日盲社協通信 令和6年(2024年)12月号(通巻89号)

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日盲社協通信 令和6年(2024年)12月号(通巻89号)
編集人:福山博
発行人:長岡雄一
発行所:社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)
National Council of the Agencies of the Welfare for the Blind (NCAWB)
http://www.ncawb.org/

もくじ

社会適応訓練に将来はあるか 理事長 長岡雄一

 11月3日、定例となっているサイトワールドにおいて、日盲社協が主催するシンポジウムを行いました。テーマは、この原稿の表題である、「社会適応訓練に将来はあるか」でした。
 衝撃的なテーマであったせいか、70名ほど入る会場は人が溢れました。当日の模様については、改めてお伝えしたいと思いますが、本稿ではこのテーマに至る背景を少し説明できたらと考えています。
 「社会適応訓練」という言葉自身が実際に適切なのかどうかは、私自身悩むところではありますが、いわゆる歩行訓練やコミュニケーション訓練、ADL訓練の総称と、ここでは定義しておきたいと思います。このうちの歩行訓練だけ、パソコン訓練だけでも、この範疇に入ると考えていただいていいと思います。ただ、この言葉の響きから、障害福祉サービスにおける機能訓練や生活訓練、各地で行われている委託における各種訓練だけが、この対象であると理解される方もいらっしゃると思いますし、今までの流れからも、それは決して否定できないことだと考えています。
 私自身は、実際にはもっと幅広いもの、たとえば病院や、機能訓練や生活訓練を謳っていない事業所や施設等で専門家によって行われるであろう、ちょっとした訓練もその中に含めてもいいものだという理解をしていますが、ある意味狭義の(と言ってもいいのかもしれませんが)社会適応訓練では、対象となる視覚障害者がかなり限定化されるであろうことは、比較的簡単に想像できます。
 ただ、この言葉をもってして「将来はあるか」と考えたわけではなく、その担い手である支援者が今後、継続的に存在し続けることができるのかという点。さらには視覚障害当事者が他の社会資源を利用することで、「訓練」という概念が不必要になるのではないか、あるいは望まない可能性もあるのではないか、という懸念から、こうしたテーマの設定をしたわけです。
 支援者側を覗いてみると、勤務する事業所は、今後恒久的に存在し続けることができるのでしょうか? 少なくとも、障害福祉サービスにおける機能訓練事業所は、視覚障害に限らず多くの所で赤字運営になっています。指定管理や委託でしのげるとしても、先が見えなくなってしまいます。また、もし存在そのものに問題がないとしても、そこに新たな人材が参入し続けるのか? 国家資格である視能訓練士の養成学校でさえ全国的に見ると定員割れしている状況を知ると、不安は募る一方です。
 シンポジウムでは、前提として解決策の模索は行わないとしていたこともあったのですが、さまざまな疑問や意見が出ました。
 ここでも解決策は導き出せません。問題意識の共有化をいかに図るかが課題です。

サイトワールド2024で思ったこと 常務理事 荒川明宏

 11月1日から3日まで、昨年同様すみだ産業会館で「サイトワールド2024」が開催されました。
 出展団体数は昨年より増え、使用するブースも過去最大の令和元年(2019年)と同じ規模となりました。来場者は昨年同様3,600名、5年前の令和元年(2019年)より約千人減少しています。
 この数字だけを見ると、「来場者が減っていて大丈夫なのだろうか?」と思いたくなりますが、実際来場された方は、これでも人気の商品を見るためには、長く待たされたり、場合によっては見ることをあきらめる方も多くいました。
 9階で行われたイベントはどれも満員で、部屋に入ることができないものもいくつかありました。
 私はサイトワールドの運営の責任者をしているのですが、今年一番頭を悩ませたのが、ボランティアの減少でした。幸い昨年と同じ人数はなんとか集まりましたが、令和元年(2019年)に比べると、ボランティアは半減してしまいました。
 今年の出展内容で注目を浴びたのは、セブン銀行のATMではないかと思います。セブン銀行がATMで音声対応していることを知っている視覚障害者も多いのではないかと思います。しかし、私も経験があるのですが、ATMなどの公共の機械を店頭で試すのにはかなりの勇気が必要です。「人から怪しまれないだろうか」、「おかしな操作になったらどうしよう」、「後から覗かれているのでは」などと考えると怖くて試せません。それを展示会場で体験できるということは素晴らしい経験だと思います。
 もう一方で、共用品推進機構が出展されたことも意義深いことだと思いました。視覚障害者は情報障害者です。見ることができないため、実際に触った内容、聞いたことが情報となります。有名なシャンプーとリンスのボトルの違いも、知っていれば目印になりますが、知らなければ模様として終わってしまいます。
 アルミホイルとサランラップのパッケージはもう、20年前から触って分かるようになっていたとの話でしたが、実際に私は知らなかったため、重さ以外の違いを見つけることはできませんでした。
 以上のことから、視覚障害者に特化した便利な機器やサービスももちろん重要ですが、「ユニバーサルな社会」を目指していくには、一般企業のさらなる取り組みが必要ではないでしょうか?
 専門家である日盲社協の各施設が協力して、何か新しい時代をリードできるような提案をすることが、社会からも求められているのではないでしょうか?
(株式会社ラビット代表取締役社長)

視覚障害者の「じりつ」? 常務理事 吉川明(誌上慶祝会)

 「視覚障害者の自立と社会参加に寄与する」。
 多くの会員団体の事業目的ですが、「自立」って何のことでしょうか?
 「自立」と同じ音の「自律」という言葉があります。広辞苑で調べてみると、自立:他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。自律:自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること、とあります。
 私が世界一の盲導犬訓練士として尊敬する多和田悟さんは、盲導犬について面白いことを言っています。
 「良い盲導犬とは、良いユーザーにであった犬」「盲導犬の価値は間違えること」。
 「えっ! どういうこと」と思うでしょう。
 多和田さんにとっては、「盲導犬歩行作業が、いつでもどこでも安定的にできる」ことは盲導犬にとっては当たり前の認定条件です。大切なのは、ユーザーが盲導犬と楽しく生活し、盲導犬が出す歩行情報を判断して楽しく歩けるか、なのです。盲導犬は生き物ですから、時に間違えます。楽しく安全に歩けるかの主体は盲導犬ではなくユーザー(人)である、ということです。
 犬に引っ張られて歩くのではありません。盲導犬歩行でのトラブルは盲導犬が悪いのではなくユーザーが負う、盲導犬の命はユーザーが守る。そんなユーザーに出会った盲導犬は幸せです。お互いが最高のパートナーであり、良い盲導犬と良いユーザーは同義語のように思えます。
 日本盲導犬協会の盲導犬ユーザー283人が語った「私にとっての盲導犬」を10項目にまとめると次表のようになりました。

 ①ぶつかる恐怖や孤独感からの「解放感」
 ②風を切って歩く「爽快感」
 ③一人でできた「達成感」
 ④自分の意志で歩ける「自在感」
 ⑤いろいろな人から声をかけられる「充実感」
 ⑥いつも傍らにいる「安心感」
 ⑦素直にお礼が言えた「共感力」
 ⑧気持ちに「余裕」
 ⑨盲導犬飼育への「責任感」
 ⑩犬との規則正しい生活、体力「向上感」

 そこには、人の力を借りずに「歩く」喜びがあります。それ以上に、ユーザーの自己肯定感・自尊感情の向上を感じます。
 視覚障害者が盲導犬と暮らすようになると、生活は大きく変化します。朝の散歩、排便、餌やり、月1回のシャンプー、獣医師との連絡。視覚障害者にとっては大変ですが、この利他的行動が「自律心」を呼び起こし、自己肯定感を高めるのだと思います。
 これが、盲導犬の本当の魅力です。(日本盲導犬協会顧問)

誌上慶祝会
祝・第19回片岡好亀賞と第18回塙保己一大賞を受賞された本間律子さん
日本失明者協会理事長 茂木幹央

 まず最初に、表題のような大きな栄誉に輝いた本間律子さんにお祝いを申し上げます。このたびのご受賞誠におめでとうございます。
 長年にわたるご努力の結果が結実したわけですが、それに至る道程は厳しく険しいものがありました。それだけに関係の皆様のお喜びはひとしおと存じます。
 本間律子さんは、昭和47年(1972年)11月に京都府福知山市にて出生されました。メラニン色素欠乏症のため肌が白く金髪で弱視という悪条件を背負っての誕生でした。幼児期に1年半、盲学校の幼稚部に入り寄宿舎生活をされましたが、その後は普通学校に通われました。そして弱視者である自分を活かす道として福祉の分野を目指し、聖カタリナ女子大学の社会福祉学科に進み、平成7年(1995年)3月に卒業。
 平成20年(2008年)3月には岡山県立大学大学院保健福祉学研究科の修士課程を修了。平成25年(2013年)3月には関西学院大学大学院人間福祉研究科博士課程を修了し博士号(人間福祉)を取得されました。そしてそれまでに、社会福祉士、福祉施設士、成年後見人、ガイドヘルパー、レクリエーション・インストラクターなどの資格も取得されました。
 大学卒業後に結婚されましたので、その後は、子育てと両立しながらの研究生活でした。
 本間律子さんは、関西学院大学大学院博士課程に在籍していた頃から、日本ライトハウスを設立した他、日本視覚障害者団体連合、日本盲人社会福祉施設協議会、日本盲人福祉委員会を創設した岩橋武夫の研究に注力されました。本間律子著『盲人の職業的自立への歩み 岩橋武夫を中心に』は、本間律子さんの岩橋武夫研究の集大成です。
 本間律子さんは、その後わが国最初の盲老人ホームである「慈母園」と、わが国最初の軽費盲老人ホーム聖明園についての研究をされましたが、そのことが縁となり、平成28年(2016年)には聖明福祉協会の盲養護老人ホーム聖明園曙荘に幹部職員として入職すると共に、当時同法人の理事長であった本間昭雄先生の養女となられました。
 本間律子さんは、仕事のかたわら、大学では非常勤講師として学生を指導されています。令和6年(2024年)6月には、(公社)日本テレビ小鳩文化事業団の評議員にも就任されましたので、今後はさらなる活躍が期待されます。

祝・岡村原正氏が厚生労働大臣表彰 (株)アメディア代表取締役 望月優

 日盲社協の前理事で、前盲人用具部会長の岡村原正氏が、令和6年度(2024年度)障害者自立更生等厚生労働大臣表彰の、「援護功労者」の表彰を受けた。
 岡村氏は、(株)ジェイ・ティー・アール(以下、「JTR」)の社長として、永年にわたり点字プリンターの開発・製造に携わり、多くの視覚障害者施設や団体の点字印刷物の作成に貢献してきた。
 私は、昭和61年(1986年)に国立職業リハビリテーションセンターの電子計算機科でプログラミングの勉強をしたが、そのときに使っていた点字端末はJTRのESA731だった。
 岡村氏は、昭和51年(1976年)に日本大学商学部を卒業後、(株)白雷商会に就職し、点字端末の開発に携わり、昭和57年(1982年)6月にJTRを設立し社長に就任、点字端末及び点字プリンタの開発に専念した。
 昭和58年(1983年)2月に、早くもESA731で通産省情報産業局長賞を受賞。本機は、点字キーボードを持った点字印刷のできるコンピューター用の点字端末で、私が職リハで学んでいたときは、点字キーポードで入力することもあったが、主にはカードに穴を開けるタイプのパンチカードでプログラムのコードを入力し、ESA731の点字印刷でエラー内容を確認した。
 その後、昭和61年(1986年)12月に、点字プリンタ ESA721を発売。本機は日本全国の盲学校や施設・団体に導入され、亜鉛板で印刷するほどの部数でない点字印刷物を大きく普及させることになった。
 当時から、ドイツ製や米国製の点字プリンタも輸入されていたが、点字サイズが異なることや、表の行間に裏の行を打つというインターライン方式を実現していたのがESA721のみだったため、日本国内での点字プリンタの圧倒的シェアを獲得した。
 平成3年(1991年)1月に、後継機種として、世界初の点作図プロッタ機構を搭載した点字プリンタ・プロッタNEW ESA721が発売された。本機は、点図作成ソフト「エーデル」によってそのプロッタ機能を活用した図形が描かれた。
 平成4年(1992年)10月に点字ラインプリンタESA300proを販売開始。
 平成10年(1998年)8月に、点字両面同時ラインプリンタESA600proを販売開始。
 そして、NEDOの新製品開発助成を受けて、中途失明者向けLサイズ点字プリンタ「ESA2000L」を平成14年(2002年)に発売した。
 これらの段階を踏んだ着実な進歩は、まさに岡村原正氏の技術力と絶え間ない努力の賜物である。
 ここまでの製品は、点字の読みやすさと速度、耐久性を追求し、順を追って高級化してきたが、平成28年(2016年)に、個人ユーザーをターゲットとした廉価版のESA-Soloを発売している。
 平成28年(2016年)には、バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者総理大臣賞と、塙保己一賞貢献賞という大きな賞をダブル受賞している。
 岡村氏は、経営者としての業務と、開発技術者としての業務の両輪を見事に回しているスーパー・エンジニアである。

国際視覚障害者援護協会が地球市民賞を受賞
 世界盲人連合アジア太平洋協議会(WBUAP)前会長 田畑美智子

本年(2024年)1月、社会福祉法人国際視覚障害者援護協会(IAVI)は、令和5年(2023年)度国際交流基金が実施する地球市民賞を受賞しました。
 昭和46年(1971年)の設立以来、19の国と地域から89名の視覚に障害のある留学生を日本に招き、盲学校専攻科への入学を日本語指導や生活訓練を通じて支援。
 入学後も各種支援を実施し、あん摩マッサージ指圧、はり、きゅうの勉強を後押し。習得後は留学生に母国で職業的自立をめざすとともに、視覚障害コミュニティで指導者やリーダーになってもらい、さらに多くの現地の視覚障害者に自立の道を切り開いてもらうことを大きな目的としています。
 元留学生は各地でマッサージ師として働くのみならず、後進の指導に当たったり、視覚障害団体の幹部となり運動を牽引したりしています。国際会議やセミナーで活躍する姿を見るのも誇らしい限りです。
 日本の盲学校を修了して時間が経ち、新たな情報への要望が上がる中、IAVIとして定期的な元留学生を対象としたオンライン勉強会を開催しています。また、元留学生のネットワークを活用し、台湾からケニアに白杖を寄贈するなど、あはきの勉強意外の分野での協力も実現しています。
 IAVIではこれまでの活動の延長線上で、点字を利用したオンラインの日本語教室を試験的に始めています。また、今回の地球市民賞受賞をきっかけに声かけを受け、国際交流基金のイベントに留学生が参加、来場者に各国の点字や母国の視覚障害者の状況をはじめ、文化なども共有する国際交流の担い手になったこともあります。
 財政状況や後継者育成などIAVIを取り巻く環境は決して楽観できるわけではありませんが、さまざまな職業の中でもあはきのように非常に有力な職域の開拓と推進を必要としている途上国はまだまだあります。これまでの経験を活かしつつ新たな要素をうまく取り入れて、これからも途上国の視覚障害者の人生に希望の光を当てる後押しを続けていくプレイヤーでいるよう願いますし、そのためのオールジャパンでの支援がさらに進むことも願って止みません。

点字毎日の佐木理人さん、近藤正秋賞を受賞!
― 瀕死の転落から佐木訴訟、そしてジャーナリストへ ―

ブルックの会代表 加藤俊和

 近藤正秋賞は、平成18年(2006年)、名古屋ライトハウス創立60周年に際して創設者の近藤正秋氏を冠して設立され、地域団体活動や就労、経済、政治等の分野で著しい功績のある視覚障害者が対象とされています。
 佐木理人さんは、昭和48年(1973年)大阪市の生まれで、神戸市外国語大学大学院修士課程を修了したあと、平成7年(1995年)の10月、大阪市営地下鉄の天王寺駅で、ホーム端で電車に接触して転落し、生死をさまよいました。
 この事故を、私は当時のパソコン通信で知ったとき“生きていてくれ!”と祈り続けました。
 約3年を経て、後遺症が残ったものの、元気に退院しましたが、同駅の事故現場は、防護柵すら設置されないままでした。再び悲惨な事故が起きかねないとして、佐木さんは竹下義樹弁護士をはじめ多くの方々の支援を得て、平成11年(1999年)4月、管理責任者の大阪市を相手に提訴しました。これが、昭和48年(1973年)に高田馬場駅で上野孝司さんが転落して亡くなられた上野訴訟に次ぐホーム事故訴訟として注目された佐木訴訟でした。本訴訟は、平成15年(2003年)に同ホームに転落防止柵の設置により和解となりました。
 それと同時に、「視覚障害者の歩行の自由と安全を考えるブルックの会(略称:ブルックの会)」が発足し、訴訟を支援するとともに、視覚障害者が自由に歩行できるための安全対策などを目指して活動が始まりました。
 その中心になっていたのは、もちろん佐木さんです。ブルックの会は現在も活発に活動を続け、駅ホーム対策にとどまらず、踏切事故や横断歩道の安全、駅の無人化対策など、幅広く積極的に取り組んでいます。
 佐木さんは、平成17年(2005年)に毎日新聞社の点字毎日部に特別勤務員として入職、平成20年(2008年)に正社員として採用され、点字毎日記者として慎重かつ活発に動き回って、多くの情報を得て、軽妙なタッチの記事を書き続けています。
 平成31年(2019年)からは、なんと毎日新聞論説委員も兼務となり、令和2年(2020年)12月からの『毎日新聞』の連載コラム「心の眼」は楽しくピリッと幅広く好評を博しています。
 佐木さんは、今や、視覚障害の分野から飛躍し、期待され注目されているジャーナリストなのです!

石川准さんの「点字毎日文化賞」受賞を祝して
毎日新聞社点字毎日部 佐木理人

 点字毎日が主催する「第61回点字毎日文化賞」に静岡県立大学名誉教授で内閣府障害者政策委員会の初代委員長や国連障害者権利委員会の副委員長、全国視覚障害者情報提供施設協会理事長などを務めた石川准さん(68)が選ばれました。
 昭和39年(1964年)に創設された点毎文化賞は、視覚障害者の福祉、文化などの分野で貢献した個人や団体を表彰するものです。
 受賞者は日本点字図書館創設者の本間一夫氏をはじめ、著名な方々が名を連ねます。
 石川さんは富山県魚津市出身。高校1年の時に網膜剥離のため失明し、東京教育大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)に入りました。点字受験で受かった前例がないと知り、東京大学への進学を志望。昭和52年(1977年)、点字受験者で初めて合格しました。
 大学では、社会学を専攻し、大学院に進み、米国の大学への留学も経験しました。障害を社会、文化の視点で捉える「障害学」に出会い、日本に紹介すべく障害学会を作り、会長に就きました。平成9年(1997年)から令和4年(2022年)3月まで静岡県立大学の教授を務めました。パソコン用自動点訳ソフト「EXTRA」などの開発者としても知られています。
 平成24年(2012年)からは、内閣府の障害者政策委員会の初代委員長として、障害者差別解消法の成立に関わりました。平成29年(2017年)から4年間は、国連の障害者権利委員会の委員に就任し、後半の2年間は副委員長でもあり、日本の障害者の現状を世界に伝え、共生社会の実現に尽力しました。
 石川さんが学んだ附属盲学校は、私の母校でもあります。その入試は、口頭受験だったそうで、私も同様だったことから「雲の上の先輩」に勝手ながら親近感を持っています。
 さまざまな分野で功績のある石川さんから聞いた印象的な言葉があります。「自分は形から入って、何とかして中身を追いついていくタイプ」。与えられたことに懸命に取り組むうちに、その器に見合うようになってきたのかもしれないというのです。責任感の強さと誠実な人柄を感じます。
 毎晩インターネット通話の「スカイプ」で趣味の将棋を楽しむという一面も持つ石川さん。公私にわたり充実した生き方に倣いたいです。
 このたびの受賞、本当におめでとうございます。

吉川明常務理事の厚生労働大臣表彰(社会参加促進区分)の受賞を祝す
理事長 長岡雄一

 令和6年度(2024年度)障害者自立更生等厚生労働大臣表彰の受賞者に日盲社協常務理事の吉川明氏が選ばれました。心よりお祝い申し上げます。
 また、授賞式においては、社会参加部門の代表者として、賞状を授与される名誉にも浴され、二重のお祝いということになります。
 皆さんもご存じのように、吉川氏は長年にわたり日本盲導犬協会の専務理事として活躍され、盲導犬訓練士としての資格認定基準の策定においては中心的な役割をされてきました。この基準は、現在ほとんどの盲導犬訓練施設で活用されています。
 また、盲導犬の世間一般への認知を進めるにあたっても、大きな貢献をされました。
 吉川氏は元々、帯広畜産大学を卒業され、獣医師の資格をお持ちですので、動物としての盲導犬への理解もこの上なく十分で、時には我々の前でその博識さを披歴されることもあります。
 また一方、社会的存在としての盲導犬の意義についても、常に発信を続けていらっしゃいます。
 これは、同氏が長年にわたって関わってこられた「あしなが育英会」の影響もあるかもしれません。この活動を通して、対社会ということへの意識を醸成され、それが盲導犬の普及にも大きな影響を与えているように思われてなりません。
 日盲社協においては、自立支援施設部会の盲導犬委員会の委員長として活躍され、令和3年(2021年)からは常務理事として、日盲社協の運営に多大な貢献をされています。
 現在の社会福祉法人の運営は、その多くを公益法人を範として作られています。公益法人格の日本盲導犬協会で専務理事として蓄積されてきた様々な知識や経験を元にした力を、社会福祉法人格の日盲社協においても、遺憾なく発揮し続けて下さることを祈念して、お祝いとさせていただきます。
 受賞、おめでとうございます。

わが施設の今 第14回 石川県視覚障害者情報文化センター
センター長 米島芳文

 石川県視覚障害者情報文化センターは、視覚障害当事者団体である社会福祉法人石川県視覚障害者協会が設置・運営している。この施設には石川県視覚障害者協会の他に金沢市視覚障害者協会と特定非営利活動法人金沢市視覚障害者地域生活支援センターが事業を行っている。
 運営に当たっては、三つの組織が互いに連携しながら活動を続けている。
 この施設は平成9年(1997年)の建設以来、点字図書館、点字出版印刷の情報提供事業に加えて、視覚障害当事者のニーズに応えながら様々な社会参加促進事業の充実に努めてきた。
 主なものは、歩行訓練等を行う市・町生活訓練事業、視覚補助具の紹介・相談などを行うロービジョンルームの運営、ICT機器の相談・体験などを行う視覚障害者ITサポートセンター事業を実施している。また、点訳・音訳ボランティア、同行援護従業者、代筆・代読従事者などの人材養成研修も開催している。
 金沢市視覚障害者協会では、地域の視覚障害当事者の交流を目的にグループ活動として文化交流センターの運営(地域活動支援センター事業)を行っている。
 金沢市地域生活支援センターでは、六つ星作業所の運営(就労継続支援B型事業)、同行援護・移動支援事業、計画相談などの障害福祉サービスの提供を行っている。また、石川県版スマートサイト「ビジョンケアネット石川」など石川県眼科医会や関係者の協力の下に、視覚障害当事者の総合支援センターを目指して利用者の拡大に取り組んできた。現在、利用登録者は県内視覚障害当事者の半数に当たる1,100名となっている。
 令和6年(2024年)元日に発生した能登半島地震に伴い、石川県視覚障害者協会と金沢市視覚障害者地域生活支援センターが連携して視覚障害者支援本部を開設、広域避難の視覚障害当事者の支援を続けている。
 また、家屋が損壊した視覚障害当事者に被災見舞金の提供を行うなど、視覚障害当事者の支援センターとして機能できるよう活動を続けている。

令和6年11月29日

第72回全国盲人福祉施設大会――5年ぶりに「完全日程」で開催――
東京ヘレン・ケラー協会点字出版所長 大木俊治

 第72回全国盲人福祉施設大会が11月28日、29日の2日間、大分県大分市のレンブラントホテル大分で開かれた。
 新型コロナウイルス感染拡大で68回大会は中止、69回、70回大会はオンライン開催になり、昨年の第71回大会は東京で対面開催となったが1日だけの短縮日程だった。今回は、北海道帯広市で開かれた第67回大会(2019年)以来5年ぶりに、東京を離れて1泊2日の完全日程での開催となった。点字出版部会、情報サービス部会、自立支援施設部会、生活施設部会、盲人用具部会の五つの事業部会も併せて行われた。参加者数は、点字出版部会9施設11人、情報サービス部会24施設45人、自立支援施設部会10施設13人、生活施設部会3施設5人、盲人用具部会5施設6人と、大会運営にあたった大分県盲人協会から7人、主催する日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)から長岡雄一理事長ら3人の計90人だった。
 28日午後1時に始まった開会式で、長岡理事長は「(中止や変則開催が続いた)この5年間で大事な先輩、後輩を少なからず失いました。改めて哀悼の意を表したいと思います」とあいさつ。
 今年の大会テーマを「開拓と育成」としたことについて「2008年をピークに減り続ける人口減少社会は高齢化を伴います。その中で私たち社会福祉従業者は、いかなる価値観と先見性を持って仕事に臨んでいけばいいのか。今後一つ一つの施設においても、この現実が厳しくのしかかってくるのではないかと思われます。そうした社会状況の中で何を変え、何を維持していけばいいのか。まず手始めに何を考えていけばいいのか、という混沌の中から、今後の私たちの仕事のヒントになるものを見つけ出せたらと思います」と述べた。続いて今大会の主管施設である大分県点字図書館の玉井和年館長が「温泉と海の幸、山の幸に恵まれた大分県へようこそ。大分市は西洋音楽と西洋美術、西洋演劇発祥の地とも言われています。本日は北風が少し強いものの、晴天に恵まれ、ひと安心しています」と、お国自慢を交えて参加者を歓迎した。大分県のホームページによると、同県は温泉の源泉数、湧出量とも日本一という。
 続く研修会では、大会テーマの一つ「開拓」の象徴として、大分県でただ一人の歩行訓練士である社会福祉法人大分県盲人協会の神屋郁子氏が「地方での視覚障害リハビリテーション」と題して、約1時間半講演した。神屋氏は大分市出身。日本ライトハウスで養成講座を修了後、京都ライトハウス鳥居寮で12年、福岡県北九州市で1年勤務し、2017年から大分県盲人協会で県からの委託事業として視覚障害者の歩行・生活訓練にあたっている。2023年度の活動実績では、歩行訓練63件に対し、パソコン操作136件、iPhoneなど166件、デイジー機器23件とICT(情報通信技術)の操作訓練が圧倒的に多く、点字訓練も60件あったと紹介した。また、視覚障害当事者が事業所に通う「自立訓練」の場合、「(支援を必要としているのは)自分だけではないことを知る」メリットがある半面、訓練開始までの手続きが煩雑だと指摘。一方、在宅支援が中心の「委託事業」の場合、開始までの手続きは比較的簡単だが、当事者同士の交流機会が少ないことを課題に挙げ、在宅支援からブラインド・ヨガの集まり、患者の会、点字図書館の利用などにつなげた事例を紹介した。最後に、視覚障害リハは地方でも当事者から強く求められており、生活の質を向上させられるメリットがあるが、必要なタイミングでの支援が難しいこと、専門家の増員が必要だが採算が取れる状態にないことなど、課題が多いと結んだ。
 その後、五つの部会に分かれてそれぞれ事業部会を行い、夕方から各事業部会の報告に続いて交流会となった。日盲社協の元理事長で、養護盲老人ホーム「ひとみ園」織のリーダーを任される人材を育てたいと思っていること、野球をやる「目標」は甲子園出場など人それぞれだが、野球をやる
施設長の茂木幹央氏が乾杯の音頭を取った。宿泊を伴う夜の交流会は5年ぶりとあって、旧交を温め合う歓談の輪が広がった。
 2日目の29日は朝9時から、大会のもう一つのテーマ「育成」にちなみ、学校法人別府大学明豊高校野球部監督の川崎絢平氏が「高校野球と人材育成」と題して講演した。
川崎氏は、智弁学園和歌山高校出身。
大学、社会人野球を経て実家のコンビニエンスストア経営に携わった後、2011年に明豊高校監督に就任。これまで同校を春4回、夏6回、甲子園に導いた。最高成績は2021年春の準優勝。
夏の大会には今年で4年連続出場している。講演では、自身の選手として、また監督としての経験を踏まえて「今の高校生は本当にまじめだが、その半面、『他人よりも強くなりたい、うまくなりたい』という競争意識が希薄」と指摘した。また「高校野球の監督として重要なことは」という質問に、最近は「失敗を受け入れる能力」と答えるようになったこと、指導者としては勝利数よりも、社会で活躍する人間、組「目的」は「野球というアイテムを使って幸せになる力を身につけること」だと教えていることなどを訴えた。
 このあと式典に移り、ボランティアへの感謝状贈呈、永年勤続職員への表彰状贈呈が行われた。今回感謝状を贈られたボランティアは90名で、うち10名が出席し、代表して岩手県立視聴覚障がい者情報センターの高橋和子さんが長岡理事長から感謝状を受け取った。また永年勤続職員30名が表彰され、代表して静岡医療福祉センターライトホームの梅原慈香さんに表彰状が贈られた。続いて福岡資麿厚生労働相からの祝辞が披露された。また来賓の竹下義樹・日本視覚障害者団体連合会長は祝辞の中で「視覚障害者の自立と生活の質を支えるのは(点字出版物などの)情報保障と、視覚リハビリテーション。前者については役所でも強く意識され、立法や政策が進められてきたが、後者の視覚リハについてはまだ意識が薄いようなので、強く働きかけていきたい」と述べた。このあと、第72回大会アピールを満場一致の拍手で採択した。
 最後に、来年11月の第73回大会を、能登半島地震・豪雨による被災からの復旧・復興を後押しする狙いを込めて、石川県金沢市で行うことが発表された。次回の主管施設となる石川県視覚障害者情報文化センターの米島芳文センター長が「来年11月に金沢で、多くの方に復興の足音を感じていただき、復興を後押ししていただければと思っています」とあいさつし、午前11時半過ぎに閉会した。

アピール

 昨年の70周年記念大会から早1年が過ぎました。まずは次の10周年に向けて、皆様それぞれうまくスタートできているでしょうか。
 コロナウイルス感染症の恐怖からは、ほぼ脱出したと感じている人が多いのではないかと思います。コロナの時代から受けた教訓は少なくないと思いますが、メリットの一つがオンライン会議と感じている視覚障害者も多いと思います。移動の制限や困難を考えるとICTの貢献度は大だと感じます。移動の時間を有効に使うことができるのは皆さんに共通した大きなメリットではないでしょうか。
 ただ、コミュニケーションという観点からは物足りなさが残るのは仕方のないところかもしれません。オンラインとリアルをうまく組み合わせ、今後は進んでいくのが望ましいのだろうと思っています。
 ここ大分の地は、何処に移動するのも便利がいいとは言い難く、移動にストレスが少ない地域からみると、異なる感覚を持っていると思われます。このように移動だけでもそれぞれ感じていることが異なるように、働く内容や働く人の確保、機器など、新しい物への取り組みも時差が生じていると感じたり、利用者の激減や確保の難しさなど、それぞれ難題を抱えていることと思います。この会が、情報共有を含め、課題解決のアイディアなど、皆さんで取り組むことができる会であると願っています。
 さて大分県は、日本点字図書館にて点訳奉仕運動を始めた後藤静香氏、視覚障害者の社会福祉制度の充実に活躍された工藤勉氏、九州初の視覚障害者議員衛藤良憲氏の出身地です。今回は、歩行訓練未開の地を開拓した神屋郁子氏に講演をお願いしましたが、これらレジェンドに続く人を輩出できるよう、沢山の人と手を取り合い、協力していくということを再確認したところです。
 日本盲人社会福祉施設協議会は、視覚障害者の社会参加の支援を目的とする加盟施設を支え、さらに時代の変化による様々な問題・課題に対しても積極的な情報発信と、問題提起並びに解決に努めていくことを宣言いたします。

令和6年11月29日
第72回全国盲人福祉施設大会
社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会

大会決議

<本部>
 一 サピエのセキュリティ機能強化により、多くのサピエ利用者が使用している機器が利用できなくなることになった。日常生活用具としての給付を受けていても、耐用期間を満たす前に利用できなくなる視覚障害者も少なくないことから、耐用年数の短縮による他機種の給付を検討していただくことを要望します。

 <点字出版部会>
 一 選挙公報は、国民の基本的人権である参政権行使のための重要な情報源であり、「公職選挙法」では国政等の選挙で発行が義務づけられています。視覚障害者等のために発行される点字版・音声版・拡大版の「選挙のお知らせ」も、選挙公報として発行が義務づけられることを強く要望します。
 また、「選挙のお知らせ」が有権者に届けられていなかったり、投票所においては、
秘密保持の問題事例や盲ろう者等視聴覚障害者が適切な支援がないために選挙権が行
使できなかったりしています。都道府県の選挙管理委員会に対し、こうした事例が改善されるよう指導強化を切に要望します。
 一 点字出版所は視覚障害関係事業の中で最も古い歴史があり、視覚障害者の社会進出と社会参加を支えて来ました。主な事業である点字教科書・点字図書・点字版選挙公報・各種広報誌の安定供給には、点字製版機や印刷機を常に万全の状態に維持する必要があります。そのため、国や地方自治体などにおきましても点字製版・印刷機の新規購入や保守管理等の費用について補助されることを強く要望します。

 <情報サービス部会>
 一 「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律」(読書バリアフリー法)の基本理念の一つである「障害の種類及び程度に応じた配慮」に基づき、誰ひとり取り残されない情報アクセシビリティの早期実現のためにも、特定書籍及び特定電子書籍製作の推進役となる「音訳指導員」の省令への明確な専従位置付けと、人材の育成、資質の向上及び確保を図るための財政上の措置を講じるよう要望します。
 一 視覚障害者が情報機器操作技術及び情報通信技術等を習得し、障害の有無にかかわらず情報を取得することができる環境を全国的に構築するための専門的支援者となる「情報化対応支援員」を、全ての視覚障害者情報提供施設に配置できる財政上の措置を講じるよう要望します。

 <自立支援施設部会>
 一 盲導犬(補助犬)育成について、60%を下回る盲導犬育成経費の公的支援率を上げる取り組みと、年間2,000回を超えるフォローアップ訓練に訓練費の助成が支給されるよう制度の見直しを要望します。
 一 盲人ホーム事業の安定的運営のための助成金の増額を要望します。
 一 就労移行支援事業報酬体系について、障害の重さ(職業判定、手帳の障害等級な
ど)による支援量の違いや重度障害者の就職者数へのインセンティブ(報酬単価の増
額)を要望します。
 一 同行援護事業のヘルパーが不足しており、適正なサービス利用計画が立てられず、視覚障害者の移動ニーズや情報取得ニーズに応えられていません。充分なヘルパーの確保ができるよう同行援護サービス報酬単価の増額を希望します。

 <生活施設部会>
 一 養護老人ホームや救護施設の場合も、特別養護老人ホームなどと同じように、3年に1回は措置費の改定を行うよう要望します。
 一 視覚障害者を対象とする養護老人ホーム、救護施設、障害者支援施設、グループホーム等の入所施設がWi-Fi環境を整備する場合は、視覚障害者の情報保証を行う観点から、国はこの事業に対して補助金を交付するよう要望します。
 一 視覚障害者の施設入所者の同行援護の利用時間は在宅者並みに拡大するよう要望します。
 一 65歳を過ぎてから失明した視覚障害者も、グループホームに入所できるようグループホームの入所基準を改善するよう要望します。

 <盲人用具部会>
 一 円安物価高の影響や、継続的な安全性、機能面の向上を図ることによる価値の向上の結果、支給・給付制度の基準額と市場価格に乖離がでており、利用者の負担が増えている現状があることから、補装具費支給制度、日常生活用具支給制度の基準額の定期的な見直しを要望します。
 一 各市町村の福祉窓口で、支援機器や日常生活用具等の給付事業に関する一定程度の知識、力量のある担当者の設置を要望するとともに、相談者である視覚障害者に対して、丁寧な日常生活用具等の給付事業について説明していただけるよう要望します。
 一 教育のデジタル化が進む中、視覚障害児童の家庭学習を推進するため、日常生活用具の対象品目として、音声パソコン、点字ディスプレイ等のデジタル機器の範囲を拡大するとともに、年齢制限の見直しを要望します。
 一 デフレ脱却を目指す国家の方針に伴い、市場価格は上がっていくことが予測されます。
 現時点でも市場価格と基準額、新技術の搭載する機器と対象品目に乖離があることから、これらの早期是正を図るため、対象品目の市場価格の調査、基準額の変更の仕組みが必要と考えます。厚労省及び市区町村にこの点を要望します。

「サイトワールド2024」でAIについて考える 東京ヘレン・ケラー協会 『点字ジャーナル』編集部 岩屋芳夫

 11月1日(金)から3日間、「触れてみよう! 日常サポートから最先端テクノロジーまで」をテーマに、墨田産業会館サンライズホールにてサイトワールド実行委員会主催による第16回視覚障害者向け総合イベントが開催された。
 会場は、JR・東京メトロ錦糸町駅近くの錦糸町丸井の8・9階。8階には42の団体が出店し、9階では点字考案200年記念事業推進委員会によるシンポジウムや触地図作成のワークショップなど多彩なイベントが開催された。
 2日(土)に新潟大学工学部渡辺研究室が触地図のワークショップを開催した。同研究室は、これまでも個人の要望に応じて多様な地図を作成し提供してきている。近近、韓国の釜山を訪れるという参加者が、釜山港と周辺の地図が欲しいと要望した。海外の都市の要望が出るとは想定していなかったのか、地図のデータから釜山港をさがすのに一苦労していた。
 今回新たに出店した団体が5社あった。その内の1つ、医療機器メーカーの(株)フォラケア・ジャパンは、スマホと体温計を組み合わせることで体温を音声で知らせたり、スマホとパルスオキシメータを組み合わせ、機械で人差し指を挟むことで「98%」と血中酸素濃度を音声で知らせることができる機器を展示していた。ただその音声は、体温計やパルスオキシメータから出るのではなく、それと連動したスマホから発せられた。スマホと組み合わせることで測定結果を記録することもできて便利なようだが、単体でも使えるようにして欲しいと思った。
 3日(日)午前、「AIは視覚障害者の生活をどう変えるか」をテーマとするセミナーが開かれた。静岡県立大学名誉教授の石川准博士が主催・進行役で、スクリーンリーダーJAWS(ジョーズ)を開発するVispero(ヴィスペロ)のトビアス・ウィネス上級副社長と将棋のプロ棋士の勝又清和七段がそれぞれの立場でAIがもたらす変化について報告した。
 石川氏は、5年くらい前は「AI」という言葉を聞くと「AIスピーカー」を思い起こす人が多かったと思うが、今は「AI」と聞いて「AIスピーカー」を思い浮かべる人はいないのではないかと切り出した。続けて、仕事や生活で日常的にAIに触れていますか? と参加者に問いかけると、参加者の約3分の1が手を上げた。
 最初にジョーズ開発者のウィネス氏からAIについて以下の報告があった。
 AIによって画像情報、視覚的イメージへのアシスト機能が加わったことが最大の恩恵だといえる。個々の質問に基づいて、それにあった詳細な情報提供ができるようになるだろう。
 動画サイトのユーチューブでは、すでに字幕に自動翻訳機能が使われているが、近い将来AIの言語認識能力により言語の壁もなくなり、内容がよりわかりやすくなるだろう。
 さらに、検索が容易になり、作業が効率化され、大量の情報が得られるようになる。AIを活用してより効率的にコンテンツを読みとれるようにジョーズを強化していきたい。
 カメラで自分自身を撮影する時、きちんと中央に位置しているか、照明など相手にきちんと見えているかなどアシストできるようになるだろう。AIを使うことでさらにアシスト機能を高めていき、今後数年で何ができるかを現在考えているところだ。
 報告を受けて石川氏が、AIは進歩したが、目的を伝えて「やっておいて」と言えばコンピュータがやってくれるようになるか? と質問。これに対してウィネス氏は現段階ではできないが、数年後にどうなっているかはわからないと答えた。そして、機械に命令を出した後は、必ず正しいことをしているか確認する必要があると警告した。
 フロアーから「一般ユーザーが今の段階で意識しておくべきことはあるか?」との質問があった。これに対してもAIが提供する情報が正しいかどうか、必ず確認することが大事だと重ねて注意を促した。
 続いて棋士の勝又氏が、30年間見てきたというAI将棋について報告した。
 将棋は、チェスや中国将棋と違い、取った駒を使えるため局面の数が爆発的に多くなる。また、囲碁は19×19の361マスでチェスやオセロよりも局面が非常に多い。そのため、コンピュータが人間を越えるのは難しいと言われていた。しかし、約7年前に将棋も囲碁もコンピュータが人に勝つようになった。
 将棋では、将来の局面を予測する読みと、その時々の局面の優劣を見きわめる形勢判断が両輪となっている。形勢判断は、駒の損得、駒の働き、玉の安全度、手番の4つの要素(変数)でなされる。これらの要素には重要度があり、序盤は駒の損得、中盤から終盤は駒の働き、終盤は手番と玉の安全度の重要度が高くなる。
 従来は先人の棋譜を読み、経験を積むことを大切にしてきた。
 局面の数はチェスが10の30乗であるのに対して、将棋は10の220乗、囲碁は10の360乗と非常に多い。しかし、囲碁や将棋には偶然要素がなく、有限手数で勝敗が決まるという点でコンピュータに向いている。AIは、8種類の駒や形勢判断の要素などを数値化している。
 平成9年(1997年)にコンピュータがチェス、オセロで人を負かした。平成25年(2013年)に将棋で初めてAIが人に勝ち、平成29年(2017年)には名人がAIに完敗した。AIが強くなったことで人が影響を受け、重要視するものが変わった。駒の損得よりも駒の働きを、玉の安全度では逃げ道の多さが重視されるようになった。AIのおかげで将棋の新しい一面がわかってきた。何を重視したらいいのか、どこが大事なのか、以前とは全く違ってきた。いくらAIの手を記憶しても勝てない。何故その陣形なのかポイントを理解しなければ勝てないのである。
 最後にAIは将棋のわからない人にもわかりやすくするなど、AIの影響を最も受けているのが将棋界ではないか、と結んだ。
 お二方の話は大変興味深かった。ただ、時間切れで「AIは視覚障害者の生活をどう変えるか」とのテーマでディスカッションにまでは至らなかったのが残念だった。
 これまで曜日に関わらず11月1日~3日に開催されてきたサイトワールドだが、来年は10月16日(木)~18日(土)に開催される。

令和6年度点字指導員講習会(点字指導員研修会)報告
点字指導員研修委員会委員長大澤剛

 日盲社協情報サービス部会は、令和6年(2024年)9月19日(木)に、Zoomミーティングによるオンラインを活用して、表題の研修会を行いました。
 本年は昭和51年(1976年)以降開催いたしております「点字指導員資格認定講習会」において、すでに点字指導員の資格を取得された方を対象に「点字指導員研修会」を開催いたしました。
 オンラインの特性から、多くの場所からたくさんの方々が参加できるメリットを生かし、今回は179名もの方が、参加してくださいました。
 講義は、午前と午後に一コマずつ行い、長時間のオンライン研修も受けやすいようにスタッフで検討しました。
 今回の講義内容と講師(敬称略)は、下記のとおりです。
 講義1「改訂版点訳問題集活用のポイント」
 講師は、全視情協点訳委員会資料類整備プロジェクト委員として『改訂版 点訳問題集3』の製作を行った佐賀善司(元岩手県立視聴覚障がい者情報センター職員)。
 この問題集の改定ポイントや点訳の規則を学ぶと同時に、視覚障害者から見た点字の意義について、詳しく講義していただきました。
 『点訳問題集』は2002年に発行されて以来、全国各地の点訳ボランティア養成講習会などに使用されてきました。
 今回、『点訳のてびき 第4版』に合わせ、問題の順序の変更・用例の見直しなどが行われました。
 『改訂版 点訳問題集3』は、旧点訳問題集を元に例文の修正・追加を行い、全25問の例文を収録しています。
 『改訂版 点訳問題集1』や『改訂版 点訳問題集2』と異なり、解釈が限定的になるのを避けるため、解答編では別解が示されておりません。
 なお、墨字版は全視情協ホームページ「各種資料」より、ダウンロードすることができます。
 また点字版(解答編)はサピエ図書館にアップされています。
 午後の講義2は、「専門点訳への誘い―― 数学・理科・情報、そして図表の扱い」。 講師は、日本点字委員会の加藤俊和委員。 その意義や注意点などについて、わかりやすく点訳するポイントを話していただきました。
 加藤氏は、まず「専門点訳」に恐れず取り組んでほしいと強調され、英語系の点訳であれば、UEB(Unified English Braille:統一英語点字)を学ぶことで、点訳が容易となると説明されました。しかし、理数点訳や情報処理については、内容を理解する必要があるため、わからない場合は内容を理解できる人に相談することにより、点訳することが可能になるので、気をつけるよう注意を促しました。
 点字指導員研修委員会は、今後もこのような研修の場を設けられるよう取り組んでまいる所存です。

情報化対応支援者研修会――第15回情報機器コース――
日本ライトハウス情報文化センター 松本一寛

 情報化対応支援者研修会(第15回情報機器コース)を令和6年(2024年)10月23日(水)~25日(金)に宮城県視覚障害者情報センターで実施した。参加者は21団体25名だった。
 地域の支援者養成を進めていくため、会場を地方の拠点都市に広げて開催することとし、その第1回目として宮城県仙台市で開催した。講義内容はスマホと最新機器、ロービジョンケアをテーマとした。各講義の内容と講師(敬称略)は以下の通り。
 講義1「iPhone指導の心構え」
 講義2「iPhone指導内容の基礎」
 以上、御園政光(千葉)
 講義3「iPhoneを音声で操作する際の目的別おススメアプリ」山口史明(新潟、資料作成)・松本一寛(筆者、代理講師)
 講義4「情報機器最前線2024」松本一寛
 講義5「ロービジョンサポート」別府あかね
 講義6「ロービジョンの方のためのiPhone設定」阪井紀夫(徳島)
 講義7「Android端末での見やすい画面設定とおススメアプリ」庄司健(島根)
 講義8「情報交換会」山村友梨子(岐阜)
 講義1から3まではテキスト読み上げ機能を使用したiPhone、Androidの利用支援について講義した。指導の心構えと支援を行うための基礎的な操作を実機を操作体験しながら講義を進行し、操作性の違いなどを体感してもらえたのではと考えている。
 講義1、2ではグループワークを取り入れ、意見交換を行い、利用者に寄り添って考え、どのようなアプローチがよいのか、何を達成目標に支援を行うかを丁寧に計画していくかを考えることの大切さが伝わる講義だった。
 講義4の最新情報では、主にパソコンやセンスプレーヤーで使える生成AIサービスを体験してもらった。
 講義5から7では、ロービジョンの基礎とiPhone、Androidを使用するロービジョンユーザーへのサポートを行う際の注意ポイントを念頭に講義を行った。端末に搭載されているアクセシビリティ機能がiPhone、Androidのそれぞれに充実していることを具体的に知ることのできる内容で、見えにくくなってスマホが使えなくなったという相談にすぐに活用できる講義であった。
 情報交換会では参加者から受講後の感想をそれぞれ発表してもらい、実機を触りながらの研修会形式の評価は良好で、今後も継続していきたいと改めて感じた。

<追悼>込山光廣さんは、まだ私の中で生きている 元参議院議員堀利和

 先輩でもあり、同志でもあった込山光廣さんが8月6日、上腸間膜動脈症候群のため77歳で亡くなった。
 通夜の前日、斎場に行くと込山さんの額は冷たかった。線香を立てると、彼の「死」が、あたかも今、残された私の「生」に引き継がれたかのような気がし、「おい、堀」と呼ぶ声が聞こえた。
 私は昭和25年(1950年)静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれ、小学校入学直前に、指定難病のスティーブン・ジョンソン病に罹り20日間意識不明だった。しかし奇跡的に命は助かったが、両眼の視力は0.02となった。
 静岡盲学校中学部を卒業すると教師の勧めもあって、東京教育大学附属盲学校(附属盲)高等部普通科に入学。寮生活で、専攻科の込山さんとは先輩・後輩の枠を越えて親しくなった。
 込山さんは昭和21年(1946年)8月に長野県に生まれ、青山学院大学と日本社会事業大学を卒業した後、昭和50年(1975年)7月の東京都特別区職員採用試験を受けたいというので、附属盲OB数名で、特別区人事組合と話し合った。
 これを契機に昭和50年(1975年)10月、視覚障害者労働問題協議会(視労協)を立ち上げ、私はその代表に就いた。早速翌年の都職員採用試験に点字受験を認めるよう心身障害者福祉部長と交渉に入った。
 昭和51年(1976年)の1月10日に心身障害者福祉部長と交渉の席で、「『福祉専門職C(点字試験)』を設け、今後、毎年1名を採用する」との回答があった。この勢いを受けて、我々は一部で「過激派」などと呼ばれながらも特別区の品川区でも引き続き全盲の福祉専門職員1名、続いて全盲の女性の電話交換士を1名採用させた。
 込山さんは昭和55年(1980年)に東京都に採用され、児童、女性、障害者対象の相談業務、ボランティアの育成に従事した。それとともに、昭和56年(1981年)から平成15年(2003年)まで全日本自治団体労働組合「障害労働者全国連絡会」の幹事・事務局長・代表を歴任し、全国の自治体に対する障害者雇用の推進に尽力し、自治体採用試験での点字受験の実現と中途障害者の職場復帰を多数実現した。
 また、正しい点字の普及と視覚障害者の情報・生活環境の改善に取り組む中で、平成15年(2003年)日本点字技能師協会を組織し、初代理事長に就任。日盲社協理事兼社内検定試験実施委員会委員長や全国視覚障害児童・生徒用教科書点訳連絡会理事・副理事長を歴任した。
 「込山さん、私の中であなたはまだ生きているからね」。

さりげなく優しくて、誠実な人 岡本博美さんを偲んで 日盲社協理事・都城市点字図書館館長 又木勝人

 絶えず周囲に気遣いをされる優しい方。そして、日盲社協・情報サービス部会を心より大切に思っていらっしゃる方。
 それが、私が長らく感じてきた岡本博美さんです。
 思い起こすと、岡本さんのお人柄を知るきっかけとなったのは、平成22年(2010年)8月に、宮崎県都城市で開催した「第17回西日本視覚障害者カラオケ大会」でした。当時、私は都城市点字図書館館長になって間もない頃で、慣れない業務を多数抱え切羽詰まった状況だったことに加え、事務局として携わった同カラオケ大会でも想定外の出来事が頻発し、心身ともに疲弊しておりました。その大会に、岡本さんは所属されていた山口県盲人福祉協会の故・舛尾政美理事長ご夫妻を始め、約15人の会員の方方とともにご参加くださいました。
 多くの会員をお世話されながらのご参加のため、気の休まらない状況だったと察しましたが、あたふたとしている私に「困ったことがあったら、なんでも言ってもらってええんよ。手伝うけんね!」と声をかけてくださいました。
 大会終了後、帰りのバスへと向かう見送りで二人になったときも「又木館長は、ようやっちょるよ。私なんか、いらんことばかり言うて、失敗ばかりやったからね。点字図書館のために一緒に頑張ろや!」とお声がけいただいたこと、今も忘れません。
 岡本さんが、情報サービス部会長として活動されていた時、私は副部会長の立場で一緒に行動する機会も少なくありませんでした。岡本さんは、様々な場面で、気配りや励ましの言葉をかけていらっしゃいました。人は落ち込んでいる時や、困っている時にいただいた一言は身に沁みますし、心に刻まれます。そういうことを、さりげなくできるのが岡本さんでした。ここ数年は闘病を続けられながらも業務を遂行され、メールやお電話でお言葉を交わすたびに「部会のためには…」と部会の発展を、絶えず最優先に考えていらっしゃいました。
 平成24年(2012年)4月より令和5年(2023年)3月までの長きにわたり、部会長兼事務局として、情報サービス部会を牽引されてこられたからこそ、いまの発展があることと思います。
 その昔、プロ級の歌声を持つ岡本さんとカラオケで一緒に歌った思い出の歌、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」
 ♪また逢う日まで逢える時まで
 別れのそのわけは話したくない……♪
 令和6年(2024年)6月1日、岡本さんは永眠され、今世でお会いすることは叶いませんが、“岡本イズム”は、いつまでも語り継いでいきたいと思います。
 岡本さん、情報サービス部会の発展のためより一層努力いたします。
 どうぞ安らかにお眠りください。

日盲社協事務局だより/編集後記

1.表彰者・受賞者情報

(1) 厚生労働大臣表彰
 吉川明常務理事が、令和6年度障害者自立更生等厚生労働大臣表彰において、「社会参加促進功労者」の被表彰者に決定した。
 岡本原正前理事が、令和6年度障害者自立更生等厚生労働大臣表彰において、「援護功労者」の被表彰者に決定した。

(2)国際交流基金地球市民賞
 国際視覚障害者援護協会が、2023年度国際交流基金地球市民賞を受賞した。

2.加盟施設変更情報

退会1施設<自立支援施設部会>
 全国ベーチェット協会視覚障害者支援センター熊谷(令和6年7月退会)

3.法人理事長・施設長変更(敬称略)

<法人>
①兵庫盲導犬協会新理事長三條真由美
②日本盲導犬協会新理事長金髙雅仁
 (令和6年6月14日~)

<点字出版部会>
 東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
新所長大木俊治

<生活施設部会>
 養護盲老人ホーム春光苑
新施設長津田綾子(令和6年5月~)
 養護盲老人ホーム慈母園
新施設長靏西弘孝(令和6年7月~)

4.事務局からのお願い

(1)Zoomミーティングの貸出
 Zoomミーティング利用希望施設は事務局宛にメール(nichimou.su@feel.ocn.ne.jp)で、使用希望日等をお申し込みください。
(2)ホームページ「部会別ページ」上で、会員施設名、法人名、住所・電話・FAX・E-mailおよびホームページのリンクを掲載しています。小誌では上記に加え、施設長変更も紹介しております。交代人事がありましたら、事務局(nichimou.su@feel.ocn.
ne.jp)までお知らせください。

編集後記

 本号の特集記事のとおり、第72回全国盲人福祉施設大会が、11月28・29の両日、レンブラントホテル大分において、盛会のうちに催されました。
 本誌は12月発行厳守であるため、執筆者各位には無理な「ショート・ノーティス」での寄稿・校正をお願いしました。それにもかかわらず健筆を振るっていただきますとともに、ご協力賜りました。誠にありがとうございました。
 ところで、本誌では日盲社協をはじめ、会員施設の多くが社会福祉法人であるため、冗長さを排して読みやすさを優先させ、勝手ながら原則として「社会福祉法人」を省略させていただいております。何とぞご了承くださいますよう、お願いいたします。(広報委員長 福山博)

 本誌は、こくみん共済 coop <全労済>の助成により作成したものです。

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