボランティアの養成、プライベートサービス、対面音訳、点字訓練、相談業務、視覚障害者用情報機器の操作体験および講習などを行っています。
平成26年度(2014年度)より、地域連携推進業務を開始し、県内各地域で情報交流会を開催し、行政・当事者・センターでつながるための場を設けています。
社会福祉法人 秋田県社会福祉事業団
秋田県点字図書館 略称:アキタテント
〒011-0943秋田市土崎港南3-2-58 TEL 018-845-0031
E-mail tenji@fukinoto.or.jp URL http://www.fukinoto.or.jp/tenji/
当館は点訳・音訳図書製作として、自館製作の月刊誌『PHPスペシャル』(音声デイジー版)、隔月誌『明日の友』(音声デイジー版)、新聞抜粋の『朝日新聞』(音声デイジー版)と『あきた魁(サキガケ)新報』(音声デイジー版)のほか、12館共同の週刊誌『週刊文春』(デイジー版)を製作しています。このほか、秋田県の広報『あきたびじょん』(録音版)『秋田県議会だより』(録音版)を受託・製作しています。当館情報紙として『点図だより』(音声デイジー版)も製作しています。
また、利用者個人の資料の点訳、音訳も製作しています。
このほかの事業としては、「利用者懇談会」、視覚障害者団体との共催による「情報機器展」、小中学生対象として「夏休み点字図書館探検」や「中高生職場体験」を行うほか、毎週月曜日の午前中に音訳ボランティアが電話で新聞記事を読みあげるサービスなどを行っています。
社会福祉法人 山形県身体障害者福祉協会 山形県立点字図書館
〒990-0031山形市十日町1-6-6 TEL 023-631-5930
E-mail yamaten@ic-net.or.jp URL http://y-sinsyokyo.com/
山形県が設置し、山形県身体障害者福祉協会が運営しています。
主な事業として、点字図書・録音図書(テープ・CD)・点字雑誌・録音雑誌の貸し出し、利用者依頼のプライベートサービスやリーディングサービスを行っております。図書館だよりを隔月ごとに発行し最新の図書の紹介、便利グッズやイベントの開催予定、利用者の声などを掲載し利用者への情報提供に努めています。
また、図書を製作するボランティアの育成・指導を行い、正確な図書製作を心がけております。
広く図書館をPRするため、移動点字図書館として、盲学校や小・中学校、福祉施設・病院等の行事に参加し、利用紹介や点字、プレクストーク、音声パソコンの体験を行っています。
視覚障害者情報交流会を毎年各地域で開催し、講演会、勉強会、音声ガイドアプリを使用した映画体験会、機器体験会、参加者同士の交流会など、その年毎にテーマを決めて行っています。
中途視覚障害者緊急生活訓練事業では、相談窓口として福祉制度や関連機関のご紹介、スマートフォンや視覚障害者用具の使い方、希望者に点字指導を実施しています。
公益社団法人 福島県視覚障がい者福祉協会 福島県点字図書館
〒960-8002福島市森合町6-7 TEL 024-531-4950
E-mail fukushimatenji@ad.wakwak.com URL http://park22.wakwak.com/~fukushimatenji/
本館は、指定管理者である「公益社団法人福島県視覚障がい者福祉協会」が、当事者団体としての知見を生かし、また、当協会が県より受託している「福島県視覚障がい者生活支援センター事業」との連携を図りながら、管理運営をしています。
本館では、広い面積を有する福島県をカバーするために、平成20年度(2008年度)から本館のPRと利用登録者の拡大、開催自治体の福祉施策についての説明会、最新情報機器の展示等を行う目的で「視覚障がいを知る地域交流会」を、毎年県内(2カ所の市町村)で開催しています。
この際には、開催地の障害福祉担当課のご協力をいただいています。
また、本館では毎年、県内から希望者を募り、点訳、音訳、デイジー編集、テキストデイジー奉仕員それぞれの養成講座を実施しています。さらに、当館に登録している奉仕員を対象に各種研修会を実施し、正確で読みやすい、聞きやすい図書製作に努めています。
そして、ここ数年は、本館職員のスキルアップを目指して、各種研修に積極的に参加してもらっています。音訳・点訳指導員研修会・認定試験、同行援護従業者養成研修等です。
これからも、県内外の視覚障害者の読書環境の充実のため、努力を重ねて行きたいと考えています。
社会福祉法人 茨城県視覚障害者協会 茨城県立点字図書館 愛称:茨点
〒310-0055茨城県水戸市袴塚1-4-64 TEL 029-221-0098
E-mail ibacenter@work.nifty.jp URL http://ibacenter.la.coocan.jp/
当館は茨城県により設立され、現在は社会福祉法人茨城県視覚障害者協会が指定管理者として「茨城県立視覚障害者福祉センター」とともに運営を行っております。この利点を活用し、利用対象である茨城県内在住の視覚障害者と有機的に協調し、点字図書館としての製作・貸し出しのみならず総合的な情報提供、中途失明者緊急生活訓練や視覚障害者に対する社会生活教室等の各種支援事業を複合的に行っております。
点字広報等発行事業として、全国紙や地方新聞の記事抜粋、地元ミニコミ誌や写真週刊誌などを音訳し、茨城県内の利用者、および他県点字図書館や公共図書館などに提供しております。
また、点字版の広報として、社会福祉法人日本視覚障害者団体連合より配信される『点字JBニュース』を発行しております。
社会福祉法人 栃木県社会福祉協議会
とちぎ視聴覚障害者情報センター
〒320-8508栃木県宇都宮市若草1-10-6 とちぎ福祉プラザ2F TEL 028-621-6208
E-mail sityokaku-tenji@tochigikenshakyo.jp
URL https://www.tochigikenshakyo.jp/service/center/index.html
当センターは、栃木県内の視覚障害者に対する情報提供の拠点として、点訳・音訳図書等の製作および貸し出し、点訳・音訳ボランティアの技術向上に取り組んでいます。
また、視覚障害者を対象にしたパソコン講習、地域ボランティアグループと連携した点訳・音訳なども行っており、視覚障害者の社会参加と理解の促進に努めています。令和3年(2021年)には視覚・聴覚に障害のある方のICT機器の利活用を支援する「栃木県障害者ICTサポートセンター」を開設し、相談対応やパソコンボランティアの養成等にも取り組んでおります。
より多くの利用者のみなさまに安心して利用いただける施設となるよう、今まで以上にサービスの充実を心がけていきます。
社会福祉法人 群馬県社会福祉事業団・公益社団法人 群馬県視覚障害者福祉協会
群馬県立点字図書館 略称:群馬点図
〒371-0843群馬県前橋市新前橋町13-12 群馬県社会福祉総合センター3F
E-mail guntento@mtd.biglobe.ne.jp URL https://www.guntento.org/ TEL 027-255-6567
当館は昭和48年(1973年)の設立当時から群馬県社会福祉事業団が運営受託をしてきました
が、平成18年度(2006年度)からの指定管理者制度導入により、群馬県視覚障害者福祉協会と当事業団が共同で管理運営を行っています。共同運営により、利用される方のニーズを的確に把握し、即応したサービスの提供を心がけています。
主な事業は、①利用者サービス(図書等の貸し出し、プライベート点訳・音訳)、②図書等の製作・収集、③ボランティアの養成です。
視覚に障害のある方の「読書権」「知る権利」を保障するために、図書製作はもとより、図書情報等へのアクセス保障にも取り組んでいます。デイジー図書については、再生機の貸し出し・再生機操作相談を行い、利用促進に力を入れています。また、数年前よりシネマデイジー、テキストデイジーの製作も行っており、より多くの媒体から選んで利用できるよう、資料の充実に努めています。平成28年(2016年)からは啓発普及活動として、県内の視覚障害者支援施設・団体による視覚障害者等支援ネットワーク「まゆだまネット」を発足させ、広く県民を対象としたイベント「まゆだまネットフェスタ」を開催してきました。今後も関係機関との連携をさらに強化し、皆さまに役立つさまざまな情報を発信していきたいと考えています。
社会福祉法人 埼玉県ブルーバードホーム 埼玉県立熊谷点字図書館
〒360-0031埼玉県熊谷市末広3-9-1 埼玉県熊谷地方庁舎3F TEL 048-525-0777
E-mail kumaten@kuh.biglobe.ne.jp URL http://www.normanet.ne.jp/~kumatten
当館は、平成18年(2006年)1月6日付埼玉県告示第三十八号で、社会福祉法人埼玉県ブルーバードホームの長年の実績が高く評価され、指定管理者として埼玉県より管理運営を委託された施設です。
活字による読書が難しい視覚障害者等のために、点字図書、録音図書および雑誌等の貸し出し、閲覧を行い、社会的・文化的教養の向上をはかるとともに、点訳・音訳・デイジー編集ボランティアの育成指導を行い、視覚障害者等の福祉の向上に努めています。
点字により日常生活の情報を得ている視覚障害者等に対し、新聞等による最新情報を提供するニュースサービス(点字JBニュース)があります。また、さまざまな読書相談にお応えし、趣味や学習などの目的で手元に点字図書や録音図書を置いて役立てたい、データで持っていたいなどのサービスにも対応しております。
視覚に障害のある方や文字を読むことが困難な方など活字による読書が難しい方なら、どなたでもご利用できます。ご登録を心よりお待ち申しあげます。
社会福祉法人 埼玉県視覚障害者福祉センター 埼玉点字図書館
〒330-0852埼玉県さいたま市大宮区大成町1-465 TEL 048-652-4824
URL http://saitamatenji.jp/
視覚障害者用図書(点字・録音)の貸し出し・製作と利用支援を行っています。
【貸出】点字図書、録音図書(デイジーCD図書)の貸し出しを郵送等で行っています。デイジーCD図書を体験できるようにデイジー図書再生機の貸し出しも行っています。
多様なニーズに応えるため、他館借り受けのほか、複写、Lサイズ点字の打出しによる貸し出し等も行っています。
【製作】点字や録音のボランティア養成を行い、図書・雑誌・広報等を製作しています。点字雑誌では、『日本経済新聞』のニュース用語解説『きょうのことば』、『日本経済新聞』の朝刊コラム『春秋』を製作しています。録音雑誌では、週刊誌『ニューズウィーク日本版』、パソコン関連の月刊誌『日経PC21』、川柳等の投稿を掲載した月刊誌『文芸ネットワーク』を製作しています。そのほか、個人依頼による資料の点訳、音訳、テキストデイジー編集、対面朗読を行っています。
【利用支援】読書バリアフリーを目指して、サピエ図書館の活用支援、デイジー図書再生機の個別操作説明(予約制)、パソコンやスマートフォン等の各種講習会を不定期で開催して、利用者への情報提供に努めています。また、中途障害の方の点字習得支援にも力を入れています。『図書館報』での情報提供や初心者向けの点字読み物の発行、点字一覧表の配布を行っています。
社会福祉法人 千葉県視覚障害者福祉協会
視覚障害者総合支援センターちば 略称:視障センターちば
〒284-0005千葉県四街道市四街道1-9-3 TEL 043-424-2501
E-mail center-chiba@tisikyo.jp URL https://www.tisikyo.jp/
運営法人は、当事者が経営する法人として会員活動のほか、同行援護事業所のぞみ、就労継続B型ワークショップ四街道を経営しています。同行援護従業者の養成研修事業も実施しています。
当センターでは、「視覚障害とともに生きる」ことを基本理念として、情報とリハビリテーションの一貫した支援サービスを提供するとともに、こうした人びとの地域生活を支える基盤整備を行うことによって、視覚障害者の社会自立を総合的に支援することに努めています。
具体的には、当センターで実施する点字図書館運営事業、点字出版事業、視覚障害者生活訓練・コミュニケーション等支援事業、(視覚)障害者IT支援事業(三者共同事業体の代表団体)、福祉用具斡旋販売事業の各事業を連携させることにより、千葉県における視覚障害者の拠り所となるよう努めています。特に、中途視覚障害者のリハビリテーションについては、平成7年(1995年)に開始された在宅訓練の経験と、昭和26年(1951年)創設の点字図書館が一体となって支援する体制が整ったことは、1,000人を超える訓練修了者の生活の質の向上に寄与できたものと考えます。さらにスマートサイト(アイサポネット千葉)の中心施設として相談体制を構築しています。平成25年(2013年)から開始した公共図書館、特別支援学校向けの「視覚障害サービス担当者研修会」はサピエ図書館やデイジーの普及に大いに貢献しています。
大田区立障がい者総合サポートセンター 声の図書室
〒143-0024東京都大田区中央4-30-11 A棟3F TEL 03-5728-9434
対象者:大田区内在住の視覚障害者、障害などにより活字読書が困難な方
事業内容:①録音図書・点字図書等の製作と貸し出し。②プライベートサービスとして、個人向けにパンフレットや各種取扱説明書など墨字で表記されたものの録音・点訳サービスの実施(原本の準備や必要なCD、点字用紙代等は自己負担)。③対面朗読。④録音図書再生機等貸し出し。⑤中途失明の方を対象とした点字講習会の実施。
定期刊行物として、『おおた区報』、『おおた区議会だより』、『声の図書室だより』、『おとなりさん』(大田区・品川区の情報雑誌)『歴史街道』を製作・発行しています。
『歴史街道』は特に人気のある雑誌で、全国の協力施設からバックナンバーのお問い合わせをいただきます。しかし、バックナンバー貸し出しは、最新号発行の2年前までとなっています。
その他にも、点訳者養成講座(入門・初級・中級)、音訳者養成講座(初級・中級)の開催や定期的に情報交換会や現任研修を行いながら、点訳者・音訳者の技術向上をはかっています。
公益財団法人 すこやか食生活協会
〒103-0023東京都中央区日本橋本町2-6-13 山三ビル4F TEL 03-5641-5311
E-mail info@sukoyakanet.or.jp URL http://www.sukoyakanet.or.jp/
当協会は、昭和59年(1984年)に創立され、食生活に関する知識と情報を録音した月刊『声の食生活情報』を、カセットテープまたはデイジー対応のCDにより視覚障害者個人、視覚障害者福祉協会、点字図書館、盲学校などへ無償で提供しています。
この月刊『声の食生活情報』は、当協会のホームページ「すこやか食生活ネット」からも過去1年分のバックナンバーを聴いていただけるほか、サピエ図書館からダウンロードして聴いていただけます。
また、視覚障害者が自立してよりよい食生活を営むための手引として、大活字・透明点字を併用し、それに音声コードをつけたレシピ集を作成し、視覚障害者個人や点字図書館などに無償で配布するとともに、このレシピ集を盲学校の授業などにご活用いただいています。
このほか、当協会のホームページでは献立のヒントとなるレシピを、音声でも聴ける形で提供しています。
さらに、シニア世代の食生活に関する課題に対応した各分野の専門家による食育セミナーの開催、料理教室の開催によるバランスのとれた食事の指導、よりよい食生活のためのパンフレットの製作配布なども行っています。
社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 点字図書館
〒169-0072東京都新宿区大久保3-14-20 TEL 03-3200-0987
E-mail toshokan@thka.jp URL https://thka.jp
法人が運営する、あはき師養成施設「ヘレン・ケラー学院」の図書室を拡充・発展させ、昭和49年(1974年)に点字図書館として開設しました。全国の視覚障害者等に対し、点字図書、録音図書の貸し出しを行っています。
利用者のニーズに沿った点訳・音訳を心がけ、所属する約120人のボランティアが点字・録音図書の製作に務めています。
また、中途視覚障害者のための点字講習や、見えない・見えにくいことによる不自由さを軽減するための相談支援、歩行訓練・日常生活訓練を実施しています。
相談・訓練は、支援員一人という制約のなかで、インフォーマルサービスであることを強みに障害初期の方、身体障害者手帳を持たない方も含めた柔軟な対応を行い、支援の入口としての役割を担っています。
図書の利用や点字講習への問い合わせから情報提供・生活相談に発展することもあり、ニーズに応じて、専門的な支援へ繋げるために近隣の支援機関とも連携しながらさまざまな形での支援を提供しています。
豊島区立中央図書館 資料・点字図書館グループ 通名:ひかり文庫
〒170-8442東京都豊島区東池袋4-5-2 ライズアリーナビル5F TEL 03-3983-7864
E-mail hikari@library.toshima.tokyo.jp URL http://www.library.toshima.tokyo.jp/
ひかり文庫は豊島区立中央図書館に併設されている点字図書館です。昭和45年(1970年)11月に発足し、昭和47年(1972年)4月点字図書館として厚生省より認可を受けました。
点字図書・録音図書(テープ・音声デイジー)、拡大写本、さわる絵本などを備え、視覚に障害のある方などに貸し出しを行ったり、新刊案内『今月の本棚』(毎月1回)、デイジー雑誌『図書館通信』(季刊)の発行を行っています。ひかり文庫にない図書でも他の公共図書館や点字図書館から取り寄せることもできます。
対面朗読、点字指導員による点字指導、ボランティア団体による点字・録音図書やテキストデイジーの製作、個人資料の点訳・音訳のプライベートサービス、ボランティア養成のための音訳講習会・点訳講習会を実施しています。
また、館内の視覚障害者用の機器(音声・点字パソコン、点字プリンター、拡大読書機など)がご利用できます(ご利用の際は事前にご連絡ください)。
開館時間:午前10時~午後6時
休館日:毎月第2月曜日、第4金曜日、年末年始、特別整理期間
社会福祉法人 日本点字図書館 利用サービス部 略称:にってん
〒169-8586東京都新宿区高田馬場1-23-4 TEL 03-3209-2442
E-mail tosyo@nittento.or.jp URL https://www.nittento.or.jp/
【利用サービス部】
当館の読書サービスは、全国の視覚障害者を対象に三つの方法で提供しています。一つ目は、点字図書、録音図書を点字冊子やCDという形態で貸し出する方法。二つ目はご自身で用意していただいたSDカードやコンパクトフラッシュカードなどに、点字データ、録音データをダウンロードして提供する方法。三つ目はデイジーオンラインに対応した再生機をお持ちの方を対象に、メニューの中にある新着リストへ録音データをオンラインを利用して提供する方法です。
二つ目と三つ目はサピエ図書館が保有するすべてのコンテンツからお好きな図書を選ぶことができます。新刊本、人気の本でも予約待ちなしで、返却期限を気にすることなく利用することができます。
また、希望する本を見つけられない利用者には、レファレンスサービスであいまいな情報から本を探し出します。もし、希望する本が全国の点字図書館に無い場合は、プライベートサービスとして原本をご用意いただき、対面朗読や点字化・デイジー化・テキスト化を行っております(東京都に在住、在学、在勤している方のみご利用になれます)。
その他、視覚障害者のためのIT教室を開講しております。
特定非営利活動法人 日本点字技能師協会 略称:日点協(ニッテンキョウ)
〒160-0022東京都新宿区新宿七丁目12-1 新宿平和ビル1F TEL 080-1330-7282
E-mail nihontenjiginoushikyoukai@gmail.com URL http://nittenkyo.her.jp
日本点字技能師協会は、点字技能師を中心に組織する特定非営利活動法人(NPO法人)です。
平成15年(2003年)の設立以来、会員をはじめ、多くの関係者の方々のご協力をいただき、正しい点字の普及と、視覚障害者への理解を深めることを目標に活動してまいりました。
視覚障害者にとっての情報環境は、各種制度の創設やIT機器の進歩により改善されてきました。
しかし、点字による提供が望ましいと思われる公的な通知もいまだ十分になされていないのが現状です。これは各自治体などが点字での通知の必要性を認識していないこと、点字での提供のノーハウを持っていないことなどによるものだろうと考えられます。
点字技能師をもっと増やし、それぞれが持っている知恵を交換し合い、一人ひとりの資質向上をはかること、そして点字技能師の社会的認知度を高め、各地域で活躍できる場を広げていくことがこの問題解決にもつながるものと考えます。
【おもな活動内容】
◆研修会の開催
◆機関誌『日点協通信』の発行
◆(点字技能師を目指す方を対象とした)点字技能師チャレンジ講習会の開催
◆『点字技能検定試験の対策 過去問題の正答と解説』の発行
社会福祉法人 日本視覚障害者団体連合
日本視覚障害者センター情報部 略称:日視連情報部
〒169-8664東京都新宿区西早稲田2-18-2 TEL 03-3200-0011
E-mail jouhou@jfb.jp URL http://nichimou.org/
日本視覚障害者団体連合は、視覚障害者自身の手で“自立と社会参加”を実現しようと組織された視覚障害者の全国組織です。昭和23年(1948年)に「日本盲人会連合」として結成され、略称「日盲連」として親しまれてきましたが、令和元年(2019年)に法人名を「日本視覚障害者団体連合」に改名し、略称も「日視連」に変わりました。現在、都道府県および政令指定都市における60の視覚障害者団体の連合体として各種の活動を行っています。国や地方自治体の視覚障害者政策(人権保障、福祉、教育、職業、環境問題等)の立案・決定に際し、視覚障害者のニーズを反映させるため、陳情等の組織的な活動を展開しています。また、本部のある日本視覚障害者センターでは、点字図書館、点字出版所、録音製作所、用具購買所の運営の他に、調査研究、点字ニュース即時提供事業、総合相談事業等の各種の事業を行っています。
情報サービス部会に加盟している情報部では、点字ニュース即時提供事業として、月曜~金曜の毎日『点字JBニュース』の編集と発信を行い、『情報メール』の名称で福祉関連記事や職業関連記事を送信しています。
また、ホームページの作成・更新、インターネットによる『日視連声のひろば』をはじめ、月刊の『点字日本』、『日視連アワー』、隔月の『点字厚生』、『声の広報「厚生」』、季刊の『愛盲時報』など、定期刊行物用の原稿を作成しています。
霊友会法友文庫点字図書館
〒106-0041東京都港区麻布台1-11-4 いんなあとりっぷビル7F TEL 03-3586-5755
E-mail hoyubunko@reiyukai.or.jp
当館は季刊誌『法友文庫だより』(墨字版、点字版、デイジー版)を発行しています。
点字図書では、霊友会が毎月発行している雑誌『あした21』、『明法』を発行する他、仏教関連の図書を中心に製作・貸し出しをしています。
録音図書では、『あした21』発行の他、仏教関連図書、マンガ音訳の製作・貸し出しを行っています。
若い世代の点訳・音訳ボランティアを育成するため、「点訳講習会」「音訳講習会」も実施しています。また、「三者生き方フェスティバル」等のイベントで点字体験会や視覚障害者の誘導体験を行っています。
「日墨交流団」としてメキシコから来日する方々が毎年来館され、日本の障害者福祉や点字図書館について話し、交流を深めています。
社会福祉法人 ぶどうの木 ロゴス点字図書館
〒135-8585東京都江東区潮見2-10-10 日本カトリック会館内 TEL 03-5632-4428
E-mail logos@logos-lib.or.jp URL https://www.logos-lib.or.jp/
「ロゴス点字図書館」は昭和28年(1953年)、東京都大田区カトリック洗足教会内に「カトリック点字図書館」として創立されました。そして平成13年(2001年)4月に社会福祉法人格を取得し、名称もあらたに、「社会福祉法人ぶどうの木ロゴス点字図書館」として再スタートをきりました。
視覚障害者はその障害ゆえに諸困難を経験し、それを“苦しみ”として受けとめています。
苦しむことを通して、人は“考える”ことを始めます。“考える”ことは、人の内面生活を豊かにすることになり、さらに内面生活が豊かになれば、それは人生の充実につながります。
このことを踏まえ、私たちは〈考える図書館〉を理念として掲げ、視覚障害者が考えるよすがとなる点字や録音などの資料を提供していくことを使命としています。
【名前の由来】
ぶどうの木:夕日に照らされ、棚から重く垂れ下がっている「ぶどう」は豊かさをあらわし、人々は「ぶどうの木」の下で平和を味わう。
ロゴス:ギリシャ語で「言葉」、「原理(神)」をあらわす。点字図書も音訳図書もみんな言葉。
日本赤十字社 神奈川県ライトセンター
〒241-8585神奈川県横浜市旭区二俣川1-80-2 TEL 045-364-0023
E-mail mail@kanagawalc.org URL http://www.kanagawalc.org
当センターは、神奈川県内の視覚障害者(児)を対象に、総合的なサービスを提供しています。
当センターの図書や雑誌は、ほぼ全てボランティアが製作しています。雑誌は、現在点字雑誌7誌と録音雑誌15誌を製作・発行しています。蔵書以外にも、利用者個人が希望する資料を点訳や音訳、拡大する活動や、対面での音訳活動も行っています。
ボランティアの養成では、点訳・音訳・拡大写本・誘導・在宅援助・ITサポート・スポーツ介助等を行い、指導者の育成も行っています。
視覚障害者に対しては、白杖歩行訓練、デイジー図書再生機やパソコン・スマートフォン等のIT機器の操作訓練、調理や裁縫等の家事動作訓練等を行っています。
相模原市立視覚障害者情報センター
〒252-5277神奈川県相模原市中央区富士見6-1-1 ウェルネスさがみはらA館2F
E-mail shikaku-joho@city.sagamihara.kanagawa.jp TEL 042-769-8275
URL https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kosodate/fukushi/1026641/1006539.html
相模原市立視覚障害者情報センターは、視覚障害者への情報提供施設として、平成29年(2017年)4月にオープンしました。
視覚に障害のある方へ点字図書や録音図書の貸し出しを行うほか、市内の点訳赤十字奉仕団や録音奉仕会と連携し、点字図書や録音図書の製作、対面朗読、書籍を音訳しCD等に録音するリーディングサービスの提供を行っています。
また、視覚に障害のある方の生活をサポートするため、相模原市視覚障害者協会と連携し、「視覚障害なんでも相談サロン」を月2回開催し、ピア相談や情報交換の場の提供、情報機器の体験をサポ-トするなど、サービスの充実に努めています。
藤沢市点字図書館 略称:藤沢点図
〒252-0804神奈川県藤沢市湘南台7-18-2 藤沢市総合市民図書館内
E-mail taiyo-2@cityfujisawa.ne.jp TEL 0466-44-2662
URL https://www.lib.city.fujisawa.kanagawa.jp
藤沢市点字図書館は、公共図書館(藤沢市総合市民図書館)内にあります。この利点を生かし、映画会や音楽会などの事業を一緒に企画しています。
毎年の大きなイベントとして、「手で触れて見る彫刻展」を開催しています。市内在住の彫刻家である桒山賀行(クワヤマガコウ)氏のご協力のもと、普段は触れる機会のない彫刻に手で触れることができる
催しとなっています。平成4年(1992年)から毎年開催しており、令和4年(2022年)12月は4日間の開催で、延べ528人の方にご来場いただきました。動植物など自然のものから、観音像や仏像、家族をモデルにしたものなど、さまざまなモチーフの彫刻が展示されます。
また、毎年特別企画などを実施し、視覚障害のある方も晴眼者の方も一緒に楽しんでいただくことができるイベントとなっていますので、どうぞご来場ください。
横須賀市点字図書館
〒238-0041神奈川県横須賀市本町2-1 横須賀市立総合福祉会館4F
E-mail we-hw@city.yokosuka.kanagawa.jp TEL 046-822-6712
URL https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2625/tennto/
横須賀市が直営で運営する点字図書館です。毎年、それぞれ60タイトル以上の点訳・音訳の作品を製作している他、市が発行している広報誌や『障害者福祉の手引き』、観光用パンフレット、店の紹介など、市民の生活に密着した資料提供を行っています。
全国でも数少ない市立の点字図書館であるため、市内の視覚障害者の方に「点字図書館があってよかった」と思っていただけるような図書館を目指しています。最近では、iPhone・iPadの音声読み上げ機能を学ぶ講習や勉強会も開催しています。
また、サピエ図書館を支える一図書館として、一時の流行で終わってしまう本ばかりでなく新聞の書評で紹介された本など、長くご利用いただける資料の製作も心掛けています。
社会福祉法人 新潟県視覚障害者福祉協会
新潟県視覚障害者情報センター
〒950-0121新潟市江南区亀田向陽1-9-1 新潟ふれ愛プラザ2F TEL 025-381-8111
E-mail ngt@ngt-shikaku.jp URL http://ngt-shikaku.jp/
当県での点字図書館のはじまりは、大正9年(1920年)に姉崎惣十郎(アネザキソウジュウロウが新潟県柏崎市の自宅に開設した「姉崎文庫」にさかのぼります。当時としては珍しく点字図書の無料の郵送貸出を実施していました。大正15年(1926年)にその運営を新潟県盲人福祉協会(現新潟県視覚障害者福祉協会)が引き継ぎましたが、昭和33年(1958年)には新潟県が新設した「新潟県点字図書館」へ蔵書と図書館業務を移管、その後長年にわたり新潟県の直営施設となります。
平成9年(1997年)に新潟県から新潟県視覚障害者福祉協会に業務委託され、平成18年(2006年)には、指定管理者の指定を受けます。その後、時代の流れに合わせる形で平成29年(2017年)に施設の名称を現在のものに変更しました。
現在のサービス内容は、点字図書、録音図書の製作および貸し出しをメインに、時代やニーズに合わせた情報入手のための機器操作支援、各種情報配信、利用者参加のイベントの企画等を実施し、県内の視覚障害者の情報入手およびより良い生活を送るためのサポートをおこなっています。
時代や運営主体は変わっても「姉崎文庫」からの思いを引き継ぎ、多くの図書製作ボランティアや協力団体、利用してくださる皆様の想いに支えられて運営しています。
社会福祉法人 富山県視覚障害者協会
富山県視覚障害者福祉センター 愛称:とやまライトセンター
〒930-0077富山市磯部町3-8-8 TEL 076-425-6761
E-mail bcb05647@nifty.com URL https://www.toyama-ssk.com
点字図書館と盲人ホームの複合施設であり、富山県内の視覚障害者の活動拠点として活動しています。点字・録音図書製作やボランティアの養成講習はもとより、地方自治体発行の広報等の製作を始め、社会福祉法人富山県視覚障害者協会が受託する障害者社会参加総合推進事業として、70回を越える点字競技会の開催やパソコン競技会、文化祭、球技大会、更生相談会、ボランティアと利用者交流会、宿泊研修等の開催に加え、各種訓練・生きがい教室、スポーツ教室の月1回の開催、また、点字、パソコンの指導、日常生活用具・福祉機器の展示を行っています。
設置経営者である富山県視覚障害者協会と協力し、県内視覚障害者の福祉と文化の向上ならびに自立と社会参加をより推進するため、事業に取り組んでいます。
社会福祉法人 石川県視覚障害者協会
石川県視覚障害者情報文化センター
〒920-0862石川県金沢市芳斉1-15-26 TEL 076-222-8781
E-mail jimukyoku@ishishikyo.jp URL http://www.ishishikyo.jp
開設以来点字に関しては『日本点字表記法』および『点訳のてびき』にしたがって正確に点字表記された点訳図書の製作を目指してきた。
職員・点訳グループのメンバー・盲学校教員からなる点字・触図研究会を作り、点字の学習・研究を行った時期もある。そしてその結果として『点字表記辞典』の発行につながった。
音訳図書に関してもやはり同じく質の良いものを製作すべく努めてきた。
また、多くの人に喜ばれるものをと、『NHKきょうの健康』を初めとする録音雑誌では全文音訳の制作に積極的に取り組んでおり、全国各地に多くの読者がいる。
さらに、情報支援員を配置し、ITサポートボランティアの協力を得ながら利用者・点訳ボランティアなどのパソコン指導も行っている。
社会福祉法人 福井県視覚障害者福祉協会 情報提供センター
〒910-0026福井市光陽2-17-8 福井県視覚障害者情報文化会館 TEL 0776-23-4647
E-mail fkit@angel.ocn.ne.jp URL https://www.fukushikyo.org/
当法人は昭和33年(1958年)に事業を開始し、昭和48年(1973年)に社会福祉法人として認可されました。
平成15年(2003年)4月に福井県視覚障害者福祉協会の拠点施設「福井県視覚障害者情報文化会館」が完成しました。この施設は県内の視覚障害者の長年の念願が実現したもので、建設にあたっては、日本財団、福井県、県内各市町、企業、協会会員、点字図書館利用者、施設ボランティア等さまざまな方のご厚志をいただきました。
この施設を拠点として、視覚障害者が安心・安全な社会生活を高めるよう、更生相談事業、身体障害者居宅支援等事業、盲人ホーム設置事業、地域活動支援センター事業、グループホーム事業、家庭生活訓練事業、社会生活教室開催事業、ガイドヘルパー斡旋事業、日常生活用具の斡旋等を行っています。
点字図書館(情報提供センター)も併設され、点訳・音訳奉仕員養成事業の実施を始め、図書の貸し出しや館間貸出など全国の点字図書館と協力して利用者の利便に供しています。
社会福祉法人 山梨ライトハウス 情報文化センター
〒400-0064山梨県甲府市下飯田2-10-1 TEL 055-222-3502
E-mail joho@y-lighthouse.jp URL https://yamanashi-lighthouse.or.jp/
山梨ライトハウス情報文化センターでは、図書館活動を中心事業として、視覚障害者への情報提供ならびに点訳・音訳奉仕者の育成、視覚障害者に対する相談・自立訓練、県民に対する啓発交流などを積極的に行なっています。
図書館の事業としては、厚生労働省委託書の貸し出し、公立図書館への一括貸し出し、点訳・音訳・写本奉仕および購入などにより蔵書の充実に努めています。
読書の奨励としては、自館オリジナルの月刊広報『うるおい』(点字・録音・拡大)、月刊雑誌『山梨ジャーナル』(録音)の発刊により新刊図書の紹介をしています。また、現在220人の点訳・音訳・写本等の奉仕者の方々が、独自に技術研修、交流活動、機関誌の発行などを積極的に実施し、研鑽を積んでいます。
県民への啓発運動として、創設以来毎年11月を中心に行われる「白い杖愛護運動」では、教育現場と連携し、白い杖愛護作文の募集を行っています。さらに視覚障害者への理解を高める事業として、夏休みに児童親子を対象に点字・アイマスク体験や、盲導犬学習会などを実施しています。
社会福祉法人 長野県身体障害者福祉協会
長野県上田点字図書館 略称:上田点図
〒386-0014長野県上田市材木町1-2-5 TEL 0268-22-1975
E-mail tenjitoshokan@city.ueda.nagano.jp
URL https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/tenjitoshokan/1184.html
長野県上田点字図書館の沿革は昭和30年(1955年)6月に全国初の公立点字図書館として開館したことに始まり、昭和49年(1974年)に社会福祉法人の施設として移転新築、運営は上田市が受託するという転換を経て現在に至っています。
この間、県内外に点字図書やデイジー図書を貸し出すほか、それらの図書を製作するボランティアの養成および技術向上にも注力して蔵書を充実させ、県内唯一の点字図書館としての役割を果たそうと努めてきました。また製作した蔵書のデータは、今後もサピエ図書館にアップロードすることにより全国の多数の方の利用に供していきます。
社会福祉法人 岐阜アソシア
視覚障害者生活情報センターぎふ 略称:生活情報センター
〒500-8815岐阜市梅河町1-4 TEL 058-263-1310
E-mail center@gifu-associa.com URL https://www.gifu-associa.com/
明治24年(1891年)に発生した濃尾大震災で被災した視覚障害者の救済活動に当たった森巻耳(モリケンジ) と宣教師A. F.チャペルは、被災した視覚障害者の救済と生活安定のために「鍼灸按伝習所」を開設しました。これが、やがて全人的に教育を行う視点から盲学校開校へと発展していくことになり、明治27年(1894年)日本で5番目の盲学校「岐阜聖公会訓盲院」が誕生しました。
昭和15年(1940年)同訓盲院は県に移管され、岐阜県立岐阜盲学校となり、翌昭和16年(1941年)に社会事業部門を主体とした「岐阜訓盲協会」を設立し、新たな道を歩み始めます。
当初は、視覚障害女性の生活・訓練・就労の場でしたが、昭和34年(1959年)に「岐阜訓盲協会点字図書館」を開設。その後は時代時代に応じた事業を展開し、平成9年(1997年)には念願の新センターが建設され、これを機に現在の法人名と施設名に改称しました。
現在は点訳・音訳図書製作・貸し出し、触図・拡大写本製作のほか、各種指導・訓練(点字・歩行・生活・ICT機器)やリーディングサービス(読み聞かせ)と音声解説付き映画上映会などを行っています。その他、防災運動会や事業資金確保のためのチャリティーバザー(年2回)を岐阜はもんの会(奉仕者の会)を中心に実施しています。
宗教法人 日本キリスト改革派 静岡教会
静岡キリスト教盲人伝道センター
〒422-8041静岡市駿河区中田1-5-21 TEL 054-285-0496
E-mail shizumouden@dct7.net URL https://dct7.net/
当センターは令和5年(2023年)、創立55周年を迎えます。主な業務は、キリスト教図書専門の点字図書館としてのリクエストによる図書製作・貸し出しで、超教派のキリスト教図書を扱っています。また、『百万人の福音』、『信徒の友』等の月刊誌も製作し、多くの方々にご利用いただいています。
新約聖書ローマ書12章9~11節に次のような言葉があります。「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」。
福音に仕える奉仕は、このような神様の言葉に学びつつ、キリストの恵みに与りつつ、神様にお仕えする奉仕です。ただそこにだけ奉仕の継続の力の源泉があると思います。
お一人おひとりがセンターの働きに直接触れ、心に覚え、祈り始めてくださること、そのことの意味は決して小さくありません。神様のご支配は、そのような小さなところから始まって、やがて大きく成長して行くのです。
静岡県視覚障害者情報支援センター
〒420-0856静岡市葵区駿府町1-70 静岡県総合社会福祉会館2F TEL 054-253-0228
E-mail info@i-center-shizuoka.jp URL https://i-center-shizuoka.jp
当センターは、駿府城公園の東側にある静岡県総合社会福祉会館シズウエルの2階にあります。利用者対応は電話が主ですが、気軽に来所できる環境づくりに力を入れています。ボランティア養成も行っており、録音室やデイジー編集室、点訳作業室などはフル稼働です。視覚障害サービスの県内拠点として、皆さんの一番身近な窓口でありたいと思います。
①相談:日常生活や身体障害者手帳申請など、見えない・見えにくことで生じるさまざまな困りごとに対応
②読書:点字・音声図書の貸し出し、読書相談・案内、資料の点訳・音訳・テキスト化
③体験:スマートフォン・パソコン・音声デイジー図書関連機器や便利グッズなど
④支援:白杖歩行や点字習得などのスキルアップ
⑤情報:偶数月発行『アイサポートニュース』と電子メール配信『アイニュース』で新刊図書案内やセンター主催イベントなどをお知らせ
⑥土曜サロン:ITをテーマとする第1、体験や交流をメインとする第3、それぞれ土曜日の午後、イベントを企画・開催
⑦出前センター:年に数回、センター紹介・啓発のため、県内各所を訪問
社会福祉法人 名古屋ライトハウス情報文化センター 図書館事業部
〒455-0013愛知県名古屋市港区港陽1-1-65 TEL 052-654-4521
E-mail center@nagoya-lighthouse.jp URL https://nagoya-lighthouse.jp/joubun/
昭和35年(1960年)に「あけの星声の図書館」として誕生した当施設は、「名古屋ライトハウス図書館」、「名古屋盲人情報文化センター」を経て、令和2年(2020年)に「名古屋ライトハウス情報文化センター」と改称し、現在に至っています。
点字図書や録音図書の貸し出しをはじめ、レファレンスサービス、対面読書サービス、プリントサービス(有料)、新聞点訳サービス(有料)などを実施しています。
点訳・音訳では、図書に加え、雑誌の製作にも力を入れています。『小説野性時代』、『暮しの手帖』、『鉄道ピクトリアル』、『訪問リハビリテーション』などデイジー雑誌をはじめ、独自に編集をした『街で噂の新書案内』や『本のトビラ』などの点字・デイジー雑誌も取りそろえています。
読書バリアフリーの具現化と地域に開かれた施設を目指し、見え方に関係なく、どなたでも参加できる読書会「よむ・きく・はなす」を定期開催。また、ボランティアによるオリジナルの生解説を付けた映画上映会「みよまい会」は毎回好評をいただいています。
令和5年度(2023年度)には、視覚障害関連図書を集めた「愛盲報恩会文庫」を公開します。
利用者の豊かな生活を目指すための情報収集や学習の場としての小規模な講習会「MAJ」、中途視覚障害者向けの点字学習会、生活相談やICT支援、歩行訓練事業も充実しています。
社会福祉法人 愛知県盲人福祉連合会
点字図書館「明生会館」 略称:明生
〒440-0874愛知県豊橋市東松山町37 TEL 0532-52-2614
E-mail aimou_meisei@tees.jp URL http://www.tees.ne.jp/~aimouren/
明生会館は、昭和43年(1968年)10月1日に開館して以来、点字図書・録音図書の製作、貸し出しを行っています。平成24年(2012年)からは、プロ野球中日ドラゴンズの情報誌『月刊ドラゴンズ』を音訳し、ドラゴンズのお膝元ということから利用者には大変好評をいただいています。
音訳・点訳ともに何が視覚障害者にとって喜ばれるのか、何を必要としているのか試行錯誤し、新たな取り組みに意欲を燃やしています。
また、情報誌として、偶数月に『明生会館だより』、奇数月に『くるまえび』を発行し、日々 視覚障害者の生活および文化の向上のため、情報発信とサポートに努めています。
社会福祉法人 伊賀市社会事業協会 上野点字図書館
〒518-0851三重県伊賀市上野寺町1184-2 TEL 0595-23-1141
E-mail igatenji@ict.ne.jp URL https://www.iga-sjk.or.jp/
「点字図書館を伊賀の地に」という先達の情熱が実を結び、昭和46年(1971年)4月に開館しました。隣接する盲人ホームで働く三療従事者の利用する図書室として始まった当館は、令和3年(2021年)に開館50周年を迎えることができました。
運営母体は、創立70年余を数える社会福祉法人伊賀市社会事業協会です。法人設立の精神“相扶相愛”(互いに愛をもって助け合う)のもと、同法人が運営する盲養護老人ホーム梨ノ木園をはじめ、児童、高齢者、障害者、医療関係施設など多岐にわたる32の事業所とも連携をはかりながら業務に取り組んでいます。
当館の主な事業は、点字資料および録音資料の製作・貸し出し、ボランティアの養成、相談業務です。人口約9万人の地方都市にある小さな施設ですが、点字・録音資料の貸し出しサービスの利用登録を全国対象としていることもあり、各地域の個人利用者から図書のリクエストが届きます。
読書バリアフリーにかかわる取り組みとしては、伊賀地域の公共図書館と連携協力し、点字図書や録音図書をはじめとする点字図書館資料の展示会や録音図書の読書体験会を開催するなどして、サービス対象者でありながら録音図書を利用していない潜在的利用者や郵送貸出が適用されない読書困難者への働きかけを、定期的に行なっています。
今後も、利用者に、そして社会に、必要とされる点字図書館を目指して、“すべての人に読書の楽しみを”お届けできるよう、取り組みを進めてまいります。
社会福祉法人 三重県視覚障害者協会 三重県視覚障害者支援センター
〒514-0003三重県津市桜橋2-131 三重県社会福祉会館内 TEL 059-228-3463
E-mail center@mieten.jp URL https://mieten.jp
三重県視覚障害者支援センターは、平成18年(2006年)にそれまであった三重県点字図書館と三重県盲人センターの機能が統合され発足しました。発足とあわせて三重県視覚障害者協会が三重県から指定管理者として指定を受け、その管理運営にあたっています。
センターでは、点訳・音訳図書の製作・貸し出しならびに生活訓練事業として、歩行訓練、家事管理訓練、福祉機器活用訓練、点字教室、日常生活用具の使い方指導やITサポート事業を実施しています。また、ボランティア養成講座を開設するほか、交流事業としてハイキングの実施、情報支援事業として情報誌を月1回発行しています。養成講座を受講した点訳・音訳ボランティア等は、ほぼ毎日センターに集い、グループ活動を行っています。協会事業としては、グラウンドゴルフ、ボウリングなどの教室を開催するほか、支援センターを拠点として、パソコンを通じて視覚障害者の交流を促進するパソメイトの活動やセンターにある卓球台を利用しての健康増進・スポーツ活動も活発に展開しています。
さらに、当地域においては、近い将来、南海トラフを震源とする巨大地震も予想されており、そうした災害時の対応・支援のため、防災意識の向上のための研修会も開催しています。
社会福祉法人 滋賀県視覚障害者福祉協会 滋賀県立視覚障害者センター
〒522-0002滋賀県彦根市松原1-12-17 TEL 0749-22-7901
E-mail shice2@smile.ocn.ne.jp URL https://shigashisho.com/
昭和31年(1956年)に創設された滋賀県立点字図書館を前身として、平成12年(2000年)に開設されました。
琵琶湖の東岸、国宝彦根城を望む風光明媚な場所に当センターはあります。社会福祉法人滋賀県視覚障害者福祉協会が指定管理者となり、当事者の声を反映させてセンターを運営しています。
点字・録音図書の製作・貸出業務の他、料理や編物等の家庭社会生活教室、点字訓練、歩行訓練、ITサポート等の事業を実施し、また、点訳・音訳をはじめとする視覚障害者支援のボランティアの拠点となっています。
センターは県内1か所であるため、さまざまな行事や支援は、積極的に県内各地に出向いて、出張教室、訪問ITサポート、歩行訓練等を実施しています。
家庭社会生活教室では、相続と遺言、薬学、滋賀の交通史、おつきあいのマナーなど、利用者の興味や関心をとりいれたユニークで実用的な内容で開催しています。各種教室、ITサロン・IT講習等では、視覚障害者自身がスタッフやボランティアとしても活動しています。
令和4年度(2022年度)からは、読書バリアフリー推進員を配置し、読書支援機器の貸し出しや使い方のサポート、公共図書館の読書バリアフリー化の支援等を行っています。
社会福祉法人 京都ライトハウス 情報ステーション
〒603-8302京都市北区紫野花ノ坊町11 TEL 075-462-4579
E-mail joho@kyoto-lighthouse.or.jp
URL https://www.kyoto-lighthouse.or.jp/service/station/
京都ライトハウスは、昭和36年(1961年)に鳥居篤治郎先生等によって設立されました。京都市名誉市民という偉大な創立者を擁したこと、施設と視覚障害者団体が車の両輪となってきたこと、行政の絶大な支援があったことが、視覚障害者総合福祉施設としての発展の大きな原動力となってきました。
情報ステーションは設立当初からの基幹事業で、全国から京都の大学を目指して来られる視覚障害学生の学習と活動の拠点となってきました。
昭和38年(1963年)には声の図書事業を開始。録音図書の製作が始まりました。平成2年(1990年)には全国で初の「読み書きサービス」を開始し、利用者から大きな反響を得るとともに全国に誇れる事業となっています。情報ステーションという名称は、現在の建物が完成した平成16年(2004年)を期に、点字図書館から変更しました。
サービス内容は、図書・雑誌の貸し出し、プライベートサービス、対面読書、読み書き、レファレンス、情報機器のサポートなどを行っています。ボランティアの皆さまのご協力のもと、利用者の皆さまの「読みたい」「知りたい」情報へのアプローチをお手伝いするとともに、今後も先駆的で特色ある事業を展開していきたいと考えています。
社会福祉法人 丹後視力障害者福祉センター 愛称:あい丹後
〒629-3101京都府京丹後市網野町網野3081 TEL 0772-72-0609
E-mail aitango@ai-tango.jp URL http://ai-tango.jp
社会福祉法人丹後視力障害者福祉センター(あい丹後)は、昭和50年(1975年)4月に開設され、まもなく50年を迎えます。
あい丹後は視覚障害者情報提供施設(点字図書館)、相談支援事業、同行援護事業を三本柱とし運営しています。点字図書館では、利用者のニーズに合った図書製作やボランティアの確保と資質向上に取り組み、毎年養成・育成講習会を開催しています。
相談支援事業では、京都府から視覚障害者訪問相談員派遣事業の委託を受け、京都ロービジョンネットワークや地元関係機関と連携を取り、相談員が巡回訪問し、自立に必要な助言や指導を行うなど、利用者に寄り添った支援を行っています。
同行援護事業では、指定障害福祉サービス事業所「丹後ガイドセンター」を運営するほか、地元の福祉有償運送事業所と連携し視覚障害者の移動の利便性の確保に取り組んでいます。
また、IT社会が進む中で、視覚障害者に情報格差が生じないように関係団体と連携したIT講習会や、未来を担う小中高生への障害者福祉学習など、地域共生社会の実現を目指し取り組んでいます。
大阪市立早川福祉会館 点字図書室
〒546-0033大阪市東住吉区南田辺1-9-28 大阪市立早川福祉会館 TEL 06-6622-0123
E-mail hayakawa-f@k2.dion.ne.jp URL https://www.lighthouse.or.jp/hayakawa/
シャープ株式会社の創始者早川徳次氏が、生前大阪市へ寄付された7,000万円(建設資金6,500万円、整備資金500万円)の資金をもとに、昭和37年(1962年)に建設。寄付者を顕彰して、大阪市立早川福祉会館と名付けられました。現在の建物は平成5年(1993年)に建て替えられたものになります。3階にある図書室では、ボランティアとの協働による点字・録音図書の製作・貸し出しをはじめ、対面読書、プライベートサービス、ボランティアの養成など、視覚障害者の情報支援に関する事業を行っています。また、週3日、ボランティアの夜間活動日を設け、職員が午後9時まで常駐しサポートを行っています。
平成22年(2010年)4月より、社会福祉法人日本ライトハウスが大阪市より委託を受け、事業を実施しています。
開館時間:月曜日から土曜日(午前9時30分~午後5時)
休館日:日曜日、祝日、年末年始(12月29日から1月3日)
一般財団法人 大阪府視覚障害者福祉協会
大阪府立福祉情報コミュニケーションセンター 点字図書館
〒537-0025大阪市東成区中道1-3-59 TEL 06-6748-0611
大阪府立福祉情報コミュニケーションセンター内
E-mail tosyo2@fushikyo.or.jp URL http://www.fushikyo.or.jp
昭和44年(1969年)3月から大阪府内の視覚障害者の読書サービス機関として大阪府青少年会館内において点字図書館業務を開始。昭和58年(1983年)2月に大阪府盲人福祉センターに移転。令和2年(2020年)6月には大阪府立福祉情報コミュニケーションセンターが整備されたのを機に同センター内に移転し現在に至る。
運営主体の大阪府視覚障害者福祉協会は、視覚障害者福祉に関するさまざまな事業を実施しており、点字図書館業務以外の網羅的な情報も提供可能。
【主なサービス(事業)内容】
◆図書の貸し出し:図書や雑誌を点字・デイジー・カセットテープ等の媒体で貸し出し「サピエ」を利用した相互貸借やオンラインサインアップの代行手続きなど
◆対面朗読サービス:ご希望の図書や資料を朗読
◆プライベートサービス:ご希望の図書や資料をご希望の媒体で点訳または音訳(要実費)
◆『図書館だより』の発行(隔月)
◆その他:協会ホームページにおける『図書館だより』、『利用案内』、『追加目録』の案内製作ボランティア養成事業、デイジー再生機貸し出しなど
特定非営利活動法人 堺障害者団体連合会
堺市立健康福祉プラザ 視覚・聴覚障害者センター
〒590-0808大阪府堺市堺区旭ヶ丘中町4-3-1 TEL 072-275-5024
E-mail tento@sakai-kfp.info URL http://www.sakai-kfp.info/
当センターは堺市立健康福祉プラザ内に設置された施設です。
プラザは「障害者が住み慣れた地域で、主体的に、共生、協働のもと生き生きと輝いて暮らせる社会の実現」を目指して作られています。
その中で点字図書館では「来館していただける図書館」を目指して、プラザ内の関係機関と連携し「見えない・見えにくい方」に対してさまざまな支援を行っています。図書の貸し出し、製作、ボランティア養成、対面朗読はもちろんのこと、加えて関係団体からの依頼を受けて各種資料の点訳化・音訳化を行っています。利用者からの依頼を受けてプライベートサービスも随時実施しています。特に国立がん研究センターとは連携し、最新のがん医療情報の音訳・点訳を実施しています。
教養講座では千利休の生まれた堺らしく、茶道・華道を実施し、また毎月1回の交流サロンでは、スポーツ体験・クラフト工作等を実施し、当事者・支援者・職員が交流をしつつ意見交換をする場も設けております。
また、生活訓練指導員による、スマートフォンなどの情報機器の操作、視覚補助具の紹介、歩行訓練等も提供し、プラザに来館していただくだけでなく、ご自宅に訪問する形で、見えない・見えにくいこと全般の相談も行っております。
社会福祉法人 日本ライトハウス 情報文化センター
〒550-0002大阪市西区江戸堀1-13-2 TEL 06-6441-0015
E-mail info@iccb.jp URL https://www.lighthouse.or.jp/iccb/
視覚障害をはじめ、“読み書き”に困難のあるすべての方々に“学び、働き、暮らし、楽しむ”ことを支える情報を届けます。
当センターでは、全国の目の見えない方・見えにくい方をはじめ、読み書きに困難のある方々が等しく情報を共有できる社会を目指し、500人余におよぶボランティアのお力を借りて、点字・録音図書、アクセシブルな電子書籍、シネマ・デイジーなどを年間700タイトル近く製作し、貸し出し・提供しています。
また、館内のサービスフロアでは、音声や手ざわり、見やすい表示などで使うことのできる用具や機器400点以上を展示・紹介。視覚障害でお困りの方のご相談にお応えするとともに、電子機器やパソコン、視覚補助具、「サピエ」を中心とするインターネットの手ほどきやサポート講習を行っています。
さらに、iPhoneの基本操作や便利なアプリ・最新機器を紹介するYouTube「ニポラチャンネル」を配信している他、毎年、西日本最大級の機器展示会「日本ライトハウス展」を開催し、多くの方にご来場いただいています。
社会福祉法人 視覚障害者文化振興協会 JBS日本福祉放送
〒553-0003大阪市福島区福島7丁目17番9号 TEL 06-6459-7240
E-mail studio@jbs.or.jp URL http://www.jbs.or.jp
①視覚障害者向け専用ラジオ放送
本会が運営する日本福祉放送(JBS)は、昭和63年(1988年)から、35年間、視覚障害者向け専用ラジオ放送を行っている。全国の視覚障害者に向けて、視覚障害者が必要とする情報を番組にして配信。聞きやすく理解しやすい情報支援を実現し、視覚障害者の自立と社会参加促進に資することを目的としている。
【媒体】
◆ケーブルシステム USEN440 k-08ch(㈱USEN)
◆衛星放送(CS)SOUND PLANET(㈱USEN)
◆インターネット放送(JBS)
②視覚障害者情報提供施設 点字出版施設
③障害福祉サービス事業
社会福祉法人 神戸市社会福祉協議会 神戸市立点字図書館
〒650-0016兵庫県神戸市中央区橘通3-4-1 神戸市立総合福祉センター2F
E-mail tento-kb@with-kobe.or.jp TEL 078-362-2488
URL https://www.with-kobe.or.jp/tento/
本館は、目の見えない・見えにくい方などに情報を提供し、自立と社会参加の推進を目的とする視覚障害者等情報提供施設です。
点字・録音図書・テキストデイジー図書の製作・貸し出しをはじめ、『図書館だより』の発行(隔月発行)や、神戸市が毎月発行する『広報紙KOBE』の点字版・デイジー版の製作、神戸市の『市会だより』のデイジー版の製作などの公的情報の点訳・音訳を行っています。
また読書環境・情報入手環境の向上を目的に、点訳・音訳のプライベートサービス、読み書き・対面朗読サービス、中途失明者の点字講習会の開催、利用者コーナーの運営(閲覧・機器利用)、視覚障害者用福祉機器展・出前機器講習の開催、デイジー再生機の貸し出し、音声解説付き映画の製作・上映会の実施等を行っています。
そして点訳・音訳・テキストデイジーボランティアの養成講座を定期的に開催し、ボランティアの育成にも取り組んでいます。
見えない・見えにくい方に本館に登録していただき、読書の喜びや情報の大切さを体感してほしいと思います。
社会福祉法人 西宮市社会福祉協議会
西宮市視覚障害者図書館 略称:西視図
〒662-0913兵庫県西宮市染殿町8-17 西宮市総合福祉センター4F TEL 0798-34-5554
E-mail n-shito@hcc5.bai.ne.jp URL https://nishi-shakyo.jp/
昭和60年(1985年)に開設された西宮市総合福祉センター(身体障害者福祉センターA型)の一施設として、それまでの「西宮市点字文庫」から「西宮市点字図書館」に生まれ変わりました。その後、諸事情により名称を「西宮市視覚障害者図書館」に変更し、現在に至っています。
視覚障害のある人、活字による読書が困難な人を対象に、点字図書および録音図書の製作・貸し出しサービスのほか、プライベート図書製作、対面朗読サービス、初心者点字教室、福祉機器貸し出し・体験講習、ボランティア育成等を行っています。また、全国書誌情報ネットワークであるサピエ図書館を活用した図書の相互貸借も行っています。
当館の特徴は、少人数のスタッフで運営していますが、高い技術力と熱意をもって献身的に活動に取り組んでくださるたくさんのボランティアの方々によって支えられています。図書館の理念として、常に努力してくださるボランティアさんたちが毎日明るく元気で活動できるように環境整備に努め、ともに力をあわせて「聞きやすい図書、読みやすい図書」を“より早く、より正確に”利用者に届けられることをめざしています。
社会福祉法人 兵庫県視覚障害者福祉協会 兵庫県点字図書館
〒651-0062兵庫県神戸市中央区坂口通2-1-1 兵庫県福祉センター内
E-mail fav05105@eos.ocn.ne.jp URL http://kensikyo.sakura.ne.jp/ TEL 078-221-4400
兵庫県点字図書館は、視覚障害者の知識、教養の向上をはかるために兵庫県が設置し、視覚障害者に対し無料で点字および録音図書の貸し出しを行っています。
◆開館時間:平日の午前9時~午後5時、土曜、日曜、祝日、年末・年始(12月29日~1月3日)は休館になります。毎月第3水曜日は「書庫整理日」
◆貸出:貸出数は、点字3タイトル、録音6タイトルまで。貸出期間は、手元に届いてから2週間です。
◆蔵書数(令和5年〔2023年〕3月末):点字15,268タイトル、42,964冊。録音15,212タイトル、60,012巻
◆その他:
①蔵書の閲覧、音声ガイド付パソコンの利用や対面朗読もできます。パソコン利用や対面朗読希望の方は1人2時間までで準備の都合上1週間前までにお申し込みください。
②点字図書や録音図書はボランティアのご協力で製作しています。
点訳ボランティアグループ:のじぎく会、西宮中公点訳グループ
朗読ボランティアグループ:声のあけぼの、そよかぜ。
③丸善雄松堂株式会社ebook(読上げ機能付)を購入しました。購入済みebook 1,530タイトル
宗教法人 天理教点字文庫
〒632-8501奈良県天理市三島町1-1 TEL 0743-63-6162
E-mail bunko@tenrikyo.or.jp URL https://fukyo.tenrikyo.or.jp/top/?page_id=13190
天理教点字文庫は、視覚に障害のある方に天理の教えをお伝えしたいという思いから昭和46年(1971年)に開設いたしました。現在は、点字図書・デイジー図書の製作、貸し出しを通してさまざまな情報提供を行うとともに、福祉文化の向上にも努めています。
点字文庫では図書製作のほか、逐次刊行物として点字雑誌『ひかり』や『天理時報』(週刊)、『天理いきいき通信』、『みちのとも』、『陽気』、『親里』(月刊)などのデイジー雑誌を編集・発行し、情報を発信しています。
ひのきしん者(ボランティア)の養成では、「点訳・音訳ひのきしん者養成講習会」を年数回開催するほか、勉強会や通信教育で点訳者・音訳者の養成に努めています。また、中途失明者の自立を支援するための点字指導や相談業務も行っています。
さらに、年に1度、「点字文庫総会」を開催し、利用者・ひのきしん者・職員のコミュニケーションをはかるとともに、ひのきしん者への感謝のつどいを行っています。令和3年(2021年)には開設50周年を迎え、記念動画を制作しました。ホームページからご視聴ください。
奈良県視覚障害者福祉センター 略称・愛称:奈良視福セ
〒634-0061奈良県橿原市大久保町320-11 奈良県社会福祉総合センター3F
E-mail n-sikaku@m3.kcn.ne.jp TEL 0744-29-0123
URL https://www.pref.nara.jp/1724.htm
奈良県視覚障害者福祉センターは、平成6年(1994年)に奈良県社会福祉総合センターが建設された際に、その3階に移転するとともに、現在の名称に変更されました。
主な業務は、一般図書、定期刊行物や雑誌等の点字、デイジー図書を製作、貸し出しをおこなっているとともに、サピエ図書館へのコンテンツ提供、プライベートサービス、対面朗読など、視覚に障害のある方の情報支援事業を中心に行っています。
一般図書製作の他にも、県内の行事情報や新刊図書情報等をまとめた音訳雑誌『コレクション草笛』や点訳雑誌『月刊青垣』を発行し、県内の利用者の方に毎月お届けするとともに、暦にその月の行事や情報を組み合わせた『声のカレンダー』の製作など、センターオリジナルの図書製作も長く続けています。
これらの活動は多くのボランティアの協力に支えられており、令和4年度(2022年度)、令和3年度(2021年度)には、点訳、音訳ボランティア団体が、視覚障害者への学び支援に貢献したことで文部科学大臣賞を受賞するなど、長年の活動が認められました。
また、ボランティアの養成を目的とする講習会を開催し、人材確保にも努めています。
さらに、テキストデイジーの製作にも取り組むなど、今後もより充実した図書の提供に努めていきたいと考えています。
社会福祉法人 和歌山県身体障害者連盟 和歌山県点字図書館
〒640-8319和歌山市手平2丁目1-2 県民交流プラザ和歌山ビッグ愛5F
E-mail wakaten@wakaten.jp URL http://wakaten.jp/ TEL 073-488-5721
和歌山県点字図書館は、和歌山県が設置し、社会福祉法人和歌山県身体障害者連盟が管理・運営しています。和歌山県内にお住まい、もしくは和歌山県内に通勤・通学されている視覚障害者等の方を対象に点字図書や録音図書の貸し出しなどを行っています。サービス内容は、以下のとおりです。
1.貸し出し
2.図書館だよりの発行
3.対面音訳
4.プライベートサービス
5.「サピエ」への登録代行
6.点字プリントサービス
7.デイジー再生機貸し出し
8.蔵書目録の発行
9.視覚障害者社会適応訓練
10.点字即時情報ネットワーク(点字JBニュース)
11.パソコンボランティア派遣
社会福祉法人 鳥取県ライトハウス 点字図書館
〒683-0001鳥取県米子市皆生温泉3-18-3 米子市皆生市民プール管理棟2F
E-mail info@tottori-lighthouse.or.jp URL http://tottori-lighthouse.or.jp/
TEL 0859-22-7655
鳥取県ライトハウスは、昭和37年(1962年)5月に米子市皆生に盲人センターとして発足しました。
その後、盲人ホーム(マッサージ施術所)、宿泊施設一心寮(平成23年〔2011年〕3月閉鎖)、点字図書館の設置、運営を行い、現在に至っています。
地理的には山陰屈指の温泉である皆生温泉の一角にあり、北は日本海、南に名峰大山(ダイセン)を仰ぎ自然に恵まれた環境です。そのような中で多くのボランティアグループの皆さまにご支援をいただきながら、視覚障害者情報提供施設として活動をしています。さらに、平成30年(2018年)に相談支援部門強化のため、県下3カ所に支援センターを開設し、専任の相談支援員を配置しています。
昭和30年代から使用していた建物が老朽化したため、同じ皆生地内の現住所で平成20年(2008年)から業務を行っているところです。
社会福祉法人 島根県社会福祉事業団
島根県西部視聴覚障害者情報センター
〒697-0016島根県浜田市野原町1826-1 いわみーる2F TEL 0855-24-9334
E-mail bd_seibu@bd-iwami.org URL https://www.bd-iwami.org
島根県からの委託を受け、点字図書館事業、聴覚障害者情報提供事業、地域生活支援事業を行っています。
点字図書館事業では、点字図書、録音図書・雑誌およびテキストデイジー図書の製作・貸し出し、プライベートサービス、補装具・日常生活用具の紹介、斡旋等を行っています。また、日ごろ会う機会が少ない視覚に障害のある利用者とボランティア・職員との交流、意見交換、さらには視覚障害者用機器の体験(試用)等を行う場として「利用者とボランティアのつどい」を開催しています。
聴覚障害者情報提供事業では、字幕入り(手話入り)DVDの貸し出し、中継・リレーサービス、日常生活用具の紹介・斡旋のほか、聴覚に障害のある利用者のニーズに即した情報提供や体験、利用者とボランティア・職員との交流等の場として「セミナー&交流会」を開催しています。
地域生活支援事業では、各種ボランティア(点訳、音訳、デイジー編集)の養成、視覚・聴覚障害者を対象としたIT講習会の開催、中途失明者の生活訓練等を行っています。管内の各市からの委託を受け、点字・録音広報の発行も行っています。
社会福祉法人 島根ライトハウス ライトハウスライブラリー
〒690-0884島根県松江市南田町141-10 TEL 0852-24-8169
E-mail library@s-lighthouse.jp URL https://www.lighthouse-lib.jp/
ライトハウスライブラリーは、昭和37年(1962年)8月に点字図書館として誕生しました。
誕生から60年を迎えた今、施設機能を充実させ、利用者、ボランティア、地域の皆さまとともに、建物全体から情報を発信、交換する施設になりました。
職員9名で県内の視覚障害者の生活のサポートをしています。資料室では点字や録音の図書資料を貸し出します。機器展示室では、利用者の生活に役立つ物品や機器の情報を紹介、研修室からはパソコン等情報機器に関する情報を提供します。情報配信室からは『点字JBニュース』が配信され、交流室では利用者やボランティアの会が毎日のように開かれ、聴読閲覧室・録音室・編集室は、ボランティアの活動の拠点です。
また、ニーズが高まっている視覚障害者リハビリテーションについて、医療・福祉・教育の関係機関と連携を取りながら、視覚障害者の生活支援をする組織「島根ビジョンネットワーク」を立ち上げ、その構成施設として関係機関と協同し、視覚障害者のサポートを行っています。
社会福祉法人 岡山県視覚障害者協会
岡山県視覚障害者センター 略称:岡山視障
〒700-0927岡山市北区西古松268-1 TEL 086-244-1121
E-mail ossfc@nifty.com URL https://www.ossk-33.jp/center/
岡山県視覚障害者センターとは、岡山県在住の視覚障害のある方への点字・録音図書の貸し出し、または視覚障害関係団体への会議室の提供、ボランティアの養成、その他情報提供やご相談への対応を行なう施設です。
主な業務は図書の製作・貸し出しで、図書には点字図書と録音図書とがあります。ボランティアが点訳・音訳し、それらの多くがデジタル化されてサピエ図書館に登録されており、当センターでも、その利用者の約45%の方々がサピエ図書館に登録されています。
利用登録していただけるのは、岡山県内在住の視覚障害により活字の読書が困難な方で、無料で利用できます。利用登録は、来館か電話で可能です。
その他にも、見えない、または見えにくい方の相談事業、対面朗読サービス、音声パソコンやスマホ・タブレット講座の開催、便利グッズの展示なども行なっています。
視覚に障害があり、まだ当センターに利用登録されていない方は、お気軽にお問い合わせください。
宗教法人 金光教 金光図書館
〒719-0111岡山県浅口市金光町大谷320 TEL 0865-42-2054
E-mail konko-library@konkokyo.or.jp URL http://www.konkokyo.or.jp/konko-library/
金光図書館は、昭和18年(1943年)に戦争で荒れた社会に文化の光を、との願いから創立されました。
昭和24年(1949年)に点訳図書が図書館に納本されたのをきっかけに、全国の本を求める視覚障害者のために、点字本を製作し郵送する活動が始まりました。そして、昭和32年(1957年)に青い鳥点訳グループが結成され、今も多くの点訳ボランティアに支えられ活動しています。
現在まで、約17,000冊の点字本と点字データを作成しており、それらは金光図書館に寄贈され、全国に貸し出しされています。その後、音訳グループも結成され、音訳図書の製作などを中心に活動しています。
この2つのグループと連携しながら、金光図書館では、読書再生機の貸し出し、対面朗読などを含めた読書困難者へのサービスを行い、今後もさらなるサービスの充実を目指したいと願っています。
社会福祉法人 広島県視覚障害者団体連合会
広島県立視覚障害者情報センター
〒732-0009広島市東区戸坂千足2-1-5 TEL 082-229-7878
E-mail hiroten8@tea.ocn.ne.jp URL http://www.hiroten.jp/
広島県立視覚障害者情報センターは、広島県の指定管理者制度のもとで、社会福祉法人広島県視覚障害者団体連合会が管理運営を行っている施設です。
点字・録音図書などの製作・貸し出し、読書に関する相談、点訳・音訳・対面音訳などの個別サービスを行っています。
また、パン教室、フラワーアレンジメント教室、ピラティスレッスンなどのイベントも定期的に開催しています。
令和4年度(2022年度)からは、視覚障害がある方々と、広島市内の学校に通う吹奏楽部員数名で「はりねずみ合奏団」を結成し、年2回演奏会を開いています。
特定非営利活動法人 周南視覚障害者図書館 略称:周南視障図
〒745-0844山口県周南市速玉町3-17 周南市徳山社会福祉センター内
E-mail tokuteny@able.ocn.ne.jp TEL 0834-34-9351
昭和45年(1970年)4月に点訳麦笛の会徳山支部として発足。点訳だけでなく音訳グループができ、ボランティアのみで徳山点字図書館の運営も始めました。昭和51年(1976年)5月点訳やまびこの会に名称変更。そして、平成23年(2011年)3月に特定非営利活動法人(NPO法人)の認可を受けました。
視覚障害者に対して、点訳・音訳図書の製作や貸し出しなど情報提供に関する事業や、点訳・音訳ボランティア育成講座を開催しています。
視覚障害者・ボランティアともに高齢化が著しいのですが、「居場所」としての重要性も増しており、今後も細く長く無理のない活動を続けていきたいと思います。
ちなみに、当館の事業は、すべて無報酬のボランティアによって実施されています。
社会福祉法人 山口県盲人福祉協会 点字図書館 略称:山盲点図
〒750-0032山口県下関市関西町1-10 TEL 083-231-7114
E-mail yamamou@yamamou.com URL http://www.yamamou.com/
JR下関駅からほど近い当館が、厚生労働省から補助金対象の点字図書館として認められたのは、昭和49年(1974年)4月。その前身は団体が結成された昭和24年(1949年)6月にさかのぼり、県の視覚障害者図書館として山口市の隣保館の一室を借りて視覚障害者対象の点字指導をはじめ、点訳ボランティア養成や点訳書の貸し出しなどを開始した。
昭和33年(1958年)に、団体が社会福祉法人の認可を受けたことによって点字図書館としての事業も次第に充実。昭和47年(1972年)に鉄筋コンクリート造、約500㎡を日本船舶振興会補助金を受けて建設し、昭和49年(1974年)、正式に点字図書館として認可された。
法人としては、平成17年(2005年)に中国青島市障害者団体連合会と友好協定を締結し、視覚障害者のスポーツ「サウンドテーブルテニス(STT)」や文化等幅広く国際交流を進めてきた。
また、平成17年(2005年)に全国盲人福祉大会を、平成20年(2008年)と平成30年(2018年)には日盲社協全国盲人福祉施設大会を引き受けて開催。
当館は図書館や出版事業のほか、料理・俳句・カラオケ・スマホ教室、さらには同行援護従業者養成研修会なども開催。また、山口県視覚障害者団体連合会事務局や下関市保険鍼灸マッサージ師会事務局業務も全面的に支援し、県下視覚障害者の総合福祉センターとしての役割を果たしている。
なお、下関市出身でガイドヘルパー制度の生みの親元参議院議員の故江藤智先生書の「光の泉」の記念碑が玄関前に建立されている。
山口県点字図書館 略称:山口点図
〒753-0083山口市後河原150-1 TEL 083-922-0375
E-mail a504011@pref.yamaguchi.lg.jp
URL https://library.pref.yamaguchi.lg.jp/hp/usr/braille/tenji-top.html
昭和31年(1956年)に開設された、県直営の点字図書館です。
主なサービスとして、郵送による点字図書・雑誌、録音図書・雑誌の貸し出し、利用者依頼の点訳・音訳・テキスト化のプライベートサービスを行っています。
また、ボランティアによる図書製作(点字図書、音声デイジー図書、テキストデイジー図書)を行うとともに、養成講習会を開催し、ボランティアの育成に努めています。
山口県立山口図書館に併設されており、現在、サピエ図書館のA会員に当たる利用者は点字図書館で、B会員に当たる利用者は県立図書館で対応しています。点字図書館のレファレンスや選書では県立図書館の資料を活用し、また、県立図書館の利用案内を点字図書館で点訳・音訳するなど、連携してサービスに当たっています。
現在の建物は、昭和48年(1973年)に開館し、令和5年(2023年)で築50年を迎えました。
これからも、県域の視覚障害者への情報提供施設として、サービスの充実をはかっていきたいと考えています。
社会福祉法人 徳島県社会福祉事業団
徳島県立障がい者交流プラザ 視聴覚障がい者支援センター
〒770-0005徳島市南矢三町2-1-59 TEL 088-631-1400
E-mail sityoukaku@kouryu-plaza.jp URL http://www.kouryu-plaza.jp/sc-center/
当センターは、徳島県から指定管理事業者として指定を受け、視覚や聴覚に障害がある方々の自立と社会参加支援を目的に、情報提供や社会的リハビリテーション事業を展開しています。
視覚障害者の方への支援としては、生活訓練事業と点字図書館事業を主な業務とし、生活訓練事業では、文化・教養講座、レクリエーションなどを行う「いろいろカルチャー講座」、歩行、点字、パソコン等情報機器の技術支援を訪問・通所で行う「視覚障害リハビリテーション」を実施しております。
点字図書館事業については、点字・録音資料の製作・貸し出しやボランティアの養成など視覚障害者情報提供施設として基本となる業務を実施していますが、特に、情報通信技術を活用した情報提供を推進するため、生活訓練とタイアップして情報機器の普及に努めています。
この他、当センターでは、同行援護従業者養成研修、視聴覚障害者福祉機器展の開催等を実施しています。
公益財団法人 香川県視覚障害者福祉協会
香川県視覚障害者福祉センター
〒760-0017香川県高松市番町1-10-35 TEL 087-812-5563
香川県社会福祉総合センター4F
E-mail k.shikaku.tosho@sage.ocn.ne.jp URL http://shikaku.sakura.ne.jp
【センターご利用案内】
◆点字図書、録音図書の閲覧・貸出:市販の図書を点字や録音の図書に作り変え、貸し出します。また、視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」を通じて、全国で作られた図書の情報を提供したり借りるためのお手伝いをします。
◆社会リハビリテーション:視力や生活環境に応じた個別プログラムに基づき、白杖による歩行訓練や点字の読み書き指導など、社会生活に必要なリハビリテーションを提供します。
◆IT活用支援:画面読み上げソフトなどを使い、パソコンの使い方の個別支援や、講習会を開催します。
◆点訳・音訳サービス:製作されていない図書や印刷物を利用者の希望に応じて点訳・音訳します。
◆各種の相談や福祉用具の紹介、福祉サービスの情報や支援機関の紹介、生活用具などの斡旋をしています。
点字新聞『点字JBニュース』、香川県広報と行事のお知らせを掲載した『声のセンター便り』、選挙公報の製作や発行などさまざまな情報提供を行っています。
◆ボランティアの養成:点訳・音訳・IT支援ボランティアの養成講習会を開催し、センターで活動していただくボランティアを養成します。
社会福祉法人 愛媛県社会福祉事業団 愛媛県視聴覚福祉センター
〒790-0811愛媛県松山市本町6-11-5 TEL 089-923-9093
E-mail webmaster@sityoukaku.pref.ehime.jp URL http://www.sityoukaku.pref.ehime.jp
当センターは、昭和38年(1963年)に開設された愛媛県盲人福祉センターを前身とし、平成7年(1995年)に視覚・聴覚に障害を持っておられる方の自立や社会参加の拠点として、また、障害者を支えるボランティアの方々の学習・交流の場として設立された施設です。
視覚障害者に対するサービスとしては、点字図書館の運営、点字出版業務のほか、視覚障害者への情報機器の操作支援や各種相談事業、点訳・音訳ボランティアの養成等を行っております。特に視覚障害者の教養文化の向上を目的とした点字月刊誌『新生』は昭和27年(1952年)から70年以上発行しており、全国の皆さんに愛読されております。
また、中途視覚障害者に対しては、歩行・コミュニケーション・家事動作等の生活訓練を行うとともに、視覚障害者や関係者を対象とした各種講習会や、同行援護従業者養成研修を行っています。
その他、障害のあるなしにかかわらず、参加者の皆さんがお互いに交流する場として、健康づくりや文化活動などを内容とした「視聴覚交流サロン」を企画したり、年に1回視聴覚障害者やボランティアの方々の活動発表を行う場として「視聴覚福祉センター文化祭」を実施しています。
オーテピア高知声と点字の図書館
〒780-0842高知市追手筋2丁目1-1 オーテピア1F TEL 088-823-9488
E-mail kc-120200@city.kochi.lg.jp URL https://otepia.kochi.jp/braille/
平成30年(2018年)7月24日、高知県と高知市が合同で整備する新図書館等複合施設「オーテピア」の開館に伴い、高知市立高知点字図書館は「オーテピア高知声と点字の図書館」としてリニューアルオープンしました。声と点字の図書館では、「すべての人を本の世界へ!」を基本理念に、県内全域を対象として障害、高齢、病気などさまざまな理由で読書が困難な人にサービスを提供しています。
視覚障害、肢体不自由、発達障害、知的障害その他の障害、高齢、病気などで読書が困難な人の読書を支援するため、点字図書、録音図書、マルチメディアデイジー図書や読書機器(録音図書再生機、タブレット)を貸し出しています。図書や読書機器の郵送・宅配貸出も行っています。
拡大読書器や音声時計、その他の各種視覚障害者向け福祉機器の展示・紹介や操作指導、見えない・見えにくいことの困りごと相談、高知県ロービジョンケアネットワークへの参加など、視覚障害者へのさまざまなサポートを行っています。
点訳・音訳・デジタル資料製作・対面音訳の各種ボランティアの養成や、ボランティアの皆さんと協力して、点字図書、録音図書、マルチメディアデイジー図書の製作、対面音訳サービスを実施しています。
公益財団法人 北九州市身体障害者福祉協会
北九州市立点字図書館 略称:北九点図
〒806-0021福岡県北九州市八幡西区黒崎3-15-3 コムシティ5F TEL 093-645-1210
E-mail kitaten@kita9-s.com URL https://www.kitaqshinsyo.com/index.php?id=23
当館は、昭和50年(1975年)4月北九州市立中央図書館開館に伴い、北九州市立点字図書室として設置され、昭和55年(1980年)4月より北九州市立点字図書館として開館しました。
施設は、JR鹿児島本線「黒崎駅」に隣接する複合ビル5階にあり、視聴覚障害者情報提供施設として指定管理で運営しています。
北九州市内に在住または通勤・通学されている視覚に障害のある人を対象に、各種情報提供、機器操作支援、点字および録音図書の製作・貸し出し等を行っています。
また、点訳・音訳ボランティアの養成・研修事業、プライベートサービス、対面リーディングサービスや、当事者・ボランティアさんとの交流会も行っています。
毎年夏に、「オープンブレイルライブラリー(OBL)―点字図書館一般公開―」を開催し、点字図書館の日頃の業務や取り組みについて実際に見聞きし体験して、広く一般の方々に視覚障害やその支援について身近に感じ、考えていただけるよう啓発をしています。
一般社団法人 福岡市視覚障害者福祉協会 福岡市立点字図書館
〒814-0001福岡市早良区百道浜3-7-1 TEL 092-852-0555
E-mail tenji.tosho@fukushikyo.com URL https://www.fukushikyo.com/tenji/
当館は、昭和54年(1979年)5月1日、「福岡市心身障がい福祉センター点字図書館」として開館しました。
平成8年(1996年)6月29日に現在地への移転に伴い、福岡市総合図書館の中に併設されている点字図書館として、「福岡市立点字図書館」と改称しました。
主な事業は、録音・点字図書の貸し出し、デイジー・点字図書の製作、この図書製作に関わるボランティア指導育成(点訳、音訳、対面朗読、テキストデイジー製作、計140人)、利用者が代読を希望する図書や資料等の対面朗読、利用者個人の図書製作に応えるプライベートサービス(点訳・音訳)、デイジー図書再生機貸し出し、FAX代読、総合図書館所有音楽CD郵送貸出、肢体不自由者読書サービス、情報機器支援(デイジー図書再生機、パソコン、アイフォーンを中心とした機器類の操作方法や相談等)、レファレンス(読書奨励、相談業務)等、多岐にわたり事業を行っています。
他に行事として、点字図書館および視覚障害の理解啓発活動としての「オープン・ブレイル・ライブラリー(OBL)」や「点字図書館のつどい」、「利用者懇談会」を行っています。点字図書館のつどいは、利用者とボランティアとの交流を目的とした行事で、文化講演会では地元の著名な方をお招きしての講演会、他に交流会、福祉機器展など行っています。利用者懇談会は、利用者の皆さんから直接要望等をお聞きすることを目的に意見を聞く機会を設けています。
社会福祉法人 福岡県盲人協会 福岡点字図書館 略称:福岡点図・福点
〒816-0804福岡県春日市原町3-1-7 クローバープラザ3F TEL 092-584-3590
E-mail tenji.cloverplaza@gmail.com URL https://www.normanet.ne.jp/~fukuten/
福岡点字図書館は、福岡県盲人協会を設立された大城雪造(オオシロセツゾウ)氏が提供した60冊の点字図書を基に、昭和24年(1949年)に設立されました。その後、昭和28年(1953年)に正式に発足し、本年で、創立70周年を迎えます。
本館は点字図書や録音図書の貸し出しや製作、さらにはボランティアの養成や情報機器等の利用についての相談や説明など、他館とほぼ同様な活動をしております。
利用者とボランティアの交流をはかるイベント「つどい」や、一般の方々にも参加していただく「福点まつり」などの活動があります。
毎年2月に開催される「福点まつり」では、各ブースごとに最新機器の展示会、点訳や音訳の体験などが行われ、例年300人近くの方々に参加をいただいております。展示会では、関係企業の協力によって話題の最新機器の体験や詳しい説明などが行われています。点訳体験では、一般の方々を中心に点字を体験していただくことで、ボランティアや点字文化の普及に取り組んでいます。
点字図書館をより多くの方々に理解していただけるよう、これらの活動に取り組んでいます。
社会福祉法人 佐賀ライトハウス
佐賀県立視覚障害情報・交流センター
〒840-0815佐賀市天神1-4-16 TEL 0952-26-0153
E-mail info@sagaten.jp URL https://sagaten.jp/
令和4年(2022年)4月、開館から50年になる佐賀県立点字図書館をリニューアルし、佐賀県立視覚障害者情報・交流センターとしてオープンしました。
読書バリアフリー計画の策定に伴い、視覚障害者だけでなく「障害や疾病等により視覚による表現の認識が困難な人」も利用対象者となっており、情報保障はもとより、文化・スポーツ・芸術等、さまざまな活動の拠点として当館はさまざまな役割を果たしてきています。
当館の特長的な事業として、相談支援、交流啓発、巡回サービスがあります。令和5年(2023年)現在、県内を4地区に分けて利用者宅や施設を巡回サービス車で訪問し、図書の貸し出し・返却を行っています。
交流啓発事業では年に一回、センターを会場とした交流イベントを開催し、利用者、支援者、一般の方に多数来場いただいております。
相談支援事業では常勤の職員等を配置し、当事者や家族、支援者からの多種多様な相談に対応しています。点訳・音訳図書はもちろん、さまざまな面で利用者の方とセンターとの繋がりを強めております。
一般社団法人 長崎県視覚障害者協会 長崎県視覚障害者情報センター
〒852-8114長崎市橋口町10-22 TEL 095-846-9021
長崎県こども・女性・障害者支援センター3F
E-mail nagasaki.joho.center@gmail.com URL https://www.normanet.ne.jp/~nagasaki/
長崎県視覚障害者情報センターは、視覚に障害のある方々に点字図書・録音図書、広報誌の点字版・録音版の製作と貸し出し等を行い、視覚障害者の情報入手の援助をし、ひいてはその生活と文化を向上させ、自立と社会参加の促進をはかることを設置の目的としています。
当施設には、情報機器訓練室、ボランティア活動室、点字製版・印刷室、対面朗読室、録音室、書庫などが設置されています。
情報機器訓練室では、視覚障害者が情報機器の操作を行い、スクリーンリーダー等の体験をすることができます。
ボランティア活動室は、技術向上のため点訳ボランティア、音訳ボランティアの研修が行われ、ボランティア活動の拠点となっています。また、音声解説付きDVD映画を上映したり、音楽会・出前講座など文化的活動の場としても利用されます。
県北部のサービス向上のため佐世保市万徳町(マントクチョウ)には、分室として長崎県視覚障害者情報センター佐世保があります。
当施設は、周辺に平和祈念像で有名な平和公園や浦上天主堂、永井隆博士が過ごされた二畳一間の小さな住居「如己堂(ニョコドウ)」等があり、平和の尊さを肌で感じることができる場所にあります。
社会福祉法人 熊本県視覚障がい者福祉協会
熊本県点字図書館 略称:くまてん
〒861-8039熊本市東区長嶺南2-3-2 TEL 096-383-6333
熊本県身体障がい者福祉センター
E-mail kumashifuku@snow.ocn.ne.jp URL https://kumaten.jimdofree.com/
熊本県点字図書館は、熊本県内在住の視覚障害者に対し、情報文化の提供と福祉の向上をはかるため、次の事業を行っています。
◆更生相談事業(中途失明者訓練事業):自立更生相談、福祉制度利用のための情報提供、関係機関との連絡調整を行っています。歩行訓練、点字習得訓練、音声パソコン等の情報機器操作訓練の支援を行います。利用者のご自宅にうかがうことも可能です。
◆視覚障害者用具の斡旋:日常生活用具の紹介、購入の斡旋・販売を行っています。各市町村への補装具、日常生活用具申請の相談も行います。
◆点字資料の印刷・提供:点字名刺、各種広報類、会議資料等の製作を行っています。
◆利用者とボランティアの交流:点字図書館では、利用者とボランティアとの親睦をはかるために「交流会」を年1回開催しています。また各地域でも「歩こう会」を年1回開催しています。
社会福祉法人 大分県盲人協会 大分県点字図書館 略称:大分点図
〒870-0043大分市中島東1-2-28 大分県盲人福祉センター2F TEL 097-538-0399
E-mail oita-kenmou.tenjitoshokan@mbr.nifty.com
URL http://oita-kenmou.on.coocan.jp/tentoindex.html
【大分県点字図書館が特に力を入れていること】
◆音声ガイド付き映画鑑賞会の実施、シネマ・デイジー製作
◆運営母体である大分県盲人協会の歩行訓練士と連携し、一人ひとりに寄り添ったデイジー図書再生機などの使い方説明を行っている
◆iPhoneの体験会など、視覚障害者に必要・便利な情報の提供・発信を行っている
一般財団法人 延岡愛盲協会 延岡ライトハウス点字図書館
〒882-0055宮崎県延岡市山下町1-7-9 延岡ライトハウス TEL 0982-32-2973
E-mail raito-h@ma.wainet.ne.jp URL http://www.nobeoka-light179.sakura.ne.jp/
本施設は昭和37年(1962年)、山下町に「延岡市立ライトハウス盲人ホーム」が設立されたことにはじまります。
昭和47年(1972年)、同敷地内に「延岡市立ライトハウス」が新改築され、点字図書館が併設されました。
昭和62年(1987年)10月に「延岡ライトハウス」と改称され、管理運営が財団法人延岡愛盲協会に委託されました。
平成18年(2006年)4月、財団法人延岡愛盲協会が指定管理者に指定されました。
平成24年(2012年)4月、一般財団法人延岡愛盲協会となり、現在に至っています。
本施設は視覚障害者への情報提供を担う点字図書館として、点字・録音図書の製作をはじめ、雑誌、広報等の点訳・音訳、ボランティアの育成、朗読・映画・音楽鑑賞会などを行っています。
資料の収集については漢点字図書や落語、音楽などのCD収集にも力を入れています。
また、盲人ホーム事業をはじめ同行援護事業、視覚障害者団体への助成、生活用具の相談、斡旋といった視覚障害者の生活支援、社会活動促進事業にも取り組み、地域の視覚障害者のコミュニケーション、情報発信の場として開かれた施設となるよう努めています。
社会福祉法人 都城市社会福祉協議会 都城市点字図書館
〒885-0077宮崎県都城市松元町4-17 TEL 0986-26-1948
都城市総合社会福祉センター2F
E-mail mkjtenji@circus.ocn.ne.jp URL https://miyakonojoshakyo.or.jp/effort/braille-library/
主に都城圏域在住の視覚障害者を対象に、読書バリアフリーの推進、QOLの向上、社会参加のための支援など、寄り添い、そしてともに考え行動するという理念のもと事業を行っております。また、ワーキングポリシーの一つ“知りたい、やりたいをカタチにします”をモットーに点字図書・録音図書および定期刊行物の製作や貸し出し、電子メールによる情報提供、プライベートサービスへの対応、視覚障害者サロン「ぶらいゆサロン」の開催、点訳・音訳をはじめ各種ボランティア養成事業等を実施しております。
特徴的な取り組みとしては、公式Facebookページによる啓発にも重点を置いており、日々情報を発信しております。また、公立図書館に常設している施設情報ボックスに展示した、パンフレットや視覚障害関連図書等をご利用いただくことで、視覚障害者理解の促進に努めております。
一方、“来館する楽しみを!”をコンセプトに実施している読み終わった点字新聞でつくるペーパークラフト「アート de 点図」では、来館者に作品に触れていただき好評を得ており、外出の機会の創出にも繋がっております。
今後も利用者ニーズを最優先に事業を展開するとともに、地域の特性を活かした取り組みも実施いたします。
公益財団法人 宮崎県視覚障害者福祉協会 宮崎県立視覚障害者センター
〒880-0051宮崎市江平西2-1-20 宮崎県生活情報センター TEL 0985-22-5670
E-mail mzshikyo@lion.ocn.ne.jp URL https://www.miyashishou.jp
当センターは、宮崎市の中心部からやや北より、宮崎県民に「神武様(ジンムサマ)」として親しまれている宮崎神宮にほど近い宮崎市江平西町に平成7年(1995年)に開設されました。
交通の便がよく、しかも静かで落ち着いた雰囲気のあるロケーションで、視覚障害者にとりましてもとても利用しやすい環境にある施設となっています。
オープン以来一貫して視覚障害者およびボランティアの皆様の活動拠点として、視覚障害者の自立と社会参加の実現に向けて邁進しており、多くの方々に利用いただいております。
センターでは、日常的な点字・音声による情報提供に加えて、「見えない・見えにくい人のための福祉機器展」や「視覚障害者研修会」など、行事や企画を実施し、視覚障害者の皆様に参加いただくとともに、近年のICT機器の普及・発達に伴ってスマートフォンやパソコンの講習・相談なども積極的に実施し、新たなニーズにも応えるよう努めております。
今後とも宮崎の視覚障害者福祉を担う中核施設として、関係機関の皆様とも協力しながらその役割を果たしてまいります。
社会福祉法人 鹿児島県身体障害者福祉協会
鹿児島県視聴覚障害者情報センター
〒890-0021鹿児島市小野1-1-1 ハートピアかごしま3F TEL 099-220-1814
E-mail johocenter@shichocenter.kagoshima.kagoshima.jp
URL http://www.shichocenter.kagoshima.kagoshima.jp/
昭和29年(1954年)7月に「県立盲人点字図書館」として開館。昭和60年(1985年)に「鹿児島県点字図書館」と改称。平成5年(1993年)の水害により、平成12年(2000年)に現在のハートピアかごしまに移転。視覚障害・聴覚障害の情報提供施設として「鹿児島県視聴覚障害者情報センター」と改称。平成18年度(2006年度)より指定管理者になりました。
当センターは「視覚部門」「聴覚部門」に分かれ、「視覚部門」では次の事業を行っています。
◆点字資料・録音資料の製作・貸出
◆プライベート点訳・音訳
◆点訳・音訳ボランティアの養成・研修
◆機関紙の発行(墨字版・墨字拡大版・点字版・音声版・電子メール版)
◆中途失明者緊急生活訓練事業
平成21年度(2009年度)より「盲ろう者通訳・介助員派遣事業」の委託を受け、盲ろう者通訳・介助員の養成・派遣を行っています。
視覚・聴覚障害者への県内唯一の情報提供施設として、150人ほどのボランティアの方々の活動に支えられながら、地域ユーザーに密着した事業・サービスを展開しています。
社会福祉法人 沖縄県視覚障害者福祉協会 沖縄点字図書館
〒900-0014沖縄県那覇市松尾2-15-29 沖縄視覚障害者福祉センター2F
E-mail oki-tento@okishikyo.net URL https://www.okishikyo.net/ TEL 098-866-0222
沖縄点字図書館は、沖縄県視覚障害者福祉協会が運営する点字図書館として昭和47年(1972年)5月15日に創設され、半世紀を越えました。図書製作など他館と同様な事業内容も多いと思いますが、沖縄点字図書館の特色としては次のような活動があります。
琉球古典・民謡の楽譜・点字工工四(クンクンシー)の製作。点字工工四は昭和56年(1981年)頃に当時の点訳ボランティア・糸数菊(イトカズキク)先生によって考案されましたが、歌三線文化をもつ沖縄において、新たに三線を学ぶ方から専門的に取り組む方まで、現在でも幅広いニーズがあります。
旧暦入り点字カレンダーの製作は、年中行事が旧暦で行われることが多い沖縄では、新暦カレンダーと並んで必要なアイテムの一つです。
さわる絵本・拡大写本の製作。さわる絵本部は昭和56年(1981年)、拡大写本部は平成7年(1995年)、どちらも長年盲学校で視覚障害児教育に携わってこられた、中村文(ナカムラフミ)先生と運天恒子(ウンテンツネコ)先生が立ち上げた活動です。どちらも対象が児童生徒であることから、学校司書と連携をとりながら活動しています。
沖縄点字図書館50年の中で過ごしたコロナ禍の数年間は、創設当初の頃から活動されているボランティアの高齢化と世代交代を丁寧に取り組んでいく必要があることを強く感じる期間でもありました。これまでの支えに感謝をしつつ、この先へとつなぐ取り組みを行っていきたいと考えています。
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自立支援施設部会:51施設
自立支援施設部会は、自立訓練・生活訓練、就労継続・移行・定着支援、盲導犬養成、あはき師養成、盲人ホーム、同行援護など、視覚障害者の生活面、就労面に直接的に福
祉サービスを提供する施設の集まりです。
利用者の切実な声が聞こえる「現場」の施設として、研修会を中心に職員の研鑽と諸課題の整理、強固なネットワークの構築に努めています。(部会長 山下文明)
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国立障害者リハビリテーションセンター 自立支援局
函館視力障害センター
〒042-0932北海道函館市湯川町1-35-20 TEL 0138-59-2751
E-mail syomu-hkdt@mhlw.go.jp URL http://www.rehab.go.jp/hakodate/
当センターは、視覚障害者のための指定障害者支援施設です。
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師を養成する就労移行支援(養成施設)と歩行訓練や日常生活訓練などの自立した社会生活を送るための自立訓練(機能訓練)を実施しています。
これまで、約2千名の方々が訓練を修了して技能や技術を身に付け、十分に価値ある役割を持ちながら、それぞれの地域で生活をしています。
当センターでは、利用者一人ひとりの能力を最大限に発揮できるように個別の支援に取り組み、さらに、今後の社会参加や自立に役立ててもらうためのプログラム(スポーツ活動や文化活動など)にも力を入れながら支援を行っています。
その他、一般市民や関係団体などを対象として、各種研修会や講座を開催するとともに、また、SNS等を活用し、視覚障害者の支援に有益な情報の提供や視覚障害者の自立への理解をはかるための啓発活動などを積極的に行っています。
公益財団法人 北海道盲導犬協会
〒005-0030北海道札幌市南区南30条西8-1-1 TEL 011-582-8222
URL https://www.h-guidedog.org/
当施設は昭和45年(1970年)の設立以来、盲導犬の育成と視覚障害者の方への盲導犬貸与を事業の柱として活動してまいりました。特に日本国内の盲導犬育成施設の中では唯一、積雪地域に施設があるということから、冬期間の難しい道路状況でも安全に誘導するための盲導犬の訓練と歩行指導を行っています。さらに、卒業後も安心して盲導犬との生活を送られるよう、定期的なフォローアップに加えて、共同訓練終了直後のフォローアップ、卒業3か月フォローアップ、冬期フォローアップ、10歳以上の高齢盲導犬フォローアップ等を実施しております。
また、当施設内には引退した盲導犬たちを迎え入れる、世界で初めて開設された老犬ホームがあり、専門職員によるケアを充実させ、犬の福祉にも力を入れております。
平成3年(1991年)には北海道在住者を対象にして、3週間短期間入所方式による生活訓練(日常生活訓練、点字訓練、白杖歩行、パソコン訓練等)を開始しました。当施設の生活訓練の特徴は、ご本人が希望すれば何度でも繰り返し入所訓練を受けることができるほか、訓練終了後は現地でのフォローアップを実施し、訓練成果の確認を相互でしていることです。近年はロービジョンケアに取り組まれている病院とも連携して、相談や院内での基礎訓練に応じるなどニーズに広く対応できるよう努めています。
公益財団法人 日本盲導犬協会
仙台訓練センター 愛称:スマイルワン仙台
〒982-0263宮城県仙台市青葉区茂庭字松倉12-2 TEL 022-226-3910
E-mail info@moudouken.net URL https://www.moudouken.net/
仙台訓練センターは東北地方で唯一の盲導犬育成施設として平成13年(2001年)5月に開設し、東北6県と新潟県を中心に目の見えない人・見えにくい人の生活の質の向上と社会参加のため、これまでに多くの盲導犬を育成してきました。
神奈川訓練センターに次ぐ盲導犬訓練の拠点として、常時20~30頭の訓練犬が在所し、仙台市内を中心に訓練に励んでいます。
また、盲導犬育成事業だけではなく、白杖歩行やパソコン・スマホの操作、調理など、日常生活上の相談にも応じ、在宅で行う生活訓練や施設に宿泊して行う「短期視覚障害リハビリテーション」など、総合的な視覚障害リハビリテーション事業にも注力しています。
目の見えない・見えにくい小学生を対象とした「ワン!ぱくっ子サマースクール(視覚障害児向けサマーキャンプ)」や、中学生向けの短期視覚障害リハビリテーションも行い、小学生から継続的に視覚障害リハビリテーションを提供できることが仙台訓練センターの特色です。
一般財団法人 いばらき盲導犬協会
〒312-0052茨城県ひたちなか市大字東石川3610-10 TEL 029-275-3122
E-mail info@guidedog.ibaraki.jp URL https://guidedog.ibaraki.jp/
一般財団法人いばらき盲導犬協会は、茨城県ひたちなか市を本拠地とする盲導犬育成施設です。
平成24年(2012年)に一般財団法人全国盲導犬協会として設立された本協会は、平成26年(2014年)に国家公安委員会より「盲導犬の訓練を目的とする法人」として指定を受け、茨城県では初めて、全国では11番目の指定法人となりました。平成30年(2018年)7月より「いばらき盲導犬協会」と改称して活動しています。
日本の盲導犬育成施設の中では最も若く、設備、陣容ともにとても小さな施設ですが、規模の小ささを活かし、盲導犬希望者のご要望に可能な限り柔軟に対応いたします。
社会福祉法人 足利市社会福祉協議会
足利市視覚障害者福祉ホーム 略称:福祉ホーム
〒326-0052栃木県足利市相生町385 TEL 0284-41-2200
E-mail f-home@02.watv.ne.jp
足利市視覚障害者福祉ホーム(以下、「福祉ホーム」)は、視覚障害者の福祉向上のため、生活相談や自立支援をしている施設です。
生活の向上をはかるために料理教室や教養講座の開催、また中途失明者のための電話相談や生活訓練事業を開催しています。この訓練事業では点字の読み書き、歩行訓練、福祉機器や日常生活用具の紹介や使い方などの講習会を行っています。
さらに、福祉ホームは点訳サークル等の活動拠点にもなっており、足利市の広報誌『広報あしかがみ』や足利市社会福祉協議会の『社協だより』、『警察だより』などの点字版の発行を行っています。そして福祉ホーム主催の歩行訓練や点字講習へも協力してもらっています。
また、趣味の部門ではプロ野球情報や大相撲・川柳など視覚障害者の方々のニーズに沿った点訳活動をおこなっています。書籍等に関しては足利市立図書館へ点字書籍を納入し、多くの方に利用していただけるように努めています。
公益財団法人 東日本盲導犬協会
〒321-0342栃木県宇都宮市福岡町1285番地 TEL 028-652-3883
E-mail info@guide-dog.jp URL https://www.guide-dog.jp/
自分自身も視覚障害者であった栃木県立盲学校教員が、昭和42年(1967年)に米国の盲導犬育成施設アイ・ドッグ・ファンデーションで盲導犬歩行の訓練を受け、歩行の快適さを実感し、より多くの人にも感じてもらいたいと思い、当時全国に四つしかなかった育成施設を栃木県内にも設立しようと立ち上がりました。
設立以来、良質な盲導犬を育成し、視覚障害者がより豊かに、自分らしく生活できるよう支援することを目的とし活動しており、令和6年(2024年)には設立から50周年を迎えます。
栃木県内はもとより、北は山形県から南は滋賀県まで、広範囲にわたり、視覚障害者へ盲導犬を提供しているほか、白杖歩行訓練等の生活訓練も行っており、視覚障害者の自立支援と社会参加に貢献しています。
全国の盲導犬育成施設の中でも、職員も少数で、決して大きな団体ではありませんが、きめ細かなユーザーサービス、「盲導犬ユーザーに笑顔を!」をモットーに一人ひとりが向上心を持ち、日々努めています。
社会福祉法人 日本失明者協会 盲人ホームあさひ園
〒366-0811埼玉県深谷市人見1665-12 TEL 048-573-5225
URL https://hitomien.jimdofree.com/
◆施設概要◆
入所定員:20人
施設の構造・規模:鉄筋コンクリート平屋建
施設の延床面積:114.15㎡
施設の敷地面積:266.71㎡
鉄道の最寄駅:JR高崎線深谷駅
◆施設の特色◆
この施設は、重度の視覚障害者に、マッサージ施術、はり施術等の働く場を提供しており、マッサージ師免許や、はり師免許を所持していない人も働けるような作業項目を用意している。
この施設は、平成18年(2006年)4月1日に、昭和37年(1962年)2月27日付の厚生省社会局長通知に基づく盲人ホームとして出発したが、都合により、平成21年(2009年)6月1日から、障害者自立支援法に基づく就労継続支援B型事業所に変更した。
国立障害者リハビリテーションセンター 略称:国リハ
〒359-8555埼玉県所沢市並木4-1 TEL 04-2995-3100
E-mail rehab-soudan@mhlw.go.jp URL http://www.rehab.go.jp/
本センターは、わが国の障害のある人々の自立および社会参加を支援するため、医療から職業訓練まで一貫した体系の下で、障害者の生活機能全体の維持・回復のための先進的・総合的な保健・医療・福祉サービスを提供するとともに、リハビリテーション技術・福祉機器の研究開発、専門職員の人材育成等、障害者リハビリテーションの中核機関としての先導的役割を担っています。
このような中、自立支援局では、障害者総合支援法に基づき、指定障害者支援施設として、障害がある方が自立した日常生活や社会生活を営むことができるよう、さまざまなサービスを提供しています。
視覚に障害がある方に対するサービスとしては、移動訓練やロービジョン訓練などの自立訓練(機能訓練)や、就労移行支援(養成施設)として、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家資格取得から、開業、就職、就労後の知識・技術の向上まで一貫して支援しています。
高卒以上の方で修業年限が3年の専門課程、中卒以上の方で修業年限が5年の高等課程があり、進路は、訪問マッサージ、病院・治療院・老人ホームへの就職、ヘルスキーパー、治療院開業、進学等となっています。
社会福祉法人 埼玉県視覚障害者福祉センター 埼玉盲人ホーム
〒330-0852埼玉県さいたま市大宮区大成町1-465 TEL 048-663-3427
URL http://saitamatenji.jp/
当施設は、昭和38年(1963年)3月に、あん摩師、はり師、きゅう師の免許を持っている視覚障害者で自営することも雇用されることも困難な者に施設を利用させ、必要な技術の指導を行い、その自立更生をはかるとともに広く視覚障害者に対する福祉の増進に寄与する目的で、国や県の補助や一般の人々の寄付により、当時県下唯一の施設として設置しました。
平成2年(1990年)に点字図書館、点字印刷室を併設した2階建ての福祉総合施設として全面新築し、その1階入口部分に盲人ホーム治療室を設置しました。
開設から60年を経過した今も厳しい治療業界の中で、引き続き地道な活動を続けています。
施術所開業や就職を目指す利用者に、通所による原則2年間の施術経験を提供しています。
また、併設する点字図書館と合同で情報支援機器の体験会等も行っています。
社会福祉法人 雑草福祉会 雑草授産センター
〒355-0073埼玉県東松山市大字上野本2183-15 TEL 0493-23-8989
E-mail mail1@zasso.org URL https://zassou-fukushi.org/
社会福祉法人雑草福祉会は、昭和59年(1984年)4月に社会事業授産施設雑草授産センターを、埼玉県東松山市に創って発足しました。現在、就労継続支援B型として、自治体の発行する広報の点字版の印刷や録音CD発送、その他に軽作業や農業の仕事をする事業所です。
【福祉会のあゆみ】
昭和59年(1984年)4月、社会事業授産施設雑草授産センター開所、平成2年(1990年)1月、社会福祉法人雑草福祉会登記
平成2年(1990年)4月、知的障害者授産施設第2雑草授産センター開所、平成7年(1995年)4月、第2雑草授産センター分場開所
平成18年(2006年)10月、雑草授産センター就労継続支援B型事業所に移行し、平成22年(2010年)11月、多機能型に移行
平成24年(2012年)4月、雑草授産センター就労継続支援B型に移行し、第2雑草授産センター多機能型事業所に移行
平成30年(2018年)8月、相談支援センター雑草(特定相談支援事業所)開所
【福祉会の目的】
①視覚障害者による視覚障害者のための点字印刷の授産所
②家庭と郷土を敬愛する伝統的精神にもとづく福祉
③空き瓶・空きカンなどのリサイクル等で障害者も地域経済に参加
社会福祉法人 全国ベーチェット協会 視覚障害者支援センター熊谷
〒360-0105埼玉県熊谷市板井1696 TEL 048-536-5421
E-mail info@konan-rehab.org URL http://www.konan-rehab.org
視覚障害者支援センター熊谷では、安全に快適に楽しく生活していただけるよう、個人個人のニーズに対応した、サービスを提供させていただいております。
①自立(機能)訓練:視覚に障害を受けることで、日常生活、移動、文字の読み書き等が困難になります。これらの日常生活での「さまざまな面で感じる困難」の軽減に必要な技術や学習手段を身につけ、社会復帰を目指す「自立(機能)訓練」サービスを提供しております。
②生活介護:日中活動の支援、日常生活の支援、医療的ケア等の支援サービスを実施しております。また、それらの支援を通して、自立や社会参加の機会を提供しております。
当施設では、集団生活をしながらも、利用者お一人おひとりが持たれている力を発揮し、快適な暮らしができるよう、作業やレクリエーションなどのサービスをおこなっています。
さらに当施設は、診療所が併設されており、ベーチェット病、糖尿病等の症状が容易に安定しない全身性疾患を持った視覚に障害のある方も、医療的ケアを行いながらの社会復帰訓練、また、盲ろう者(視聴覚二重障害者)の方への支援サービスも行っております。ご自宅から通える方でしたら、通所でのサービスが利用できます。ご利用日数ご利用までの手続きなど、利用に関する内容は、当施設までご相談ください。
公益財団法人 アイメイト協会
〒177-0051東京都練馬区関町北5-8-7 TEL 03-3920-6162
URL https://www.eyemate.org/
昭和32年(1957年)、当会創設者である塩屋賢一(シオヤケンイチ)が国産盲導犬第1号「チャンピイ」とその使用者のペアを世に送り出しました。爾来66年、送り出したペアも1,400組を超え、視覚障害者の歩行問題解決のために邁進しています。
その歴史は、昭和23年(1948年)に塩屋が「視覚障害者に本当に役立つ盲導犬を訓練するには、どんなことが困るのか身をもって知る必要がある」と目隠しの日常生活を始めたところから始まりました。わが国一の歴史と事業実績を有する盲導犬育成団体です。
当事業では、犬の訓練終了後、「視覚障害者に犬を目として歩く方法」を指導する「歩行指導」が最も重要な部分です。十分に指導を受けた使用者が正しい方法で犬に指示を出して初めて、安全な歩行が実現します。目の見えない人を犬が引っ張っているのではなく、人が主体となって歩きます。このため、当会では盲導犬ではなく「アイメイト」(私の愛する目の仲間)と呼んでいます。また、世界中に共通した盲導犬の基準は存在しません。各育成団体がそれぞれの考え方に基づいて事業を実施しています。当会は世界に誇れる基準で訓練・指導を継続しています。
なお、当会へのお問い合わせにつきましては、下記URLのフォームからお願い致します。https://www.eyemate.org/inquiry/
同行援護事業所 おとも
〒121-0816東京都足立区梅島3-34-5 西崎ビル1F TEL 050-5526-2818
E-mail info@otomo.care URL https://otomoinc.jp/
おともは、視覚に障害のある方の外出に付き添い支援する同行援護専門の事業所です。500名以上のガイドヘルパーが所属しており、都内を中心にサービスを提供しています。
電話や電子メールでの予約受付だけではなく、利用者とガイドヘルパーを直接マッチングするWEBアプリ「ガイドヘルパーズ」の提供をしています。
パソコンやスマートフォンから空いているガイドヘルパーを検索して依頼したり、利用者からの依頼を受けてガイドヘルパーを募集したり、今すぐ対応できるガイドヘルパーを検索したり、事業所の営業時間にかかわらず、いつでも同行援護の依頼をすることができます。
また、視覚障害者向けの補装具・日常生活用具の展示販売をしている「おとも用具店」の運営、ガイドヘルパーの養成研修事業も行っております。
社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会
盲人ホーム杉光園(サンコウエン)略称:さんこうえん
〒110-0016東京都台東区台東3-1-6 日盲社協会館 TEL 03-3831-0990
E-mail bz581005@bz01.plala.or.jp URL https://sankouen-sejutusho.com/
杉光園は、昭和34年(1959年)、当時、東京都杉並区にあった国立光明寮(コウメイリヨウ)で学んだ方々の卒後研修機関として作られた「杉光会」を前身として発足しました。その後、昭和37年(1962年)に厚生省の局長通知により、盲人ホームが制度化されたことを機に、社会福祉法人杉光園と名称を改め、現在地に移転をしました。
昭和56年(1981年)には、日本盲人社会福祉施設協議会と合併し、名称も社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会盲人ホーム杉光園となりました。全国にある盲人ホームの中でも最古参の施設です。
平成23年(1981年)には、杉光園園舎を5階建ての建物「日盲社協会館」に改築し、現在、1~3階を杉光園が、4~5階を日盲社協の事務局が使用しています。
利用者の定員は20名で、施術ベッドは3台。現在の利用者は7名です。杉光園は日本でも2番目に古いと言われる佐竹通り商店街の一角にあり、その中には治療院やマッサージ店等も多く、患者さんの獲得にも苦労しますが、地域に向けてメッセージを発し、さまざまな工夫をして、より多くの患者さんの獲得を目指してきました。その結果、定期的に施術を受けに来られる地域住民の方も増え、地域社会での存在感を高められたと考えています。
経験豊富な指導員のもと、技術指導はもちろん、患者への接客指導や、カルテの電子化に取り組み、利用者の今後の人生設計に少しでもプラスになるよう運営をしております。
社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会
東京視覚障害者生活支援センター
〒162-0054東京都新宿区河田町10-10 TEL 03-3353-1277
URL http://www.tils.gr.jp
当センターは昭和58年(1983年)から日常生活訓練を実施し、平成29年(2017年)からは障害福祉サービスの事業所として、自立訓練(機能訓練)と就労移行支援のサービスを通所の形態で行っています。対象は都内在住者ですが、通所が可能であれば、都外にお住まいのかたもご利用いただけます。
定員は機能訓練25名、就労移行支援15名、個別支援計画に基づき、職員15名で訓練を実施しています。
機能訓練では、利用者が希望する訓練、希望する通所の曜日と時間帯にあわせて1コマ50分の時間割を作成して訓練を実施しています。訓練は歩行、日常生活動作、ロービジョン、スマートフォン(iOS)は個別対応、パソコンと点字はグループ形式でおこなっています。また、ケースワークは公認心理士が担当しています。
就労移行支援では、事務職での一般就労希望者、および休職者を対象に、ビジネスソフトの操作訓練を、教材に基づく自学自習と質問への個別対応のハイブリッド形式で実施しています。
また、マッサージ免許保有者にはヘルスキーパーでの就職をめざし、カルテや予約管理等のパソコン操作訓練と施術技術維持向上のための臨床の場を提供しています。ハローワークや民間職業紹介会社等とも連携し、求人情報の提供、面接試験への同行同席、内定後の通勤経路の歩行訓練、支援機器導入のサポート、勤務開始後のフォローアップなども行っています。
なお、就労移行支援でも必要に応じて機能訓練の訓練項目も実施しています。
多機能型の事業所として、機能訓練、就労移行支援が連携し、利用者を含めた視覚障害者が希望する生活の実現に向け、事業を行ってまいります。
社会福祉法人 日本点字図書館 自立支援室
〒169-8586東京都新宿区高田馬場1-23-4 TEL 03-3209-0241
E-mail jiritsu@nittento.or.jp URL https://www.nittento.or.jp/
日本点字図書館自立支援室では、指定障害福祉サービスのひとつである自立訓練(生活訓練)の枠で視覚障害者への訓練サービスを提供しています。平成29年度(2017年度)からスタートした新しい事業で、それまでは用具販売や図書の貸し出しに来館されて「日常の困りごと」を相談されるかたに対しては、外部の相談・訓練施設を紹介していたのですが、今は同じ法人内の自立支援室につながることでスムーズに相談や訓練に進むことができています。
訓練の内容は多岐にわたっており、白杖を使っての歩行訓練、パソコンやスマホなどのICT訓練、点字訓練、ルーペや拡大読書器などの操作を学ぶロービジョン訓練、日常生活を安全に過ごすために視覚以外の感覚や工夫した道具を使って家事、歯磨き、洗顔、髭剃り、化粧などの整容動作、金銭管理などを学ぶ日常生活技術訓練(ADL訓練)などがあります。月に1回、体を動かしたりゲームをしたりといったレクリエーションも実施しています。
訓練の特色としては、点字訓練を除くほとんどの訓練をマンツーマンで行っており、利用者の細かいニーズや要望になるべく応えられるようなサービスを提供しています。また、用具販売や図書の貸し出し、イベントなどの当館における他のサービスにもつながり、生活を便利に楽しくできるよう積極的にサポートしています。
社会福祉法人 日本視覚障害者職能開発センター
〒160-0003東京都新宿区四谷本塩町2-5 TEL 03-3341-0900
E-mail shokunou@jvdcb.jp URL https://www.jvdcb.jp/
Ⅰ.視覚障害者の職業を開発し、訓練と支援を行い社会参加の促進をはかる。
Ⅱ.利用者の意向を尊重し、多様な福祉サービスが総合的に提供されるよう創意工夫をする。
Ⅲ.利用者の個人の尊厳を保持しつつ、自立した生活を地域社会において営むことができるよう支援する。
以上を基本理念として、以下の事業を行っています。
◆東京ワークショップ就労移行支援(基礎、応用、速記、ビジネスワーク各コースで定員30人、期間2年間)
◆東京ワークショップ就労継続支援B型(定員24人:パソコンを使い、録音された音声を文字化する作業)
◆東京ワークショップ就労定着支援(期間3年間)
◆東京ワークショップ自立訓練(生活訓練)(定員6名:ICT訓練、歩行訓練、点字訓練等、期間2年間)
◆OA実務科(東京障害者職業能力開発校委託訓練、定員5人、期間1年間)
◆総合相談
◆視覚障害・就労支援者講習会
◆水曜サロン:視覚障害者がだれでも参加できる情報交換の場
◆日本商工会議所PC検定試験の実施:パソコン技術の資格(文書作成2、3級、データ処理2、3級)
◆ガイドブックの作成と配布:視覚障害者への接し方など
社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会
ヘレン・ケラー治療院 鍼灸・あん摩マッサージ指圧
〒169-0072東京都新宿区大久保3-14-20 TEL 03-3200-0585
E-mail syuro@thka.jp URL https://thka.jp
ヘレン・ケラー治療院鍼灸・あん摩マッサージ指圧は、就労継続支援B型事業所として令和4年(2022年)4月にスタートしました。
運営する東京ヘレン・ケラー協会としては、昭和25年(1950年)に開設したあはき師を養成するヘレン・ケラー学院、さらに昭和43年(1968年)開設の点字出版所、昭和49年(1974年)にできた点字図書館に次ぐ4施設目となります。
三療を学ぶ視覚障害者が激減する一方、あはき師の資格を持ちながら就労が困難な視覚障害者が多くいます。そうした人たちを中心に支援するのが新たな使命だと決意し、立ち上げた施設です。東京都内の就労継続支援B型事業所としては初のケースです。
新型コロナウイルス感染症の終息が見えない中でのスタートでしたが、徐々に患者様が増え、開設1年目で東京都の平均工賃を超えました。
あはきに関しては一般就労できるレベルの訓練が行われていますが、将来に向け、ICTの活用など時代のニーズに応えられる新たな分野にも支援を広げていこうとしています。
利用してくださる方々にとって、働きながらやりがいや生きがいを感じられる場として身近に存在し続けることが当施設の目標です。
社会福祉法人 ひかり会 盲人自立センター陽光園 通称:陽光園治療室
〒164-0001東京都中野区中野2-29-15 サンハイツ中野208 TEL 03-3383-2424
E-mail blind@jasmine.ocn.ne.jp URL https://hikarikainakano.com/
陽光園治療室は、鍼灸あん摩の有資格者が各々の目標に沿って経験を積むことができる施設です。
マンツーマンでの実技指導期間終了後、治療室で一定期間実際の患者さんを治療して経験を積むことで、治療技術の向上をはかるだけでなく、カルテ管理から衛生面、接遇面など治療室経営全般をも学んでいきます。
目的をともにする者たちとの仲間意識も良い刺激となることでしょう。患者さんからご指名を受けることや、満足のお声をいただくことで、あはきに携わるものとしての喜びや、やりがいを感じます。
やがて陽光園治療室を卒業し、地域社会において立派に自立できるよう日々励んでいます。
日本赤十字社 神奈川県ライトセンター
〒241-8585神奈川県横浜市旭区二俣川1-80-2 TEL 045-364-0023
E-mail mail@kanagawalc.org URL http://www.kanagawalc.org/
当センターは、神奈川県内の視覚障害者(児)を対象に、総合的なサービスを提供する施設として昭和49年(1974年)に開所しました。現在は、指定管理者として日本赤十字社が運営しています。
事業としては、視覚障害者からの各種相談・訓練を行っています。社会的自立支援を目的に、日常生活全般、歩行、点字等訓練、就労相談や視覚障害者用機器の紹介に加え、パソコンやスマートフォンについては、ITサポートボランティアの協力を得て個々のニーズに対応しています。
視覚障害児に対しては、保護者への情報提供を行ったり、子どもたちや保護者の交流会なども開催しています。さらにスポーツを通して健康増進や積極的な社会参加を支援するため、体育館、トレーニングルーム、卓球室、ジョギングコースなどのスポーツ施設があり、さまざまな教室も開催しています。
この他、視覚障害者が自主的に運営・管理するクラブ活動を支援しています。同じ趣味を持つ視覚障害者と晴眼者が協力し合って活動する大切なコミュニケーションの場となっています。
現在、スポーツ系と文化系あわせて34のクラブが日々活動しています。
川崎市視覚障害者情報文化センター
〒210-0026神奈川県川崎市川崎区堤根34-15 ふれあいプラザかわさき3F
E-mail kawasaki-icc@kawasaki-icc.jp TEL 044-222-1611
URL http://www.kawasaki-icc.jp/
見えない・見えにくい人を対象にさまざまな相談・訓練業務、各種生活用具の常設展示と販売、図書の貸し出しを行っています。(利用対象者:川崎市内に在住、在勤、在学の見えにくくなり不便さを感じている方)
1.相談・訓練業務
①各種相談
②歩行訓練(白杖歩行、移動介助など)
③ICT訓練(パソコン、iPhone、点字ピンディスプレイなど)
④点字訓練
⑤日常生活訓練(調理、身辺処理など)
2.視覚障害者向け各種生活用具の常設展示と販売
①補装具・日常生活用具
②視覚障害者の日常生活のQOLを高める便利グッズ
3.図書の貸し出し
①点字図書・音訳図書の貸し出し
②点字図書・音訳図書のデータダウンロードサービス
※指定管理者として社会福祉法人日本点字図書館が運営しています。
社会福祉法人 神奈川県総合リハビリテーションセンター
七沢自立支援ホーム
〒243-0121神奈川県厚木市七沢516 TEL 046-249-2403
E-mail njshien@kanagawa-rehab.or.jp URL https://www.jiritsushien.kanagawa-rehab.or.jp/
平成28年(2016年)6月に福祉棟が新しい建物に移転し、施設名称を「七沢更生ライトホーム」から「七沢自立支援ホーム」へ改称した。神奈川県より指定管理を受けて、施設入所支援と自立訓練(機能訓練)を提供している施設の特性は変わらず。地域移行を目的に個人のニーズに合わせた個別支援が特徴の通過型施設であり、「医療と福祉の有機的な結合」のために設立された神奈川県総合リハビリテーションセンターの中の肢体障害・視覚障害の複合施設である。
◆市町村の受給者証が必要
◆身体障害者手帳を所持する15歳以上の方
◆施設利用費は所得状況や障害支援区分によって異なる
事業内容は、生活支援等、視覚障害リハビリテーション訓練(感覚・歩行・日常・ICT・点字等)地域支援(講習会・研修会・体験会・関係団体支援等)神奈川リハビリテーション病院ロービジョンクリニック支援等(アウトリーチ)
公益財団法人 日本補助犬協会 横浜訓練センター
〒241-0811神奈川県横浜市旭区矢指町1954-1 TEL 045-951-9221
E-mail japan@hojyoken.or.jp URL https://www.hojyoken.or.jp
当協会は、身体障害者補助犬法の施行を機に設立された、日本で唯一3種類(盲導犬・介助犬・聴導犬)全ての補助犬を育成および認定できる団体です。
「日々の人とのかかわりの中から、補助犬として必要な人への愛着と状況判断能力が育つ」をモットーに、「その人にとっての、よりよい生活」のため、補助犬との生活を選択・希望する障害者の方へ、補助犬を無償貸与しています。
また、犬を介在した情操教育活動や訪問活動、保護犬を聴導犬にする活動など、人と人、人と犬の共生社会を目指して活動しています。
障害者権利条約や障害者差別解消法の歩みに歩調をあわせ、補助犬使用者の方々の社会参加が、相手の好意によって認められてきた段階から、「保障される」段階へと活動を進めて行きます。
同時に、補助犬についての多面的な情報発信を行い、補助犬だけにスポットがあたるのではなく、補助犬使用者が、社会から必要のないプレッシャーを感じることなく生活を送れるよう、補助犬使用者と社会の接点の一つとして活動を行っていきます。
公益財団法人 日本盲導犬協会 神奈川訓練センター
〒223-0056神奈川県横浜市港北区新吉田町6001-9 TEL 045-590-1595
E-mail info@moudouken.net URL https://www.moudouken.net/
「目の見えない人・見えにくい人が、行きたい時に、行きたい場所へ行くことができるように、安全で快適な盲導犬との歩行を提供する」を使命に掲げ、盲導犬の質・歩行指導技術の向上、さらにはユーザーフォローアップの充実にも力を入れています。
神奈川訓練センターは平成9年(1997年)に設立され、日本盲導犬協会にある4つの訓練センターの中で最も長く歴史があります。
市街地や住宅地に近いなど訓練環境が恵まれていることもあり、常時約30~40頭の訓練犬がおり、盲導犬訓練の拠点となっています。
また、次世代を担う訓練士の育成にも注力しているほか、各種リハビリテーション訓練や、盲導犬と視覚障害の理解促進のための活動を積極的に行っております。
社会福祉法人 光道園 障害者支援施設 ライトホープセンター
〒916-0146福井県丹生郡越前町朝日22-3-1 TEL 0778-34-1220
E-mail somu-2@kodoen.or.jp URL https://www.kodoen.or.jp/
当施設は指定障害者支援施設として身体障害、知的障害、精神障害を持った利用者一人ひとりに対して、意思と人権を尊重し、個別支援計画に沿って自立した生活を送ることができるよう支援を行っています。
サービス事業内容として、施設入所支援事業(定員135名)、生活介護事業(定員134名)、自立訓練事業(生活訓練 定員6名)、短期入所事業(定員5名)を行っています。
当施設の特徴としては、利用されている方の65%が視覚障害を持っており、知的障害等を併せ持つ重複障害の方が大半を占めています。そのため障害支援区分の平均は、5.1と重度な状況です。
重度な方々が自分で考える力や生活する力をつけるために教材を使った課題学習を行ったり、次のステップである就労支援事業所を目指すための作業訓練を行ったりしています。
また、余暇活動の充実などそれぞれ工夫をこらした外出や活動、生活を楽しむ場を提供しています。
以上のような支援を行いながら地域における中間施設としての役割を担っています。
社会福祉法人 長野県視覚障害者福祉協会 長野県盲人ホーム
〒390-0802長野県松本市旭2-11-39 TEL 0263-32-5632
長野県視覚障害者福祉センター
E-mail welcome@naganoken-shisyokyo.or.jp URL http://naganoken-shisyokyo.or.jp/
当盲人ホームは、研修施設として、松本市に所在する長野県視覚障害者福祉センター内に治療室を設け、施設長をはじめ指導員のもとで、通所による研修者に向けて「あん摩マッサージ指圧師、はり師」の技術向上と自立を目的に運営しています。
お陰様で、患者様に恵まれ、長野県内の中信地区を主に、遠方からも受診いただいており、研修施設として、さまざまな患者様に施術の機会を与えていただいています。
引き続き盲学校新卒者の受け入れを行い、研鑽を積む場として、また、さらなる未来を拓く場として在り続けるための努力を重ねて参ります。
社会福祉法人 岐阜アソシア
視覚障害者生活情報センターぎふ 略称:生活情報センター
〒500-8815岐阜市梅河町1-4 生活情報センター TEL 058-263-1310
E-mail center@gifu-associa.com URL https://www.gifu-associa.com/
施設名に「生活」という言葉を入れていますが、これは、より視覚障害者の生活に寄り添える存在でありたいという思いからです。法人名「岐阜アソシア」の「アソシア」も「ともに生きる社会を」というところからつけられました。
事業としましては、点字・録音・拡大図書・電子書籍製作と貸し出しのほか、歩行訓練、中途視覚障害者の点字指導、ICT機器指導、日常生活訓練など、できる限り利用者の要望に応じられるようともに考えながら行っております。
ほかにも視覚障害者の要望で健康づくり、一般の教室には入りづらいということから教室として、3B体操、社交ダンス、太極拳を行ったり、今は見られなくなった餅つき体験をともに地域住民を含めて年末に皆で楽しんでいます。
また「かがり火(結婚研修会)」と銘打って、独身視覚障害男女の出会いの場を60年間にわたって実施しております。
昭和37年(1962年)に第1回目を開催し、平成30年(2018年)で第47回を数え、成立したカップルは100組を優に超えます(当センターに報告があったカップル数)。
その他にも視覚障害者のみならず、地域住民を巻き込んで、「防災運動会」(平成19年〔2007年〕から)を実施。東南海地震発生の恐れがあるといわれている中、万一に備え、ともに手を携えて助け合っていけるよう働きかけております。
社会福祉法人 恩賜財団済生会支部 静岡県済生会
静岡医療福祉センター ライトホーム
〒422-8006静岡市駿河区曲金5-3-30 TEL 054-282-2944
E-mail raito@sizuoka-iryofukusi.jp URL https://www.sizuoka-iryofukusi.jp/light.html
視覚障害者にとって、はり、きゅう、マッサージは、命です。
ライトホームは、静岡市が地域生活支援事業で設置している視覚障害者のための施設です。
あん摩・マッサージ・指圧師、はり師またはきゅう師の免許をもつ視覚障害者が自立するのに必要な能力の向上をはかるための実技、経営、接客マナー等の指導を行うとともに三療就業者の技術研修を、経験豊富な指導員が責任をもって施術のフォローに入り指導を行っています。
◆事業内容:三療の技術指導、相談(資料提供)、三療研修、日常生活訓練、奉仕治療、盲学校との研修懇談
◆利用形態:通所(定員20名)
◆利用者募集範囲:静岡県内
◆開館時間:月~金曜の午前8時30分~午後5時15分
◆休日:国民の休日、土・日曜日、年末年始12月29日~1月3日
◆施設の特色:医療、福祉、教育の機能を一体化した施設運営
公益財団法人 日本盲導犬協会
日本盲導犬総合センター 愛称:富士ハーネス
〒418-0102静岡県富士宮市人穴381 TEL 0544-29-1010
E-mail info@moudouken.net URL https://www.moudouken.net/fuji-harness/
「目の見えない人・見えにくい人が、行きたい時に、行きたい場所へ行くことができるように、安全で快適な盲導犬との歩行を提供する」を使命に掲げ、個性的な外観の施設は、『富士ハーネス』という愛称で親しまれております。
平成18年(2006年)10月に開設、約20,000㎡の広大な敷地は、当法人4訓練施設の中で最大の敷地面積、床面積を誇り、全ての建物が回廊で結ばれ、広い建物内もスムーズに移動が可能です。
雄大な富士山の麓で、年間100頭以上の子犬の出産から引退犬のケアまで、盲導犬の生涯を通じたトータルケアを実現している施設です。
母犬の出産場所、子犬の運動エリア、引退犬の生活場所、ケアが必要な犬の専用エリアを有し、衛生的な環境で万全な体制を整えています。
また、日本で唯一、常時見学できる盲導犬訓練施設として、盲導犬や視覚障害への理解、普及啓発活動に努めています。特に、連休や夏休み期間は多くの来場者で賑わい、多くの笑顔で溢れています。理解を深める施設である一方、東海、甲信、北陸エリアの視覚障害者支援拠点としての重要な役割を担っています。
社会福祉法人 中部盲導犬協会 盲導犬総合訓練センター
〒455-0066愛知県名古屋市港区寛政町3-41-1 TEL 052-661-3111
E-mail chubu@tcp-ip.or.jp URL http://www.chubu-moudouken.jp/
当協会では、中部地方を中心に視覚障害者へ盲導犬を無償貸与しております。
視覚障害者の「社会参加の促進」と「安全な歩行」を目的として昭和45年(1970年)に設立、昭和49年(1974年)に愛知県より財団法人の認可を受け活動してまいりました。
そして平成25年(2013年)4月、昨今の盲導犬を取り巻く社会情勢、また、盲導犬育成事業のさらなる発展、視覚障害者の総合的な支援を目的として「社会福祉法人」へと法人格を変更いたしました。
盲導犬総合訓練センターでは、盲導犬の育成・歩行指導・アフターフォロー等を行っております。
当協会の盲導犬の特色は、盲導犬の「両手持ち」があります。ユーザーが左右どちらの手でも盲導犬をコントロールすることができるように盲導犬を訓練しております。このことにより、方向転換や狭いところでの歩行などがスムーズに行えるようになります。
盲導犬総合訓練センターは都市部にあり、最寄の駅から徒歩3分ほどの大変便利な場所にあります。
盲導犬の貸与をご希望の方はぜひ当協会へご連絡ください。
社会福祉法人 名古屋市総合リハビリテーション事業団
名古屋市総合リハビリテーションセンター 視覚支援課
〒467-8622愛知県名古屋市瑞穂区弥富町字密柑山1-2 TEL 052-835-3523
E-mail sikaku@nagoya-rehab.or.jp URL https://www.nagoya-rehab.or.jp
視覚支援課では、主に人生の中途で目が見えにくくなったり、見えなくなったりしたことによって生じたさまざまな不自由さを、残された視力や視野、あるいは視覚以外の感覚を用いて軽減・解消するためのリハビリテーション訓練(歩行、点字、ICT、日常生活動作など)を、通所・入所・訪問で実施しています。
視力低下後の生活の質の向上、単身生活の実現、盲学校進学、大学進学、復職など、さまざまな目標を持った方が年間約80名利用され、目標を達成しています。
それ以外にも、用具・道具の紹介や選定、福祉サービスや社会資源の紹介、同じ悩みを持つ仲間との出会いや交流の場の提供などを通して、地域での生活が豊かなものとなるようお手伝いをしています。
社会福祉法人 名古屋ライトハウス 障害者支援施設 光和寮
〒466-0856愛知県名古屋市昭和区川名町1-5 TEL 052-751-1268
E-mail kouwaryo@nagoya-lighthouse.jp
URL https://nagoya-lighthouse.jp/base/kowaryou/
光和寮は視覚障害者の新職場として昭和21年(1946年)戦後の荒廃した中でうぶ声をあげました。
その後作業種目の開拓に努め、多くの障害者が就労を通じて一般就労、地域生活へ移行することができました。
今日では、多様なニーズに対応できるよう障害者支援施設として、「働く場・訓練の場」としての就労継続支援、就労移行・定着支援、「住まいの場」としての施設入所支援、福祉ホーム事業、「日中活動の場」としての地域活動支援センター、生活介護事業、同行援護事業、気軽に相談できる相談支援事業など、生活上のさまざまな場面において一体的なサービスを提供しています。利用者の方々はニーズに応じたサービスを、ワンストップ的に利用することができます。
就労継続支援事業では、三療の国家資格を持つ利用者が働く治療院や録音速記に視覚障害者が活躍しております。また、地域活動支援センターは視覚障害者の利用に特化した日中活動の場として、手芸・陶芸・ビーズ細工・革細工・カラオケ・盲人卓球・ヨガなどなど多彩な活動を提供しております。
社会福祉法人 名古屋ライトハウス
就労継続支援多機能型事業所 港ワークキャンパス
〒455-0831愛知県名古屋市港区十一屋1-70-4 TEL 052-382-1551
E-mail office@minato-workcampus.com URL https://minato-workcampus.com/
港ワークキャンパスは、就労継続支援A型(定員60人)の「ライトハウス名古屋金属工場」、就労継続支援B型(定員60人)の「KAN食品開発センター」、「かんせい工房」、「あおなみキャンパス」、福祉ホーム「みなと」(定員20人)の多機能の事業展開をしています。
「ライトハウス名古屋金属工場」では、主に工業用ブリキ缶の製造を行っています。名古屋ライトハウスが創設(昭和21年〔1946年〕)されて、すぐに進駐軍から払い受けた廃材の加工から始まった歴史ある事業です。
「KAN食品開発センター」では、非常食用の5年保存が可能なパン缶「パンですよ!」の製造販売を行っています。味はチョコチップ、レーズン、コーヒーナッツ、あずきミルク、プレーン(卵不使用)の5種類の展開です。ぜひホームページをご確認ください。
「かんせい工房」や「あおなみキャンパス」では、利用者の障害特性や仕事の目標に応じて、軽作業、施設外就労等、利用者の「働く」「暮す」ニーズにフォーカスを当て支援しています。
「働く」よろこびを利用者、家族、職員、取引先、みんなが感じられる施設を目指しています。
社会福祉法人 名古屋ライトハウス 明和寮
〒455-0831愛知県名古屋市港区十一屋1-70-5 TEL 052-383-4381
E-mail meiwa@nagoya-lighthouse.jp URL https://nagoya-lighthouse.jp/base/meiwaryou/
昭和54年(1979年)11月、名古屋市内で初の重度身体障害者授産施設(当時の施設種別)として開設。下請け作業などを中心に受注し、最大120名の定員で運営してきた。
平成20年(2008年)1月、障害者自立支援法のサービス体系に移行。現在は、就労継続支援B型(100名)、就労移行支援事業(14名)、生活介護事業(12名)を運営している。
就労継続支援事業(B型)では、印刷、包装加工、部品組立等の作業を提供。視覚障害を含め、さまざまな障害をお持ちの方が、開発した治工具や器具などを利用してそれぞれの特性を活かし、より高い工賃を目標に日々やりがいを感じながら働いている。
就労移行支援では、知的、精神障害の方を中心に、年間10人以上の就職者を出している。生活介護事業では、重症心身障害の方を含め、幅広い対象の方を受け入れている。
また、安心・安全にくらすことができるよう視覚障害・肢体障害の方を中心に受け入れている福祉ホームや視覚障害の方や車イス利用者などの通院、買い物、レジャーなど、さまざまな外出支援に力を入れた同行援護や重度訪問介護等のサービスも展開している。
社会福祉法人 伊賀市社会事業協会 伊賀市盲人ホーム
〒518-0851三重県伊賀市上野寺町1184-3 TEL 0595-23-1511
URL https://www.iga-sjk.or.jp/
当ホームは、地域の視覚障害者の強い要望を受けて、昭和35年(1960年)に上野市(現伊賀市)が設置した施設です。翌年には、上野市社会事業協会(現伊賀市社会事業協会)が市から運営を委託され現在に至っています。施設そのものは平成6年(1994年)に改築され、敷地内に新設された障害者介護事業所「かしの木ひろば」と同一の建物に入ることになりました。この改築によって装いは新たになり、法人内の視覚障害者関連施設である上野点字図書館、盲養護老人ホーム「梨ノ木園」とともに、視覚障害者福祉の推進に注がれた多くの先達の熱意を受け継ぎ、その伝統を守りながら運営は継続されています。
市内で開業している方の多くは、当ホームで研修を修了され、誇りを持って仕事を続けてこられました。その方たちが中心になって運営している「伊賀市視覚障害者福祉会」の事務局も当ホームに置かれ、現在も会合や行事の折にはみな集まってくださっています。今後も視覚障害者の皆様の拠り所としての機能を充実させながら、安定した運営を目指していきます。
公益財団法人 関西盲導犬協会 盲導犬総合訓練センター
〒621-0027京都府亀岡市曽我部町犬飼未ヶ谷18-2 TEL 0771-24-0323
E-mail info@kansai-guidedog.jp URL https://kansai-guidedog.jp/
昭和55年(1980年)11月、盲導犬の育成普及を願う市民が集まり発足。昭和58年(1983年)7月に、京都府の許可を受け財団法人を設立。同年8月には国家公安委員会より「盲導犬を訓練し認定する法人」として指定を受けました。また、平成22年(2010年)9月、内閣府より認定を受け公益財団法人に移行しました。
昭和63年(1988年)3月には、京都府亀岡市に盲導犬総合訓練センターを竣工。平成28年(2016年)4月、「人と犬の共生」をコンセプトに新しい犬舎「木香(モツカ)テラス」が完成。
木造建築の室内に配置した犬室は可動式で状況にあわせて場所や大きさを変えることができ、また、室内に職員が業務を行うスペースを設けるなど、より家庭に近い環境の中で盲導犬の育成ができるようになりました。
このような環境の中、盲導犬の育成を通して、視覚障害者が行きたい時に、行きたい場所に、安全に行ける社会の実現と視覚障害者福祉の向上に貢献することを目的として、以下の事業を行っています。
1.盲導犬および視覚障害に関する事業:盲導犬としての素質をもつ候補犬の繁殖と育成・訓練、盲導犬を希望する視覚障害者への歩行指導および盲導犬の無償貸与、盲導犬ユーザーへのフォローアップ、リタイア犬飼養補助等のボランティア活動支援および養成
2.相談事業:盲導犬ユーザー、受け入れ事業者等からの相談への対応
3.普及啓発事業:SNSも活用し一般市民や事業者等に対し盲導犬や視覚障害についての理解促進のための啓発活動、また盲導犬を希望する視覚障害者に対し体験歩行等を通して盲導犬についての情報を提供
社会福祉法人 京都ライトハウス 鳥居寮
〒603-8302京都市北区紫野花ノ坊町50 TEL 075-463-6455
E-mail torii@kyoto-lighthouse.or.jp URL https://www.kyoto-lighthouse.or.jp/
視覚障害者の自立を支援するために歩行訓練、点字、パソコン、スマートフォンなどのコミュニケーション訓練やADL訓練などを行っています。利用者は18歳から高齢の方までと幅広く、また、見え方は全く見えない方からロービジョンの方までさまざまです。
特徴①:自立支援給付による施設入所支援・自立訓練(機能訓練)事業、京都府委託事業としての中途視覚障害者歩行訓練事業、そして、京都市補助事業としての中途視覚障害者歩行訓練事業を行っています。この三つの形態があることで、地域にサービスのない方、集中して訓練を希望する方には入所訓練が提供でき、通所の方では、施設に来られる視覚に障害のある他の方との交流もあり、互いに励まし合って訓練を進めることができます。
特徴②:京都ライトハウスという総合的な施設にあることで、訓練へのかかわりがスムーズになります。視覚低下で不安な時期に眼科診療所での相談、ロービジョン相談があり、相談事業が医療や福祉、行政関係との連携に努めていることや、点字、音訳図書などの情報提供サービス、児童発達支援、生活介護、就労支援、高齢入所施設の事業が必要に応じて紹介できる体制など、相談に来られる方の障害に対する気持ちや状況に応じた対応がとれます。
社会福祉法人 京都視覚障害者支援センター 障害者支援施設 洛西寮(ラクサイリヨウ)
〒610-1111京都市西京区大枝東長町1-67 TEL 075-333-0171
E-mail info@kyo-ssc.com
全国的にも数少ない視覚障害者に特化した障害者支援施設です。
年齢は、盲学校卒業生から70歳前後まで幅広く対応し、入所型として日々の生活の支援から、日中は就労支援等を行なっています。法人理念である「希望に満ちた成長への喜び」、行動指針である「働く力、よりよい生活あなたの能力や可能性に合った自立に向けての支援を行ないます」に沿って障害者福祉サービスを展開しています。
【福祉サービス事業】
①就労継続支援B型「らくさい作業所」(定員40人)
②施設入所支援「洛西寮」(定員30人)
「らくさい作業所」での活動科目としては、京都市の広報紙等の点字印刷を中心とした「点字印刷」と下請け(ミシン縫製、数珠玉通し等)の仕事を請負っています。また、自主製品では給食袋・くつ入れ等や腕カバーの自主製品も販売しています。
社会福祉法人 日本ライトハウス 大阪盲人ホーム 通称:はなてん治療院
〒536-0021大阪市城東区諏訪1-16-9 はなてん治療院 TEL 06-6961-5521
URL https://www.lighthouse.or.jp/
平成17年(2005年)12月に改築し、鉄骨3階建の1階に治療室(ベッド5台)、2階に技術指導室(ベッド2台)・休憩室を設置し、同一法人の支援施設「日本ライトハウスきらきら」の就労移行支援サービス利用者で免許保持者に実習の機会と場所を設け、一般就労への足がかりになるよう実習施設としての役割を果たしています。
また、技術的に接客レベルに達しているメンバーには、一定期間継続して働ける就労の場を提供し、施術料の8割を還元しています。
今後も健康づくりの担い手としての価値を発揮し、安価でしかも安心できる治療院として、お客様サービスの充実をはかって固定客の確保をめざします。
現在、以下の条件を満たしている方をメンバーとさせていただいています。
①通所にあたって職員の送迎が不要な方
②あん摩マッサージ指圧師または、はり師の免許を持っている方
③「はなてん治療院」で実習を終えている方、あるいは同等の技術を持っていると指導員が判断する方
社会福祉法人 日本ライトハウス きらきら 略称:きらきら
〒538-0042大阪市鶴見区今津中2-4-37 TEL 06-6961-5521
E-mail kirakira@lighthouse.or.jp URL https://www.lighthouse.or.jp/
これからの生活を豊かにし、きらきらと輝きながら社会参加活動を実現し、その人の望む地域生活を実現するために、また利用者と家庭や地域との「つながり」が一層広がるよう、さまざまな協力者、関係機関、専門職とともに協働作業を展開しています。
日中提供サービスの種別と定員は、自立訓練(機能訓練)19人、就労移行支援6人、生活介護15人です。営業日は年末年始と祝日をのぞく月曜日から金曜日、午前9時50分から午後4時まで日中プログラムを提供しています。
施設入所支援の定員30人で、年間を通してサービスを提供しています。
「自立訓練(機能訓練)」では、見えにくいことで困られていることを解消するため、白杖を使った歩行訓練、コミュニケーション訓練(点字の読み書き、音声や拡大ソフトを用いたパソコン操作)日常生活のための訓練などを、「就労移行支援」では、在職・休職中の視覚障害者の方への復職訓練を通所・入所の形態で提供しています。
「生活介護」は、視覚障害とともに知的・精神障害をあわせ持つ重複障害をお持ちの方に対し、入所支援との併用で支援しています。少人数で、ゆったりした家庭的な支援を心がけています。
社会福祉法人 日本ライトハウス 盲導犬訓練所
〒585-0055大阪府南河内郡千早赤阪村東阪1202 TEL 0721-72-0914
E-mail guidedog@lighthouse.or.jp URL http://www.guidedog-lighthouse.jp/
日本ライトハウスは視覚障害者の行く手を照らす「陸の灯台」として、大正11年(1922年)岩橋武夫(イワハシタケオ)が点字図書の製作を開始したことに始まります。その後、点字図書の貸し出しや盲人援護事業を行い、昭和40年(1965年)に日本最初の視覚障害リハビリテーションセンターを開設しました。
昭和45年(1970年)には盲導犬育成事業を開始し、昭和48年(1973年)に第1号の盲導犬「リンダ」が誕生しました。
令和4年度(2022年度)にはのべ800頭目の盲導犬「マイリー」が卒業しています。
大阪府唯一の村、千早赤阪村に拠点を構え、近隣の市町村の皆様および、多くのボランティアの皆様の協力に支えられております。皆様のあたたかな協力の元、今後も質の良い盲導犬の作出を目指していきます。
社会福祉法人 日本ライトハウス わくわく 略称:わくわく
〒538-0042大阪市鶴見区今津中2-4-37 TEL 06-6961-5521
E-mail wakuwaku@lighthouse.or.jp URL https://www.lighthouse.or.jp/
日中活動の場の提供として、生活介護事業のサービスを提供しています。定員40人で、営業日は年末年始と祝日をのぞく月曜日から金曜日、午前9時50分から午後4時までです。
いろいろな人と出会い、違った価値に触れ合いながら、ご自身の持つ強さに気づきその力を高めていただけるよう、ストレッチ、創作、カラオケ、ディスカッションなどの日中プログラムを提供しています。
また、働くことで張り合いをもった生活を送りたいという方々に対しては、軽作業プログラムを提供し、規定に基づいて工賃をお支払いしています。
その人の望む地域生活が実現できることが目的で、利用いただいている方の持っている力を発揮し、わくわくとした毎日を過ごせるように応援します。そのために、利用者と家庭や地域との「つながり」が一層広がるよう、ご家族ともにさまざまな協力者、関係機関や専門職と協働作業を展開します。
最寄り駅のJR放出駅と事業所との間は朝夕の一定時間に送迎を行っています。
社会福祉法人 関西盲人ホーム
〒662-0833兵庫県西宮市北昭和町3-15 TEL 0798-66-7397
URL https://xn--ydkk7fz36l395bdjxan0r.com/
昭和5年(1930年)視覚障害女性越岡(コシオカ)ふみは、視覚障害者の先覚者である点字毎日編集長であった中村京太郎(ナカムラキョウタロウ)氏の協力を得て、視覚障害女性を立派な社会人として養成するための施設として「関西盲婦人ホーム」を創立し、キリスト教信仰による相互扶助の生活を始めました。
その後、戦争のため一時解散しましたが、昭和22年(1947年)に再興し、昭和23年(1948年)盲ろうあ者として世界の偉人ヘレン・ケラー女史の来日を機に、喜久田倫章(キクタリンショウ)、好本督(ヨシモトタダス)等諸先生の協力を得て、地域の諸団体等多方面よりの協力により、現在地北昭和町にホームを新築しました。
視覚障害女性専門の更生援護施設として社団法人となり、昭和27年(1952年)には社会福祉法人となりました。以後熱心なキリスト教徒である歴代理事長により経営が継続されて今日に至っております。
残念ながら、利用者の退所により令和5年(2023年)3月甲東寮は閉鎖しました。
◆利用者は外来者に対するあん摩・マッサージ治療を実施しながら、自立への研鑚をはかり、日々努力しております。
◆専門職員により視覚障害者の相談等も行っております。
国立障害者リハビリテーションセンター 自立支援局
神戸視力障害センター
〒651-2134兵庫県神戸市西区曙町1070 TEL 078-923-4670
E-mail kvrc-info@mhlw.go.jp URL http://www.rehab.go.jp/kobe/
神戸視力障害センターは、主に視覚に障害のある方を対象とした指定障害者支援施設です。
就労移行支援(養成施設)として、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師を養成する専門課程(3年)の理療教育を行い、国家試験に合格し免許取得できるよう支援しています。
さらに、利用者の進路希望に沿って就労を支援し社会参加を実現します。卒業修了者へも研修会等の後支援を行なっています。
また、自立訓練(機能訓練)として、自立した社会生活を送るための歩行訓練やコミュニケーション訓練(点字、パソコンなど)、日常生活訓練などを行っています。自立訓練、就労移行支援を受けている方で、自宅から通うことが困難な方には、併設の利用者宿舎における居室や食事、入浴などの居住サービスの提供を行っています。
なお、自立訓練では通うことが困難な方には、可能な範囲で訪問訓練も実施しています。
いずれの訓練とも、利用者一人ひとりの能力を最大限に発揮できるように個別の支援に取り組み、これまで約3,400人の方々が訓練を修了して、それぞれの地域で生活を送っています。
社会福祉法人 兵庫盲導犬協会
〒651-2212兵庫県神戸市西区押部谷町押部24 TEL 078-995-3481
E-mail info@moudouken.org URL https://www.moudouken.org/
平成2年(1990年)に「関西盲導犬協会兵庫支部」として神戸市に事務所を設置し、同年に「兵庫県盲導犬協会」を設立しました。そして平成9年(1997年)に「社団法人兵庫盲導犬協会」を発足しました。平成16年(2004年)には『視覚障害者が、盲導犬とともに個人の尊厳を保持し、自立した生活を営むことができるように支援することを目的』として、現在の形である「社会福祉法人兵庫盲導犬協会」が誕生しました。神戸市西区押部谷町の自然豊かな場所で、盲導犬の育成・訓練・視覚障害者への貸与事業を行っています。兵庫県内にとどまらず、大阪府や岡山県など県外の方にも盲導犬を貸与しています。
また、学校・企業講演等を実施することで盲導犬を含めた補助犬の普及啓発にも積極的に取り組んでいます。日々、盲導犬たちやユーザーの方々、支援者やボランティアの皆様に支えられ活動を続けております。
令和3年(2021年)9月には、神戸市兵庫区に完成した中山視覚福祉財団の「中山記念会館」の3階にオフィスを提供していただき、入居されている他の視覚障害者支援団体と連携し、施設のコンセプトである「県内の視覚障害者、当事者団体、支援団体が気兼ねなく集える象徴的な建物にする」の実現に向けて努力してまいります。
一般社団法人 奈良県視覚障害者福祉協会 奈良県盲人ホーム
〒634-0061奈良県橿原市大久保町320-11 奈良県社会福祉総合センター5F
E-mail nashikyou@bz04.plala.or.jp TEL 0744-29-0144
一般社団法人奈良県視覚障害者福祉協会は、昭和23年(1948年)5月25日奈良県盲人協会として発足。昭和47年(1972年)奈良県視覚障害者協会と改名。昭和58年(1983年)3月17日社団法人格を取得。平成16年(2004年)10月1日「福祉」の文言を入れて、現在の一般社団法人奈良県視覚障害者福祉協会となりました。
平成19年(2007年)4月に奈良市高畑町から奈良県橿原市大久保町奈良県社会福祉総合センター5階へ移転しました。
本会は、県下在住の視覚障害者が友愛と互助をモットーに、人格・教養を高めるとともに、福祉の増進・文化の向上をはかることを目的としています。
事業の一環として、昭和37年(1962年)に盲人ホームを開設し、次のような事業を行っています。
◆東洋療法研修事業:あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の有資格者を対象に、資質の向上のための実技講習会や研修会の実施。
◆県下の老人施設等への治療奉仕活動
◆視覚障害者情報支援事業:パソコン・点字・情報機器等の研修会や講習会の実施。
◆視覚障害者生活訓練事業:料理・編み物・茶華道等の基本的な実習。
◆社会参加促進事業:川柳・詩吟・民謡・グランドソフトボール・フロアバレーボール・サウンドテーブルテニス等のクラブ活動。
社会福祉法人 鳥取県ライトハウス 盲人ホーム
〒683-0001鳥取県米子市皆生温泉3-18-3 米子市皆生市民プール2F
E-mail honbu@tottori-lighthouse.or.jp TEL 0859-22-6400
山陰屈指の温泉地、皆生温泉という恵まれた環境にあって、住居と温泉、それに施術の場が一体となった全国的にも珍しい盲人ホームとして知られていた。しかし、ライトハウス建物の老朽化に伴い、平成20年(2008年)に現在の仮の場所へと移転して、通所のみの施設として新たに生まれ変わって、現在に至っている。
通所者は、技術の研鑽を行うとともに、今後の自らの進む道を考えながら、日々来院される地元の方々の健康保持のためのマッサージ施術を行っている。
公益財団法人 日本盲導犬協会 島根あさひ訓練センター 愛称:パピネス
〒697-0426島根県浜田市旭町丸原155-15 TEL 0855-45-8311
E-mail info@moudouken.net URL https://www.moudouken.net/
島根あさひ訓練センター「パピネス」は、中国・四国地域で唯一の盲導犬訓練センターとして、視覚障害者の方へ盲導犬の貸与事業を行っています。
平成20年(2008年)に設立されたこのセンターは、日本初、受刑者が盲導犬の子犬を育成するプログラムを展開しており、そのための施設としても利用されています。子犬は平日はここで受刑者により飼育・躾を受け、週末は地域のボランティア家庭で生活します。この取り組みにより、視覚障害者と盲導犬、受刑者と地域ボランティアをつなげる橋渡しの役割を果たしています。
施設は犬舎が事務所を囲む形で配置され、窓から犬たちの様子を見ることができます。また、訓練の一部として都市部での生活経験も重視されており、広島市に広島事務所を開設し、電車やバスでの訓練を行っています。
公益財団法人 九州盲導犬協会
総合訓練センター 略称:訓練センター
〒819-1122福岡県糸島市東702番地1 総合訓練センター TEL 092-324-3169
E-mail fgda@pop02.odn.ne.jp URL https://www.fgda.or.jp
昭和58年(1983年)9月に「九州で盲導犬を」というたっての願いのもと、たくさんの方々のご尽力により設立された当協会は、自然豊かな福岡県糸島市に訓練センターを有しております。この訓練センターは九州唯一の盲導犬育成施設であり、広島から九州・沖縄を主なエリアとして年間8頭の育成体制で盲導犬の無償貸与を行い、これまでに延べ280人以上の視覚障害者の社会参加と自立をサポートしてまいりました。
平成17年(2005年)には訓練センターを新しく開設し、犬舎は訓練犬収容頭数50頭、3階建ての管理棟の中には利用者の宿泊施設7室や講習会などを行えるホール、会議室も備え、充実した施設で視覚障害者の方々をお迎えいたします。
訓練士の平均年齢は20代と若いスタッフがほとんどですが、その分、明るくパワーあふれる雰囲気づくりを心がけ、利用者の方々に快適に過ごしていただける施設としてサービスの向上に努めてまいります。良質な盲導犬を一日も早く一頭でも多くをモットーに、これからも盲導犬使用者が、より良い盲導犬ライフを満喫できるようにスタッフ一同全力で事業を行ってまいります。
春己(ハルミ)ガイドサービス株式会社
〒816-0801福岡県春日市春日原東町4丁目63-103 TEL 092-574-6656
E-mail harumiguide@jewel.ocn.ne.jp
春己ガイドサービス株式会社は、目に障害のある方の同行援護や居宅介護サービスを行っている事業所です。福岡県を中心に、佐賀県、長崎県で活動しており、設立して10年目となりました。
目の不自由な方々が地域で安心安全な生活を営めるように個々の性格を把握し、それに合った支援を実施できるように心掛けております。
ご利用者の方々の行動範囲が広がるようにご希望の場所へベテランのガイドが安全を期して同行します。また、旅行企画やスポーツ活動なども積極的に取り組んでおり、ご利用者の方々にも大変好評です。
国立障害者リハビリテーションセンター 自立支援局
福岡視力障害センター
〒819-0165福岡市西区今津4820-1 TEL 092-806-1361
E-mail syomuka-f@mhlw.go.jp URL http://www.rehab.go.jp/fukuoka/
視覚に障害のある方々を対象に国が設置し、福岡市の指定を受けた指定障害者支援施設である当センターは、視覚に障害のある方の自立と社会参加を支援することを目的としています。
提供する昼間サービスには、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の養成のための就労移行支援(養成施設)と日常生活に必要な諸技術を身につけるための自立訓練(機能訓練)があり、昼間利用サービスを利用される方で、通所が困難な方に宿舎利用のサービス(夜間・休日におけるサービス)として、施設入所支援を行っています。
◆定員および利用対象者◆
【就労移行支援(養成施設)】60人
あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう科専門課程(修業年限3年)は、視覚に障害のある方で、施設利用について市区町村から「障害福祉サービス受給者証」の交付を受けた18歳以上で、次の基準に該当する方
◆大学に入学することができる方(学校教育法第90条1項規定)
◆または、当センターが実施する「個別利用資格審査」によって高等学校を卒業した方と同等以上の学力があると認められた方
【自立訓練(機能訓練)】10人
視覚に障害のある方で、施設利用について市区町村から「障害福祉サービス受給者証」の交付を受けた15歳以上の方
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生活施設部会:19施設
日盲社協が誕生した昭和28年(1953年)当時は、今でいう生活施設は更生援護部会に属していたが、施設数の増加とともに昭和46年(1971年)に更生援護部会から収容施設部会として分離した。
その後、収容という言葉が使用されなくなってきたのに伴い、平成3年(1991年)から現在の生活施設部会に名称変更した。現在、生活施設部会の会員施設数は19施設である。(部会長 茂木幹央)
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社会福祉法人 成仁会(セイジンカイ) 養護(盲)老人ホーム 祥風苑(ショウフウエン)
〒022-0004岩手県大船渡市猪川町字冨岡176 TEL 0192-26-3111
URL https//www.i-seijinkai.jp
養護(盲)老人ホーム祥風苑は、入居者の皆様の支援に関する計画に基づき、社会復帰の促進および自立のために必要な支援等を行います。入居者の皆様がその有する能力に応じ、自立した日常生活を営むことができるようにするとともに、入居者の皆様が地域に戻り自立した生活を送れるよう支援します。
また、施設の所在する地域において、社会的に援助を要する高齢者の方々に対して必要な支援や、ボランティアの受け入れ、地域住民への施設開放にも積極的に取り組むことで、地域福祉の拠点となるよう努めています。
祥風苑は、視覚障害のある高齢者の方々の自立した生活を支援するために、その専門性を高め、入居者の皆様、地域で生活する視覚障害者の皆様の「心の拠り所」としての役割を果たすことに熱意をもって取り組んでおります。
社会福祉法人 日本失明者協会 熊谷ライトハウス
〒360-0001埼玉県熊谷市上中条727-1 TEL 048-599-2112
URL https://hitomien.jimdofree.com
◆施設概要◆
入所定員:10人
開所年月日:平成26年(2014年)3月1日
施設の構造・規模:鉄筋コンクリート2階建
施設の延床面積:553.33㎡
施設の敷地面積:771.09㎡
鉄道の最寄駅:JR高崎線熊谷駅
◆施設の特色◆
入所者は、18歳以上の視覚障害者。居室は、1人用居室が10室。居室の面積はいずれも12.43㎡。居室の中には、トイレ・洗面所・寝室部分・掲示板・冷蔵庫置き場・テレビ置き場・五段式タンス・押し入れ(下段・中段・上段)あり。浴室は共同使用。
1階の居室の名称は英国の都市名、2階の居室の名称は米国の州の名前。
この施設からいろいろな職場に働きに行くことができる。
社会福祉法人 日本失明者協会
熊谷ライトハウスリフレッシュセンター
〒360-0001埼玉県熊谷市上中条727-2 TEL 048-599-2111
URL https://hitomien.jimdofree.com/
◆施設概要◆
入所定員:10人
開所年月日:平成26年(2014年)3月1日
施設の構造・規模:鉄骨造り平屋建て
施設の延床面積:208.00㎡
施設の敷地面積:599.37㎡
鉄道の最寄駅:JR高崎線熊谷駅
◆施設の特色◆
事務室、静養室、多目的室兼相談室、第一施術室、第二施術室、第三施術室、第四施術室、第五施術室、第六施術室、待合室、水圧マッサージ室、その他あり。
この施設は、重度の視覚障害者に、マッサージ施術、はり施術等により働く場を提供している。
また、マッサージ師免許や、はり師免許を所持していない人も働けるような作業項目を用意している。
社会福祉法人 日本失明者協会 養護盲老人ホーム ひとみ園
〒366-0811埼玉県深谷市人見1665-3 TEL 048-573-5222
E-mail hitomien5222@yahoo.co.jp URL https://hitomien.jimdofree.com/
◆施設概要◆
入所定員:120人
施設の構造・規模:鉄筋コンクリート3階建(一部2階建)
施設の延床面積:6,965.725㎡
施設の敷地面積:10,204㎡
鉄道の最寄駅:JR高崎線深谷駅
◆施設の特色◆
1人用居室120室のほかに、客席240席の本格的な演劇ホール、客席35席の映画館、客席16席のステージ付きカラオケ喫茶、盲人卓球教室、陶芸教室、手芸教室、その他の教養娯楽施設を備えている。
ひとみ園は、日常生活動作が自立している人だけでなく、介護保険法の一般型特定施設の指定を受けているので、要介護度が1級から5級の人も入所することができる。
ひとみ園のスローガン「もう一度青春ひとみ園!」
社会福祉法人 日本失明者協会
一般型特定施設養護盲老人ホーム ひとみ園入居者生活介護事業所
〒366-0811埼玉県深谷市人見1665-3 TEL 048-573-5222
E-mail hitomien5222@yahoo.co.jp URL https://hitomien.jimdofree.com/
◆施設概要◆
入所定員:120人中の60人
施設の構造・規模:鉄筋コンクリート3階建(一部2階建)
施設の延床面積:6,965.725㎡
施設の敷地面積:10,204㎡
鉄道の最寄駅:JR高崎線深谷駅
◆施設の特色◆
この施設は、要介護度が1級から5級までの人を受け入れる施設である。
また、介護保険負担割合証は1割負担の人から3割負担の人を受け入れる。
社会福祉法人 日本失明者協会
特別養護老人ホーム むさし愛光園 略称:愛光園
〒366-0814埼玉県深谷市大谷241 TEL 048-551-5511
E-mail musashi-aikoen@w6.dion.ne.jp URL https://musashiaikoen-2.jimdosite.com/
◆施設概要◆
入所定員:80人
施設の構造・規模:鉄筋コンクリート4階建(一部3階建)
施設の延床面積:5,300.60㎡
施設の敷地面積:5,987.02㎡
鉄道の最寄駅:JR高崎線深谷駅
◆施設の特色◆
この施設は、附属施設として、むさし愛光園ショートステイ(10人定員、1人用居室10室)、むさし愛光園デイサービスセンター(20人定員)を運営しており、老人福祉を総合的に推進している。
特養の居室は1人用居室50室、多床室(2人用)15室。
特養の特別室としては機能回復訓練室、日常動作訓練室、感覚訓練室、マッサージルーム、介護教室、娯楽室、クラブ活動室などがある。
クラブ活動としては音楽、ダンス、華道、書道、創作、ゲートボール、読書、カラオケなどがある。
社会福祉法人 日本失明者協会 むさし静光園
〒366-0811埼玉県深谷市人見2049-1 TEL 048-551-4566
URL https://hitomien.jimdofree.com/
◆施設概要◆
入所定員:10人
施設の構造・規模:鉄筋コンクリート2階建
施設の延床面積:716.85㎡
施設の敷地面積:915㎡
鉄道の最寄駅:JR高崎線深谷駅
◆施設の特色◆
入所者は18歳以上の視覚障害者。居室は、1人用居室が10室。居室の面積はいずれも26.6㎡。居室の中には、トイレ・浴室・洗面所・寝室部分・リビング部分あり。
1階の居室の名称は英国の都市名、2階の居室の名称は米国の州の名前。
この施設からいろいろな職場に働きに行くことができる。
平成15年(2003年)4月1日に身体障害者福祉ホームとして出発したが、平成21年(2009年)10月1日にケアホーム、グループホームに変更した。平成26年(2014年)4月1日にケアホーム、グループホームをグループホームに変更した。
社会福祉法人 信愛福祉協会 障害者就労継続支援事業所 信愛ホーム
〒157-0066東京都世田谷区成城2-15-3 TEL 03-3416-1804
E-mail braille@safk.net URL http://www.shin-ai-fukushi.or.jp/shin-ai_home.html
信愛ホームは、信愛福祉協会が運営する障害者就労継続事業所です。キリスト教の精神を基盤として、視力に障害を持つ人に自立して生活する能力を持ってもらい、それを活かす場を提供することを目的としています。
信愛ホームでは、創立者平方龍男が創出した「新しい鍼(平方鍼法)」の体系立てた学習と実技指導を行い、「信愛ホームはり治療室」での臨床体験により、実力を持った鍼治療家を錬成しています。また、キリスト教(プロテスタント)の信仰を基盤とした、精神的成長をも重視した教育内容により、視覚障害の枠にとらわれない、社会の一員としての前向きな生活を営むための基盤をつくる指導を行っています。
指導期間は2年間で、指導を終了した利用者は、さらに経験を積んで信愛ホームの職員として治療に当たったり、地元で就職・開業して臨床家としての実績を挙げたりしています。
入所条件は、原則的に視力に障害を持ち、はり師国家試験に合格しているか、合格見込であることです。
入所の申し込みは、信愛ホームに連絡して入所要項を入手し、入所願書に必要事項を記入の上、必要書類とともに提出します。選考は信愛ホーム側で行ない、入所の許可を出します。
一次募集の締切は1月上旬、二次募集は3月初頭です。
短期入所は、信愛ホームにおける学習内容や生活を知っていただくため、入所者と学習・寝食をともに実地に体験していただくため、毎夏約一週間実施しています。
詳細は、入所願書に添付される「入所の手引き」を参照してください。
社会福祉法人 聖明福祉協会 盲養護老人ホーム 聖明園(セイメイエン)曙荘(アケボノソウ)
〒198-8531東京都青梅市根ヶ布2-722 TEL 0428-24-5701
E-mail seimeien@ceres.ocn.ne.jp URL https://seimeifukushi.or.jp/
昭和30年(1955年)に今日でいう在宅サービスの事業を開始、昭和39年(1964年)には盲人専用の軽費老人ホームを開設し老人福祉に参入、昭和40年(1965年)には盲養護老人ホームを開設し今日に至っております。
視覚に障害のある人たちが、高齢となって耳が遠くなったり感覚が鈍くなったりして五感の助けが得られにくくなり、また記憶力なども衰えてくると、それまでできていたことがままならなくなります。このような高齢視覚障害者の特性を踏まえ、施設内の障害物や突起物をなくしたり、音響信号を要所に配置するなどの施設整備、点字などによる情報支援、ガイドヘルプなどの専門知識を持つ職員の配置など、高齢視覚障害者が生活しやすいよう、特別に配慮された生活環境を整えています。また、施設全体が高齢視覚障害者が主役の大家族のような雰囲気で、生活施設として心地よい環境を整えています。さらに、職員全員が、当施設の役割の重さを認識し、視覚障害に特化した専門性を発揮し、使命感を持って業務に当たっています。
入所は、区市町村からの措置に加え、自由契約による入所も行っております。居室はトイレと洗面所が付いた個室で、固定電話も引くことができ、片面居室配置でプライバシーに配慮した構造、給食サービスは温かいものは温かいうちに提供する個別配膳、入浴は浴槽清掃の日以外の週6日、夜間浴を実施。四季折々の行事や各種のクラブ活動、地域との交流などを通して、健康で充実した日常の実現のお手伝いをさせていただいております。また、代読、代筆、朗読(音訳)や外出など、ボランティアの皆様のご協力もいただき、利用者の個別のご希望にも可能な限りお応えしています。
社会福祉法人 聖明福祉協会 特別養護盲老人ホーム
聖明園寿荘(セイメイエンコトブキソウ)略称:寿荘
〒198-8531東京都青梅市根ヶ布2-724 TEL 0428-24-5702
E-mail kotobukisou5702@gaea.ocn.ne.jp URL https://seimeifukushi.or.jp/
当施設は、常時介護が必要で視覚に障害をお持ちの方にご利用いただく、入居型の介護保険指定施設です。高齢者特有の慢性疾患や認知症で、入院治療が必要でない程度の状態であれば、お受けしています。
入居者の生活は、基本的な日課に沿っていただきますが、可能な限りご本人の要望や生活習慣等を尊重し、自由な雰囲気になるように努めています。
視覚障害についての生活支援は、その不便さや不安感に対して、その都度声かけして周囲の状況を説明するなど配慮しています。特に入居直後は、生活に慣れていただくために、専門の職員が集中して支援や介護にあたります。
基本方針である自立支援に関しては、排泄機能の維持、安易に車椅子に頼らない歩行支援、自力咀嚼による食事、認知症症状の軽減等を目指しており、入居者ご自身がいつまでも、このようにありたいとする生活を支援しています。
社会福祉法人 東京光の家 救護施設 光の家神愛園(シンアイエン)
〒191-0065東京都日野市旭が丘1-17-17 TEL 042-581-2340
E-mail sinnaien@hikarinoie.org URL https://www.hikarinoie.org/
光の家神愛園を経営する社会福祉法人東京光の家は、キリスト教精神に基づいて創立された視覚障害者のための法人です。聖書の教えを法人経営ならびに利用者サービスの基本としています。
光の家神愛園は生活保護法に基づく救護施設で、主として視覚障害者を対象とし、生活扶助を行うとともに、社会人として生活できるよう援助することを目的としています。
光の家神愛園は法人の基本理念を実現するために、「安心と安全と希望―生活には喜びを―」を福祉サービスの具体的目標として、利用者支援を日々行っています。
利用者のおよそ8割は視覚障害に他の障害を併せ持つ盲重複障害者で、生活のさまざまな場面で支援を必要とする方々です。しかし、施設は単に保護を与える場所ではなく、「人はどんな障害があっても必ず新生の希望を持って生きられる」という確信を持って、利用者一人ひとりの保有能力を最大限に開発し、ノーマライゼーションの理念であるすべての人が尊重される共生社会の建設を目指しています。
社会福祉法人 光道園 盲養護老人ホーム 第二光が丘ハウス
〒916-0146福井県丹生郡越前町朝日22-7-1 TEL 0778-34-8001
E-mail somu-2@kodoen.or.jp URL https://www.kodoen.or.jp/
第二光が丘ハウスは定員50名で、一般型特定施設入居者生活介護事業を併設しています。
法人内にはリハビリテーション職をはじめ専門職が多く配置されています。そのため、多職種連携によるサービスを提供し、健全で意欲と活力ある生活が送れるよう支援を行っています。
利用者の方の「できる」に着目し歩行訓練士と共同で支援方法の工夫を行ったり、日常生活動作の中でのリハビリテーションの継続を理学療法士をはじめとするリハビリテーションスタッフの助言を受け、日々継続している自立支援介護の実践につなげ心身機能・生活機能の維持増進に努めています。
また、利用者の方もさまざまな障害や疾病を持たれる方が増えています。多様化するサービスに対応するため同行援護従業者研修への参加や定期での認知症研修や看取り研修の実施など、より専門性を高めその人らしい生活がいつまでも送れるように職員も学びを大事にしています。
いくつもの実践や学びの根底には、利用者本位の支援があります。ご家族、利用者のニーズに寄り添いいつまでもお元気に過ごしていただけるようチームワークケアを大事に職員一人一人が支援を継続しています。
社会福祉法人 伊賀市社会事業協会 盲養護老人ホーム 梨ノ木園
〒518-0032三重県伊賀市朝屋734-1 TEL 0595-23-1555
E-mail nashinokien@iga-sjk.or.jp URL https://www.iga-sjk.or.jp/
全国で9番目に誕生した、三重県内では唯一の盲老人ホームです。
おおむね65歳以上の視覚に障害のあるお年寄りに日常生活上、必要な専門的サービスを提供し、安心して自立した生活を過ごしていただけるよう援助しています。
平成19年(2007年)には特定施設入居者生活介護事業所の指定を受け、ご利用者の生活援助・介護・看護の一体的な支援が可能となり、より細やかな対応ができるようになりました。
年間を通して、朗読(読書)ボランティアの来訪、小学校児童・保育園児との交流があります。
同行援護または施設職員との買い物や外食、日帰り旅行などの外出行事のほか、喫茶、お茶会、夕涼み会、演芸大会、敬老会、運動会、餅つき大会など、四季を感じられる施設内イベントもいっぱいです。
書道・俳句・詩吟・点字・カラオケなどのさまざまなクラブ活動もさかんです。施設は豊かな自然に囲まれ、市街地まで指呼の間、というすばらしい環境の中にあります。
社会福祉法人 京都ライトハウス
盲養護老人ホーム ライトハウス朱雀(スザク)
〒604-8434京都市中京区西ノ京新建町3 TEL 075-803-1739
E-mail suzaku@kyoto-lighthouse.or.jp URL https://www.kyoto-lighthouse.or.jp/
当施設は、平成28年(2016年)6月に(旧施設の船岡寮から)立て替え移転した高齢者総合福祉センターです。
盲養護老人ホームは50名定員ですが、同じ建物内に特別養護老人ホーム65名、短期入所生活介護事業所(ショートステイ)9名、通所介護(デイサービスセンター)、居宅介護支援事業所(ケアプランセンター)、同行援護事業所(ガイドヘルプステーション)を併設しています。
館内は、見えない・見えにくい方たちへ配慮した職員配置や設えの工夫、そして何よりも声かけを大切に、寄り添う支援を行い、「いきいき」「わくわく」「こつこつ」をキーワードにご利用者、ご家族、地域から必要とされる社会資源となることを施設理念としています。
施設内の取り組みとしては、お花見や夏祭り、芋堀やクリスマス会等の四季折々のお楽しみ行事を実施したり、ご家族や地域の方たちと連携した開所記念や敬老会、訪問販売会やお餅つき等も開催しています。
同市北区にある法人本部との関りでも、ご利用者・職員ともにアットホームに連携できているのが特色です。
さまざまな世代、いろいろなサービスがある中で、法人全体の繋がりが継続してあることがアピールポイントです。
社会福祉法人 大阪福祉事業財団 盲養護老人ホーム 槻ノ木荘(ツキノキソウ)
〒569-1046大阪府高槻市塚原1-8-1 TEL 072-694-0716
E-mail zai-tukinoki1971@etude.ocn.ne.jp URL https://www.tukinoki.org/
槻ノ木荘は、昭和46年(1971年)12月に全国では11番目、大阪府で唯一の盲養護老人ホームとして誕生しました。
平成15年(2003年)12月に全面建替えにより「全室個室でトイレと洗面所付」「より視覚障害者に配慮した設備」などを兼ね備えた施設になりました。
平成18年(2006年)4月の制度改正(老人福祉法一部改正)に伴い、平成20年(2008年)8月より訪問介護事業を立ち上げ、平成21年(2009年)9月に外部サービス利用型特定施設(定員10人)の導入を行いました。
「その人らしさを大切に生きがいのあるくらしを送っていただく」ことを支援・介護の重点におき、彩りのある施設生活のため、クラブや行事などをより内容豊かに取り組めるように努めています。また、会食・配食サービス事業を行い地域の高齢者とのふれあいの機会を積極的に設け、入居者の自治会「槻ノ木会」も地域の老人会に加入し、地域との交流をはかっています。
「豊かな老後を地域とともに」をモットーに入居者はじめ地域の高齢者の豊かな生活が保障されるまちづくりをめざしています。
社会福祉法人 愛光社会福祉事業協会
障害者支援施設 愛光園 略称:愛光園
〒671-2246兵庫県姫路市打越1100 TEL 079-266-6900
E-mail aiko@aiko-welfare.or.jp URL http://www.aiko-welfare.or.jp/
愛光園は障害者入所授産施設として昭和57年(1982年)4月に開設され、早や40年以上の月日が流れました。
施設という大きな屋根の下での集団生活は、何かとご不便な思いが生じますが、できるだけ個々のニーズに沿った支援を心がけています。
愛光園は入所型の施設で生活介護事業50名、短期入所事業に4名の方の受け入れを行なっています。
また、開設当初から作業を中心とした施設作りを継続しており、働きたくても働ける場所がないといった方へのお気持ちを大切にし、パンや焼き菓子の自主作業からチラシ入れ作業やダンボールの仕切り組み作業、箱折り作業、緩衝材袋詰め作業など利用者の方の障害に応じた作業を進めており、毎月月末には工賃支給をさせていただいています。
利用者の方の高齢化が進むにあたり、作業よりも生活面を重視した支援を必要とされる方が年々増えてきています。今後も「利用者の方のご満足」を第一に、安心安全に過ごしていただけるよう支援をしていきます。
社会福祉法人 壷阪寺聚徳会(ツボサカデラシュウトクカイ) 養護盲老人ホーム 慈母園 略称:慈母園
〒635-0103奈良県高市郡高取町大字清水谷100番地 TEL 0744-52-2350
E-mail jiboen@sunny.ocn.ne.jp URL https://shutokukai.or.jp/
慈母園は、吉野熊野の霊峰連なる西国観音霊場「壷阪寺」の山内に「思いやりの心を広く深く」の理念の下、昭和36年(1961年)日本で最初の「養護盲老人ホーム」として建てられました。
創立60周年を迎えた令和3年(2021年)6月に当法人が経営する「特別養護老人ホーム光明園」の近隣地へ新築移転いたしました。
新しい慈母園は、全居室にトイレ、洗面台、各階に浴室とラウンジを完備し、災害時の対応として「自家発電装置」も装備した安心で快適な生活支援が提供できる施設です。
イメージカラーは白と茶で周辺の自然に調和しており、施設から壷阪寺が仰げる立地となっています。入園者が介護サービスを必要とする場合は「光明園」のデイサービスセンターの利用、外部サービスを利用しての訪問入浴サービスなどを受けることができます。また、併設する「特定相談支援事業所」の利用で同行援護のサービスが受けやすくなっています。
そして、入園者の皆さんの楽しみと生きがいづくりとして「演劇クラブ愛園座」、「民謡」、「園芸」などのクラブ活動を実施。地域社会の一員として町の老人クラブ連合会の会員としての活動、また、小学校・中学校・高校との交流会や福祉教育の出張授業への参加など、地域貢献につながる活動を行っています。
今後も入園者の皆さんの生活の充実と質の向上のため取り組んでいきたいと思っております。
社会福祉法人 三原のぞみの会 盲養護老人ホーム 白滝園 略称:白滝園(シラタキエン)
〒729-2361広島県三原市小泉町116-1 TEL 0848-66-3214
E-mail sirataki@mail.mcat.ne.jp URL https://mihara-nozomi.jp/
◆施設のコンセプト◆
「地域に開かれた交流の場」の実現。
利用者の皆さんが当たり前の生活ができる「自立支援型」の生活の場を創る。
自然な光を随所に取り入れ、木の温もりが感じられる明るく清潔感のある空間づくり。
居室は「完全個室」で、パーソナルスペースを確保しております。
利用者(盲老人)の皆様の意思を尊重し、ユニットケアの理念を取り入れ、在宅生活に近づけた環境をもとに、さまざまな行事等にも参加していただき、明るく心豊かな生活を送っていただきます。
介護保険サービスが利用できる特定施設を併設しております。
視覚障害高齢者の利用に供し、入所者の処遇に関する計画に基づき、社会復帰の促進および自立のために必要な指導および訓練その他の援助を行うことにより、入所者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるようにすることを目指し、視覚障害のある高齢者の「最後の拠り所」としての役割を果たしていきます。
社会福祉法人 山口県盲人福祉協会
養護盲老人ホーム 春光苑 略称:春光苑(シュンコウエン)
〒759-6534山口県下関市大字永田郷440-3 TEL 083-286-7300
E-mail syunkouen@yamamou.com URL http://www.yamamou.com/
春光苑は、昭和47年(1972年)の山口県盲人福祉大会で「山口県にぜひ盲老人ホームを」と決議し、建設運動が始まった。最初、県は「県立で」と言っていたが、10年過ぎても県立は実現せず、団体が「法人立」で建設することを決定した。
しかし自己資金もなく、「土地も無いのに」と皆に笑われた。「人口一人当たり10円、市や町に補助を」と周南市の福祉課長が教えてくれ、早速それを実行した結果、150万円を確保することができた。
竜鉄也ショーを開いて、山口銀行にチケットを100枚買ってもらったり、県下の自治会に物品販売を依頼したことによって自己資金が集まった。
土地は、下関市が安く譲ってくれ、日本小型自動車振興会が約1億8千万円の補助金を決定したので建設は実現できることになった。
建設にあたっては「利用者が人間らしい尊厳ある存在の回復を目指す」ことを既定方針とした。その後、年を重ねて素晴らしいホームが完成した。
しかし平成8年(1996年)の介護保険導入により市や町の措置控えが始まり、入所者の高齢化・重度化がすすんで次第にホームは特養化していった。
現在もなお措置控えは続けており厳しい運営を余儀なくされているが、自由契約の制度も利用しつつ、コロナ禍も収束に近づき新しい時代に対応すべくさらに努力したい。
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盲人用具部会:18施設
コロナ禍の影響で用具部の活動の柱である展示会開催ができませんでした。令和5年度(2023年度)からは用具部会では各地域に出向き地域の当事者および支援者と交流の場を広げていきます。
用具メンバー18施設を中心に視覚障害のある方の生活を便利に、豊かにする機器やグッズなど開発販売している企業にも声がけして、製品等に直接触り体験できる機会を企画していきたいと思っています。(部会長 工藤良治)
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ケージーエス株式会社
〒355-0321埼玉県比企郡小川町小川1004 TEL 0493-72-7311
E-mail info_fukushi@kgs-jpn.co.jp URL https://www.kgs-jpn.co.jp/
当社は(旧社名)広業社通信機器製作所として戦後間もない昭和28年(1953年)に戦後復興に向け、通信業、通信機器、通信インフラに幅広く貢献していこうという創業者の想いがあり創業いたしました。
それから30年、ご縁があり現在の電気で動く点字(以後「点字セル」という)を開発し、主に先進国に向けてこの点字セルを輸出してきました。
歴史的には紙に正しく印字された点字にはかないませんが、私たちの作った文字が、視覚障害者の知識・教養となり、彼らが障害を受け入れながらも力強く自立した社会活動を支えています。それが私たちの誇りであり使命です。
株式会社ジェイ・ティー・アール
〒335-0022埼玉県戸田市上戸田4-13-18 TEL 048-452-8898
E-mail info@jtr-tenji.co.jp URL http://www.jtr-tenji.co.jp/
株式会社ジェイ・ティー・アールは、点字プリンターの設計・製造販売の業務を中心に、令和5年(2023年)6月に41年を迎えることができました。創業以来、社是として「ユーザーの方に喜んでいただくために私たちの会社は存在しています」を掲げています。
また、「Serendipity(セレンディピィティ)偶然による発見、そしてそれを可能にする地道な努力」を基本姿勢として製品の開発をしています。
昭和57年(1982年)、日本で初のコンピューター点字端末装置ESA731をはじめとし、点字プリンターESA721、NewESA721、ESA721Ver’95、点字ラインプリンターESA300Pro、点字両面同時ラインプリンターESA600Pro、Lサイズ点字両面同時プリンターESA2000L、標準サイズ点字両面同時プリンターESA919と、製品を作り続けてきました。現在は、新製品2機種を加えて製造・販売しております。1つはESA600Proの後継機種となるESA300×2です。もう1つは個人ユーザー向けとして、TEN-100の後継機種で点字両面同時プリンタ・プロッタESASoloです。
幅広くご利用いただいております。
株式会社アメディア
〒176-0011東京都練馬区豊玉上1-15-6 第10秋山ビル1F TEL 03-6915-8597
E-mail webmaster@amedia.co.jp URL http://www.amedia.co.jp/
アメディアは視覚障害者向けの電子機器や用具を取り扱っています。
自社で開発するとともに、視覚障害者にとって有用な機器やソフトウェア、その他の商品を国内外から調達して販売しています。
直販も卸売も行っております、各地の視覚障害者協会が運営する販売拠点のお店でも取り扱っていただいています。
自社開発商品としては、音声・拡大読書機「よむべえスマイル」や「快速よむべえシリーズ」が知られています。
ケージーエス(株)、シナノケンシ(株)、(有)エクストラ、(株)高知システム開発などの国内有力メーカーの商品はほとんど取り扱っています。
米国、カナダ、中国、英国など、世界各国から日本の視覚障害者マーケットに見合った商品を調達して紹介しています。
資本金7,800万円。年商約3億円。従業員数15人、うち視覚障害者2人(令和5年〔2023年〕4月現在)
社会福祉法人 日本点字図書館 生活支援部 用具事業課 愛称:わくわく用具ショップ
〒169-8586東京都新宿区高田馬場1-23-4 TEL 03-3209-0751
E-mail yougu@nittento.or.jp URL https://yougu.nittento.or.jp/
◆見えない・見えにくい人に便利で使いやすい商品を約900点取り扱っています。
◆多くの種類の白杖、拡大読書器やデイジー再生機をはじめとする音響機器、糸通しや調理用品などの便利用品、おもちゃなど幅広い商品をそろえています。役所への申請手続きも行います。
【ご来館の方へ】
図書館1階のロビーに面したショーケースのなかに、商品のサンプルをディスプレイしています。自由に手に取って試せるよう、商品名と価格を点字と墨字で書いています。
【ご来館できない方へ】
インターネット通販をおすすめしています。ホームページに掲載する商品案内はできるだけ丁寧でわかりやすい文章を心がけ、商品のイメージがそのまま伝わるよう工夫をしています。
携帯電話からアクセスができるモバイルサイトもご用意し、気軽にお買い物ができるようになっています。
【情報の発信】
当館発行の録音雑誌『にってんデイジーマガジン』に掲載している「ニュー用具タイムズ」(年4回)と、毎月掲載の「ホームライフ」の“わくわく用具タイム”コーナー(年4回)で、新商品のご案内や取り扱い商品の便利な使い方などをご紹介しています。「わくわく用具ショップ」スタッフが出演しています。
【機器体験会】
メーカーによる各種機器体験会を毎月開催しています。
株式会社日本テレソフト
〒167-0034東京都杉並区桃井2-1-3 葉ビル3F TEL 03-6913-5641
E-mail ts-info@telesoft.co.jp URL https://www.nippontelesoft.com/
当社は、点字プリンター、点字ディスプレイ、拡大読書器を製造販売しています。
◆点字プリンターは、国内工場(熊本)で製造し、国内では官公庁や金融機関、福祉関連施設へ導入させていただいております。海外へはODAやJICAの草の根支援を通じて主に発展途上国へ輸出も行っています。機器を販売だけでなく、普及実証プログラムによる「視覚障害者のICTプログラム」で、インストラクターを教育する環境配備なども行っています。
◆点字ディスプレイは、中国北京・精華大学内の工場でSeikaシリーズを製造し、全世界に向けて販売を行っています。
◆拡大読書器については、米国のEnhanced Vision社から輸入し、国内のメガネショップや点字図書館、ライトハウスを通じて販売させていただいております。
株式会社ブライユ
〒173-0004東京都板橋区板橋4-8-16 TEL 03-5943-3361
E-mail braille@buraiyu.com URL https://buraiyu.com/
ブライユは、視覚障害誘導システム開発・製作・販売をおこなっております。
JR東日本・JR東海・小田急電鉄・西武鉄道・相模鉄道・東京地下鉄や、日本車輌製造・日立製作所など、大手鉄道会社や車両会社への納入実績があります。
破損しにくくユーザーの方のケガのリスクが低いステンレス製品や真鍮加工製品等を、1台(小ロット)から製作可能です。
触知案内板や手摺案内はもちろんのこと、音声誘導装置や歩行路標識シール等もお取り扱いをしています。
株式会社ラビット
〒169-0075東京都新宿区高田馬場1-29-7 スカイパレスビル401 TEL 03-5292-5644
E-mail eigyo@rabbit-tokyo.co.jp URL https://rabbit-tokyo.co.jp/
ラビットは、ICT技術を活用した視覚障害者の総合的な支援サポートを行っております。視覚障害者のスタッフが多数勤務しており、ご相談やアドバイスには「障害特性」「利用者の視点」に配慮し、メーカーを問わず、常に中立な立場でのご提案を目指しています。
取扱商品は視覚障害者向けパソコンソフト、DAISY機器、点字機器、拡大読書器、便利グッズ、キータイプ練習、各種支援機器やソフトの実演操作マニュアル、講習会講師派遣など多岐にわたります。
これまで個人、福祉施設、公共・教育機関、民間企業の視覚障害者の自立支援を応援サポートしてまいりました。
また、社会貢献事業の一環として、地方での説明会、講習会を積極的に行っています。これまでの実績と経験をもとに、視覚障害に関する情報を提供し、社会においても職場においても、お互いがより良い関係と環境を実現するために、皆様の良きパートナーとして貢献できればと考えております。お困りの際はラビットまでお気軽にご相談ください。
株式会社エクシオテック
〒153-0064東京都目黒区下目黒2丁目7番4号 TEL 03-5948-4205
E-mail fukushi@exeo-tech.co.jp URL https://www.exeo-tech.co.jp
エクシオテックでは、前身の池野通建時代より35年にわたり音声誘導設備のパイオニアとして、視覚に障害をお持ちの方に『音声(こえ)』による誘導を行っています。
日常生活用具に指定されている歩行時間延長信号機用小型送信機(シグナルエイド)を軸とした、音声誘導設備を全国の公共施設や公共交通機関の入口、トイレ入口などに設置しています。
【製品一覧】
◆音声標識ガイド装置(シグナルエイド対応)
◆音声案内装置(間欠式、センサ式)
◆バリアフリートイレ内音声案内装置
◆ルームガイド(ホテル客室内)
レハ・ヴィジョン株式会社
〒923-1211石川県能美市旭台2-13 いしかわクリエイトラボ TEL 0761-51-0016
E-mail info@reha-vision.com URL https://www.reha-vision.com/
弊社は、視覚障害者の方々が日常生活において困っていることの解決を目的に起業しました。
特徴は、開発時に類似した製品が無い・日常生活用具等の法律で未認定。試作製品は、利用される何人もの当事者の方々の意見をいただき、改良を重ね、満足いただいた機器のみ販売していることです。
製品は、
◆色と柄が分かる「カラートークプラス」:平成18年(2006年)以降一部の市町村にて日常生活用具認定。(生産終了)
◆身体を支えることのできる白杖「SUサポートケーン」:平成23年(2011年)厚生労働省・補装具認定。
◆一般トイレ内において、男女・手洗い・小便器・便房の位置を案内する「ポッチTR」
◆便房内で、和式洋式と便器の向き・荷物掛フック・ペーパー・洗浄の位置を案内する「ポッチTP」
◆この機器が開発されるまでは利用することができなかった、多機能トイレ内の設備を案内する「ポッチUD」:社会福祉法人日本視覚障害者団体連合推奨品。「ポッチUD」は、国土交通省平成23年(2011年)視覚・聴覚障害者の安全性、利便性に関する調査研究報告書、平成28年(2016年)にトイレ事例集に掲載されました。
視覚障害者の方々が、地域の官公庁・病院・図書館・ショピングモール等に設置要望されて導入が進んでいます。
シナノケンシ株式会社
〒386-0498長野県上田市上丸子1078 RSビジネスユニット TEL 0268-41-1814
E-mail plextalk@aspina-group.com URL http://www.plextalk.com/jp/
シナノケンシ株式会社は、デジタル録音図書の世界規格であるデイジー(DAISY)の策定に携わって以来、目の見えない方・見えにくい方の生活を楽しく、豊かにする支援機器の開発・製造・販売を行っております。
プレクストーク(PLEXTALK)ブランドで提供される製品は視覚障害者、図書館関係者、音訳者、図書制作者、福祉施設等の皆様にご利用いただいており、デイジー規格に完全準拠した視覚障害当事者用デジタル録音図書読書機から、施設・ボランティア向けデジタル録音図書制作ツールまで取りそろえております。
メイン商品であるプレクストークポータブルレコーダーPTR3は録音図書再生の専用機として、使いやすい操作性、音声ガイドの搭載により初心者の方でも安心してお使いいただける製品となっております。
シナノケンシのプレクストークは『バリアフリーな読書環境をデイジーでトータルサポート』をコンセプトに、当事者から支援者の皆様まで、全面的に支援する活動をこれからも進めてまいります。
有限会社エクストラ
〒424-0886静岡市清水区草薙一丁目19-11 TEL 054-264-8608
E-mail support@extra.co.jp URL https://www.extra.co.jp/
有限会社エクストラは視覚障害者の情報アクセシビリティを推進するソフトウェア、およびハードウェアの開発・ローカライズおよび販売を行っています。
スクリーンリーダー「JAWS」、画面拡大ソフト「ZoomText」、自動点訳ソフト「EXTRA for Windows」などのソフトウェアや音声点字携帯端末「ブレイルセンスシリーズ」、携帯型OCRマルチプレーヤー「センスプレーヤー」、メガネ型視覚障害者支援デバイス「エンビジョングラス」、点字プリンター「ベーシックD」、「エベレストD」など視覚障害者の日常生活での利用はもちろん就労や就学で活用できる最先端の支援技術を用いた商品を提供することで、視覚障害者の情報アクセスを支援します。
盲人福祉研究会 略称:浜松・盲研
〒430-0812静岡県浜松市南区本郷町1296-11 TEL 053-463-2764
E-mail camelia@po3.across.or.jp URL https://moujinhukushi.sakura.ne.jp/
白杖を作って70年! 昭和29年(1954年)、ある地方の視覚障害者の依頼により、竹製の携帯用白杖を試作する。後にこの方式で専売特許を取得。「木製四段折りたたみ白杖―愛の杖」として生産を開始するとともに、日本盲人会連合(現日本視覚障害者団体連合)用具購買所を総代理店として全国販売。昭和49年(1974年)第1回日盲連パイオニア賞を受賞する。
草創期の日盲社協に加盟し、点字器や計量器などの製作所などとともに盲人用具部会を結成し福祉機器の啓発・普及に努める。
各地での用具展示会を通じて、ユーザーの要望を受け各種の白杖、交通安全灯、誘導用具などの交通安全機器、将棋盤やトランプ、花札などの娯楽用具、音声歩数計や方位センサー、盲ろう者とのコミュニケーション補助具として指点字練習器「ユビコン」などの開発と普及に取り組む。
平成8年(1996年)、中途視覚障害者への視覚障害リハビリテーションの提供、盲重複障害者の社会参加と就労支援を目的とし、「授産所・ウイズ」を併設。白杖の製造、トランプ、花札の点字印刷を委託、平成20年(2008年)障害者自立支援法による就労継続支援B型事業所となる。
株式会社サン工芸
〒613-0022京都府久世郡久御山町市田新珠城90 TEL 0774-23-1133
E-mail tenji@sunkogei.co.jp URL http://www.sunkogei.co.jp/
◆営業品目◆
点字案内板の企画・立案・製造販売
手すり点字標示板の製造販売
点字ブロック・誘導電子チャイム販売
視覚障害者用音声誘導装備
視覚障害者用総合誘導装備
当社は昭和50年(1975年)、日本で初めて点字案内板(触知案内図)を世に出しました。それ以来、点字サインのパイオニアとして開発・製造・普及に努めております。
また、点字案内板だけでなく「手すり用点字標示板」「乗車位置標示板」など、触知にかかわる標示板の製作や音声による誘導設備の普及にも努力しております。
株式会社実業エージェンシー 福祉事業部
〒601-8469京都市南区唐橋平垣町47-1 TEL 075-662-7133
E-mail j-ag@j-agc.com URL https://j-agc.com/
◆施設の紹介◆
実業エージェンシーは、ユニバーサルデザインを基軸として、だれもが使いやすい点字案内板を中心に製作してまいりました。音声誘導装置は、利用者の方の灯台の役割を果たすべく、日頃よりわかりやすい音声や音源の開発を進めております。
日常生活の中で移動の際の安全と情報伝達のためには、何が必要か、どのように配置するか、バリアフリーの提案から物作りまでを創造する企業です。
株式会社アイフレンズ
〒554-0012大阪市此花区西九条1-33-13 オークラ第2ビル5F TEL 06-6462-1594
E-mail info@eyefriends.jp URL https://www.eyefriends.jp/
アイフレンズは、視覚障害者関連機器の総合販売店です。
音声拡大読書器「とうくんライト」や視覚情報支援ソフトウェア「とうくん」をはじめ、パソコンや周辺機器、視覚障害者用ソフトウェアはもちろん、点字プリンタや点字ディスプレイ、視覚障害者用拡大読書器などを数多く取り扱っています。また、一般市販商品でも、音声ガイダンス付き製品など、視覚障害者にも使いやすい製品や、音楽CD全集なども積極的に販売しています。
【とうくんライトとは】
「とうくんライト」は、視覚に障害のある方が「活字文書」や「点字文書」の読書、および「紙幣判別」を一人で簡単に行えるように工夫した音声・拡大読書器です。
本体上面の原稿台に活字や点字文書などをのせボタンを押すだけで、その内容を視力に応じた拡大画面に表示して、滑らかな音声で読み上げます。読み上げながら、次の原稿を読み取ることもできますので、小説などの長い文書もとぎれることなくすいすい読み上げます。操作ガイダンスや読み上げた内容を点字ディスプレイ(別売)に出力することができますので、視覚と聴覚に障害のある方にもご利用いただけます。
高性能の英文OCRとネイティブな英語音声エンジンにより、英文もすらすら読み上げます。また、紙幣を判別して読み上げます。
一般財団法人 安全交通試験研究センター 略称:安全交通センター
〒700-0024岡山市北区駅元町15-1 リットシティビル7F TEL 086-252-1212
E-mail info@tsrc.or.jp URL http://www.tsrc.or.jp/
昭和40年、初代理事長故三宅精一によって、目の不自由な方々の歩行支援を目的とした『点字ブロック』を世界に先駆けて考案開発。以来、視覚障害者の方々が安心して歩けるまちづくりを目標に『点字ブロック』をはじめとする数々の福祉器材を研究開発し、“リーディングカンパニー”としてその普及・啓発事業に努めるとともに、全国の諸官庁から、視覚障害者のための交通・生活環境整備における設計上の敷設方法等について照会を受け協力を行っています。
「点字ブロックの日」をご存じですか?これは、1967(昭42)年3月18日「点字ブロック」が世界に先駆けて岡山の地に敷設された日を記念し、社会福祉法人岡山県視覚障害者協会によって設けられました。(日本記念日協会登録)「点字ブロックの日」が目に障害のある人々をめぐる諸問題について考える、シンボルDayとなっていくことを希っています。
また、「公益目的支出計画」事業として、視覚障害者団体(協会)が行う事業への助成および協賛に努め、視覚障害者の福祉厚生の増進に寄与するために活動を行っている法人です。
ウツミ株式会社
〒732-0053広島市東区若草町3-24 TEL 082-262-4426
E-mail uzmi@mx4.tiki.ne.jp URL http://ww4.tiki.ne.jp/~uzmi/
当社は音声での誘導や案内を行う装置関連の開発から販売まで行っている会社です。
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株式会社高知システム開発
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日本盲人社会福祉施設協議会年表
昭和27年(1952年)~ 令和5年(2023年)
以下、年度別に日盲社協の沿革、視覚障害等関連史の順
昭和23年(1948年)
日盲社協の沿革 記載なし
視覚障害等関連史 1.1あん摩・はり・きゅう、柔道整復等営業法施行。4.1盲学校および聾学校の就学義務化。7.15国立東京光明寮、国立塩原光明寮設置。8.17日本盲人会連合結成(初代会長岩橋武夫)。9.29ヘレン・ケラ一女史第2回来日
昭和24年(1949年)
日盲社協の沿革 記載なし
視覚障害等関連史 4.同志社大学で初の点字受験・合格。12.26身体障害者福祉法公布。12.全国身体障害者団体連合会結成
昭和25年(1950年)
日盲社協の沿革 記載なし
視覚障害等関連史 4.1身体障害者福祉法施行。5.生活保護法制定。8.日本盲人キリスト教伝道協議会発足
昭和26年(1951年)
日盲社協の沿革 記載なし
視覚障害等関連史 3.26国立神戸光明寮設置。3.29社会福祉事業法公布。4.あん摩師・はり師・きゅう師法に(身分法)。6.1社会福祉事業法施行。12.第1回身体障害者実態調査実施(視覚障害者12万1千人)
昭和27年(1952年)
日盲社協の沿革 10.24日本盲人社会福祉施設連絡協議会結成の準備会(26施設)
視覚障害等関連史 4.国鉄身体障害者旅客運賃割引規則公布・施行。10.21全国盲学校理療科教員連盟(現日本理療科教員連盟)結成
昭和28年(1953年)
日盲社協の沿革 9.29日本盲人社会福祉施設連絡協議会(日盲社協)結成。初代委員長:岩橋武夫。第1回総会(東京・日本赤十字社)。会員32施設、部会:点字出版、点字図書館、更生援護事業部会・事務局:国立東京光明寮内
視覚障害等関連史 記載なし
昭和29年(1954年)
日盲社協の沿革 第2回総会(大阪)。第2代委員長:高田秀道
視覚障害等関連史 6.1盲学校、ろう学校および養護学校への就学奨励に関する法律公布。7.世界盲人福祉協議会(WCWB)発足、第1回総会(パリ)
昭和30年(1955年)
日盲社協の沿革 第3回総会(大阪)
視覚障害等関連史 5.ヘレン・ケラー女史第3回来日。8.日本点字研究会発足。10.第2回身体障害者実態調査実施(視覚障害者17万9千人)。10.20第1回アジア盲人福祉会議開催(東京)
昭和31年(1956年)
日盲社協の沿革 7.27・28第4回総会(東京・国立東京光明寮)
視覚障害等関連史 4.7日本盲人福祉委員会(日盲委=日盲連、日盲社協、盲学校長会)発足、事務局:ライトハウス内。4.就学奨励法改正(盲学校高等部まで教科書無償給付に)
昭和32年(1957年)
日盲社協の沿革 第5回総会(東京・国立東京光明寮)、愛盲シール運動始まる
視覚障害等関連史 8.国産盲導犬第1号チャンピイ誕生(塩屋賢一氏作出)
昭和33年(1958年)
日盲社協の沿革 7.第6回総会(名古屋)
視覚障害等関連史 1.16日本盲教育研究会結成(現全日本盲教育研究会)。6.日本身体障害者団体連合会結成。7.職業訓練法施行(身体障害者職業訓練所設置)。9.23日本点字図書館がテープライブラリー開設。11.30第9回国際社会事業会議(東京)、33施設
昭和34年(1959年)
日盲社協の沿革 1.愛盲シールにより、テープレコーダーおよびカナ文字タイプライタ配分と研修会を実施。7.26第7回総会(栃木・国立塩原光明寮)会員39施設、部会:点字出版、点字図書館、更生援護
視覚障害等関連史 4.1声の図書貸出開始(ライトハウス)。11.国民年金法施行(障害福祉年金支給)
昭和35年(1960年)
日盲社協の沿革 7.26第8回総会(静岡・伊東鉄道職員集会所)。8.日盲委陳情で8県立点字図書館に事務費実現。9.『全国点字図書総目録』墨字版第l号発行
視覚障害等関連史 4.1精神薄弱者福祉法施行。7.25身体障害者雇用促進法公布・施行(最低雇用率義務化)。7.第3回身体障害者実態調査実施(視覚障害者20万2千人)
昭和36年(1961年)
日盲社協の沿革 7.25第9回総会(兵庫・国立神戸光明寮)、8.日盲社協施設数54施設に。10.『日盲社協点字出版ニュース』第1号発行
視覚障害等関連史 3.1初めての盲老人ホーム、慈母園開設。6.1点字郵便物の郵便料金無料化。7.29日本盲人福祉研究会(文月会)結成
昭和37年(1962年)
日盲社協の沿革 更生援護部会から分離して盲人ホーム部会を設置。7.24第10回記念大会・総会(大阪・日本ライトハウス)部会加盟69施設
視覚障害等関連史 2.27盲人ホーム事業が国庫補助事業に(局長通知)
昭和38年(1963年)
日盲社協の沿革 7.24第11回大会・総会(東京・国立東京光明寮)、8.日盲社協会員65団体、部会加盟74施設
視覚障害等関連史 7.第2回アジア盲人福祉会議(クアラルンプール)。8.1老人福祉法施行。10.10日本盲人カナタイプ協会設立。11.『点字毎日号外 選挙のお知らせ』発行
昭和39年(1964年)
日盲社協の沿革 7.23第12回大会・総会(栃木・国立塩原視力障害センター)
視覚障害等関連史 1.1国立函館光明寮設置。4.9NHKラジオ「盲人の時間」開始。5.26日本弱視教育研究会結成(大阪)。6.1国立光明寮から国立視力障害センターに改称(神戸、塩原、東京、函館)。7.30第3回世界盲人福祉会議(ニューヨーク)。11.国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)開催(東京)
昭和40年(1965年)
日盲社協の沿革 7.25第13回大会・総会(福島・飯坂町婦人会館)91施設。第3代委員長:寺尾増太
視覚障害等関連史 4.岡山の三宅精一、点字ブロック考案。8.第4回身体障害者実態調査実施(視覚障害者23万4千人)。9.日本ライトハウス職業・生活訓練センター開所(本格的な初の視覚障害リハビリテーション実施)。11.外国向け点字郵便物の郵便料金無料化(万国郵便条約)
昭和41年(1966年)
日盲社協の沿革 8.1第14回大会・総会(千葉・千葉県盲人福祉協会)。日盲社協規約改正:会長制に、5部会:点字出版、点字図書館、更生援護、盲人ホーム、盲人用具。職業研究・雇用特別委員会
視覚障害等関連史 4.厚生省(現厚生労働省)、点字図書館事務費を計上、点字図書館の経営安定化。7.日本点字委員会(日点委)発足
昭和42年(1967年)
日盲社協の沿革 1.第4代会長:吉田正宣。7.26第15回記念大会・総会(東京・戦傷病者会館)。第5代会長:大山正。8.21事務局が東京視力障害センターから日本点字図書館へ
視覚障害等関連史 3.岡山の国道に点字ブロック設置(世界初)。6.全日本視力障害者協議会(全視協)結成(現全日本視覚障害者協議会〔全視協〕)
昭和43年(1968年)
日盲社協の沿革 2.25第16回大会・総会(大阪・日本生命中之島研修所)
視覚障害等関連史 4.全国盲老人福祉施設連絡協議会(全盲老連)結成。4.厚生省委託盲人用具販売開始(日本点字図書館用具事業部)。6.2ヘレン・ケラー女史死去(88歳)。8.15第3回アジア盲人福祉会議(マニラ)
昭和44年(1969年)
日盲社協の沿革 6.1第17回大会・総会(京都・京都ライトハウス)
視覚障害等関連史 1.1国立福岡視力障害センター設置。2.電電公社(現NTT)、電話交換業務に視覚障害者も認可。4.厚生省、日本ライトハウスに電話交換手養成事業委託。5.地方自治法改正(点字署名を認める)、重度障害者に対する日常生活用具の支給。10.国際盲人連盟(IFB)結成。10.2第4回世界盲人福祉会議(ニューデリー)
昭和45年(1970年)
日盲社協の沿革 5.18第18回大会・総会(岐阜・岐阜養心会館)。10.28全国盲人福祉施設要求貫徹臨時大会(衆議院第一議員会館)。部会:点字出版16、点字図書館44、更生援護30、盲人ホーム21、盲人用具11、計122施設
視覚障害等関連史 3.15日本万国博覧会に『点字会場案内』(初のイベント触図)。5.6著作権法改正:点字図書無条件・録音図書指定施設複製可。6.視覚障害者読書権保障協議会(視読協)結成。7.6歩行訓練指導員養成研修会開始(日本初の歩行訓練士養成)。7.堀木訴訟提訴(障害福祉年金と児童扶養手当の併給)。10.第5回身体障害者実態調査実施(視覚障害者25万人)
昭和46年(1971年)
日盲社協の沿革 5.21第19回大会・総会(神奈川・箱根観光会館)、収容施設部会分離、第6代会長:實本博次
視覚障害等関連史 5.視能訓練士法制定。10.1国立特殊教育総合研究所(特総研)設立(現国立特別支援教育総合研究所〔特総研〕)
昭和47年(1972年)
日盲社協の沿革 5.22第20回記念大会・総会(東京・にっしょう会館・日本青年館)、常陸宮・同妃両殿下ご来臨
視覚障害等関連史 記載なし
昭和48年(1973年)
日盲社協の沿革 5.17第21回大会・総会(三重・三重県社会福祉会館).部会:点字出版17、点字図書館56、更生援護24、収容施設7、盲人ホーム25、盲人用具10、会員112団体、139施設
視覚障害等関連史 2.高田馬場駅ホームから上野孝司転落死。上野裁判始まる。3.法務省、司法試験の点字受験認可。11.第4回アジア盲人福祉会議(ボンベイ)
昭和49年(1974年)
日盲社協の沿革 5.18第22回大会・総会(奈良・奈良県公会堂)
視覚障害等関連史 4.日常生活用具給付事業開始。8.1第5回世界盲人福祉会議(サンパウロ)
昭和50年(1975年)
日盲社協の沿革 5.27第23回大会・総会(千葉・千葉盲人福祉センター)
視覚障害等関連史 10.国会図書館が学術文献録音サービス開始。第6回身体障害者実態調査実施(中断)。12.国連、障害者の権利宣言決議
昭和51年(1976年)
日盲社協の沿革 6.8第24回大会・総会(熊本・熊本市民会館)
視覚障害等関連史 5.身体障害者雇用促進法改正(雇用率義務化、雇用納付金)
昭和52年(1977年)
日盲社協の沿革 5.24第25回総会(福井・光道園)。第7代会長:角田耕一。第1回点字図書館館長会議
視覚障害等関連史 3.身体障害者雇用促進協会設立。6.米国リハビリテーション法施行
昭和53年(1978年)
日盲社協の沿革 6.6第26回大会(愛知・三谷温泉ふきぬき)
視覚障害等関連史 10.日本図書館協会、障害者サービス委員会設置。12.道路交通法改正により盲導犬法定化。12.第5回アジア盲人福祉会議(香港)
昭和54年(1979年)
日盲社協の沿革 5.23第27回大会(静岡・熱川温泉・ホテル大東館)
視覚障害等関連史 1.国公立大学共通l次試験、点字試験実施。6.厚生省、盲導犬を社会参加促進事業メニューに設定。7.国立身体障害者リハビリテーションセンター開設。7.27第6回世界盲人福祉会議(アントワープ)
昭和55年(1980年)
日盲社協の沿革 5.7第28回大会(滋賀=京都主管・雄琴グランドホテル)
視覚障害等関連史 1.立体コピーシステム開発、発売(世界初)。2.第6回身体障害者実態調査実施(視覚障害者33万6千人)。7.点字編集・自動製版システムが実用化(日本ライトハウス)
昭和56年(1981年)
日盲社協の沿革 3.31社会福祉法人杉光園(昭和34年〔1959年〕3月23日)より、社会福祉法人日盲社協に改称、理事長:角田耕一
視覚障害等関連史 1.国際障害者年「完全参加と平等」。10.司法試験の点字受験、初の合格者(竹下義樹)。11.国産初の点字プリンタ発売。4.1全国点字図書館協議会発足。5.25第29回大会・総会(静岡・熱海・後楽園ホテル)
昭和57年(1982年)
日盲社協の沿革 5.16第30回大会(東京・日本青年館)
視覚障害等関連史 3.31運輸省『視覚障害者のための公共交通機関利用ガイドブック』を製作。12.国連「障害者の十年(1983~1992)」宣言
昭和58年(1983年)
日盲社協の沿革 2.24第1回朗読指導技術講習会(静岡・熱海市)。5.30第31回大会(静岡・熱川温泉・ホテル大東館)
視覚障害等関連史 12.第6回アジア盲人福祉会議(シンガポール)。3.運輸省が公共交通ターミナルにおける身体障害者用施設整備ガイドライン策定
昭和59年(1984年)
日盲社協の沿革 6.4第32回大会(北海道・函館・湯ノ川観光ホテル)
視覚障害等関連史 10.世界盲人福祉協議会(WCWB)と国際盲人連盟(IFB)が合併し、世界盲人連合(WBU)結成
昭和60年(1985年)
日盲社協の沿革 5.28第33回大会(愛媛・愛媛県身体障害者福祉センター)
視覚障害等関連史 8.建設省が視覚障害者誘導用ブロック設置指針の通達
昭和61年(1986年)
日盲社協の沿革 5.8第34回大会(神奈川・江ノ島・神奈川県立婦人総合センター)、第8代理事長:松井新二郎。部会:点字出版21、点字図書館79、更生援護38、収容施設18、盲人ホーム14、盲人用具9、計179施設
視覚障害等関連史 4.障害基礎年金制度の創設
昭和62年(1987年)
日盲社協の沿革 5.13第35回大会(栃木・鬼怒川温泉)。更生援護部会から更生訓練部会に、収容施設部会から生活施設部会に改称。部会:点字出版22、点字図書館80、更生訓練38、生活施設18、盲人ホーム15、盲人用具9、計182施設
視覚障害等関連史 2.第7回身体障害者実態調査実施(視覚障害者30万7千人)
昭和63年(1988年)
日盲社協の沿革 5.15第36回大会(和歌山・南紀白浜・ホテルハイプレー)
視覚障害等関連史 4.社会福祉士及び介護福祉士法施行。9.5第16回国際リハビリテーション世界会議(東京)。9.15世界盲人連合(WBU)第2回総会(スペイン)。11.点字ネットワーク「てんやく広場」開始(ないーぶネットを経て現サピエ)
平成元年(1989年)
日盲社協の沿革 5.25第37回大会(島根・出雲・玉造グランドホテル長生閤)。部会:点字出版22、点字図書館86、更生訓練38、生活施設17、盲人ホーム15、盲人用具10、計188施設
視覚障害等関連史 7.25国際シンポジウム「指で見る地図の世界」開催(横浜)
平成2年(1990年)
日盲社協の沿革 6.7第38回大会(兵庫・ハイランドビラ姫路)
視覚障害等関連史 4.あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師法改正(国家試験化)。6.老人福祉法等の一部を改正する法律(福祉関係八法改正)公布。7.26米国でADA法制定、障害者差別禁止の取り組み進む。11.1日本点字制定100周年
平成3年(1991年)
日盲社協の沿革 1.日盲社協点字出版部会と日盲連により点字本価格差補償制度実現。6.6第39回大会(北海道・札幌・定山渓ホテル)
視覚障害等関連史 1.点字本価格差補償制度が実現、日常生活用具の制度に入る。6.国家公務員採用試験で点字受験実施。11.第8回身体障害者実態調査実施(視覚障害者35万3千人)
平成4年(1992年)
日盲社協の沿革 4.更生訓練部会からリハビリテーション事業部会に改称。6.11第40回記念大会(大阪・メルパルクOSAKA)。部会:点字出版25、点字図書館90、リハビリテーション44、生活施設18、盲人ホーム15、盲人用具12、計204施設。9.リハビリテーション部会盲導犬小部会、「盲導犬訓練施設設置運営基準案」、「盲導犬歩行指導員養成基準」を厚生省に提出。
視覚障害等関連史 4.ESCAP「アジア太平洋障害者の十年」を決議。11.盲導犬訓練法人の指定に関する国家公安委員会規則施行
平成5年(1993年)
日盲社協の沿革 6.9第41回大会(神奈川・箱根湯本・富士屋ホテル)
視覚障害等関連史 2.あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師国家試験実施。11.日本網膜色素変性症協会(JRPS)発足。
平成6年(1994年)
日盲社協の沿革 6.16第42回大会(長崎・ホテルニュー長崎)
視覚障害等関連史 3.運輸省、公共交通ターミナルにおける高齢者・障害者等のための施設整備ガイドライン策定。9.28高齢者・障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法)施行
平成7年(1995年)
日盲社協の沿革 6.14第43回大会(東京・都ホテル東京)。第9代理事長:板山賢治。部会:点字出版30、点字図書館90、リハビリテーション44、生活施設17、盲人ホーム15、盲人用具13、計209施設
視覚障害等関連史 1.17阪神・淡路大震災発生
平成8年(1996年)
日盲社協の沿革 2.29第1回日盲社協「愛・EYEフェスティバル」(東京都府中市)。6.12第44回大会(宮城・仙台・ニューワールドホテル)、講演:宮城県知事浅野史郎。10.全国点字図書館協議会から全国視覚障害者情報提供施設協議会に改称。12.第2回日盲社協「愛・EYEフェスティバル」(大阪)
視覚障害等関連史 9.1世界盲人連合(WBU)第4回総会(カナダ)。9.国家公務員採用試験で点字受験者初の合格(II種)。11.第9回身体障害者実態調査実施(視覚障害者30万5千人)
平成9年(1997年)
日盲社協の沿革 部会再編成:社会福祉基礎構造改革の進展に伴い、リハビリテーション部会の授産施設と三療養成施設を盲人ホームと合わせ、作業・三療部会に。点字図書館部会を情報サービス部会に改称。6.19第45回大会(島根・松江・ホテルー畑)、討論会「盲人福祉施設の問題点と改善方策」。9.7第3回日盲社協「愛・EYEフェスティバル」(石川県野々市)。12.9日盲社協、総理大臣賞受賞
視覚障害等関連史 12.17介護保険法公布
平成10年(1998年)
日盲社協の沿革 5.27第46回大会(埼玉・ホテルヘリテイジ)、基調講演:板山理事長「社会福祉基礎構造改革と障害者問題」。12.13第4回日盲社協「愛・EYEフェスティバル」(高知)
視覚障害等関連史 記載なし
平成11年(1999年)
日盲社協の沿革 6.23第47回大会(京都・新都ホテル)、全体会「今後の視覚障害者の情報補償をどう進めるか」、第10代理事長:本間昭雄。11.4部会:点字出版30、情報サービス部会89、リハビリテーション29、作業・三療31、生活施設15、盲人用具18、計212施設。12.10第5回日盲社協「愛・EYEフェスティバル」(福岡県春日市)
視覚障害等関連史 6.23全国視覚障害者情報提供施設協議会から全国視覚障害者情報提供施設協会に改称
平成12年(2000年)
日盲社協の沿革 6.14第48回大会(新潟・ホテル新潟)、全体会「21世紀に向かって日盲社協は如何にあるべきか」
視覚障害等関連史 4.1介護保険法施行。6.12社会福祉の増進のための社会福祉事業法等の一部を改正する等の法律(社会福祉法)の施行。盲導犬が第二種社会福祉事業に規定。11.15高齢者・身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(交通バリアフリー法)施行
平成13年(2001年)
日盲社協の沿革 1.28第1回点字技能検定試験(東京・大阪)。2.25第6回日盲社協「愛・EYEフェスティバル」(愛知県名古屋市)。6.13第49回大会(福岡・ホテル海の中道)、全体会「21世紀を迎えて日盲社協は如何にあるべきか」。10.1視覚障害者の航空機2階席搭乗利用始まる。11.18第2回点字技能検定試験(東京・大阪)
視覚障害等関連史 1.1著作権法改正:点字による複製等に点字データの公衆送信権も含む。2.23全国視覚障害者情報提供施設協会が特定非営利活動法人として認可される。9.20点字ブロック形状のJIS規格制定。11.第10回身体障害者実態調査実施(視覚障害者30万1千人)。世界盲ろう者連盟(WFDB)設立
平成14年(2002年)
日盲社協の沿革 6.12第50回大会(徳島・ホテルクレメント徳島)、全体会「日盲社協の具体的事業展開について」。6.21第3種・第4種郵便の割引制度存続に関する要望書の提出。11.17第3回点字技能検定試験(東京・大阪)
視覚障害等関連史 10.アジア太平洋障害者の十年フォーラム、ブラインドサミットなど開催(札幌・大阪)
平成15年(2003年)
日盲社協の沿革 4.1第10代理事長:本間昭雄。9.29日盲社協50周年記念式典、天皇皇后両陛下行幸啓(東京・ホテルグランドヒル市ヶ谷)。9.30第51回記念大会(東京・ホテルグランドヒル市ヶ谷)。部会:点字出版29、情報サービス88、リハビリテーション32、作業・三療29、生活施設19、盲人用具21、計218施設。11.16第4回点字技能検定試験(東京・大阪)。12.9『日盲社協50周年記念誌』発行
視覚障害等関連史 3.29「日本点字技能師協会」設立。4.日本郵政公社発足。点字郵便物表記が「盲人用」から「点字用郵便」に変更される。4.支援費制度施行。4.身体障害者社会参加支援施設の設備および運営に関する基準施行。10.1身体障害者補助犬法完全施行。(平成14年〔2002年〕10月に部分施行)
平成16年(2004年)
日盲社協の沿革 3.17東京都視覚障害者生活支援センター、指定管理者制度。作業・三療部会から就労支援部会に名称変更。5.13第52回大会(愛知・名古屋観光ホテル)。11.14第5回点字技能検定試験(東京・大阪)。新潟県中越地震義援金募金活動48万円余
視覚障害等関連史 3.1改正公職選挙法施行(郵便投票認可)。6.一般の小中学校に在籍する視覚障害児用点字教科書無償給付。9.日盲社協実施点字技能検定試験、厚生労働大臣認定「社内認定」に
平成17年(2005年)
日盲社協の沿革 6.第53回大会(広島・ホテルグランヴィア広島)
視覚障害等関連史 記載なし
平成18年(2006年)
日盲社協の沿革 6.26第54回大会(千葉・幕張プリンスホテル)。11.12第7回点字技能検定試験(東京・京都)
視覚障害等関連史 3.25公共施設・設備の点字表示方法のJIS規格制定。4.1障害者自立支援法施行。11.第11回身体障害者実態調査実施(視覚障害者31万人)。12.20高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー新法)施行
平成19年(2007年)
日盲社協の沿革 6.21第55回大会(岩手・ホテルメトロポリタン盛岡本館)。7.音声版選挙公報製作事業開始。11.11第8回点字技能検定試験(東京・京都)
視覚障害等関連史 3.20触知案内図のJIS規格制定
平成20年(2008年)
日盲社協の沿革 6.19第56回大会(山口・下関グランドホテル)。11.16第9回点字技能検定試験(東京・京都)
視覚障害等関連史 記載なし
平成21年(2009年)
日盲社協の沿革 3.23リハビリテーション部会と就労支援部会が統合され自立支援施設部会となる。4.1第11代理事長:茂木幹央。6.25第57回大会(宮崎・宮崎観光ホテル)。11.15第10回点字技能検定試験(東京・大阪)
視覚障害等関連史 11.1日本盲人福祉委員会と日本点字委員会による「ルイ・ブライユ生誕200年・石川倉次生誕150年記念点字イベント」開催
平成22年(2010年)
日盲社協の沿革 1.15本部事務所の機能と盲人ホームの機能を併せ持つ日盲社協会館(鉄骨造り五階建て、延床面積182.45㎡)の建設を決議。4.1東京都視覚障害者生活支援センターが、身体障害者厚生施設から機能訓練・就労移行支援施設へ衣替え。6.3第58回大会(福井・ホテルユアーズ)。9.17日盲社協会館建築工事着工。11.14第11回点字技能検定試験(東京・京都)
視覚障害等関連史 4.1視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」運用開始(昭和63年〔1988年〕創始)
平成23年(2011年)
日盲社協の沿革 3.25日盲社協会館建築工事竣工。主たる事務所を新宿区住吉町14-6から台東区台東3-1-6に移転。5.27日盲社協会館落成式。6.23第59回大会(静岡・ホテルアソシア静岡)。7.第12代理事長:髙橋秀治。11.13第12回点字技能検定試験(東京・京都)
視覚障害等関連史 3.11東日本大震災発生(日本盲人福祉委員会視覚障害者支援対策本部設置)。10.障害者自立支援法、同行援護を自立支援給付に位置づけ。11.第12回障害者実態調査(生活のしづらさなどに関する調査)実施(視覚障害者31万6千人)
平成24年(2012年)
日盲社協の沿革 6.24第60回大会(和歌山・ホテルグランヴィア和歌山)。11.11第13回点字技能検定試験(東京・大阪・福岡)
視覚障害等関連史 3.全盲者もしくはロービジョン者のための「視覚障害者誘導用ブロック(点字ブロック)」が国際標準化機構(ISO)により規格化される(ISO23599:2012)。10.1障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律(障害者虐待防止法)施行
平成25年(2013年)
日盲社協の沿革 9.9創立60周年記念第61回大会(東京・ホテルグランドヒル市ヶ谷)、全体会「日盲社協の未来像を描く―5部会の充実と発展への道―」。部会:点字出版27、情報サービス87、自立支援施設48、生活施設25、盲人用具18、計205施設。11.10第14回点字技能検定試験(東京・札幌)
視覚障害等関連史 4.1障害者自立支援法から障害者総合支援法施行
平成26年(2014年)
日盲社協の沿革 6.26第62回大会(福岡・ヒルトン福岡シーホーク)。11.16第15回点字技能検定試験(東京・大阪・福岡)
視覚障害等関連史 1.20障害者権利条約を日本批准。5.20公共空間に設置する移動支援用音案内のJIS規格制定
平成27年(2015年)
日盲社協の沿革 5.1同行援護事業所・日盲社協レッツゴー開設。6.25第63回大会(福島・ザ・セレクトン福島)。11.8第16回点字技能検定試験(東京・大阪・福岡)
視覚障害等関連史 記載なし
平成28年(2016年)
日盲社協の沿革 6.23第64回大会(埼玉・ホテルヘリテイジ)。10.26社会福祉法の改正に伴う定款の変更。11.13第17回点字技能検定試験(東京・大阪・福岡・盛岡)
視覚障害等関連史 4.1障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法:合理的配慮)施行。4.1障害者雇用促進法改正(障害者差別禁止指針)施行。4.14・16熊本地震発生(日盲委視覚障害者支援)。8.16東京メトロ銀座線青山一丁目駅ホーム盲導犬使用者転落死事故(ホーム安全取り組みの契機)。11.第13回障害者実態調査(生活のしづらさなどに関する調査)実施(視覚障害者31万2千人)
平成29年(2017年)
日盲社協の沿革 4.1民間移譲され、東京視覚障害者生活支援センターに改称。6.22第65回大会(岐阜・岐阜グランドホテル)。11.13第18回点字技能検定試験(東京・大阪・札幌・下関)
視覚障害等関連史 1.1石川准、日本人初の国連の障害者権利委員会委員に。4.1社会福祉法改正施行(社会福祉法人制度改革)
平成30年(2018年)
日盲社協の沿革 6.21第66回大会(山口・下関グランドホテル)。11.11第19回点字技能検定試験(東京・大阪・名古屋)。11.30日盲社協レッツゴー事務所閉所
視覚障害等関連史 7視覚障害の認定基準変更
平成31年/令和元年(2019年)
日盲社協の沿革 3.31第13代理事長:舛尾政美。6.20第67回大会(北海道帯広・北海道ホテル)。11.17第20回点字技能検定試験(東京・大阪・名古屋・福島)。
視覚障害等関連史 6.28視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律(読書バリアフリー法)公布・施行
令和2年(2020年)
日盲社協の沿革 6.第68回大会(滋賀県彦根)を新型ウイルス禍で中止。11.点字技能検定試験を新型ウイルス禍で中止
視覚障害等関連史 新型コロナウイルス(COVID-19)感染症拡大
令和3年(2021年)
日盲社協の沿革 6.15第14代理事長:長岡雄一。11.11第69回大会(東京視覚障害者生活支援センターから配信1日のみのオンライン開催)。11.21第21回点字技能検定試験(東京・大阪)
視覚障害等関連史 記載なし
令和4年(2022年)
日盲社協の沿革 10.28第70回大会(東京視覚障害者生活支援センターでの対面およびオンライン開催)。11.13第22回点字技能検定試験(東京・大阪・福岡)
視覚障害等関連史 5.「障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法」施行。12第14回障害者実態調査(生活のしづらさなどに関する調査)実施
令和5年(2023年)
日盲社協の沿革 11.9創立70周年記念第71回大会(東京・ホテルグランドヒル市ヶ谷)。部会:点字出版25、情報サービス85、自立支援施設51、生活施設19、盲人用具18、計198施設。11.12第23回点字技能検定試験(東京・大阪・福岡・仙台)
視覚障害等関連史 記載なし
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● 編集を終えて ●
令和3年(2021年)6月私は常務理事に指名され、さらに令和4年(2022年)11月には創立70周年記念大会の実行委員長に指名された。2度にわたる大役の指名に「大変な時期に、えらいことになった」との思いがあった。
時代はコロナ禍の真っ最中にロシアによるウクライナ侵攻、物価の大高騰。日本には大きな課題が横たわる。超高齢化社会。65歳以上人口が29%、少子化に歯止めがかからず、出生率は1.33人、年間出産数は80万人を簡単にきり、なお減り続けている。人口減少が加速し、生産年齢割合も減少し、労働力不足が顕在化しはじめた。地方の状況はさらに顕著だ。バブル崩壊後、財政赤字は毎年増え続け11兆円に近づいている。大借金国である。政策に使える国家財源は減少している。政府は対策を打っているが、私には有効な対策になっているようには見えない。
いつの時代でも、災害は「弱者」にはより厳しくしわ寄せがくる。国のこうした困難は、障害者、とりわけ人数の少ない視覚障害者支援へのしわ寄せになって現れている。厳しくなる一方である。
日盲社協の会員施設は、時代の波に洗われながらも懸命に使命を果たしているものの、事業の縮小、廃業に追い込まれる施設もあるのが現実である。
そして、70周年以降。残念ながら明るい未来を語れない。私は答えをもっていない。
大役を果たすために、日本の障害者福祉を切り開いてきた先人に学びたい。それが、『70周年記念誌』の刊行事業である。過去に学び、現状を直視し、新たな発想で未来をつくる、そんな思いで執筆をお願いした。
本間昭雄10代理事長、茂木幹央11代理事長、舛尾政美13代理事長、長岡雄一14代理事長には、理事長時代を語っていただいた。とりわけ、日盲社協設立総会に出席された本間昭雄名誉会長には、ご高齢を押して初代委員長から第9代理事長との思いを執筆いただいた。まさに歴史的証言といえる。髙橋實参与からも老体に鞭打っていただき玉稿をいただいた。
本間律子氏の日盲社協「70年のあゆみ」は大論文である。年表は、『50周年記念誌』の年表を担当された加藤俊和氏(ブルックの会代表)に70年年表のベースをつくっていただき、各部会長に重要事項を加筆いただいた。年表は単なる資料ではあるが、時代を俯瞰する上で極めて重要な資料と思っている。
さらに日視連竹下義樹会長、日盲委指田忠司常務理事、全視情協川崎弘理事長には、日盲社協への激励を込めた祝辞をいただいた。
編集後記の中ではあるが、盲導犬事業の歴史を、特に長岡理事長の許可を得て、以下加筆させていただく。
盲導犬の訓練は戦前の昭和10年(1935年)頃から日本シェパード協会の相馬安雄氏(新宿中村屋2代目社長)に始まり、ドイツからの輸入盲導犬、その繁殖犬による失明軍人への歩行訓練が行われた。戦後、相馬安雄氏、国立東京光明寮の松井新二郎氏(後に盲導犬使用者、日盲社協第8代理事長)、塩屋賢一氏(元アイメイト協会理事長)らが盲導犬研究を始め、昭和32年(1957年)に塩屋氏が国産第1号盲導犬を誕生させた。昭和36年(1961年)8月31日発行の日盲社協会報2号には、9回定期総会に出席した40施設70人の中に、日本盲導犬協会・相馬雄二氏(安雄氏子息)、松井新二郎氏の名が記載されいる。
その後、昭和35年(1960年)に道路交通法第14条で盲導犬が位置づけされると、昭和42年(1967年)~昭和58年(1983年)に8施設が財団法人として設立され、すべての施設は日盲社協の会員になっている。
昭和48年(1973年)国鉄(現JR)が盲導犬同伴乗車承認、昭和53年(1978年)運輸省省令でバス、タクシー同乗認める。翌昭和54年(1979年)厚生労働省は身体障害者社会参加促進事業メニュー事業に盲導犬を設定、平成元年(1989年)に第1回盲導犬歩行指導員研修会開催(6回開催)している。
平成4年(1992年)には盲導犬訓練施設等基準策定委員会が『盲導犬と社会―その受容と許否の事例集』を発行、「盲導犬施設設置運営基準・盲導犬歩行指導員等養成基準・盲導犬歩行指導計画基準」を策定して厚生労働省に提出した。
同平成4年(1992年)11月に「盲導犬の訓練を目的とする法人の指定に関する規則」が施行されると、8施設は上記基準をベースに盲導犬訓練計画書を国家公安委員会に提出し、8施設は盲導犬育成と盲導犬認定ができる指定法人に認定された。
その後、盲導犬事業は、平成12年(2000年)に第2種社会福祉事業に位置づけられ、さらに平成14年(2002年)の身体障害者補助犬法へとつながる。
日本国内にある盲導犬指定法人は、すべて日盲社協自立支援施設部会盲導犬委員会の会員として所属しており、現在は11法人14施設を数える。
平成4年(1992年)以降、盲導犬施設設置運営基準は平成10年(1998年)、平成21年(2009年)、平成29年(2017年)の3回見直しし、盲導犬の質の向上に寄与し、毎年『盲導犬訓練施設年次報告(年間育成頭数・実働数・育成状況)』を発表している。
日盲社協が、盲導犬の事業化の基盤をつくり発展を下支えしてきたといえる。
70周年誌の企画から1年、ここまでくるのに多くの方々にお世話になった。最後に、祝辞をお寄せいただいた武見敬三厚生労働大臣、小池百合子東京都知事、そしてなにより、編集の大任を果たしていただいた福山博広報委員長、本誌編集に関わったすべてのみなさまに心より感謝申し上げる。
本誌が日盲社協と会員施設の今後の発展、事業改革にわずかでも寄与しうるならば望外の喜びである。
令和6年(2024年)1月吉日
日本盲人社会福祉施設協議会常務理事 吉川明(ヨシカワアキラ)
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日盲社協創立70周年記念大会実行委員会名簿(敬称略)
以下、氏名、所属・役職の順
委員長
吉川明(ヨシカワアキラ)、日盲社協常務理事
委員
伊藤宣真(イトウノブザネ)、日本点字図書館常務理事・本部長
奥村博史(オクムラヒロシ)、東京ヘレン・ケラー協会理事長
杉江勝憲(スギエカツノリ)、日本視覚障害者職能開発センター常務理事
藤巻契司(フジマキケイジ)、東京光の家神愛園施設長
本間律子(ホンマリツコ)、聖明園会長室会長秘書
山口義之(ヤマグチヨシユキ)、日本盲導犬協会専務理事
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奥付
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会創立70周年記念誌
日盲社協70年のあゆみ 1953-2023
令和6年(2024年)2月20日 初版第1刷
発行 社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会 〒110-0016東京都台東区台東3-1-6 日盲社協会館内 TEL:03-6240-1452 FAX:03-6240-1352
発行人 長岡雄一
編集人 吉川明
装丁・デザイン 福山博
編集協力 東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
点訳・校正協力 埼玉県点訳研究会
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