日盲社協通信 令和6年(2024年)5月号(通巻88号)

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日盲社協通信 令和6年(2024年)5月号(通巻88号)
編集人:福山博 発行人:長岡雄一
発行所:社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)
National Council of the Agencies of the Welfare for the Blind (NCAWB)
http://www.ncawb.org/

もくじ

当たり前とは
日盲社協本部長・理事長 長岡雄一(ナガオカ・ユウイチ)

3月中旬には開花宣言が出ると言われていた東京の桜は、結局3月も終わろうとする29日になって、開花を見ました。ただ、あくまでも靖国神社の標本木がそうであったというだけで、場所によっては、29日以前から1年ぶりの花を咲かせていました。
私にとっては、桜は入学式と直結します。多くの方にとってもそうかもしれません。
ただ、いつの間にか満開の桜を背景に卒業式の写真を撮るという年まで出現していましたから、そういう意味では、今年は以前に戻った感がしないでもありません。
桜の開花時期に示されているように、昨今の日本の気象は、今までにはなかった、つまり当たり前とは思えない現象が次から次へと起きています。極端な暑さ、寒さ、豪雪、豪雨。四季の区別の危うさ。
「当たり前」は時と共に変わっていくものだと考えれば、何一つ驚くことはないのでしょうが、ことはそう簡単ではありません。人の思考を変えるには、大変な努力が必要になります。
これは、自然界の問題に限ったことではありません。
2024年度、法人としての日盲社協は、連携に加えて開拓と育成をテーマに掲げました。70周年を祝った昨年から、私たちは次の一歩をどう踏み出すか、どの方向へ踏み出すかが、新たなテーマになると考えています。もちろん、ここ数年、福祉だけでなく、医療の分野においても「連携」がキーワードになってきた感があり、この「連携」を後ろに置くことは適切ではないと考えています。
しかし、一方、私たちは自分の足元を見つめるためにも、法人を次世代にどう引き継いでいくかを、議論していかなくてはならないと考えています。もちろん、そこには筋道を立てた議論も必要でしょう。ただ、障害者を取り囲む様々な社会環境が、かつて考えられていた「当たり前」を脱し、新たな方向に進んできたことを考えると、「当たり前」に捉われることなく、議論を進めることも必要なのではと考えています。
実は、11月開催の全国大会も、この2つをテーマとした、演者の人選を考えています。私自身が、こうした機会を捉えて、新たな発想に到達できればとも思います。最後になりますが、今まで、日盲社協の運営のみならず、視覚障害者福祉に多大なる貢献をされてきたお二方が、3月に旅立たれました。
17日には、13代理事長の舛尾政美(マスオ・マサミ)氏。22日には現参与で、以前、常務理事をされていた髙橋實(タカハシ・ミノル)氏。お二方の功績については、本号別稿で触れさせていただいておりますが、ここに、今までの法人へのご貢献を心より感謝申し上げるとともに、深く哀悼の意を捧げたいと思います。

人手不足によるこれからの社会
常務理事 荒川明宏(アラカワ・アキヒロ)

今年の2月に東京・JR高田馬場駅のみどりの窓口が閉鎖されました。同駅の2022年度の乗降者数は、1日16万7,265人で、JR東日本エリア内では全国12番目で、あの上野駅よりも多いのにも関わらずです。
高田馬場は学生の街なので若者の駅利用も多く、視覚障害者の施設も多いので、視覚障害者も多く利用します。
このため私は「高田馬場のみどりの窓口は閉鎖にはならないだろう」と根拠のない確信を持っていましたので、閉鎖を聞いたときはとても驚きました。
その代わりに、えきねっとで障害者割引の切符が買えるようになるなど、対策もした上でのことなので、JR東日本も努力をしていると個人的には評価しています。
新幹線や特急での車内販売の終了、みどりの窓口の閉鎖など、人が関わるサービスは少しずつ縮小傾向にあります。
このような中で、視覚障害者への訓練や同行援護も3年後、5年後どのように変化していくのか今から考えていくことが必要ではないでしょうか? これからの時代、時給を上乗せすれば人が集まるということではないように思えます。
ある程度歩ける視覚障害者に対しては、一人のガイドが対応しても1.5倍の単位を付けるなど、思い切った改革をしていかないと、視覚障害者の集まりそのものも成り立たなくなってしまうような危惧を覚えるのです。
日本人はとても真面目なので、100%のサービス、100%の商品の完成度を好みますが、そのようなビジネスモデルはもう成り立たなくなるのではないでしょうか?
毎年9月頃、iPhoneのOSがバージョンアップされます。新機能も増えて便利になりますが、その反面、日本語環境でのVoiceOverでの不具合も必ず発生し、便利になっているのか逆に不便になっているのかよくわかりません。
日本で製作している物であれば、「これでは日本語として使えない」とメーカーにクレームを言えるところですが、相手は外国企業です。声が届いてなおるのは、半年後だったり、次のバージョンアップだったりします。
このiPhoneの緩さに、視覚障害者の様様なサービスも慣れていかないと、サービスそのものが成り立たなくなるような時代になるような気がします。
「そんな適当なことを言うな」とお叱りを受けそうですが、人手不足が年々深刻化する中、今までと同じサービスを提供することが、そもそも無理な話なのではないでしょうか。
柔軟に考え、サービスそのものが0にならず、60の成果を出す考え方があってもよいのではないでしょうか?(株式会社ラビット代表取締役社長)

盲導犬歩行の今の姿
常務理事 吉川明(ヨシカワ・アキラ)

全国盲導犬施設連合会は令和5年度(2023年度)に輩出した盲導犬頭数を加盟8施設に報告しました。
8団体が1年間に育成した頭数は79頭(新規24頭、代替55頭)です。前令和4年度(2022年度)の83頭から4頭減ですが、引退した盲導犬が97頭でしたので、令和5年3月末の実働は18頭減って622頭になりました。(詳細は、別表参照)
11団体全体の日盲社協盲導犬委員会から5月には正式報告がありますが、実働数は漸減するものの800頭を下回ることはないと思います。
盲導犬の実働頭数は、平成21年(2009年)3月末の1,070頭をピークに12年連続で減少していますが、ようやく歯止めがかかってきた感じがします。
ちなみに、平成14年(2002年)に身体障害者補助犬法が施行され、介助犬、聴導犬の育成が加速されましたが、どちらも実働数は75頭程度をピークに漸減し50頭台となっています。
盲導犬実働数が漸減している理由は確定的なことは言えませんが、平成23年(2011年)11月に同行援護が施行され、その後制度が充実したこと、コロナ禍で外出が制限されたことと外出しなくても目的が達成できる環境が整ってきたことが大きいと思います。加えて、盲導犬の受け入れ拒否事例が業界の努力にもかかわらず無くならず、盲導犬が単独歩行の妨げになっていることもあります。
盲導犬は「生きた歩行補助具」と言われますが、単なる補助具ではなくユーザーは盲導犬との歩行により、風を切って歩く「爽快感」、ぶつかる恐怖・孤独からの「解放感」「安心感」などを感じ、生活は大きく変化「こころ」に大きな変化、「自己肯定感」「自立心・自尊感情」の向上につながっています(北大路書房刊、濱野佐代子編著『人とペットの心理学』より)。
盲導犬事業の目的は、視覚障害者の自立と社会参加に寄与することですが、盲導犬との歩行が「こころの自立」に直結していることを視覚障害者の方に理解して欲しいと思っています。
日常は盲導犬歩行、知らない所へは同行援護と使い分けることもできます。盲導犬歩行を検討してくださることを各施設はお待ちしています。(日本〔ニツポン〕盲導犬協会顧問)
(別表)
以下、盲導犬育成団体:令和5年度の育成数・実働数、令和4年度育成数 実働数の順
北海道盲導犬協会:4・74、7・77
東日本盲導犬協会:3・26、5・26
日本盲導犬協会:34・234、36・245
中部盲導犬協会:5・39、5・40
関西盲導犬協会:7・63、8・63
日本ライトハウス:18・129、16・126
兵庫盲導犬協会:1・13、0・14
九州盲導犬協会:7・44、6・49
連合会加盟施設合計:79・622、83・640
アイメイト協会:未発表・未発表、16・176
日本補助犬協会:未発表・未発表、2 ・13
いばらき盲導犬協会:未発表・未発表、4・7
合計:令和4年度育成数105・実働数836

誌上慶祝会
金井博(カナイ・ヒロシ)評議員に秋の叙勲 瑞宝章小綬受章を祝す
理事長 長岡 雄一

令和5年(2023年)秋の叙勲において、本会評議員の金井博氏(社会福祉法人友愛十字会元常務理事)が栄えある「瑞宝小綬章」を受章されました。
金井氏は、昭和42年(1967年)に国家公務員として公務に就かれ、昭和50年(1975年)から厚生省社会局(当時)において福祉行政の道を歩まれてこられました。
とくに、平成15年(2003年)には本会とも最も関わりのある厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部社会参加推進室(現在の自立支援振興室)の室長として、視覚障害者はもとよりわが国の障害のある方々の社会参加の推進等に向けてご尽力されるとともに、引き続き、国立障害者リハビリテーションセンター管理部長として、リハビリテーション医療からあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の育成等、障害のある方々への社会復帰ならびに就労等が円滑に進むための運営の要として力を発揮するなど、厚生労働省において日本の社会福祉、とくに障害者福祉の推進に向けてご活躍されてきました。
その後、平成18年(2006年)からは多くの福祉関係者を輩出してきた日本社会事業大学の事務局長として福祉業界で働く専門職の育成に努められ、平成21年(2009年)からは、東京都内において身体障害者施設や老人福祉施設など14の施設・事業を行っている「社会福祉法人友愛十字会(総裁:三笠宮瑶子〔ミカサノミヤ・ヨウコ〕女王殿下)」で常務理事、参与を歴任し、ご活躍されてきました。
このように幅広い福祉の経験と知見を有する金井博氏には、平成22年(2010年)から本会評議員として、普段は穏やかな中に時として重要なご指摘や貴重な意見をいただく等、本会の将来を見据えたご指導をいただいているところです。
あらためて、ここに日頃からの本会へのご貢献に対し、深く感謝いたしますとともに、今回の栄えある瑞宝小綬章の受賞をお祝いいたします。

髙橋あい子(タカハシ・アイコ)館長に令和5年秋の叙勲― 旭日双光章受章 ―
一般財団法人大阪府視覚障害者福祉協会常務理事・事務局長 田澤素子(タザワ・モトコ)

令和5年(2023年)秋の叙勲において、当協会会長髙橋あい子氏(一般財団法人大阪府視覚障害者福祉協会〔以下「大阪府視協」と略す〕)が、昨年(2023年)秋の叙勲で旭日双光章を受章されました。
髙橋会長は、出生時から両眼失明の悲運に見舞われるも、生来の明るさと粘り強さ、温厚、誠実な人柄から、多くの信望を集めておられます。
平成13年(2002年)から協会の女性部長として女性会員の社会参加推進に先導的役割を担われ、平成15年(2003年)に協会理事に就任。平成27年(2015年)5月まで理事の立場で協会の運営に参画された後、平成27年(2015年)には多くの大阪府視協会員から推されて会長職に就任。以降、これまで9年間、協会代表の重責を担ってこられました。また、大阪府視協の代表として大阪府視覚障がい者福祉センター点字図書館館長(旧名称「大阪府盲人福祉センター図書館」)も継続して9年間務められ、視覚障害者福祉事業の充実にも貢献してこられたところです。
大阪府視協の活動および点字図書館館長の業務を通じて会員間の連携と親睦に大きな功績を果たしてこられた髙橋会長は、大阪府において視覚障害者の人権、福祉運動に携わり、多くの福祉関係団体や自治体の審議会等での役職経験を通じて大阪府の福祉行政の推進にも寄与されてきました。これらの功績を評価され、髙橋会長が令和5年(2023年)秋、叙勲の栄に浴されましたことは、大阪府視協にとっても非常に喜ばしく、今後も、視覚障害者福祉と社会参加に高い理想と信念、旺盛な探求心と熱意を併せ持つ中心的存在として、後進の先達となっていただきたいと期待されています。
ここに改めて日頃の感謝とともにお祝いいたします。

お待ちしています! 大分大会
大分県点字図書館館長 玉井和年(タマイ・カズトシ)

第72回全国盲人福祉施設大会(大分大会)が11月28・29の両日、大分市のレンブラントホテル大分(〒870-0816大分県大分市田室町9-20 TEL:097-545-1040)で開催されます。
大分県は九州の北東部に位置し、北から東の海岸は多くを瀬戸内海に、南部の方は太平洋に面しています。
別府や湯布院などは温泉地として有名ですが、県内至る所で温泉が湧いております。ところが、県南部の豊後大野市(ブンゴオオノシ)は唯一温泉が出ない所で、それを売りに「温泉は無いけどサウナがある!」をキャッチフレーズに町おこしをしています。
工芸品としては、別府竹細工、小鹿田焼(オンタヤキ)、臼杵焼(ウスキヤキ)、さらに、希少価値の高くなった七島藺(シチトウイ)の畳表や織物などがあります。
食品では、やはり、関(セキ)アジ・関(セキ)サバ、臼杵のフグに代表される海産物や、中津(ナカツ)や宇佐(ウサ)の鶏の唐揚げなどでしょうか。でも、県内では鶏の天ぷら「とり天」も人気があるんですよ。
お酒は、「二階堂」や「いいちこ」があまりにも有名なので、焼酎のイメージがあるかもしれませんが、日本酒の酒蔵も多く、川端康成が愛したと言われている「千羽鶴」や、最近有名になっている「花笑み(ハナエミ)」、その他にも世界的な賞を受賞したお酒もあります。
銘菓としては、「ザビエル」ですかね。一度は食べたという人も多いのではないでしょうか。「荒城の月」もお勧めです。また、この秋から、大分空港と大分市の間を結ぶホーバークラフトの運行が再開されます。飛行機でお越しの際は、是非ご利用ください。
以上、私の独断と偏見に満ちた内容になってしまいました。依怙贔屓と言われると困りますので、これを読んだ方は大分県民には「内緒」でお願いしますね。
そうでした、点字図書館のことも少し。設立は昭和31年(1956年)、現在は大分県盲人協会が運営しています。利用者は500名くらい。点訳・音訳ボランティアは併せて約200名ほどです。それでは、多くの人をお誘いいただき、どうぞ大分の大会にご参加ください。お待ちしています。

わが施設の今
第13回視覚障害者総合支援センターちば
視覚障害者総合支援センターちば所長 川崎弘(カワサキ・ヒロシ)

事業運営の基本指針
近年、中途視覚障害者が増加する中で、光を失い、将来への希望を持てずにいる多くの視覚障害者に対して、その障害による困難を克服して社会自立できるよう、リハビリテーションと情報サービスの提供を通して安定した地域生活を支援する体制を総合的に整備する。また、一般活字媒体にアクセス困難な障害者に対する支援の在り方を検討することにより、あらゆる人々の読書困難の解消に努める。
以下、各事業について紹介する。

1.点字図書館運営事業

(1)貸出サービス
サピエ図書館を直接利用できない利用者の利便性向上を目指し、SDカードへのダウンロードサービスをはじめ一人ひとりのニーズに応えたサービスを展開している。
(2)製作サービス
蔵書計画に基づく点字図書、録音図書製作に加え、リクエスト、プライベート製作を行う。製作した図書、雑誌はサピエ図書館へアップロードしている。各ボランティア養成も実施する。

2.点字(音訳)出版事業

各自治体広報、各団体や個人からの請負出版を担う。各選挙関係点訳・音訳も担う。

3.生活支援(訓練)事業

歩行訓練、日常生活動作訓練、コミュニケーション訓練(点字、ワープロ等)、個人、自治体等からの各種相談にも対応する。

4.IT支援事業

(1)ITサポートセンター事業
体験講習、発展講習、就労を含むITに関する各種相談に対応する。
(2)情報通信機器講座運営事業
パソコン、スマホ、タブレット、読書支援機器等の指導を実施する。

5.福祉用具斡旋・販売事業

白杖等補装具、音声対応機器等日常生活用具の斡旋・販売および調理用具等生活に役立つ便利グッズも取り扱いつつ、各種相談や購入に当たっての支援も行う。

6.その他の事業

(1)同行援護従業者養成及び派遣事業
(2)就労継続支援B型事業
(3)会員活動
各事業連携により事業効果を上げ、県内視覚障害者の拠り所となっている。

(特集)能登半島地震

令和6年(2024年)1月1日16時10分、石川県の能登半島地下16kmで能登半島地震が発生した。震央は石川県珠洲市(スズシ)内で、マグニチュードは7.6で、石川県輪島市門前町走出(ワジマシモンゼンマチハシリデ)と同県羽咋郡志賀町香能(ハクイグンシカマチカノウ)では最大震度である震度7(激震)が観測された。内陸部で発生する地震としては、最大規模の地震であった。
(特集)の1部では、日盲社協の会員施設であり、石川県の視覚障害者当事者団体である社会福祉法人石川県視覚障害者協会(石川県視障協)の米島芳文理事長に同地震における視覚障害者支援について寄稿していただいた。
次いで2部では、日盲社協が一翼を担う日本盲人福祉委員会(日盲委)による「義援金のお願い」「情報提供のお願い」を掲載した。(編集部)

令和6年能登半島地震における視覚障害者の支援
石川県視覚障害者協会理事長 米島芳文(ヨネシマ・ヨシフミ)

1.はじめに

令和6年能登半島地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様方に対して心からお見舞い申し上げます。
石川県では、地震発生直後から、人命救助、インフラの確保、物資の支援、避難所等での生活支援などに、全国の自治体などから支援を受けながら、全力で取り組んでいます。
視覚に障害のある方への支援については、石川県と石川県視覚障害者協会とが連携し、避難所の生活改善をはじめ、被災者支援に関する情報の提供、書類の代筆・代読のほか、被災者から寄せられる様々な相談ごとに対応しています。
また、石川県では避難生活において重要となる健康管理について、全国から派遣いただいている医療、保健、福祉の専門職の方々と連携し、個別訪問の実施や相談窓口の開設など、障害者や高齢者を中心にきめ細かく支援が行われています。
今後も、視覚に障害のある方が、被災前の生活に1日も早く戻れるよう、石川県や市町、関係団体が連携しながら取り組みが進められていきます。

2.石川県視障協の支援活動

石川県視覚障害者協会では、令和6年能登半島地震災害視覚障害者支援本部を設置し、石川県が進めている災害対策や被災自治体が行う取り組みへの協力を目的に活動を進めています。
地震発生直後から能登地方に在住する視覚に障害のある方の安否確認を行い、避難状況や被災状況の把握、必要とする支援の内容等について、情報収集を行ってきました。
また、視覚障害者支援本部では石川県が開設した1.5次避難所で、石川県障害福祉課職員や石川県眼科医会の先生方と共に視覚に障害のある方の相談や必要な支援を進めています。
さらに、2次避難先で視覚に障害のある方が安心した生活がおくられるよう、様々な相談や支援にも努めています。
今後も、石川県や能登地区自治体と連携しながら復興に向けて様々な支援に取り組んでいきます。

3.安否確認と情報収集

石川県視覚障害者協会会員名簿や点字図書館利用登録者名簿をもとに、地震発生直後から電話により、能登地方の4市5町(輪島市、珠洲市、能都町〔ノトチヨウ〕、穴水町〔アナミズマチ〕、七尾市〔ナナオシ〕、志賀町〔シカマチ〕、中能登町〔ナカノトマチ〕、羽咋市〔ハクイシ〕、宝達志水町〔ホウダツシミズチヨウ〕)に在住する視覚に障害のある方を対象に安否確認を行いました。
情報収集として避難の状況については自宅、避難所、親族や知人の家、病院や高齢者施設の利用などの避難の状況に加え、いっしょに避難している家族の状況も聴き取りました。
被災状況については家屋の全壊・半壊・一部損壊、負傷の有無、停電や断水の状況などを聴き取りました。必要とする支援の内容については健康や生活など本人や家族が必要とする支援内容をそれぞれ聴き取りました。また、「治療院の営業を再開した」や「障害福祉サービスの利用を再開した」など日常の生活を取り戻しつつある状況についても記録しています。
日頃より会員名簿や点字図書館利用者名簿は常に更新していますので、能登地区4市5町に在住する視覚に障害のある方140名の調査リストを地震発生直後に作成することができました。
1月5日と7日に電話による調査を実施しましたが、安否確認できたのは80名にとどまりました。その後、団体役員や視覚に障害のある方の親族からの連絡など多くの方の情報提供があり、現在は120名を超える方の状況把握ができています。この資料は視覚障害者支援本部の基礎資料として、今後も日々更新していき、復興が完了するまで活用していきます。
今回の能登半島地震では、自宅を離れて避難所で生活している方が多いこと、停電により固定電話が使用できない方が多いこと、医療機関に入院している方で携帯電話を持たない方がいることなど、自宅の固定電話を十分活用できませんでしたが、携帯電話番号による連絡は大きな役割を果たしました。改めて、緊急時の携帯電話番号の登録を積極的に進めていきます。
一方、停電時には携帯電話の充電ができなくなり、連絡がとれない場合もありますので、今後は、災害時の停電を想定して、携帯電話の電源を確保するため、モバイルバッテリーの準備を進めていく必要があります。
今回の取り組みを通して、点字図書館利用者名簿の重要性、視覚障害者団体組織の大切さを痛感いたしました。
これからの災害対応を考えますと、点字図書館の利用者を増やし、視覚障害者団体の組織強化を進めることが、地域防災の充実につながるものと考えます。

4.避難先における支援

(1)1.5次避難所における支援
石川県が開設した1.5次避難所での支援は、避難所生活における不安の解消と2次避難場所に関する情報提供や相談となります。また、必要に応じて眼科医の先生方による相談を受けていただきました。
避難所での生活が困難な視覚に障害のある高齢者からは、特別養護老人ホームや養護盲老人ホームなど高齢者施設への入所を希望される方が多くいます。地震発生直後から、養護盲老人ホームや特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人自生園(ジシヨウエン)関係者に被災された視覚に障害のある高齢者の受け入れを打診し、準備を進めた結果、定員を超える状況であるものの入所することができました。
さらに、1.5次避難所から避難先への移動について、支援を希望された視覚に障害のある方には、相談支援専門員が同行し、避難先での居宅介護サービスや同行援護サービスが利用できるよう、避難先の事業所との調整も行いました。
(2)2次避難先における支援
2次避難先で安心して生活がおくれるよう、新たに同行援護サービスを利用する必要があります。視覚障害者支援本部では、能登地区自治体と連絡を取りながら、同行援護サービスの申請手続きを進めています。
具体的には、同行援護サービスの利用申請に必要な書類の代筆・代読、郵便物集配停止地域の自治体への書類の提出や受け取りを代行しました。あわせて、同行援護事業所の確保などにも努めています。
また、身体障害者手帳の再交付や年金申請に関する書類の代筆・代読など、様々な支援や相談にも取り組んでいます。
2次避難先では、新しい環境の中で生活するために必要な歩行訓練も実施しています。
(3)入院している方への支援
避難所から医療機関に入院し、外出が困難で携帯電話の充電ケーブルや視覚障害者用音声時計など必要な物品の購入ができない方への支援として、医療機関を訪問して必要な物品の貸し出しや提供を行っています。
また、罹災証明の申請をはじめ被災者が提出する書類は多くあり、インターネットを利用するものが増えています。
このような状況では、医療機関に入院している視覚に障害のある方が対応することは困難です。視覚障害者支援本部では相談員が必要書類の準備を行い、医療機関を訪問して書類の代筆・代読を続けています。
これまでも、医療機関に入院している視覚に障害のある方に対する代筆・代読支援が意思疎通支援事業として提供されるよう求める声が多く寄せられています。あらためて、視覚に障害のある方に対する代筆・代読支援サービスが全国すべての自治体で受けられるよう、意思疎通支援事業の必須事業となることを切に願うものです。

5.行政や医療と連携した支援

石川県視覚障害者協会は、石川県視覚障害者情報文化センターを活動拠点に、様々な視覚障害者福祉サービスの提供を行っています。運営に当たっては、長年にわたり、石川県をはじめ、県内の自治体の協力をいただきながら活動を進めています。
日頃の活動を通して信頼関係が生まれ、行政との連携の下、支援活動を円滑に進めることができたと思います。
また、石川県眼科医会の先生方とは、長年にわたり、ロービジョンルームの運営やスマートサイトビジョンケアネット石川の取り組みを通して、ご支援をいただいています。
今回は、地震発生直後から連絡を取りながら支援活動に取り組むことができました。
私たちは、被災された方々の思いに寄り添いながら、これからも行政や医療と連携して支援を続けていきます。

6.終わりに

能登半島地震発生から100日が過ぎ、被災された方々の支援は、命をつなぐ取り組みから生活の場を作る取り組みへと進んでいます。今後は、復興に向けての歩みを支援する取り組みへと変わっていきます。
能登地方の復興が進み、視覚に障害のある方が、安心して暮らせる地域社会ができるまで私たちは支援を続けていきたいと思います。
また、能登半島地震で被災された視覚に障害のある方が避難先で安心して暮らせるよう、避難先の自治体が提供する地域生活支援事業等の福祉サービスが受けられるよう、国の支援に大きな期待を寄せています。
今回の地震発生にあたり、多くの方からお見舞い、励ましの言葉、支援の申し出をいただきました。この誌面をお借りして熱くお礼を申し上げます。まことにありがとうございます。引き続き、皆様のご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

「能登半島地震義援金」のお願い

令和6年(2024年)1月1日に、石川県の能登半島を震源に発生した最大震度7の地震は、能登地方で記録が残る1885年以降で最大となりました。前後に起きた一連の地震で、石川県・富山県・新潟県ではさまざまな被害が発生しました。津波被害に加えその後も余震が続き、石川県を中心に甚大な被害が発生し、多くの被災者が避難所生活など、たいへん不便で困難な生活を強いられています。
日本盲人福祉委員会(日盲委)では、大災害被災視覚障害者支援対策本部(竹下義樹本部長)を設置し、日盲社協、日本視覚障害者団体連合(日視連)、全国盲学校長会の3団体共同で、下記のとおり義援金の受け付けを開始しました。

「能登半島地震義援金」のお願い
義援金のお願い
募金期間は6月30日まで
※払込手数料も送金者がご負担くださいますよう、お願いいたします。
ゆうちょ銀行義援金受付口座:郵便振替口座 00100-8-729004
口座名 被災視覚障害者義援金(ヒサイシカクショウガイシャギエンキン)
ゆうちょ銀行以外から振込場合の口座:店名 0一九(ゼロイチキュウ)店(019)
預金種目 当座 口座番号 0729004

情報提供のお願い
日盲委では、竹下義樹理事長を中心に1月1日の夕刻から対策本部の組織化が進められ、1月5日には日盲委評議員・災害対策担当の加藤俊和(カトウ・トシカズ)・原田敦史(ハラタ・アツシ)の両氏を金沢市と富山市に派遣し、両県庁や視覚障害者協会を訪問して事前調整を行いました。
その時点で富山県の被害状況は把握可能との見通しが立ったのですが、石川県、とりわけ震源地の能登半島の被害状況の把握は極めて困難との見通しでした。
というのは、携帯電話も固定電話もそれにインターネットがつながりにくい状況が現地で続いていたからです。その後、停電が長引く地域では通信設備の非常用電源が切れる可能性もあり、通信障害が続いています。
日盲委では義援金を有効に活用するため、被災の実態(自宅の被害状況)と支援ニーズ(どんな支援が必要か?)を把握する必要があるので、そのための情報提供を呼びかけています。
なお、「被災状況や被災された方々の支援ニーズに関する情報につきましては、個人情報保護法、及び当委員会が定める個人情報の取り扱いに関する内規に基づいて厳格に取り扱い、調査及び支援の目的以外には使用いたしません」と日盲委では確約しています。
連絡先 日本盲人福祉委員会事務局
〒169-0051東京都新宿区西早稲田2-18-2
電話:03-5291-7885
FAX:03-5291-7886
Eメール:welblind@nifty.com

令和5年度点字出版部会職員研修会 in 名古屋
日本ライトハウス点字情報技術センター与儀稔(ヨギ・ミノル)

点字出版部会(肥後正幸部会長)は、令和5年(2023年)12月7・8日の両日、名古屋市中村区の名古屋国際センターにおいて、職員研修会を18施設、50名の参加で開催した。以下、敬称略。

1日目(13:30~17:00)
テーマ1「点字自動製版機について」
①金子研一(カネコ・ケンイチ)(日本ライトハウス点字情報技術センター所長)による「『ZPメーカー』のリニューアルについて」と題した報告
②山本たろ(ヤマモト・タロ)(京都ライトハウス理事)による「『ブレール・シャトル』の今後について」と題した報告
テーマ2「印刷・製本に必要な機器について」各参加者による紙折り機、点字プリンタ、印刷機、カップリングカッターについての実例報告
2日目(9:00~12:00)
テーマ3 名古屋ライトハウス近藤正臣会長による講演「私が大切にしてきたこと」
テーマ4「点字データの提供について」
①理療科の電子教科書について
②他の点字データ提供について
テーマ5「情報交換」
以降、テーマ1「点字自動製版機について」にしぼって報告する。
仲村点字器製作所製自動点字製版機「ZPメーカー」は、製造元の対応が困難となったため、ZPメーカーを運用する施設は自前で保守を行っている。今回は、日本ライトハウス点字情報技術センターが、電子機器を開発する会社と共同で製作した電子部品を、他施設のZPメーカーへ組込む実例を紹介した。
また、小林鉄工所製自動点字製版機「ブレール・シャトル」については、これまで今後の保守や新しい製版機の生産に、心配する声が出ていた。今回の研修では、製造元が様々な点字に関わる機械を製作し開発されている様子や、後継者の存在が報告され、ブレール・シャトルを運用している施設に安心がもたらされた。また、製造元を支援する仕組みを作れないかという提案もなされた。
コロナ渦が落ち着き、今回の職員研修会は、令和元年(2019年)以来の開催となった。わかりやすい良質の点字出版を安定して続けるために日々奮闘されている職員同士で、実際に顔を突き合わせ、さまざまな課題について検討する貴重な機会を得ることができた。

令和5年度情報化対応支援者研修会(相談支援コース・基礎)
堺市立健康福祉プラザ視覚・聴覚障害センター 原田敦史(ハラタ・アツシ)

日盲社協情報サービス部会(又木勝人〔マタキ・カツヒト〕部会長)は、年に一度、視覚障害に関する基礎知識・支援方法に関する基礎を学びなおしたい初心者向けに「相談支援コース・基礎」研修会を開催している。開催については、オンラインで実施をした。これはなるべく多くの地域から参加をしてもらい、支援する側の基礎的スキルの底上げをしたいという狙いもある。
今年度は、令和5年12月14日(木)・15日(金)に、令和5年度情報化対応支援者研修会「相談支援コース・基礎」のタイトルで、Zoomによるオンライン研修会として開催した。研修会はかなり定着して毎年定員一杯となるが、今年は定員を増やしたにも関わらず募集開始から3日ほどで定員に達した。以下、敬称略。

第1日目(12月14日)
講義1は、仲泊聡(ナカドマリ・サトシ)(ネクストビジョン)による「視覚障害とは 眼疾患(最新の研究、治療)・身体障害者手帳について」
講義2は、堀内恭子(ホリウチ・キヨウコ)(日本ライトハウス)による「視覚障害リハビリテーションとは 視覚障害者リハビリテーションの歴史と必要性」
講義3は、原田美貴(ハラタ・ミキ)(日本ライトハウス情報文化センター)による「視覚障害者が利用できるサービス補装具・日常生活用具の申請、その他のグッズ」
講義4は、住吉葉月(スミヨシ・ハヅキ)(神戸アイライト協会)による「視覚障害者によくある困りごととその解決法 見え方・疾患での異なる問題点」
第2日目(12月15日)
講義5は、田中桂子(神戸アイセンター病院)による「相談の基本技術 インテークの重要性、傾聴・時間管理、電話での相談」
講義6は、原田敦史(ハラタ・アツシ)(筆者)による「ワークショップ」
講義7は、原田敦史による「理解度確認」
基礎講習会終了後は、応用講習会と続くが、こちらは同年でなくとも受講が可能で、業務に合わせて参加できる体制にしている。ただ連続して受講する人が多いようである。今年度も冬の時期に開催を予定しており、多くの方に参加をしていただきたい。

情報化対応支援者研修会(第14回情報機器コース)
日本ライトハウス情報文化センター松本一寛(マツモト・カズヒロ)

日盲社協情報サービス部会は、令和5年(2023年)12月6日から8日の3日間、東京の日本点字図書館で研修会を開催した。リアルの研修会は4年ぶり。参加者は31名(28団体)で人数分のレンタルしたiPhone(SE3)にアプリ等を設定して研修会を実施した。講義内容と講師(敬称略)は以下の通り。

1日目(12月6日)
講義1と2は、御園政光(ミソノ・マサミツ)(視覚障害者総合支援センターちば)による導入部。「iPhone指導の心構え」と「VoiceOverジェスチャー+Siriの基礎」

2日目(12月7日)
講義3は、井上直也(イノウエ・ナオヤ)(MDSiサポート)による「iPhoneの文字入力」
講義4は、松本一寛による「iPhoneの初期設定」
講義5は、野地美行(ノジ・ヨシユキ)による「iPhoneアプリ紹介」
講義6は、松本一寛による「AIチャット、あなたの生活をもっと便利に!~落とし穴にもご注意~」
3日目(12月8日)
講義7は、阪井紀夫(サカイ・ノリオ)(徳島県立障がい者交流プラザ視聴覚障がい者支援センター)による「0から始めるiPhoneロービジョン支援入門」
講義8は、山村友梨子(ヤマムラ・ユリコ)(視覚障害者生活情報センターぎふ)を司会に「情報交換会」が行われゲームアプリについての情報共有や盲学校と点字図書館のコラボなどの事例紹介があった。
今年度は初日の冒頭に御園の講義で事例検討のグループ討議を行ったため、受講生間の交流がスムーズにできた。また一人1台の端末を用意できたことで、受講生同士で教えあう場面もあり、リアル開催ならではのメリットを感じた。トピックとしてはAI認識。画像を利用したサポートアプリの「Be My Eyes」とChatGPTがコラボした「Be My AI」の認識率と説明力に注目が集まった。昨年度のアンケートでは、iPhoneの操作に関する用語などを初めて聞いたという受講生が数名見受けられたため、今回iPhoneの基礎を重点的に行った。その結果、おおむね好評であったが、講義時間と熱心な講師の講義ボリュームとのバランスに課題があるように感じた。なお、情報交換会やアンケートではiPhoneとAndroid、そしてロービジョン関連の知識をより深めたいというニーズが高かった。
第15回は、届いた感想や意見も取り入れながら旬の話題も含めた研修会を組み立てて行きたい。

久々の点字指導員講習会と点字指導員認定試験
点字指導員研修委員会委員長 大澤剛(オオサワ・ツヨシ)

令和2年度(2020年度)から中止が続いていた「点字指導員講習会」と「点字指導員認定試験」を令和5年度(2023年度)は開催することができました。
従来通り研修会と点字指導員認定試験は同一会場で行いたかったのですが、コロナ対策として講習会はZoomによるオンライン形式で開催し、認定試験は東京都新宿区の戸山サンライズに集まって対面で、開催することができました。(以下、敬称略)。
まずは、講習会ですが、受講者は95名で、Zoomによるオンライン形式で8月の17日と18日の2日間実施しました。
今回の講習テーマは、実際の業務に役立つようにということで、以下のような内容で行いました。
講義1の講師は、金子昭(カネコ・アキラ)(日本点字委員会副会長)による「点字概論」で、とくに6点式点字の発明者であるルイ・ブライユ(Louis Braille、1809~1852年)が、1825Zoomによる点字指導員講習会 講義3年に6点式点字を発明してから来年で200年を迎えるにあたり、点字誕生からの歴史を振り返っていただきました。
講義2の講師は、日盲社協点字指導員研修委員会委員の石川龍海(イシカワ・タツミ)(視覚障害者総合支援センターちば)による、「点字編集システム」を使用した点字校正技術に関するポイントを中心に学びました。
8月18日は、講義3と講義4の2コマを使用して、『点訳のてびき 第4版』の各章ごとの主旨や活用ポイントを学びました。講義3の講師は、全国視覚障害者情報提供施設協会(全視情協)点訳委員会委員で『点訳のてびき 第4版』編集委員の脇野協子(ワキノ・キヨウコ)(滋賀県立視覚障害者センター)で、講義4の講師は、全視情協点訳委員会委員で『点訳のてびき 第4版』編集委員の野々村好三(ノノムラ・コウゾウ)(京都ライトハウス情報ステーション)でした。
認定試験は2023年9月11日に東京都新宿区の戸山サンライズに集まって久しぶりに対面で実施し、無事に終了することができました。
今回は、今までとは異なる方法での認定講習会でしたが、これからも受講される皆さんの意見を聞きながら、時代に合った講習会のスタイルを考えて行きたいと思います。(三重県視覚障害者支援センター)

令和5年度情報化対応支援者研修会(相談支援コース・応用)
東京ヘレン・ケラー協会点字図書館小倉芳枝(オグラ・ヨシエ)

日盲社協情報サービス部会は2月8日(木)・9日(金)、6回目となる標記研修会を開催した。今回もZoomを活用したオンラインでの実施。情報提供施設職員を中心に29名の参加があった。

1日目(2月8日)
講義1は、清水智子(シミズ・トモコ)(日本視覚障害者団体連合)による「相談者の身の守り方 セルフケアについて 支援者の健康管理」
講義2は、白潟仁(シラカタ・ヒトシ)(システムギアビジョン)による「最新機器、最新情報提供(拡大機器を中心に)」
講義3は、道面由利香(ドウメン・ユリカ)(横浜訓盲院生活訓練センター)による「相談者が求めることニーズの把握を事例報告から」
講義4は、荒川和子(アラカワ・カズコ)(NPO法人目と心の健康相談室)による「目の不安とこころに寄り添う取り組み」
講義5は、原田敦史(ハラタ・アツシ)(堺市立健康福祉プラザ視覚・聴覚障害者センター)による「記録の取り方、まとめ方 基本情報の収集と記載方法」
2日目(2月9日)
講義6は、小倉芳枝(オグラ・ヨシエ)(筆者)「演習 1 聞き上手になるための実践演習」
講義7は、金井政紀(カナイ・マサノリ)(日本盲導犬協会)による「盲導犬について 申請方法、取得基準等について」
講義8は、中津大介(ナカツ・ダイスケ)(東京視覚障害者生活支援センター)による「演習2  実践演習 ケースの情報をもとに演習を実施」
講義9は、研修会スタッフによる「理解度確認・意見交換・修了式」
まとめ
オンライン開催が定着し、おおむねスムーズに進行することができたが、参加者によってはインターネット接続が不安定になり、改めてZoomに入室し直したり受講する場所を変更したりする必要がある方もみられた。参加者からは「オンライン研修は時間的にも予算的にも助かる」「子育て世代には移動の壁は高いのでオンラインだとありがたい」「全国の同じ職種の皆さんと悩みや疑問を共有でき、とても嬉しかった」「隣の席やグループ内でのちょっとした話(情報交換)ができない点は残念」という感想が挙げられた。
講師陣も前回の研修後アンケートで挙がった声を受けて、講義中の演習の時間配分を増やしたり、口頭説明をより丁寧にしたりといった工夫があり、参加者の理解に繋がったと思われる。
情報提供施設は視覚障害のある利用者様方と日常的に接する場であり、職員は視覚障害や支援方法について幅広く知っていることが求められる。この研修がそのニーズに応えていけるよう、これからも講師陣と共に研鑽を続けたい。

(追悼)舛尾政美(マスオ・マサミ)先生の死を偲んで―60余年福祉活動に捧げた人生―
山口県盲人福祉協会点字図書館館長 岡本博美(オカモト・ヒロミ)

前・日盲社協理事長で、社会福祉法人山口県盲人福祉協会舛尾政美理事長が3月17日、老衰により87歳で逝去されました。
舛尾先生は、昭和11年(1936年)福岡県東部に位置する行橋市生まれで、3歳の時麻しん(はしか)で失明されました。
その後、山口県下関市の山口県立盲学校(現・下関南総合支援学校)に入学し、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師の資格を取得して、下関市内で開業されました。
卒業後、昭和24年(1949年)に発足した山口県盲人会(現・山口県盲人福祉協会)の役職に携わるようになり、以降60余年、「人間らしい尊厳ある存在の回復」を基本理念に、視覚障害者福祉活動に人生のすべてを捧げてこられました。
その手始めは点字ブロックの敷設や盲人用信号機の設置で、山口県下に広めることに成功しました。
昭和45年(1970年)には山口県内各市の点字広報を受託発行するために独自の点字出版事業を考案して、山口県盲人福祉協会に点字出版部を設立しました。
昭和49年(1974年)に山口県盲人福祉協会点字図書館を設立しました。
そして昭和56年(1981年)6月、山口県盲人福祉協会理事長に選任され、施設経営に直接関わるようになりました。
山口県下唯一の養護盲老人ホーム建設運動の第一人者として、同志とともに、県下3カ所で「竜鉄也歌謡ショー」を開催したり、県内の自治会に物品販売の協力を呼びかけるなどして資金集めを行う一方、自治体や関係機関に対して要望・陳情運動を粘り強く続けました。
運動も終盤に迫る昭和60年(1985年)、舛尾先生は私(筆者)を盲老人ホーム設立準備事務担当に指名しました。
爾来、二人三脚で、昭和61年(1986年)7月、日本小型自動車振興会(現・公益財団法人JKA)および山口県と下関市の補助金により、養護盲老人ホーム「春光苑(シユンコウエン)」は着工しました。そして、昭和62年(1987年)4月1日に定員50名の「春光苑」(施設長舛尾政美)が開苑しました。
春光苑の施設長を務めるためには、社会福祉施設長資格を取得する必要がありました。そこで舛尾先生は、開苑1年前の50歳のとき通信教育を受けられました。
そしてこの期間中に私と1週間、静岡県熱海市で行われたスクーリングにも参加されました。
その時、先生は「いよいよ春光苑の開苑も近づいた。私は小さな頃から目が見えなくてまわりからいじめられながらも耐えてきた。そして社会に出てからも、視覚障害者専用の老人ホームを建設するという大きな夢を持って死に物狂いで活動してきたが、まわりからは所詮叶わぬ夢であり、施設の柱が一本でも立つまでは、到底信用出来ないと馬鹿にされてきた。
あんたは目は見えるが、もしこの仕事が実現したとしてもまだまだ若輩者。私が苑長となり、あんたが事務長職に就いたとしても、苑長は目が見えないうえに事務長はただの若造と罵られるだろう。しかし、『人生とは耐えることなり』、耐えて二人で頑張っていけば、盲老人福祉の道が見えてくるのは間違いない。大きな経験をした己を信じて頑張りなさい」と励まされました。
それ以来、私はこの言葉を一時も忘れることはありません。
平成4年(1992年)2月、日本小型自動車振興会および下関市の補助金により、春光苑増築工事を実施し、定員を50名から65名に増員し、同時に国庫補助金によりショートステイ専用の居室4室を併設しました。
平成7年(1995年)1月、日本小型自動車振興会および下関市の補助金により、春光苑増築工事を再び行い、定員を65名から80名に増員しました。
平成9年(1997年)4月、山口県の委託により歩行訓練事業を開始しました。
平成18年(2006年)に身体障害者と高齢者のデイサービスセンター「あかり」を春光苑に併設するとともに、ヘルパーセンターも創設しました。
平成22年(2010年)11月、春光苑に太陽光発電システムを設置しました。
平成23年(2011年)には共同生活援助事業「グループホーム光明園(コウミヨウエン)」を開設しました。
平成24年(2012年)2月、就労継続支援B型事業所・鍼灸マッサージ治療所「光明園」を開設しました。
このような意欲的な事業拡大は、舛尾先生のリーダーシップによって実現したものです。
こうして春光苑開苑前は点字図書館のわずか5名しかいなかった職員が、全事業所で100名を超える大きな組織に育ち、舛尾先生は山口県盲人福祉協会の中興の祖として大きな功績を残されました。
また、平成31年(2019年)6月~令和2年(2021年)5月は、日盲社協理事長、日本盲人福祉委員会(日盲委)副理事長として全国の盲人福祉施設や団体を指導する盲界のリーダーとしても尽力されました。
一方、個人的には戦国武将が大好きで、日頃から施設や事業所の経営に関わる話を歴史に例えて言い表すなど、ユニークな遊び心も旺盛でした。
仕事上はとても厳しい先生でしたが、情にもろく感情があふれて思わず涙を流す姿を幾度となく見てきました。
約40年間、片腕としてお供させていただいたことに深く感謝申し上げますとともに、先生の「人生とは耐えることなり」の言葉を深く胸に留め置き、これからも精進して参りたいと思っております。

(追悼)憎めない、どこか魅力のある男 髙橋實(タカハシ・ミノル)参与の死を悼む聖明福祉協会会長 本間昭雄(ホンマ・アキオ)

3月22日の朝、いつものように5時のニュースを聞いてベッドを離れた。冬の名残りで冷え切っていた部屋が漸く温まったところに電話のベルが鳴った。「父が亡くなりました」と、髙橋和哉(タカハシ・カズヤ)君がつぶやいた。
次子(ツギコ)夫人から、夫が骨折で入院したこと、その後誤嚥性肺炎を起こしたけれども、いまはリハビリに入っていると聞いていたので、信じられなかった。
くるべきものが来たと思いつつも、周りの友人が次々と亡くなり、心寂しく思っていたときだけにショックは大きかった。60年以上書き続けた日記を書棚から取り出してみた。読み進むと、随所に彼の名前が見つかった。「髙橋夫妻来園。楽しく歓談。未来を語りビールが進む」等々、思い出が次々と指先に伝わってきた。
帰郷し父親と対面した和哉君から電話が入った。20名ほどの家族葬で見送るとのこと。不便な所だし、95歳という年齢を考えてみれば無理もないのだが、大阪まで来て体を壊すようなことがあれば父の本意ではないという意味の言葉が帰ってきた。骨折したときにお見舞いに行けばよかったと悔やまれてならなかった。それではと、お花を贈るので霊前に手向けて頂きたい旨依頼した。そして髙橋さんが親しくしていた田中徹二(タナカ・テツジ)日点会長と茂木幹央(モギ・ミキオ)日本失明者協会理事長のお二人だけには、私の責任で連絡を取ることにした。
そのときたまたま電話が鳴って「田中さんから電話です」とのことで受話器を取ると、「NHK盲人の時間が60周年になる…」と切り出されたのを遮るように「髙橋實が亡くなった」と伝えた。しばし沈黙ののち、「偲ぶ会でも考えてはどうだろう」との提案があった。やはりくるべきものが来たと田中さんも思ったのだろう。茂木さんにも同様のことを伝えると、遠くなった私の耳にも絶句している声が届いた。
髙橋實さんが青雲の志を立てて日本大学に学び、確か彼が3年生の年だったか駿河台キャンパスの教室で彼を中心とする仲間の人たちに話をした。そのとき感じたのはとても明るい声の青年だということで、自信に満ちた司会進行を務めていた。中身は忘れたが、私も若かったせいもあり、彼に魅力を感じ、交流が深まっていった。
憲法が大きく変わり、学ぶ意志のある晴眼者は誰もが進学を認められるのに、盲人は依然として受験すら拒否される。彼の大きな目標の一つとして、大学の門戸開放を目指す活動を始めた。そのことは、数年前に刊行された『盲人と大学 門戸開放70周年』(髙橋實監修)に詳しいが、そこには今日に至る苦闘の歴史が描かれている。
彼は盲学校在学中からジャーナリストを目指し、大学で十分学び、力をつけて点字毎日への就職を目指した。周辺の支援を受けて就職運動を続けたが、簡単なことではなかった。一度は就職浪人という苦い経験を味わう。そのようなとき、彼の情熱と夢に共感した日本点字図書館の本間一夫(ホンマ・カズオ)先生と私の法人が、浪人中の彼にできる範囲での生活保障をしたことを懐かしく思い出す。当時は毎晩のように次子夫人とともにわが家に来られ、まずやかん一杯のお茶を飲むことから始まって、ビールを何本も空けた。大したつまみもなく、二人で飲み、夜を徹して語り続けた。ときに見解を異にすることもあったが、懐の深い髙橋さんにいつも先手を取られたものである。
浪人中の仕事として、ある全盲の小学生に点字を教え、ご家族との話し合いに行ってもらったことがあった。その少年は何とその後筑波大学の名誉教授になった。この事例のごとく、何事にも誠実に熱意をもって取り組むのが髙橋實だったのである。
その後、夢と希望がかなって点字毎日に就職。以来、彼は定年になるまで健筆を振るった。いつも盲人に寄り添い、思いやりのある取り組みには、感心させられたものだ。一方、盲学生運動においても、彼は日本盲人福祉研究会「文月会」の中心的役割を担った。田中徹二さんとともに月刊誌の発行その他、新しい分野を切り開いていった。その文月会を母体として宿願であった社会福祉法人を取得することになり、私が会長として、髙橋さんとともに厚生省や東京都に通ったことも懐かしい思い出だ。1996(平成8)年10月29日、この日は彼にとっても、天国へのお土産として最も大きなものの一つに違いない。
この日は髙橋實ご夫妻と私ども夫婦が一緒に都庁を訪問し、福祉推進部長室において、視覚障害者支援総合センターの法人認可書を受け取った。11月1日が点字制定の日で、この日付で認可書を受領し、髙橋實体制が誕生した。私が法人認可書を受領し、その後髙橋さんに理事長を譲り、「思う存分好きなようにやるといいですよ」と言った。この法人認可には、愛知県立岡崎盲学校の勝川武(カツカワ・タケシ)さんからも「髙橋さんの夢を何としても叶えてあげたいので、お力添えをぜひぜひお願いします」と懇請されていた。勝川さんは亡くなるまで髙橋實を信頼し、協力を惜しまなかった教育者だ。その後センターの理事長は2代目榑松武男(クレマツ・タケオ)、3代目引田秋生(ヒキタ・アキオ)と益々発展している。おそらく後顧の憂いはないだろう。
また先ごろ、彼は第57回点字毎日文化賞を受賞した。そのとき、彼を慕う多くの人々が相集い、受賞を祝福した。そして彼は2021(令和3)年10月に『この道一筋点字毎日文化賞受賞ならびに卒寿記念 点毎と文月会とセンターと』を出版したが、ここには彼の生涯と人間性すべてが凝縮されている。
最後に酒の話であるが、いつの頃からだったか、彼は焼酎を嗜むようになった。彼は非常にこだわりの強い男で、焼酎も「いいちこ」を必ず注文し、梅干しを一つ入れて飲むのを欠かさなかった。お互いに90歳を過ぎ、電話で話をするときも、「飲んでますか」と問いかけると、「相変わらずいいちこを飲んでいます」との返事があり、お互いの健康を確かめ合った。いずれ近いうちに私も行くので、「いいちこ」を飲みながらまた語り合いたいものだと、今は静かに過ぎし日を懐かしんでいるところである。
激動の生涯、まさに人生に悔いなしの生き方をした男、ついに逝く。

日盲社協事務局だより

1.表彰者・受賞者情報

(1)秋の叙勲 瑞宝小綬章
令和5年秋の叙勲で、日盲社協金井博評議員が瑞宝小綬章を受賞された。
(2)秋の叙勲 旭日双光章
令和5年秋の叙勲で、大阪府視覚障がい者福祉センター点字図書館髙橋あい子館長が旭日双光章を受賞された。

2.加盟施設 変更情報

1)退会1施設
<点字出版部会>
エスケービー
(2)名称変更・住所変更等
<情報サービス部会>
①JBS日本福祉放送(社会福祉法人視覚障害者文化振興協会)
新住所 〒553-0003大阪市福島区福島7丁目17-9大包(ダイホウ)ビル4F
新TEL: 06-6459-7240  新FAX: 06-6459-7241
②山形県立点字図書館
新名称:山形県視覚障がい者情報センター(令和6年4月~)
<盲人用具部会>
(株)エクシオテック住所・FAX変更
新住所〒153-0064東京都目黒区下目黒2-7-4
新FAX: 03-6417-9827
(3)施設長等変更(敬称略)
<情報サービス部会>
①神戸市立点字図書館 新館長 比嘉正(ヒガ・タダシ)(令和6年4月~)
②日本ライトハウス情報文化センター
新館長 久保田文(クボタ・アヤ)(令和6年4月~)

3.事務局からのお願い

(1)Zoomミーティングの貸出
日盲社協では、Zoomミーティングを貸し出しております。利用希望の会員施設は日盲社協事務局宛に使用希望日等を記載の上、E-mail(nichimou.su@feel.ocn.ne.jp)でお申し込みください。
(2)日盲社協ホームページの「部会別ページ」には、全会員施設の法人名、施設名、住所・電話番号・FAX番号・E-mailアドレス、およびホームページを持つ施設にはそのリンクを掲載しています。また、小誌では上記に加え、施設長の変更も紹介しております。交代人事がありましたら、日盲社協事務局(nichimou.su@feel.ocn.ne.jp)までお知らせください。

編集後記

本号を企画した3月上旬は、誌面をどのように埋めようかと頭を抱えたものです。ところが、3月17日と22日に盲界の長老格で、日盲社協の活動にも多大の功績があった重鎮が次々と2名亡くなったので、途端に誌面が窮屈になりました。
舛尾政美先生とは、小誌『日盲社協通信』の編集を通じてお仕えし、また、親しくおつきあいいただきました。髙橋實先生とのおつきあいはさらに古く、その過程では激しい論争を行ったこともありましたが、ここ10余年は親しくご厚誼を賜りました。
舛尾政美先生と髙橋實先生のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともにご冥福をお祈りいたします。(合掌)広報委員長 福山博

第16回 視覚障害者向け総合イベント

ふれてみよう! 日常サポートから最先端テクノロジーまで
サイトワールド(R)2024
サイトワールドは、最先端の技術・機器、日常用品、および、ユニバーサルデザイン(UD)製品等の展示会、講演会、学会発表、フォーラム、体験会等が催される、世界でも例を見ない視覚障害者のための総合イベントです。来場者一人ひとりが主役です。
日時:令和6年(2024年)11月1日(金・日本点字の日)、2日(土)、3日(日・文化の日)午前10時~午後5時(11月3日は午後4時まで)
会場:すみだ産業会館サンライズホール(JR・地下鉄半蔵門線 錦糸町駅前 丸井錦糸町店8・9階)東京都墨田区江東橋3-9-10 墨田区丸井共同開発ビル
主催 NPO法人サイトワールド 〒169-0075東京都新宿区高田馬場1-29-7-401(株)ラビット内
TEL:03-5292-5644  FAX:03-5292-5645 E-mail:sightworld-bj@gmail.com

●本誌は、大阪府民共済生活協同組合の助成により作成したものです。

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